夢と人生と音楽
コロナにかかり入院していた時
ずっとベットから起きれなかった
死というものが目の前にくると人間は何故か
悟りを開く
私もその時に自分の人生を振り返った
私は一度の人生で何がやりたいんだろうと
考えてみても
やっぱり音楽しかなかった
初めて歌詞を書いた10歳の時から
15年経ってようやく曲が作れるようになって、
キーボードを買ってもらってから18年
ギターを買ってもらってから10年
自分でどうしても曲が作りたくて
なんとかやっとこさオリジナルができた
歌詞だけならノートに書いてる物が何冊もある
形になってない物を合わせると何百にもなるのではないだろうか
スケジュールを見直して毎日歌、ギター、
ピアノの練習をした
走り込みも始めた
毎日続ける事が1番の夢への近道だから
ストイックにやるしかないって
本に書いてあったし
私は天才ではないし、
凡人にすらなれないのなら、
人と違う事でも自分らしくやろうと
自分らしく生きようというのが私のモットーだ
今は芽が出なくてもやった事は言いも悪いも、全部自分に返ってくる
私の教科書は音楽の歌詞カードだ
教科書には人生をどう生きるかなんて書いてない でも曲にはその人の人生が書いてある
初めてYUIの曲を聴いた時、
YUIが自分の気持ちを代弁してくれてる気がした
すぐCDを買いに行った
私の大好きなYUIは天才だ
私には彼女と同じにはなれない
でも彼女みたいになれたら
私が音楽をする意味は
まだ私が5歳の時、両親がDVが原因で離婚した
パパがすごくママに怒ってる 今にも殴りかかりそうだ 私はどうにかしないとって分かってるけど 動けなかった
そこまでは覚えているけどその後の記憶がない 人間の脳って上手くできてる 私の脳みそが理解できなくてその記憶を 吹っ飛ばした ドアに穴が開いた ママの目は小岩さんみたいになった
その場面を私は見てて
それは私のトラウマになった
お母さんは泣いてて
私は何も出来なくて
少しでも私がどうにか出来たならよかったけど
大丈夫だよって
言うことしかできなかった
いつしかその部屋が私の部屋になった ドアの穴はもうないけど 私は穴の開いてた場所をじーっと見てた
ずっとそこを見てると あの記憶がフラッシュバックするから 思い出すのをやめた
自分の半分が空っぽになった様に
その光景がフラッシュバックする
自分が何のために生きてるのか
すら分からなくなる
生きるのは苦しい
子供ながらに何度も死にたいって
考えてた
マンションの13階に住んでたんだけど よく柵から地面を見下ろして こっから飛んでしまえば どうなるんだろうと
考えてた
16で社会に出たけど、
碌に仕事も出来なくて、
心がボロボロで
双極性障害になった
鬱の時は、
自分だけが沈んでいく船に乗ってるみたいな 気持ち
皆は海の上にいてるのに 私だけ海面にいて そこから水上を見たくても 陸の世界は見えないように ずっと水面を見つめてる私 頭でわかってても心が追いつかない 疲てしまって体が動かない 人間が怖い
外の世界は冷たい ひとりぼっち 真っ暗な部屋の中で 毎日死にたいとしか思わない
早く死にたい もうつかれた
お願いだから早く死なせてくれ
それが無理なら神様ひとつだけ、 私に人生を変えるチャンスをください
そう祈った
フラッシュバックして
悲しくて苦しくて涙が出る時
たまに5歳の自分が出てくる
悲しかったんだ本当は私も泣きかったんだって
言うんだけど
その時に私は自分に言う
大丈夫だよって
そして小さな自分を
優しく抱きしめる
もしかしたらその時の自分の為に私は歌を
歌ってるのかもしれない
私が夢を追う事で
私も誰かに夢を与えれたらいいな
私は自分が子供の時になりたかった
大人になりたいな
私の歌で誰かが元気になったり
勇気出してくれたら嬉しい
私が夢を叶えられたら
沢山の人に夢を与えれるだろう
私が大好きな人達みたいに
そんな気持ちで音楽をやっている
それは私の情熱
私の自信
私の原動力
これはポジティブな私の心だ
でもそう言う気持ちとは反対に
私は駄目な人間だ
なにも出来ない
弱虫だ
無理だ
何も私には出来ない
全部諦めてしまえばいい
という自信のない私がいる
これはネガティブなもう一つの私の心
この感情と気持ちの波が
双極性障害の私にはある
小さい頃から歌が大好きな子供だった
ピアノは年上の子が学校に置いてあるグランドピアノで曲を弾いてくれた時に
目と耳で覚えて
その日帰ってその曲をどうしても弾きたくて
そしたらなんと弾けてしまって
次の日その上級生の子達の前でその曲を弾いた
それが私とピアノとの出会い
ママがキーボードを買ってくれた
ピアノもYAMAHAで教室に通わしてもらった
楽譜なんか読めないから
最初はドレミファソラシドを覚える
次は四分音符八分音符ト音記号ヘ音記号
楽譜の読み方和音の押さえ方
本当に1から教えてもらった
家では1人っ子の鍵っ子なので
1人でいるとき退屈だし
孤独だった
でもピアノを弾いてる時凄く楽しかった
習ってたのはクラシックの曲だけど
私が本当にやりたかったのはPOPSだった
ずーっとキーボードの中に入ってる曲を聴いてた
ここに入ってある曲が弾けたらなと思っていた
私がピアノの才能があったのかと言ったら
きっとなくはないだろうけど
ただ人並みとか人並み以上とかは私には出来ない
周りの子は凄く難しい曲を練習してたけど
私は簡単な曲を覚えるのが精一杯だった
