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大きくなった今だから
(タイトルは子育ての話のようですが、実は写真の話です)
前回の記事から4年経ちました。光陰矢の如し。
書いてた時は長女小3、次女年長。
現在、長女中1、次女小4。
どの4年間も過ぎ去るスピードは同じで、なんなら子ども達の成長を感じるピークはこの4年間ではなくもっと小さい頃だと思うんですが、この4年で親子関係は大きく変わりました。
それは「進学」と「思春期」です。
お友達関係、部活、お勉強など、子ども達は大事な時間が増え親子の時間を圧迫してきます。最初こそ寂しかったんですが、やっとわたしも子離れが軌道に乗りそうで今はどんどん外の世界を見て欲しいと思ってます。自分がやりたいことをやって欲しい。時間は有限なので。将来幸せに暮らすにはどんな人になりたいか、そのために今何をしたらいいか、何に時間を使ったらいいか。ここに書いてることと同じことを常日頃子ども達にも話してます。
「思春期」はとても厄介だと聞いてました。
長女は片足突っ込んでるかな。ですがわたしの思春期に比べると可愛いもの。まだまだこれから外の世界に飛び出す準備期間である「わたしとは」「あなたとは」の混沌とした「思春期」がやって来るだろう。なので、現在の話しかしませんが、現在は姉妹とも育てやすい子だと思います。
それぞれ性格や特性があります。それぞれ違うのでそこを理解することは親子関係の中でわたしは一番大事にしてるかも。その違いを知れたのもわたしにとっては写真のおかげ(やっとでてきた、写真)。写真を残したいという気持ちのおかげで、残したい瞬間を探したり、どんな時に写真を嫌がるんだろうと探ったり、写真に向き合いつつも子どもに向き合えてるとわたしは思います。「写真を撮ってたから子育ての大変さが報われた」ということも聞きますが、わたしは大変さより撮りたい気持ちが勝ってたので「撮るために」子どもの生活リズムを整え撮りやすい時間のルーティンをつくり、「撮るために」子どもが楽しく過ごせるようたくさんお話をし、「撮るために」子どもを観察してました。「撮るために」の根底には底知れぬ愛があるので「写真のために」でもありますがそれだけではありません、誤解なきよう。
それは小さい時だけではなくずっと続いてます。思春期の今でも続いてます。なので子ども達にとって写真は悪くないものです。むしろ好きだと思います。最近の長女は自撮りが多く可愛い写真が撮れたら「インスタ載せていいよ」と(載せないけど)。お誕生日がきたら「お誕生日フォト撮ってLINE背景にしていい?」と。次女はわたしと一緒に写真を撮っており上手く撮れたら「これお母さんの写真にしてインスタ載せていいよ」と(それはありがたく頂戴したい)。ブックにまとめると「学校に持って行きたい!」と。
わたしにとって、「写真を撮る」ことは子育てに大きく作用してることが、子どもが大きくなった今だからわかります。思春期の今も割と育てやすいのは写真のおかげとまでは言わないけど、写真を通したコミュニケーションというとぼんやりしますが、写真を撮るのいう行為の元、知ることや整えることや、大の大人であるいい歳をした親が楽しんでる姿を見てくれてると思います。
「子どもは親の姿を見るもの」という言葉は正直言って苦手です。いつもシャンとしてないといけない強迫的にも感じます。わたしは全くシャンとしてません。上にも書きましたが子どもの時間と同じく、わたしの時間も有限なので自分とその周りが幸せになれることをやってます。特に自分が。大人だって親だって一人の人間ですから。
大きくなった今だから思うこと、言えることはずっとシャンとしてなくていいから、「思春期」というわたしの中では過去最大に育てにくい時期にも困難を感じないのは小さい時から意識してたことのおかげかも。それが本題なんですが、長くなったのでまた今度にします。気まぐれなわたしではありますが、早く続きを書けますように。
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