じつは「大好物」の世界。
「内なる自分」、「本当の自分」とかよく言われるものに出会うには、
色んな言葉や方法がある。
「自分が好きなことをしたらいい」とか、
「子供のころ、好きだったものは何?」とか。
まー単純な構造であろう私にピカーンとハマったその言葉は、
「大好物」。
「好き」というと、なんだか弱い。
そしてフェイクがいっぱいある笑。
「これ好きかも!」→「・・・んー、やっぱり違うかなぁ?」
(まぁ自分は確実にマルチポテンシャライトだと思っているから、
変わり身の早さは、そういうことなのだと結論づけているんだけど)
そう。「大好物」。
なんだか「大好物」って食の場面で使われることが多いし、
どこかでちょっと「卑しい」っていう雰囲気を、
私は思い描いてしまったりする。
多分、「好きなものばっかり食べちゃダメ!」
って言われる子供の宿命からかしら。
でも「大好物」から連想するものを考えてみると、
よだれが出る(ような)ほど好きなもの。
何度みても飽きないもの。
ずっと妄想できちゃうこと。
出会えると嬉しくてたまらなくなるもの。
心が止まらなくなって走り出したくなるようなもの。
「卑しい」とかそういう雰囲気は一切なくて、
そんなものを、私は「大好物」と呼びたい。
そうやって、“私の「大好物」ってなんだったっけ・・・?”
と思い出してみると、
「小さいの世界」だったりするんです。
あ、言っちゃった。
改めて思い返すと、大人になって人に言ったこと、ほぼないかも。
たとえば、どういうのが「小さな世界」かっていうと、
大きなパンを半分にちぎったときの断面を見て、
「あの隙間はまるで洞窟だ。やばい、私が小さくなったら、あそこからこっちに飛び移って、あの洞窟にはいって、どこまで続いているか探検できるやないかいー!!!!」
とか、パンの中の気泡の中に、そんな物語を見つけて妄想にふけること5秒(くらい)。
ほかには、線香花火をすると、いつも思う。
「小人からしたら、これは打ち上げ花火に違いない。あの草の影から、小人が見ていて『打ち上げ花火始まったよー。今日は人間たちが花火やってるねー、お父さん』的な会話でもしてるんじゃないか」とか考えていた。
だいたい、いつも考えるのは「これが小人からしたらどんなだろう?」ってことだった。
アリの巣のこんもりした小さな土の山が、
小人からしたら、私たち人間の「山くずし」並みの大きさだろうか、とか。
思い返せば、小さい頃はシルバニアファミリーが大好きだった。
小さな家にちゃんと動くハサミやミシンがあって、コルクの栓がついた陶器のお風呂とか、フェイクすぎないところが私の妄想を駆り立てて、毎年買ってもらっていた時期があった。
あー、あとは、中学の時の技術家庭の授業で、建築だかの勉強をしたときも最高だったな。
家をデザインして模型を作る授業だったのだけど、そこでも私は妄想が止まらなくなって、壁がカーブしたアスレチックみたいな家をデザインして先生に褒められた記憶がある。
はっきり言ってドールハウスとかジオラマとか、ミニチュアの世界とかが大好きなのです。
そう。「大好物」。
だから、全体的な好みでいうとイマイチだけど、「借り暮らしのアリエッティ」の世界観はまさに、それ。
幼少期の私の頭の中を盗み見たな!!という身勝手な発言をしたい。
しかし、大人になるっていうやつか、いつからか、
「でもさ、ジオラマとかドールハウスとか、ダサくない?」
っていう思春期の私が囁き出し、見栄っ張りな私は興味のないふりをし、Nゲージにハマっていた兄を心の中でバカにした。
だって作ったところで、邪魔じゃない?
掃除大変じゃない?
お金にならなくない?
って。
でもついさっき、「大好物探ししーよお」っと部屋中の好きなものが載っている本を手にソファに座ったら、どうも「小さな世界」がムクっと出てきてしまった。
そして、これを書いているという。
この前から「大好物」について書きたかったから、それが今リンクしたからいっか。
そして、私は「よく分からない世界」も大好物なんです。
『アタゴオル玉手箱』ご存知でしょうか?
あの世界観です。
続きはまた次回。
みなさんの「大好物」は何ですか?
今日も読んでくださり、ありがとうございます。
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