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ガネーシャの教えを思索する【其の10】

とうとう第10話まで来てしまいました。

『夢を叶える象4』に感動して書き始めたのですが、

書くことで頭の中も整理できるし、本当に取り組んで良かったなって思います。

今回のテーマは、自分のアイデンティティにも関わるテーマですね。

一時期、といってもかなり昔ですけど、「自分のルーツを知ろう」というのが

流行っていた時期がありましたよね。

私自身は、あまりルーツを知らないのですが、ただルーツを知ること自体は、

とても大切なことかなって思っています。

【教え】

ルーツを知り、ルーツを伝える

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私は以前本家の叔父から、私の祖父の時代に土手が決壊して、家も家畜も何もかも

流されてしまったという話を聞かされたことがあります。

小さい時に川に出かけて行っては、「はや(川の小魚)」を釣ってきて来れ、

それを素揚げにして頭から、ボリボリと美味しく食べていたのを思い出します。

祖父は頑固そうなタイプの人間で、とても厳格な見た目だったのですが、

孫の私にはとても優しく、将棋を教えてもらった思い出や一緒に田植えをした

思い出などが、色々と蘇って来るんですよね。

とても世話好きな人でもあり、近所の小さな神社のお世話をずっとしていました。

月に1回は週末の土曜日になると、綺麗に掃除をして祝詞をあげてましたね。

そこに行く度にお菓子が貰えるのと、太鼓の音が好きだったので、

小さい私は、結構楽しみにしていたような気がします。

だから、一度たりとも辛かった話や苦しかった祖父の話を聞いたことがない。

私の祖父は、そういう人でした。

でもその豪雨災害は、叔父によると1945年9月15日に起こったのだそうです。

そう、終戦記念日のちょうど1ヶ月後なんですよ。何もない時代!

どれだけ辛かったでしょうね!どれほど苦しかたでしょうね!!

想像するだけで辛くなってきます。当時私の父は5歳、叔父は7歳でした。

子供を6人育てながら、祖父も祖母も本当に頑張って働いたんだと思います。

大学生の頃、私が祖父母の家に行くと、「お腹は空いていないか?」

「あれを食べろ、これを食べろ、もっと食べろ」と言ってくれた祖母の声を、

私は今でも覚えていますね。

もう本当に、感謝しかありませんよね。今回のコロナは確かに大変ですが、

本当にこの程度が、私たちの我慢の限界なのでしょうか?

私は当時の祖父母を思い出す度に、「まだまだ頑張れる」

「祖父母に比べたら全然辛くない」って自分に言い聞かせています。

だから、ずっと昔のルーツまで遡ることができたら、私たちはもっともっと

頑張れるんじゃないかなって思いませんか?

今ほど医学も進んでいないし、食べ物も少ない時代にお腹をすかせながら、

懸命に働いた祖母が「もっと食べろ」って言ってくれていたんです。

私は、色々と親戚に訊ねてみましたが、これ以上のルーツはわかりませんでした。

でも、わかる範囲で良いから、今度は私の子や孫にルーツを聞かせて行こうと

思っていますし、伝統的な味や習慣を引き継いで行きたいなと思っています。

それが唯一できる私の恩返しであり、子供や孫に勇気を与えるのではないかなと

信じているからです。

何より、もっと誰かのために頑張る姿を、少しでも見せることが

できたら良いなって思いますね。全ては、祖父母の生き方の真似事ですけど。

私は、盆正月とお彼岸だけですけど、必ず子供を連れて墓参りに行き、

こうやって無事に家族で墓参りに来れたことを感謝していました。

何よりその姿を、子供にも見せておきたかったんです。

私の両親も、そのことは大切にしていました。

昨今は「墓仕舞い」の話をよく聞きますよね。

致し方ないところもあると思います。

けれど、本当にそれは長期的にみて良いことなのでしょうか?

自分のライフスタイルも大切ですけど、子供の未来は、

私にとってもっと大切です。

だからこそ墓参りも、ルーツを知り、伝えることも、

大切にしていきたいなと思っています。

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