私は天才ではなかった
天才だったらよかったのに
少しの才能が奇跡的にあっただけでもまぁいいか
その時はただ電子ピアノで遊んでるだけだった
そのうちアレンジしたり自分で曲を作るようになった
作詞もその頃から始めた
まぁその時はそれが作詞作曲だとかそうじゃないとか関係なくただ楽しかったからやってた
それだけだった
それだけ
そんな事を私は大人になっても続けた
好きだから
音楽が好きだから
いつしかそれは私の夢になった
私もYUIみたいなシンガーソングライターに
大人になったらなろう
そう決めた
自分には何が出来るのか。
ある人は指がなくてもピアノを弾いてた
ある人は腕が半分なくてもギターを弾いてた
そういう人が私に教えてくれた
音楽の力
歌手になりたいと初めて思った12歳の時
アコースティックギターを買ってもらった16歳の時
アメリカに留学に行った17歳の時に
夢を書く授業があって、私はそこでSingerSongWriterって書いた
バスの中でTaylorSwiftの曲がかかった時、人種も国境も様々なのに皆がその曲を歌えた
凄かった
ただそれだけ
私はその時洋楽にどハマりしていたから
勿論その曲は全部歌えた
皆さんも知ってるだろう彼女の代表曲
『We Are Never Ever Getting Back Togeter』
帰ってからどうしても弾きたくて
私がギターで初めて弾ける様になった曲が
その曲である
もう1人私の音楽をやる上で欠かせない存在
それはアメリカの歌手
MileyCyrus
彼女がディズニーチャンネルでHannahMontanaをやっててそれがTVで放送された
凄かった
めちゃめちゃかっこいい!!
可愛いしかっこいいし歌上手いしこの人は誰だ!!
マイリーがハンナモンタナをやってたのが14~18歳だったと後から知った
その時私は12歳
掃除機をマイクにして机に登ってマイリーの真似をしてた
完全に彼女のファンになった
ポスターを部屋に貼り
雑誌を切り抜き
グッズを買って
英語が聞き取れないから
何回もCDを巻き戻しては聴いた
それが私の洋楽との出会い
音楽には国境がなくて海の向こうまで届く
それを実際に感じる体験をした
だから音楽をやってる
60歳になっても音楽をやりたい
私は音楽を愛してるから
成功とかお金のためにやるんじゃない
人の為に
もし私が成功したら
音楽を社会貢献に繋げる
これが私の最終目標である
よく有名人はチャリティーをしている
私もお金をたくさん稼げる様になったら
誰かの為に使おうと決めている
やりたい事は山ほどある
だからまだ死ねない
本当は分かっている
私が初めて作る曲は『Get It』
『紺碧の雨』
『Born to A Soul』
『依存症の歌』
『Hey Children』
『Mean Of My Live』
『さよなら僕のお城』
『100周遅れのランナー』他にも色々あるけどそれが多分1stアルバムになる
そしてその次のアルバムは
『Liberetion For Freedom』
このタイトルでtourを周る
日本語に直したら自由への解放
私はこのコンサートで自分らしく生きる事の大切さを訴えたい
CHANGE 誰だって変われる
BE POSSIBLE 私達は何だって出来る
WE ARE FREEDOM 自分らしさを大切にして自由に生きよう
これがテーマだ
自由は勝ち取る物だ
自分自身で自分を解放する事で本当の自由が見つかる
人と違う個性の大切さを音楽とアートで表現したい
そしてそのtourの収益をチャリティーに繋げる
障害者スポーツ アート分野 人種差別 いじめへの取り組み 性的マイノリティへの理解 女性の自由への権利 動物愛護 保護 野生動物、生き物を守る活動 生産工場での動物の扱い 自然を守る取り組み これらは私達皆の問題だ
アートで表現したいのは人間の感情 孤独 エゴ 欲 そういう内面の部分
私達の心の部分を
音とアートで表現したい
やりたい事が山ほどある
私にはVisionがある
夢がある
若いから
私はどのくらい達成出来るかな
やりたい事を
一生に一度の人生の中で
私は楽しみたい
だから好きな事を仕事にする
私が大好きな物と共に生きていきたい
私の能力を使って出来ることって
他に考えられない
音楽以外
音楽ができないなら
何のために生きてるのかすら分からない
子供の時から唯一やってきた事がそれしかない
だからそれをやる
そう決めたのは私自信だ
私みたいに泣いてる誰かがいたら
優しく抱きしめて 大丈夫って言える様な
大人になろうと決めた
5歳の私が 描いた大人に
私は近づけているかな
人の気持ちを感じれる人になろうと決めた
あの時から私の心は変わっていない
強くならなくても優しくなれたら
愛を持てたらそれでいい
私に出来る事はまだまだ沢山ある
それはこのNOTEを読んでくれた貴方も同じだ
成せばなる成せねばならぬ何事も
一回の人生であなたは何をやりますか?
子供の時に描いてた理想の自分に近づけましたか?
私みたいにやりたい事をこうやってNOTEに書いてみてください
多分
沢山出てくるでしょう
それが私達の生きる意味
これが私の生きる意味
音楽は
私の人生の一部
人生は
夢を叶える為にある
人生は一度きり
楽しんだもの勝ちだ
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