魔法の靴を履きながら
私は左足に装具をつけて生活している。
先天性の神経疾患で、小学生になる前から徐々に足が変形してきた。
子どもの時、矯正手術後、固定用装具を装着。
装具は痛みもあり、嫌でつけずに無理して歩いていたら足の裏に負担がかかり深い傷ができて、ふさぐ手術をすることになった。
それ以降、足への負担を考え装具は欠かせず、今は完全な足の一部になった。
変形も進み、気づけば昔みたいに装具無しでは歩けなくなった。
装具をつけると歩ける。
歩けない私を歩けるようにしてくれる装具は、
まさに魔法の靴。
作り替えの度に義肢装具士の方に、
「これをつけたら歩けるから、魔法の靴なんです!!」
と、毎回言っている。素晴らしいお仕事だと伝えたくて。
生活に欠かせない装具があるからこそ自由に過ごせて、
装具士の方がいるからこそ、こうして不格好ながらにも歩けている。
障害者歴が40年くらいになり、ようやく気づけたひとつのこと
私は障害者でありながら保育園から短大まで、普通学校に通ってきた。
気づけば、友達も親戚も周りに障害者と言われるのは私だけだった。
(入院で知り合った方はいたけれど)
親戚や、友達も、普通に接してくれて、障害のことを聞いてくる人は誰もいなかった。
でも明らかに周りとの違いを(できないことも含めて)幼い時から感じていたし、隠せないのに、隠して過ごしてきた。
私は足が悪いけれど、これが自分だし、そもそも生まれつきの病気なので誰のせいでもない。そう素直に思ってきた。
いつしか、どうして私には障害があるのだろうと、思考がそちらにばかり傾いた。
外見ではわからない障害もあるので一概に言えないけれど、少なくとも私の周りには元気な人ばかり。
「歩けるからいいね」、「そのくらい大したことない」と言われたこともあり、確かにそうだと思う。でも、それを言われたら何も言えなくて、つらくなる。
障害の程度はたくさんあるけれど、大なり小なり、障害はその人が受け持っているのが全てで、比べるものでもないと思っている。
不自由さが大きくても小さくても、そのどちらも自分にしかわからないもので、その不自由さがその人の最大限なのだと思う。
だから、比べるものでもないし、比べようがないと思っている。
今は、結婚して子どももいるけれど、子育てをする中で、また直面することになる。
障害者の母親って、私だけなのかな。
できないことも多い中、幸せであるはずの生活が、自信の無さや、自己肯定感も持てず、否定的な感情が押し寄せてきた。
比べるものでもないと思ってきたのに、比べているのは紛れもなく自分自身だった。
かと言って、今更周りに自分の障害についての悩みなんて言えない。
SNSが普及して、最近は特に障害を持つ人や、そのご家族が発信していることが多いので、探しては読む日々が続いた。
比べるのではなく、共感し共有したい、そんな思いで、たくさんの方の発信したものを見るようになった。
当たり前だけど、私だけではないんだと素直に思えた。
周りが健常者ばかりで育った私は、自分を偽り、障害を隠し、障害があるのに、ないふりをして、あえて障害がある人との交流を避けてきたようにも思う。
そんな中、あるテレビで事故で障害を負い、それでも懸命に前向きに諦めずに過ごしている明るい女性の存在を知った。
元気な人が突然体の自由を奪われるほどの障害なんて、想像もできない。
私は物心ついた時から、この体なので、ある意味これがあたり前なのだ。
その女性の明るさや、前向きな姿にとても感銘を受け、どうしても感想が伝えたくて、名前を検索したらブログがあり、早速コメント欄にメッセージを送った。
今はこうして、知りたい人、つながりたい人とSNSでつながれるので、使わない手はないと思い、私が求めていた居場所はここなのかもと思えた瞬間だった。
一生知ることもなかった人たちと、どこにいても、いつでもこうしてつながれることはとてもすごいことだと改めて思う。
誰かが発信し、ブログや記事を書き、それを読むことで、どこかの誰かが共感し、
一人じゃ気づけなかったことをたくさん教えてくれる場所
それは、周りが健常者ばかりで、障害がある自分一人では、まさに気づけないことだった。
たくさんの人の日常や思いにふれることで、勇気をもらえたり、生きる道しるべになったりする。
私にとっては、特別有名だとか、すごいことをした人とかでなくても、その人なりの素直な気持ちや日常にふれるだけで、勇気や希望をもらえる。
障害をもつ人こそ、世界が広がり、言いづらさや、思いを伝えられる場所かもしれないと思う。
いつか私も隠す自分ではなく、自分の思いを伝え、たった一人でも誰かが読んで共感し、共有してくれるのであれば、書いてみたいと思う。
体が不自由な人だけではなく、私の魔法の靴を作ってくれる人がいるみたいに、不自由な人に寄り添い、助けてくれる人たちへの感謝の意味でも。
直接対面する事が叶わなくても、対面したくなくても、文章でつながることで、ひとりじゃないって思える人がもっともっと増えることを願って。
この記事が、私なりの第一歩で書いてみました。