Enough is enough.
毎日辟易している、インターネットには才能が溢れている。いわば、個々人が個々人の個性を持って活躍できる唯一の場所だと考えていた。
残念なことに私に才能はありません、できることもありません。
三島由紀夫が好きだった。葉室燐の、草木からこぼれ落ちた一筋の水面の揺れを文章にできる人間がこの世のにいたことに酷く感心し感動した。だから葉室燐さんが亡くなった時、私は心苦しく涙が出た。全くの他人にここまで傾倒したことはない。まして、対面したこともない人間に同情できるほど私は立派ではないのに。
今日、ドトールで情報商材を売っている人たちがいた、聞いている人はうんうんと深く頷いて、それを真面目に聞いていた。月々20万円、これは安いでしょ?と繰り返してもうんうんと頷くばかりだった。
もしかして、彼らは私と一緒でアイデンティティを求めている人なのかもしれない。他人だとしても、私も同じように人々から注目を集めたいことはなんとなく理解できる。当初、馬鹿にしていたが、帰ってからもしかしてあそこにいたのは私だったのかもしれないと思った。
enough is enough.
恋に落ちるよりも先に、自分に傾倒すること。愛されるより先に愛すること。
孤独でも生きていけるようになること。一人で立ち上がれるように、人のことを深く愛さないこと。
勿論、好きになる人がいる、時がある。ただ「ちょっと待った」enough is enough. 愛されない自分を、自覚できないのだ。受け入れられないだろう。
愛されない自分、言わば片想いを、そして振られることを、耐えられないんだろう。アイデンティティのない自分をどうやって魅力的に見せればいいんだろうなんて、考えても答えは出ない。
enough is enough.
時々、友人から死にたいと聞いたり死ぬかもしれないと言うことを聞くことがある、その度に一人一人に心臓を切り裂かれるような思いをして捻り出る答えは「死なないで、遊ぼうよ」だけだ。
どうしてこんなに無力なのか、その子は私と話したところで死んでしまう人はしんでしまう。私が話したことは無駄だったのか?そう思いたくない。
このことから、私は自分のアイデンティティと他人への影響を考える。誰かの大切な人でもないし、私は友人の苦しさを紛らわすこともできない。そう思うと、いかに自分がぬいぐるみ以下の存在だと知らしめられる。
それでも私は考えることをやめたことはない。死なないでほしい。生きていてほしい。私に会って欲しい。友達になって欲しい、そして幸せになってほしい。
胸が劈かれるような痛みがする。悲しい気持ちでも、無力な自分を責める気持ちでもある。
Fed up with myself
私はいつも髪を染めて、派手な服を着てどうにか自分自身を保とうとしている。
化粧をして、髪を巻いて私が出来上がる。誰が見るわけでもなくてもずっと私は髪を巻く。夜にはパックをして、化粧液だのクリームだのを塗りたくって、加湿器を付けて眠る。
外に出るときには香水を振る。香水はキスをしてほしい場所につけるとマリリンモンローだかが言っていたから、私はそこにつける(一体誰に?)
時々甘いかおり。砂糖菓子のようなかおり。時々スパイシーで滑らかな芳醇なかおり。時々、フローラルのかおり。
いつだって、私はひとによって香水を変える。でも、これは私のかおりだと言って貰えるならそれはそれで嬉しい。
幸せなこともある、友達に恵まれている。幸せなことだ。慕ってくれる人もいる、幸せなことだ。
ただ最近はつい摩耗して、心が疲弊して苦しい時がある。
だから一旦全てから離れている。理解できないかもしれないが、覚えておいてほしい。私は、側にいるし貴方を忘れたことはないけれど、疲れたんだ。色々なことに。
I need some time and space.
I love all my friends and especially you.