くそばばあと言われても。仕事始め記
仕事始めにあたって、今朝の出来事から、1年の覚悟を記しておく。
今年1年、仕事とプライベートを両立するのに、何があっても揺らがないでいたいこと。
はい、予想通りの暴言出ました
10日ぶりの平常運転。家族みんなスロースタート。冬の寒さや日の出の遅さもあって、私自身も含めて、当然、なかなか起きられない。
そうなるだろうことは悠に予想していたけれど、やはり起こしてもなかなか布団を出られない。しかし、時間の制約はある。
そこで無理に起こそうとすれば、まぁ言われる。
「くそばばあ」
はい、起きたくない気持ちもわかります。どこかに特別なお出かけはほとんどなくても、ここのところ、ずーっと優雅なお休みだったものね。
しかし、理解していることと、言われても嫌じゃないかどうかは別だ。言われると全然気にならない、というのは嘘。
不要な言葉はスルーする
ただし、嫌な言葉だけど、否、嫌な言葉だから受け取らない。聞き流す。
昔は生真面目に反発もしていた。でも今じゃ全然気にならない。
慣れもある。場数を踏むうちに、さほど特別なことじゃなくなった。
さらに、慣れる以上に、受け取らないという方法が有効だった。
その言葉を投げつけるのは相手。
私は嫌だから聞き流す。
言う自由と、聞かない自由。どちらもあっていい。
言わないでほしいけど、言うかどうかを決める権利は相手にある。
相手のコントロールを放棄して、私ができることに専念したら、だいぶ楽になった。(それでもまだ気になるときや、コントロールしようとしてしまうときはあるけどね…)
暴言を吐かせないリスク
嫌だという自身の気持ちと、相手が暴言を吐く自由は両立する。
むしろ、相手に黙ってほしいと、相手をコントロールすることのリスクを懸念する余裕を持てるようになった。
相手を黙らせたらどうなるか。
たとえ暴言がその時の心情を正確に表現するものじゃなかったとしても、言えなくなれば、その分、鬱屈は溜まる。
吐き出す場所がなくなることは窮屈だ。
言いたいなら言えばいい。(言われたら嫌だというこちらの気持ちは一応伝える。)
でも、言わせないことを目標にしない。
むしろ言いたいことは言える環境、雰囲気にしておく。自分自身のためにも。
もちろん、「それちょっと言い過ぎじゃない❓」と気になったら伝える。
しかし、そこからどうするかは相手次第。私にはどうしようもない。
その相手を尊重した距離感を、仕事でももっと深めよう、と仕事始めにあたって念頭に置いておきたい。
無事に過ごせることの幸せ
最初に「くそばばあ」とのたもうた長男は、全員が起きたら、しぶしぶ起きてきたし、兄の真似して暴言を吐いていた4歳児三男も、保育園に着く頃には気持ちを切り替え、ニコニコでバイバイ。
まぁ、こんなものですよ。ふふふ。
いや、うまくいかないときもあるけれど。いいんだよね、うまくいくとき、いかないとき、両方あって。
そうしてバランスを取りながら、「聴く」「伝える」を意識して、公私ともに1年を過ごしていこうとあらためて決意。
今年も充実した1年にするぞー!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。今年もまた多くの皆さまとお会いし、交流できるのを楽しみにしています。