直感ってやつ。続き
25歳で離婚した私は、ストレスで倒れ救急車で病院に運ばれ、
その足で実家に戻った。というか連れ戻してもらった。
そして二度と嫁ぎ先には戻らなかった。
(あ、正確には荷物を取りに一回戻りました)
私は1歳の娘を持つ、シングルマザーになった。
シングルマザーになることは、なんか予想していたというか、
経験するだろう気もどこかでしていた。
何事も「嫌になったらやめればいい」と思っていたし、
嫌なことをし続けるのは耐えられない性分だと
自分でよく分かっていたのかもしれない。
シングルマザーになって、ちょっとずつ格好つけだした。
死んでも同情されたくないと思っていた。
まぁ今思えば私の中に、固定概念があったのだろうな。
シングルマザーに対して。
大変。独り身。寂しい。とか。
それはいいとして、格好つけた私は
「さぁ、娘を食わしていくために、何をして生きて行こう」
と考えた。親としての自覚を全うする大人。気取り。
それまでの人生で取った資格はいっぱいあったけど、
(いかんせん専門学校が特殊だったもんで、1級船舶とか、潜水士、
ダイビングインストラクター、危険物etcetc。溶接とか玉掛け講習とか受けたし笑)
んが。
見事にほぼペーーーーーーパーーーーーー。
仕事を得るためには使えなくはないけど、
船とか実習以来もう乗ってないし、というか埼玉は海ないし、
ガソリンスタンドとか嫌だし(昔アルバイトやったクレジットカードの勧誘は、ガソリンスタンドでやったんだけど、冬で寒すぎてもう二度とやらんと思っていたのでGSは最初から却下)、玉掛けとか私には実用性あんまり無いしetcetc・・・。
そうこう悩んでいるとき、ふとしたことから、
小学校の時の担任の先生に会うことがきっかけで、
短大に通い小学校の先生になることを決めた。
今思えば、バツイチ子持ちの、この短大時代が
一番生きてる意味を探し続けていたかもしれない。
2年後。私は、小学校教諭という公務員になった。
教員になって半年後、仕事はめちゃくちゃ楽しくなった。
なぜ楽しかったのか、よく分かる。
子供といるのが、楽しかった。
というか楽だった。
自分をよく見せようとする必要がない。
子供には嘘をついても通用しないということが、
建前とか苦手な私には楽だった。
そして何より、子供が「今」しか生きていない人だったから。
今この瞬間の反応を返してくる子供たちは、
走ろうがサボろうが、何をしていても結局は全力で、その姿がかっこいいと思っていた。
いつも未来を心配して、過去を振り返っては悩んで、の繰り返しだった私には、今しか生きていない彼らといる時間だけ「今」にいられた気がした。
その反面、私は「先生」になっていった。
先生というより「公務員」に。
週5日は仕事に行って、決まった時間は学校にいなくちゃいけなくて、学校の行事も、研修も参加しなくちゃいけない。
朝ゆっくりしたいなーとか、今日は河原へ行きたいなー、なんていうインスピレーションは、出てきたその0.1秒後に「思考」にかき消された。
それを繰り返し続けると、インスピレーションの入る余地はなくなり、
「思考」が私のほぼ全てになっていたように思う。
「仕事しなきゃ」。それがシングルマザーってものだと思っていたし、そこに浸ってた自分もいた。公務員を続けられた唯一の理由は、子供がいる職場だったからだと思う。
実家に出戻ってから、私は母親と向き合い続けた。
母親という壁を避けている限り、
私は一生新しい世界に行くことはできないんだと分かったから。
二度と戻らないと決めた実家に、再び住むことになって、
しかも1歳の娘がいるから簡単に出られない状況になって。
それがすごく運命的なことで、私一人ならすぐにでも海外にも行って、
また懲りずに、見つかるはずない自分の居場所を探し続けていたんだろうなと思う。娘は、私を私のまま生きられるようにしてくれるために来てくれた存在だと思った。
出てくる思いを母親に伝え続けた。
胸の中でまだ怒っている幼稚園の、小学生の、中学生の、高校生の、私の言葉を。
そして彼女から返ってきた言葉を受け取った。少しずつ少しずつ。
それを何年も繰り返した。
その時間は、「わたし」に戻っていくための時間だった。
小さいころ、まだ何も心に纏っていなかった頃のわたし。
「嫌われないように、こうしよう」
「褒められるように、これを選ぼう」
そんな外の声を気にしていた私は、きっと、ずっと、
そんなこと気にしなくても、あなたのままでいいんだよ。
と言われたかったんだと思う。
そのままのあなたを愛してるよ、って。
まるで、真っ暗な海の底から、
少しずつ体が明るい水面に向かってゆっくり浮いていくように、
私は、自分の本当に居たい場所を求め続けて、
そうやって、だんだん、だんだん近づいて行ったように思う。
埼玉に出戻ってから、6年くらいたったある日。
私の直感が、衝撃的な強さで戻ってきた。
それは朝、学校に出勤するため車に乗って、信号待ちをしている時だった。
その時、私は二つの選択を目の前にしていた。
熱を出して腹痛で動けなくなるくらい、
私の中で色んなものが渦巻いていた日々だった。
そして、その信号待ちのとき。
ふっと、笑ってしまった。
「あーーーーーー。」って。
選びきれないと思っていた二つの道は、
その信号待ちの車の中で、空を見上げた一瞬で、
どちらに進むのかが分かった。
この感覚。
説明できないけど、答えはそうでしかないという確信で自分がいっぱいになった。
その数日後。
私は校長先生に、退職の意思を伝えた。
夏休みを目前にした、暑い日だったな。
うーん、どーーも長くなるなぁ。
すいません。続く。
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