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ガネーシャの教えを思索する【其の13】

最近つくづく感じるのが、言葉の深さですね。

例えば、「素直」という言葉がありますが、この言葉の深さは、

まるで日本海溝のように深いです。

本当の素直を理解したら、この世の中に素直な人なんて、

ほんの一握りしかいないことがよくわかります。

また「中庸」という言葉もそうですね。

良くも悪くも私たちは、中庸でいられない。

何かを好きになれば、どうしても反対側に嫌いなものが生まれてくる。

何かを善と見れば、どうしてもその反対側に悪を生じさせる。

「無善無悪是心之体」なのに、どうしても意が動いて反応が起きる。

その時私たちは、中庸でいることが極めて難しいです。

今回のガネーシャの教えは、このような偏りに対処する方法

教えて下さっているような気が致しますし、大切な寛容さと勇気を、

私たちが手に入れる方法を教えて下さっている気もします。

【教え】

他者の欠点を受け入れることで、自分の欠点も受け入れる

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まず他者の欠点というものは、実に目につきやすいものですよね。

少しイラッとするものから、絶対に譲れないものまで、私たちが握りしめている

正義という色眼鏡は、実に厄介なものだと思っています。

ただ、厄介なものだからと放棄して、見て見ないフリをしたり、

感情を寄り添わせないようにすることは、何の問題解決にもならないと思います。

大切なことは欠点を認識している「私の心の正体」と向き合って、

自分が握りしめている価値観をしっかりと認知することが、大切だと思いますね。

自分が握りしめている価値観が客観的に見れたら、必ずしも正しくないかもとか、

別の考え方があっても良いかも・・・と思えるかもしれません。

あるいは、拘っている自分が守ろうとしているものの正体が見えたら、

自分が恐れているものや不安の正体が見えるかもしれませんね。

いずれにしもて、私が正しくて相手が間違っているという立ち位置から

離れて考えることができたら、大きな前進かなって思います。

そして、仮に間違いなく欠点であったとしても、

そもそも欠点がない人なんていませんよね。長所と短所は紙一重ですから。

だから次のステップは、良いところを見つけて全否定しないことです。

変なレッテルを相手に貼らないということが大切かなって思います。

良いところとお付き合いして、欠点はカバーしあえれば良いだけですもん。

パズルのピースのように、凸凹があるからこそ私たちは、

素晴らしいチームになれるのだろうと思います。

そして最後は、人の欠点を許すことで、自分の欠点も許すことが大事ですね。

これをずっと欠点だと思って握りしめてしまうと、自信が持てなくなります。

自分で自分にダメの烙印を押しては、それこそ絶対にダメですよ。

自分にも欠けている箇所があるけど、これは自分のデザインの一部なんだ

と思って謙虚になれれば、その欠けた箇所を補ってくれる人を

尊敬することができると思います。

他者を許して自分も許す。互いにハッピーな関係ができて幸せじゃないですか?

上に立とうとしない。卑屈にもならない。

これが人間関係の基本だよって、ガネーシャが教えて下さっている気がします。

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