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「クソガキ!」に込められた愛

子育て本を、私はほぼ読んだことがない。

単純に読む気にならなかったからだと思う。

「子育ては本で学ぶもんじゃなか」
とも思っていた節があるし、
パラっとめくって読んでみたこともあるけど、
「んなこた言われんでも分かっとるわい」
って思ってた。

それは自分がどう子育てというものをしたらいいか、
分かっていたからだと思う。
自分が、というか、親になった人なら。
若しくは子を産み落とした人なら。
本能と呼ぶのかもしれない。

とまぁ、そんな偉そうな事言ってるけど、
「またやっちまった…」とか
「なんてダメ親なんだ…」と凹んだことは
数え切れないほどににある。

私の一度目の結婚は、言っちゃ悪いが、東北の超ド田舎だった。
海沿いの漁師町の本家の長男の家だった。

田舎の風習は大嫌いだったけど、
彼の家族の関係性は大好きだった。

家族みんながお互いを大切に思っている事が、
いつものふと出る言葉や行動に、滲みでていた。


あるとき、
同居していた夫のお母さんが、つまみ食いをして逃げてく夫に言った。

「このクソガキ!」

そう言ったお母さんの顔は、嬉しそうだった。
それを見ていた私はびっくりしたし、とてつもなく羨ましくなった。

私にとっては、
「クソガキ」はただ汚い言葉で、
絶対に子供に向かって言ってはいけない言葉だった。

それをあんな優しい顔で息子に言えるなんて、
私の知らない絆の形があった。

あの「クソガキ」と、
お母さんの嬉しそうな顔に込められた、
彼女のどうしようもない愛を感じたし、

そんな事言っても言われてもどうってことない、
揺るがない絆が二人の間にあるのを、
見せつけられたような気がした。


そして知った。
根っこにある愛が伝わる形は、
ひとつじゃないということ。

親子の数だけ、その形はある。

子育て本は参考になるし、時に救いになると思う。

でも、やっぱりそれぞれの親子の形があるから、
なんでも鵜呑みにしなくていいと思う。

読んだ本に沿ってなくていいと思う。

自分の心で感じることを、
不器用な形でも、雑な形でも、
表現すれば、
時を超えても、それは必ず伝わる。

子育てって、
いつもどこか自信がなくて、
でもどこかで「これでいい」と信じる気持ちもあって、
走りながら、止まりながら、歩きながら、
やっていくもんだと思う。


これまでの子育てについてのあれこれが色々出てきたので、
経験交えて書いてみようと思います。

誰かの参考になれば幸いです。

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