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人間は間違うので、ルールも間違う?!
私は政治の専門家でもなければ、経済の専門家でもありません。
「単なる素人がこんなことを書くのはどうよ」と思われるかもしれませんが、
今回は備忘録というか、少し愚痴を書いてみたくなりましたのでご容赦ください。
きっかけはある経済の専門家が、アダム・スミスからはじまる経済学の歴史を
紹介しながら、徐々に技術的な習熟が発生しているため、
今後の経済運営は楽観的になりつつあるという発言をされていたことです。
即ち、かつてのような経済破綻や世界恐慌は起き難くなっているので、
リスクは極めて小さいかのように発言されていたので、
ちょっと異議を唱えてみたくなりましたって感じです。(素人なのにすいません)
確かに科学技術やテクノロジー、それらを駆使したスポーツの世界などは、
間違いなく進化していると私も思っています。
ただし、それは「人間の感性や道徳を含まないものに限る」と思うんですよね。
私はむしろ、世の中が便利になればなるほど、
人間の感性は退化しているように感じています。
PCやスマホに頼りっきりで漢字が書けなくなっていたりするのと同じです。
そして道徳は、宗教や哲学などの経学が失われて行く程に、
退化していると感じています。
自由を求めて堅苦しさを嫌うのは自然なことだと思いますが、
それは野生に帰ることであり、野生は弱肉強食なんですけどね。
例えは間違っているかもしれませんが、バッハやベートーベンを超えるような
音楽家は、どんどん出てきているように思えないし、
ゴッホやピカソを超える画家も、どんどん出てきているように思えないのです。
そもそも四大聖人と言われる孔子やブッダ、ソクラテスやキリストを超えるような
聖人は、聞いたことがないんですよね。
そう考えると経済学も色々と出てきていますが、本当に優れたものなのかどうか、
私には判断できませんし、疑わしく思ってしまうのです。
暴言を吐くと、私はニクソン・ショック以降「金本位制」がなくなったお陰で、
経済運営の自由度が高まっただけなんじゃないかなと思うんですよね。
そして、それはずる賢い人間が金融工学や政治のルールを駆使して
自分たちに都合が良いようにルール変更し、問題が生じれば金利を上げたり、
マネーサプライを強化したりしながら、問題を先送りして誤魔化しているように
しか思えないんです。(思い込みかもしれませんが)
一方で、私が信じているだけなのかもしれませんが、
普遍的で、とても素晴らしいなと感じている先哲たちの言葉を、
いくつか記してみたいと思います。
【本質について考えてみたい】
![](https://assets.st-note.com/img/1723789473420-YKzu58Ldwx.jpg?width=1200)
[アダム・スミス]
国富論の「神の見えざる手」が有名なアダム・スミスですが、
道徳経済論では、「経済活動においては利己心の追求だけでなく、
道徳的な行動が重要である」と述べ、道徳を経済発展の前提条件にしています。
[マハトマ・ガンジーの社会的7つの罪]
「理念なき政治」「労働なき富」「良心なき快楽」「人格なき学識」
「道徳なき商業」「人間性なき科学」「献身なき信仰」
これらは現代において、どの項目も退化しているように思われませんか?
[二宮尊徳のお言葉]
「道徳なき経済は犯罪である。経済なき道徳は寝言である」
この他にも、実は沢山あるのですが本質的に同じなので割愛したいと思います。
如何でしょう?
生きた時代も場所も異なるのですが、本質的には同じことを説かれていますよね。
【ルールは勝手に作ることができる】
![](https://assets.st-note.com/img/1723789851831-0FI2uewxqF.jpg?width=1200)
政治家は法律という「ルール」を作ることができます。
巨大なファミリーは経済の分野で「ルール」を作ることができます。
スポーツでもなんでも、ルールを都合よく変更できれば、勝敗は変わってきます。
そして人間は感情の生き物であり、私たちの体の欲(DNA)は、
野生の中で生き延びて行くために必要な欲求を多分に含んでいますよね。
そこに基づいてルールが作られる場合、多くのルールは間違うというか、
無知につけ込んで社会性を装い、権力者に有利な様に作ることが可能なわけです。
もちろん穿った見方かもしれませんが、世界の実態を見るにつけ、
そのようにしか思えないんですよね。
豊かで自由、平等で文化的なはずの先進国、かつ法治国家であるにもかかわらず、
女性や子供が夜中に道も歩けない。まるで野生の王国状態ではありませんか?
突然理不尽に命を奪われる戦争や紛争は、未だ世界中で無くなるどころか、
むしろ危機的状況になっているように感じます。
分断が広がる世界に、人間が作るルールは正しく機能していると思われますか?
「今だけ」「金だけ」「自分だけ」の価値観が蔓延し、
経済的な成功だけを評価するような社会の風潮ですが、
本当に持続可能な社会で、かつ人々を幸せに導くのでしょうか?
キャリートレードやオプション取引を駆使して得た富は、
どこに生産性があり、誰を幸せにしているのでしょうか?
世界経済のルールに従って金儲けをして何が悪いと言われれば、
「その通りですね」としか言いようがありませんが、
そのルール自体が間違っている場合、その先のリスクに対して、
誰が責任を負うのでしょうね。
多くの人は投資家ではなく、単なる投機家だと私は思います。
そして、子や孫の時代に、そのツケを押し付けたくはありません。
金本位制が良いとは言いませんが、ある意味、人間の欲望と切り離された
自然のブレーキ役をしていたと思います。
今、そのブレーキ役を中央銀行などが担っているわけですが、
様々なしがらみと欲望が渦巻く世界で、適切なブレーキを掛けることは
果たして可能なのでしょうか?(リーマンショックは???)
それを経済学の進歩と呼ぶのは如何なものでしょう?
経済を強くしたければ、本来は産業構造の改革や強化ではないでしょうか?
でもその前に、「目的」が大切だと思うんですよね!
強くなる目的は誰かを牛耳り、自分だけ豊かになるためではなく、
「みんなで幸せになるため」の一択だと私は信じています。
愚痴が過ぎました。ご容赦ください。