デザイナーになったきっかけ②
アパレルデザイナーって資格があるわけじゃないけど、どうやってデザイナーになるのか謎です。ってゆう質問への完結編。
Aimiです。
また前回から間があいてて、もう説明のしようがない。笑
この②で完結です!
前回の記事はこちら↑
3学年〜4学年でインターンシップを経験
私が在学していたのは2000年代中頃なのですが、今では当たり前?にあるのかもしれませんが当時は珍しかったインターンシップ制度がありました。
大学ではよく耳にしますが、当時、専門学校で導入していたのは珍しかったのではないかと思います。
当時は大阪校に在学していたので、学校側が提携しているインターン先は大阪市内もしくは近郊ばかりで、某有名繊維商社や中小OEM、ODM企業、アパレル店舗販売などなど、多種多様でした。
基本的には無給で、嫌でもその数ヶ月間はその会社で働かないといけない。
学校側がリストアップしていた企業リストを見ても、何もそそられなくて(失礼ですみません笑)先生に、「東京でもいいですか?」と聞いたら、「いいけど、滞在費用は自費やで?」ということだったので、当時、関西ではあまり有名ではないけど東京に好きなブランドがあったので、ダメもとで問い合わせてみることにしたのです。
大阪→東京へ フッ軽インターンシップ
というわけで、代官山に1店舗しかない小さなブランドだったので、まずはお店に直接電話してみました。
話した内容はあまり覚えてませんが、とりあえず、「まず3ヶ月、無給でいいので働かせて欲しいです」と伝えると「履歴書と、ポートフォリオなどの作品集などあれば送ってください」との返事が。
後日、連絡があり「東京まで面接に来れますか?」ということでしたので、その週末にすぐ東京へ!社長と、お電話で対応してくださったマネージャーの方と直接お会いして、後日また連絡をいただき、無事、インターン先が決まりました。
半月後からスタートするくらいのギリギリのタイミングだったので、バタバタと転居準備。
今みたいにairbみたいなものやシェアハウスなどもちろん無いので、マンスリーマンションを契約。交通費なども出ないので自転車で通勤できる距離で、治安がよく、日付を回っても帰れる場所(当時は11時出社だったので、終わるのもかなり遅かった)
つまり渋谷区内で探すことに。結果、会社から徒歩15分ほど、自転車で数分のところにマンスリーマンションを見つけたのでした。
余談ですが、20歳の学生が住んでいい値段ではなかったので、両親への感謝しかないです。
インターンシップで何を学びたいのか
あれからかなりの年月が経ちますが、今の私があるのは、この企業でのインターンシップ経験が大きいと感じています。
まず、規模が小さいブランド・企業 だったからこそ、自身の適応能力やスキルが試せました。
「インターンシップ制度」というのは、全ての学生に平等に与えられる機会ですよね。その期間、その機会をいかに有効的に使うのかが自分の人生を左右するんだと思います。
大袈裟ではなく、本当に。
もちろん、大企業でのインターンシップ経験も大正解です。でも「とりあえず大企業がいい」の理論は、そろそろ通用しなくなってくると思っています。その企業で何を学びたいのか、どんなチャンスを得たいのか。結局、将来のビジョンが無いと、もったいない時間を過ごしてしまうんですよね。
そんな私は、どんなモチベーションだったかというと、、、どちらでも無かった。爆
「タダ働きするくらいなら、好きな場所で働きたい」でした。偉そうなこと言ってごめんなさい。
