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■時間湯廃止までの流れをざっくりまとめてみました。

 お疲れ様です。あいなです。
 今回は、草津温泉に2020年まで存在していた伝統的入浴法『時間湯』についての記事になります。
 過去に、廃止のニュースが話題になったのを、テレビやネットでご覧になった方もいらっしゃるかと思います。
 その廃止の経緯についてまとめてみました。

○時間湯とは?

 時間湯は、草津温泉で江戸時代〜明治初期頃に始まった民間療法とされています。

 草津町の各所にある共同浴場のうち、かつては5か所で時間湯が行われていたといいます。
 2020年当時までは、地蔵の湯と千代の湯2か所にて、時間湯を行うことができました。

 名前に付いている『時間』というのは、そのまま英語でいうところの『TIME』のことです。

 この時間湯制度が確立した約150年前、蒸気機関車の時刻表導入に伴って『時間』という言葉が海外から輸入されました。

 つまり、当時の人たちからすると、『時間』というのはナウでオシャレな流行語でもあったという事です。

 なぜこの『時間』という言葉を冠しているのかというと、この入浴法が当時ハイカラな考え方だった『時間を一律に守る』ということに重きを置いているからだとされています。

 以下に、時間湯の入浴法を書き出してみます。

①入浴前に湯もみをする
②お湯をかぶる
③3分間入浴する
④充分に休憩する
※これを一日のうち決められた時間に3〜4回繰り返すのが理想とされています。

 この③3分間入浴をする際、時間の経過ごとに大きな声を出すことが、『時間湯』の大きな特徴です。

 草津の温泉は高温で有名です。
 時間湯で利用されている温泉の温度は約48℃。
 一般的なお風呂の温度より高いのです。
 かつては火傷や湯あたりの危険が伴うために命懸けで臨む湯治の場という一面もありました。

 そのため、草津では湯治客の間で集団が効果的に入浴できる『時間湯』という独特な方法が確立していったのです。

 そして、高温浴を指導するための『湯長』という存在が、古くから湯治客に寄り添っていました。

 湯長は、お湯の温度を確認するだけではなく、時間湯に参加する湯治客一人一人の体調も確認してくれていたそうです。

 そのため、『時間湯』と『湯長』はセットなのだと、関係者の間では認識されていたようです。

○地蔵地区再開発計画とは?

 草津では観光客を増やすための再開発が2010年ごろから始まりました。
 最初は町のシンボルである『湯畑周辺』、次に大規模露天風呂と温泉の流れる川のある『西の河原周辺』といったふうに、現代の観光客のニーズに合わせた再整備をしていたのです。

 この再開発は確実な効果を上げ、草津温泉は観光客が増加しました。

 そして、2017年ごろからは『地蔵地区』の再開発計画が始まったのです。

 地蔵地区には、『湯長』と共に『時間湯』が行える共同浴場の一つである、地蔵の湯がありました。

○再開発への不安の声

 再開発に伴い、『時間湯』が排除されてしまうのでは?と湯治客の間では不安の声が上がっていたようです。

 なぜなら、町長をはじめ町民の大多数には、湯治客(病人や怪我人、障害者)に対する差別意識があると思われていたからです。

 ※このように思われる理由には、湯治客の肌感覚もあるのでしょうが、歴史的な背景もあるようです。
 過去には外国人学者のベルツ博士が草津に土地を購入するのを町民が妨害したり、湯治に来ていたハンセン病患者たちを集落の外に隔離させたりしたという事例があります。

 その差別意識が真実かそうでないかは別にして、ともかく湯治客の間には『観光客ではない余所者は嫌われる』という認識があったと思われます。

 そして、その不安は、衝撃の事件と共に現実のものとなりました。

○地蔵の湯のトイレ問題から湯長廃止→そして時間湯の閉鎖へ

 地蔵地区再開発工事のために、地蔵の湯に設置されていた車椅子用トイレを撤去することが、行政から時間湯利用者に通達されました。
 これは利用者にとってまったくの寝耳に水だったという事です。

 湯治客の中には車椅子で来訪し治療に臨む人も居るために、車椅子でトイレを利用できないのは不便極まりない事でした。

 そのため、湯長は、すぐに意見書と署名をまとめ、トイレの撤去を見直してもらうように行政へ働きかけたようです。

 するとその直後に行われた町議会の中では、トイレではなく湯長室を撤去すると決まり、同時に湯長を廃止することが決定したのでした。

 ※実際には、湯長は長らく草津観光公社の臨時職員でした。その契約を打ち切り、雇用継続はしないということになったのです。

 湯長制度を廃止するに至った理由は、町長の方から発表されているものでは大きく以下の3つです。

①湯長制度が医師法・薬機法に抵触している可能性
②時間湯の維持費を私的流用している可能性
③湯長の時間湯独占・私物化の可能性

 ①の医師法抵触については湯長側にも「治療をしているわけではないからセーフ」等と言い分があるようです。
 また、薬機法違反を指摘された団体のHPの内容は『草津の湯は恋の病以外何でも治す』といった一般的によく知られている伝承のことでした。

