【NZ高校留学記】「ニュージーランド人に、おれはなる!」
「どっかで聞いたことのあるセリフっぽい!」ですって?笑
まさにそんなノリなんですが、ある意味冗談ではなかったんです。
勘違いしてほしくないんですが、
これ「自分はニュージーランド人に”なりたい”」ではなく、「”なるんだ”」と思い込んでいたんです。
なりたいという”希望”ではなくて、”なる”というあくまでも前提だったんです。
留学を決めて日本を離れる時、
僕はもう日本に住むことはない。
この先ずっとニュージーランドに住むのだ。
という、とーってもイターイ勘違いをしていました(笑)
自分の将来を考えられるほど人として成熟していなかったが故の思い込みですが、当時はとにかく本気でおもっていたわけです。
ある意味、自己暗示のようなものなのかもしれませんが、結果的に僕の高校留学においては非常にプラスに働いたといえます。
ただただ無意識的に
”ニュージーランド人なら英語は当たり前のように喋れる。
自分は今は喋れないけど、現地で生活をするんだから現地の人と同じように喋れるようになるものだ”
そう本気で信じていました。なんの疑いもせず。
なので、留学して早々に当時の自分の英語力とネイティブとの差が天と地ほどかけ離れていることに気づいて、とてもつもない危機感を感じましたが、それは「頑張らないといけない」というポジティブな感情でした。
「喋れないからこの先やっていけない」というような不安は一切ありませんでした。
だって日本に帰る選択肢などなかったから。
ホームシック
高校留学というと、ホームシックがわりとつきものですよね。留学経験者は一度はなった人も少なくないかとおもいます。
ホームシックといっても、”ホーム=家”だけではなく、”ホーム=日本”という広い意味を含んでいるかとおもいますが。
自慢に聞こえてしまいそうですが、僕には縁遠いものでしたね。
ホームシックにはびっくりするくらいなりませんでした。
考えられる理由としては…
そもそも自分が生まれ育った国がどうでという自我がたぶん当時なかったんです。
おかしな話に聞こえるかもしれませんが、それくらい未熟なまま日本を出てしまったんです。
だから、外国に行って何もかも新しいことなので目の前にあることをただひたすらに吸収していったような感じです。そうなるともう前しか見えてないわけですよ。
逆にホームシックになる人って、気持ちが後ろに向くからなる訳ですよね。ちゃんと自我があって、自分がいた環境と今いる環境に強烈な違いがあるっていうのを意識するので、それに身体というか心が拒絶反応を起こすわけですよね。「あー前まで自分がいた環境ってなんてよかったんだろー」って。
でも、当時の僕にはそんな前提すらなかったわけです。
なので、僕の場合、感覚的にはホームシックに”ならなかった”というより”なっている余裕がなかった”という感じです。
ある意味で無双ですよね。
このイタすぎる勘違いは、途中“勘違い”から自我の形成とともに強烈な自己暗示に変化しつつ、大学生のとある時期までなんとなく消えずにありました。ネイティブと自分の英語の差をひたすらに埋めようと必死になった日々がありました。
でも、ある時に暗示が解けてしまったんです。
「あ、おれはこの先どうあがいても現地人にはなれないんだ…」
「努力」とか「能力」とかではどうにもならないなんだということに。
まぁその時期のことはまた改めて書きたいとおもいます。
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