結果的にこのマインドは、私には大正解でした。
夜の10時、11時に終わるのなんてよくあること、展示会前は徹夜もあります。基本的には雑用がメインなので、好きなブランドじゃなかったら耐えられなかったと思います。笑
最初の約1ヶ月いたブランドでは、本当に雑用がメインでした。展示会前にパターンをうけとりに行って工場に持ち込んだことも。手が空いたときは店頭で販売応援したり、途中からは仕様書や絵型を描く手伝いもしていましたね。2ヶ月目くらいからはメインブランドに移って、前ブランドで絵型を描いたりしていたので、それを聞きつけたデザイナーの方の仕様書の手伝いや、デザイン案まで出させてもらえました。当時の私は自信過剰だったので(笑)デザイン案が通ったときあまり感動しなかったんですが(本当にごめんなさい)、自身がブランドデザイナーになり、人の上に立つようになって当時のことを思うと、本当に信じられない。笑
感動が少なくてごめんなさいだし、その当時のデザイナーさんの寛大さったら。
そして、思わぬタイミングでディレクターさんからお声がかかりました。今思えば、これが「チャンス」というタイミングだったんだと思います。
趣味のスキルが仕事に繋がる瞬間
今でこそ、趣味が副業になる時代ですが、当時はアパレル業界の片隅の隅しか知らなかったので、自分の趣味が仕事になるなんて思っていませんでした。
小学生のときにWindows95に出会ってから、iMac、Mac-G5、Macbook、Macbook pro、、とずーっとPCと過ごしていて、インドアなので、プログラミングで遊んでみたり、ペンタブを買って絵を描いてみたり(小学生の時)、世の中がプレイステーションの発売で沸き立っていた時に私はiMacで遊んでいました。
今のようにネットもそこまで普及してなかったので、もちろん独学です。わからない時は、怪しい掲示板で詳しそうな人にチャットで聞く。笑
そんなオタク気質なところがインターン中も見え隠れしていたようで、「清書してほしい」と言われた絵型があって、それまでデザイナーさんと同じように手書きでやっていたんですが、型数も多かったので「パソコンで描いてもいいですか?」と聞いてみたら、すごくびっくりしていて。adobe イラストレーターを使用したことがある方なら分かると思いますが、イラレを使うと絵型ってすぐかけるんですよね。当時、授業でもあまり普及してなかったので、それが出来たことがとても喜ばれて、後日ディレクターさんから呼ばれて「オリジナル柄のデザインやってみる?」と提案していただいたのです。
補足:アパレル業界はまだまだアナログなところが多く、デザイナーでも色んな方がいるしスキルも一定じゃないので、イラストレーターやフォトショップが使えないデザイナーはたくさんいます。特に、老舗の会社ほどアナログだったり、年配の方も多いのでPC関係が苦手な方がとても多いです。総合商社・OEMやODMなどの下請け企画会社では、半数以上がイラレ・フォトショが使えるデザイナーなので、入社する際に必須のスキルになっているかもしれません。私が働いてきたいくつかのブランド・会社では、PC関係が得意なデザイナーさんはほぼいませんでした。なので、アパレル業界といえど、もはやPCスキルは必須かもしれません。
良いことばかりじゃないインターンシップ
そんなこんなで、有難いことにテキスタイルデザイン、そしてそれを使用した雑貨の企画など、0→1の商品作りに携わることができました。本当に有難い経験だったと思います。
ですが、
嬉しいことばかりじゃなかったんですよね!
