コロナが気付かせてくれたこと。それは豊かさと人間の美しさ
全ての経験は、私を強くすることしかできない。私を成長させることしかできない。
というのは、私が最近ハマってる、元気の出る言葉です。
人類は、コロナという難しい局面に立たされ、沢山の困難が沢山の人に降りかかっていると思います。私は、学生なので、社会で働いている方々ほどの困難は強いられませんでした。幸いなことに、周りの人も健康です。なので、そんな私は、コロナ禍について何も語るべきではないかも知れません。もちろん、コロナは沢山の人の命を苦しめ、時に奪い、とても凶暴で残忍であることは間違いありません。しかし、そんなウイルスですが、事実として、私を成長させてくれたという面があります。私には、コロナに教えて貰った、成長させて貰ったと痛感する点が確実にあります。今日は、その面についてフォーカスを当てて書きたいと思います。
今日は、コロナのことは、私を成長させてくれたことへの感謝と愛を込めて、コロロンと呼ばせて頂きます。
コロロンが私に教えてくれたことを一言で言えば、「自然」です。思い出させてくれた、と言った方が正しいかもしれません。風の香り、木々の安らぎ、草や花のあまりにも自然体な姿、食べ物から伝わってくるエネルギー、自然と自分との繋がり、、、それら全てを私に思い出させてくれました。2019年の様なノーマルな年が続いて今日この日が来ていたのなら、私はこれらのことに全く気付かずに今日この日を迎えていると思います。
コロロンと私が自然に気付いたことの関係があると、論理的に示すことはできず、直感的なものです。しかし、私が、自然の麗しさに気付き、自然に立ち返れたのは、コロロンのおかげだと、私は確信しています。
具体的には、本当に小さな変化です。
夏に昔はガンガンに冷房をつけていたのですが、家で夏の暑さを感じながら何かの作業をする方が心が疲れなくなりました。確かに、涼しい方が快適かもしれませんし、私だって全く冷房を付けずに過ごす様になったわけではないです。しかし、朝1時間つけたら消して、昼はムシムシした感じを楽しむというような、昔なら絶対しないようなことをするようになりました。そちらの方が、心が自然でいられるのです。
夏に、冷蔵庫でキンキンに冷やした飲み物に違和感を感じる様になりました。昔は、冷蔵庫でキンキンに冷やした飲み物に更に氷を入れて飲むのが好きでした。だけど、それがとても自然じゃない感じ、異物感を感じる様になりました。川から流れて来た、水がキンキンで、それを飲むのなら、自然なので良いのですが、水道水もぬるくなっている夏に電気を沢山使って、キンキンな水を飲むことに抵抗感が生まれる様になりました。もちろん、そんなこと言っても、私はあったかいお風呂に入っているし、完全に自然に還ったわけではありません。しかし、昔は自然に逆らっていることに違和感すら感じず、時に快感まで感じていました。しかし、今は、自分が自然に対して行なっていることへの違和感に気づき、自然に対して感謝する様になりました。
自然の美しさ、麗しさに気付けるようになりました。コロロンのおかげで、行ける場所が限られ、公園などの自然の中に行く機会が増えました。そこで土の上に無になって寝っ転がると、自然が持っている、無なんだけれど、厳かで、壮大で、スッキリした世界観が、私にまで広がってくるのを感じる様になりました。こんな美しい地球の一部であることに大いなる喜びを感じます。また、自分が地球の一部として、存在するbeingなのだと身をもって感じ、心からの幸せを感じます。頭がわちゃわちゃした時にはおすすめです!
木の肌の美しさや、伸びる枝の図形的な美しさにうっとりする様になりました。木に耳をあてて、ボーとするようになりました。特に、霊感も何もないので、木に耳を当てたところで、何も聞こえたりはしません。ただ、心の中に雄大な平穏が広がり行くのです。ただ、私が、地球に受け入れられていることを感じるのです。それが私を最高に落ち着かせます。今の私にとって、豊かさとは、お金でも友達の数でもなく、この広く全てを受容する、母性愛を持った地球に愛されていると感じる時のことです。地球は全てを受容します。殺人鬼も、木の幹に寝っ転がることができます。どんなに愛を信じない人も土の上に寝っ転がることができます。それは、偉大なる地球、Mother earthに愛されているということを意味していると思います。
食べ物への関心や感じることが多くなりました。私は、今も昔も菜食主義では無いのですが、最近は、肉を食べると、明らかに野菜を食べたときには無い、心の詰まり?淡い疲労感の様なものを感じる様になりました。おそらく、動物の肉から、栄養分以外にも、その個体が感じていたストレスや苦しみや痛みをも摂取しているためだと思います。繊細になったことで、顕著にこのことに気がつけるようになったのだと思います。なので、厳密に行なっているわけでは無いですが、まだ活動時間が長く残ってる朝と昼は、基本的に動物性食品を摂取しなくなりました。夜ご飯でだけ肉を食べます。それが私にとって、今、1番良いリズムみたいです。
自然の美しさや麗しさに気がつくことは、自分の美しさに気付くことでもあります。これは何故なら、人は自然の一部だからです。今まで、内面も外面もここがやだ、ここを隠したいという気持ちが強く、自分を偽装するという感覚で周りの道具を使っていました。例えば、自分はダメ人間だから〇〇する。とか、自分は醜いから〇〇する。という様な感じです。そこから今は、隠すためではなく、本来の自分の良さや美しさを際立たせる様に周りの道具を使う様になりました。自分が元々持っている女性性を広げるためにハイビスカスティーを飲む。とか、自分の元々持っているオーラをより引き立たせるためにパワーストーンをつける、とか!!
周りの物を自分のコンシーラー(concealー隠す)として使わない。そうではなくて、誰しもが持つ、素の美しさやたくましさを引き立たせるために使うのです。自然はこんなにも奥深く、愛おしい物なのだから、人間が自然の一部であり続ける限り、どんな人がだって、美しくない、価値がない、魅力がない、醜いなんてことはあり得ないと思うのです。もしそんなネガティブなことを信じているのなら、それは思い込みだと思います。
ということで、コロロンは、私に
自然は美しいということ
人は自然の一部であること
よって、人は美しいということに気付かせてくれました。
こういう面で、私は、コロロンに感謝したいです。だからといって、これからずっと一緒で居たいと言っているわけでは無いです。もうそろそろ、コロロンから学べることは、学び切ったと思います。マンネリ化した男女関係の様にグダグダ、私はしたくありません。お互いに、相手から学ぶべきことを学び切ったのなら、サッと別れるのがクールなのでは無いかと思います。大人な関係なのでは無いかと思います(私高校生だけどね)
というわけで、コロロンと私のJourneyとでもいうべきものは、もうすぐ終篤を迎えそうです。私は、もうすぐで、コロロンのいない世界線に移行してしまうでしょう、、ありがとう。そして、さようなら。あなたは私の人生を構成する無くてはならないfractalの1つでした。あなたも自然の一部であり、どんな残酷さを秘めていても、美しいことに変わりは無いのです。時にその荒波で人の命を奪う海がその残酷さとは裏腹に美しく、人を魅了するのと同じように。
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