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翔んで埼玉
翔んで埼玉という作品に対し、埼玉県南部の人達は複雑な反応を示している。
➀埼玉県南部の住民は埼玉都民とも言われ、住居は埼玉でも職場は都内であることが多い。また、都民が埼玉に買い物に来ていることも見ている。
翔んで埼玉という作品が発表された頃、埼玉県南部には、まだ地下鉄が開通していなかった。東武東上線という路線だけがあり、都民は「東武東上線の原住民」と侮辱していた。
この作品は1982年に発表されたのだが、当時は自分より下の人達を侮辱する風潮が強かった。後に長野県知事となった田中康夫の小説『なんとなく、クリスタル』(1980年発表)にちなんで、なんとなくファッショ(ファシズム)の時代だと揶揄する声もあった。(その頃、田中康夫は「今の若者は差別することにエネルギーを使っている」と発言していた。)
当時は、北野武らの漫才が評判になっていて、漫才で恵まれない人や醜い女性を侮辱したりすることが流行っていた。
埼玉県は東京から見たら格下という理由で、その頃の風潮に便乗して、侮辱する言葉を放っても平気だった。埼玉県民は都民と接触があったので、都民には目障りだったのかもしれない。
➁10年程前に埼玉県南部を訪れた群馬県民が、「予想していたより都会だった。」と私に言ったことがある。その後、埼玉県南部は、さらに発展した。
埼玉県南部は4つの市が知られている。和光市がもっとも発展しているが、朝霞市、志木市、新座市と合併の住民投票をしたこともあり、行政は協力しており、4市でさらなる発展を目指している。この4市のことは別垢で書いた。
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お読みいただき、ありがとうございました。ローカルな話題で、すみません。