そのブランドには、ディレクター1名・デザイナー3名・生産管理2名、そしてアシスタント1名(私)がいたんですが、生産管理をしていた男性1名から軽い?いじめを受けていました。嫉妬ですね。今思い出しても本当にくだらないのですが。笑
理由は、「インターンでしかもアシスタントのくせに、企画させてもらえるなんて」「俺の方が優秀なのに」「なんであいつが」ブーブーブー。
当時の私は平気なふりしつつも、基本的には平和主義者なので「そんなつもりなかったんだけどな…」と落ち込んだりもしました。周りはみんな年上のお姉さん達だったので可愛がってもらっていたのもあり、時々相談に乗ってもらったりご飯に連れて行ってもらったりして気を紛らわせていましたが、ある日、展示会前の準備で外出する機会があり、その男性が集合場所や時間など取り仕切っていたのですが、私にだけ伝えず、私が出社したら1人ぼっちで、他には誰もいませんでした。普通に考えて、仕事を回してるわけじゃないアシスタントが、1人で会社でやることって、無いですよね。笑
一瞬で「やられたな」と悟りました。笑
デザイナーさん達の連絡先を知らなかったので、残っている作業など何かやりながら待ってたんだと思います。1〜2時間ほどでみんなが戻ってきて、デザイナーさんに「なんで来なかったの?具合悪かった?」と聞かれたので
「出かけること、何も聞いてませんでした。すみません。」と答えたら「え…?」と不思議な表情をしてましたが、その時は深く聞かれませんでした。
当の男性は、ドヤ顔というか、してやったり顔というか。笑
その夜、デザイナーさんに付き合って絵型を描いていたら「今日なんで来なかったの?」と、もう一度聞かれました。私はまた「出かけること、何も聞いてませんでした。」と言うと、「〇〇(その男性) から連絡なかった?昨日の夜決まって、連絡したって言ってたけど」と。
「本当に何も連絡もらってません。聞いてたら行かないはず無いです。」と携帯も見せると、笑いながら「やっぱりな〜」と。
社内で、その男性が私に対してライバル心を持っていることに気づいていたけど、みんなが見えるところで意地悪したり嫌味をいうことはなかったので静観してた、と。
「でもこれはアウトだね。嫌な気持ちにさせてごめんね。」と変わりに謝ってくださりました。
その後、私のいないところで注意されたようで、インターン期間中の陰湿な行動は無くなりましたが、私が大阪に戻ってしばらくしてから、すごいミスをしちゃったとかで辞めさせられてましたね。かわいそうですが、因果応報ですね。
私の場合は年齢の近い男性からの嫌がらせでしたが、親子ほど歳が離れてても同じように嫌がらせしてくる人もいるし、女性ならもっと陰湿だったりもします。
「出る杭は打たれる」がまだ罷り通る業界なので、鋼のハートが必要です。
“ 出過ぎた杭は打てない “ ので、誰にも負けない自分の強みを持つことをお勧めします!
インターンシップ、その後
インターン中に、妬み嫉みまで受けてしまった私は「アパレルしんどいな」と感じてました。ライバル心みたいなものも薄いし、誰かを陥れてまで自分の立ち位置を誇示したいと思わない平和主義者だったので、大阪に戻ってからは「留学して絵でも描こうかな〜」くらいの非現実的なことを考えていて、全く就職する気持ちが湧いてませんでした。
卒業まであと2ヶ月ほどになり
周りは就活モードで皆ピリピリしていた頃、突然電話がかかってきました。インターン先のディレクターからでした。「久しぶり〜、元気?就職決まった?」って。めっちゃラフ。こちらは、のらりくらりしてたので「就活もしてませんし、何にも決めてないです。留学でもしようかなって考えてるくらいです。」ディレクターは電話口で笑いながら、「じゃあうちでデザイナーやらない?」と。
私のデザイナー人生はここから始まりました。
チャンスをつかむ準備をしておく
こんな感じで、アパレルやだな〜、デザイナーあんまり興味ないなって思ってた私が、直感で動き、タイミングに乗っかってみたりして、結局ずっとデザインの仕事をさせてもらっています。当時の私は全くイメージしてなかった場所にいます。
今でこそ、どんな自分になりたいかってイメージできてますが、20歳そこそこの自分はそんなこと考えていたのかな。専門学生のとき、グラフィックデザインがやりたかったけど、グラフィック学科に進級するのを止めてくれた先生達の審美眼、すごいですよね。
実際、アパレルデザインからグラフィック、webデザイン、ブランディング、と、やりたかった事も出来ているのだから人生どこで何があるか本当にわからない。
いつどこでバトンが回ってきても、走れるように準備運動はしておきたいですね!
結論…
アパレルに限らず、どこかの看板(ブランド)を背負うデザイナーになるって、何かしらのチャンスを掴んだ人だと思うんですよね。
だって、デザイナーって、自称でもなれるので。笑
だから、専門分野の学校に行かないとなれないわけじゃないし、行ったからってなれるわけでもない。結局は、自分が本当に目指しているのか、そこに向かって努力できているのか、チャンスを見逃してないか。みたいなところなのではないでしょうか。
ゴールが見えないから人生って面白いんですよね。
Aimi
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