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組織の自由そうなひとにも価値はある
私は、こう言われることがある。
「自由そうだよね」
「明日死んでも後悔しないでしょ?」
「そのくらい我慢するもんじゃない?」
でも実施わたしはこう思っている。
「毎日が窮屈だな~」
「よくも毎日満員電車に乗っているな、私」
「もっと自由になりたい」
外から見える姿と自分で感じていることが乖離しているみたいだ。
みんなそんなに窮屈な中で生きているのか、
はたまた感じ方や向かいたい場所が違っているからなのか。
とにかく私にとっていまの生活は少し窮屈なのだ。
だから「自由そう」といわれることにネガティブな感情を持っていたりもする。私は求めすぎで欲張りなのかって。
相対的にはそう思われるかもしれないけど、私にとっては今の場所で満足はしていない。(比較的自由度の高い仕事・立場なのは感謝しているけど)
だからまずは「自由そうだね」という言葉を前向きにとらえていこうと思う。
自由そうな人が組織にいたら、何かいい効果もあるかもしれない。
みんなが完璧そうにひとの言う通り過ごしている関係性より、「なんかあの人、あんまり従わないし自由そうだな、あとそう思われていることあんまり気にしてなさそう」みたいな人がいるほうがコミュニティに余白が生まれる気もする。
ちょっと着地点がわからなくなってきたが、とにかく今は「自由そうだね」をポジティブな視点でとらえることにチャレンジしたい。