 ②については帳簿に記載された入浴料と実際の入浴者の人数の不一致の疑惑や、湯治客を送迎するための車のガソリン代を勝手に計上している等の指摘がなされました。

 ※この②に関しては、湯長個人が、確定的な表現を用いて報道をした新聞社を相手取って民事(名誉毀損)裁判を起こしていましたが、和解(新聞社からの謝罪)で解決されたという話があります。

 そして③については、宗教的な指導(浴場に設置された神棚への参拝)や独自路線(湯治客へのアパートの手配等)が目立っていたということが周囲の反感を買ったりしていたようです。また、セクハラ疑惑の声も上がっていますが、女性湯長を配置したことで解消したということになっています。

 湯長の廃止には外部からもたくさんの批判の声が上がったにも関わらず、町長と議会の動きは止まらず、次々と時間湯へ介入を始めました。

 名称を『時間湯』から『伝統湯』に変え、地蔵の湯のうち時間湯が行われていた場所は、改装し有料(1時間3500円、10人まで)の貸切風呂へとリニューアルしたのです。

 2024年現在は、『伝統湯』が無料で行なえる場所は千代の湯1か所だけになりました。
 千代の湯と地蔵の湯ともに温泉知識のない施設管理者が入場の時だけ付き添うそうで、湯治客は苦心しながら利用を続けている状況となっているようです。

○電子書籍・性加害冤罪事件

 2019年11月、町議(当時)が町長からの性加害を告発した記事を掲載した電子書籍が一躍話題になりました。

 ※現在では掲載・告発内容に虚偽があったとされ、該当の電子書籍は出版取消、元町議は町長から民事・刑事で訴えられ2024年現在も裁判が継続しています。

 町長や町長を支持する町議たちは、この性加害告発冤罪事件が、『湯長』制度および『時間湯』制度の廃止を恨む者たちが仕掛けたものだと断定し、告発者に対しては事件当初から否定的な対応をしていました。

 元町議が2020年12月にリコール投票により失職した後、時間湯関係者との関係を記者から問われる場面がありましたが、元町議は時間湯と関係は無いと答えました。

 ※元町議が過去に時間湯関係者の主催している会合に出席していることは過去の写真から明らかになっていますし、現在は元町議と時間湯関係者との間で金銭トラブルが訴訟に発展しているようです。

○時間湯を保存するための運動は

 現在、法的な『時間湯』制度は廃止されてしまいましたが、時間湯という伝統を受け継いで湯治客に伝え実践している団体はあります。

 どうやら意見の違いや政治的対立により複数の団体に分かれている状態で、それぞれがそれぞれの立場で自分の守れる範囲での伝統を守り続けている…といった状況のようです。

 実は、地蔵地区再開発が始まったあたりで、団体の一つが町に無断で『時間湯』という名称を商標登録しようとしたそうです。

 それは恐らく、湯長制廃止に伴い不安を感じた人々が、時間湯を絶対に保存させようとした試みだったのかもしれません。

 その後町の行政は『時間湯』の名称を『伝統湯』に変えて対応し、町の伝統的入浴法が特定の団体だけが使用するものではないことを改めて町民に示しました。

 ※商標登録は『時間湯』『伝統湯』ともに特許庁から却下されています。

 虚偽の性被害告発によって世論がぼやけてしまった感じが否めませんが、この一連の騒動が落ち着いた今でも、当事者の人々は変わらずに対立を続けているようです。

○時間湯を破壊したのは誰か?

 つまり、大まかに言うとこの一連の事件は、旅館同士の客の取り合いや、町民の湯治客への排斥感情が、利害関係の中でエスカレートしていき、湯治客向けに門戸を開放していた支援団体を強く牽制するものでした。

 この件について調べていて見つけた、とあるツイッター記事が、とても的を射ていたと思ったのでご紹介します。

○おわりに

 草津町は昭和・平成の大合併を経てなお、近世のムラの基盤を残したまま、温泉観光地として発展してきた珍しい地域です。

 しかし遊興目的の観光客向けの町として開発を続けても、湯治を求める人が訪れる自由があり、それを受け入れて湯治を行う温泉施設がある限りは、完全に対立構造を切り離し、一枚岩となって『オール草津』で町を盛り上げていくことは難しいでしょう。

 かつて時間湯を行っていたとある公衆浴場は、周辺の道路工事に伴って撤去されてしまいました。
 その傍には老舗の温泉旅館が悠然とした姿でそびえています。
 ですが、その公衆浴場の源泉は道路の下で未だに湯を湧出させているそうです。

 その土地の者によって失われたものは、
 その土地の者によって復活するのでしょう。
 例え名前が変わったとしても、
 温泉を利用する人々がソレを必要としている限りは。


 いかがでしたでしょうか。

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 それでは、また。


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