10月22日、ホラホラ、これが
僕の骨だ、生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ、
ヌックと出た、骨の尖。
……………
書いては消して、書いては削って、書いては訳が分からなくなる…。を繰り返しています。
何故なら私の彼への想いが強火すぎて、うまくこの感謝を表現できずにいるからだー!
10月22日は、
中原中也の命日「中也忌」です。
中原 中也は、日本の詩人、歌人、翻訳家。旧姓は柏村。 代々開業医である名家の長男として生まれ、跡取りとして医者になることを期待され、小学校時代は学業成績もよく神童とも呼ばれたが、8歳の時、弟が風邪により病死したことで文学に目覚めた。中也は30歳の若さで死去したが、生涯で350篇以上の詩を残した。
(ウィキペディアより引用)
ご存知の方も多いだろう。
教科書では「サーカス」「汚れつちまつた悲しみに……」「一つのメルヘン」などが現代国語に掲載。某教育番組でも朗読されていた。
その半生と性格から何かとキャラクター化される人物だ。
中学3年の時に初めて出会った詩は今記事タイトルに引用した「骨」だ。
それ以降新潮社文庫の詩集を購入し、何度も難度も読み返した。高校の教科書で出会い授業で「サーカス」に触れた際には内心歓喜した。
当時の現国の教師は「オタクな文学少女」を自認していた若い可愛らしい女性だった。
その彼女が中原中也を授業で説明する際に、
「文学少女気取りなら一度は中原中也にかぶれる、と言ってもいいと思う。文学系オタクの登竜門」と言い放った際には内心首を縦に振りまくった。
授業終わりに「先生大ファンでしょ?」と聞いたら、「あらぁ?あらあらあら!」と喜ばれ握手した。
…人見知りな私が唯一懐いた教師は彼女だけだった。
彼は30という若さで亡くなるのだが、その人生は本人の性格も相俟って波乱の連続である。低身長の酒乱で、太宰治を泣かしたりやりたい放題の凶暴な人物として有名だった。「モ・モ・ノ・ハ・ナ・☆」
恋愛面、金銭面など、今でも取り沙汰される話題は多く、あの世代の文豪はどうにも人間性からはちゃめちゃ面白い人ばかりだ。(※また、リア友になりたくない人も多いかなっ)
うまく人付き合いは出来ない乱暴な対人関係と裏腹に、彼の詩は繊細で、現実に精神世界を重ねたかのような純粋さが見てとれる。
きっと子どもの無邪気さや純粋さを煮詰めてそれを隠すことが出来ずに曝け出しては失敗する人間だったのだろうと思う。
彼の行動言動を苦く思いつつも、亡くなったあとポツポツと中原中也を語る同世代の作家の姿もまた、中原中也の魅力が織りなす作品と化した。
弟の死で自然美を現実に投影し、息子の死で走馬灯を現実に見続けた男は恐慌の狭間に命を落とした。
彼は若くなくなったので日本が戦争に焼け、負けるのを見ずに済んだが、
彼の繊細な精神はきっとこの世の地獄に耐えられなかっただろうから、長生きせずに済んで良かったのかもしれない、とも、思ってしまうアホなファンです…。
凶悪的な純粋と激しいまでの情動と凪いだガランドウ。
中原中也の美しい詩をこれからもずっと読んでいられるといいなと思います。
うー!泣
うまく魅力を伝えきれなかったので、
来年4月の誕生日まではnote続けようと思いました。※4月29日
あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言や、
洩らさず私は聴くでせう、
ーーけれど漕ぐ手はやめないで。
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風は少しはあるでせう。
汽笛の湯気や今いづこ