捨てられたスマホ=私 ???
今日、唐突にスマホを新調した。
といっても購入したのは中古品なのだけど。
元のスマホは2018年に購入したもので、それから大事に大事に使ってきた。もう5年目に突入してたんだな。2018年からの私は人生の転換期の真っただ中だったので、その時使っていたスマホにもかなり思い入れがあるのだ。
でも、1年ほど前に一度地面に落としてしまい画面にヒビが入ってしまったし、電池の消耗も激しいし、極めつけに、次男に「このスマホ使えない」とダメ出しまでされてしまったのだ。
それで、今日、ふと立ち寄った店で中古のスマホを思い切って購入。
その時 元のスマホを見ていたら、『急に捨てられて可哀そう』という感情が湧いてきたのだ。ほんとに可哀そうで涙が出そうなくらいだった。
店員さんに、「このスマホ、可哀そうですよね? 急に替えられて」と言ったら、店員さん、「かわいそう??」と不思議な顔をしてた。全然共感してくれなかった。
どうして、「かわいそう」だなんて思ったのだろうか?と、後から考えてみた。
急に変えられて見捨てられたスマホに私が感情移入したのは、つまり、私が私を「捨てられてかわいそう」と思っているからだろうなと思い当たる。
はて、誰に捨てられたんだっけ????
はい、あの彼やこの彼や・・・・・・、いやいや最初に私を捨てたのは ”母親” だ。
母親は45歳で脳内出血で急逝したのだけれど、その時、私は、「お母さんの魂は、私と生きるより、天国に行くことを選んだんだな」と考えていたことを思い出した。
つまり、私は「捨てられた」ってこと。
父と母の仲が悪く、母はいつか家を出て行ってしまうんじゃないか?という不安を抱えながら毎日過ごしていた幼少期。それが死によってついに現実になってしまった。イコール、「私は捨てられた」ってことになっていたのかもしれないな。
それから、私の人生は「捨てられる」の連続だ。
ある日突然、本当に突然、ポイってね。
このスマホみたいに。
でも、大丈夫。
私は私を捨てたりなんかしないから。