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正解は一つではないことを意識しよう!
光が当たれば影ができる。
山が高ければ谷は深くなるし、波も同じですよね。
必ず陰陽合わせて物事は生じるのだから、正解は一つではないはず。
だけど、私たちは受け取りやすい方を正解にしたいという感情が働く。
ここに気をつけて意識しておかないと、長い目で見て間違った方向に進む
リスクが高くなるんじゃないかなと思うし、
歴史の変動を見ると、結局このことを証明する形で、
大きな波にのまれ翻弄されているように感じます。
トレンドはいつも波の頂点のようなもので、煌びやかな成功事例として
注目を集めるのですが、そこに至るプロセスや諸条件については、
ほとんど検討されていないような気がします。
今回は、そのような疑問点について、私的な意見を書いてみたいと思います。
【自由を尊重する教育は本当に素晴らしいのか?】
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個性を尊重した教育は、私はとても大切だと思っています。
人は生まれながらに徳を与えられていると言われていますが、
その徳をできるだけ偉大に育てていく明徳というものは、
是非とも大切にされるべきではないかなと考えている人間なんですよね。
ただ、自由に任せているのかといえば、そうではなくて、
優れた人の適正なフィードバックや、一定の導きは必要だと思っています。
個性を尊重することと自由は、イコールではないと思うんですよね。
例えば、私は弱い人間なので、自分で自分を追い込むことは苦手です。
一定のレベルまでは主体的な計画を立て、粘り強く実行できるのですが、
いつも中途半端で、小学校の時先生からは「器用貧乏」と言われ、
せっかく人より早くできても、そこから頑張らないから直ぐに追いつかれ、
凡庸な成績に終わってしまうということが多かったのです。
だから私は、今でも鬼コーチが必要だなと感じています。
私が怠けそうになったり、低きに流れそうになった時、
あるいは最初から低い目標を設定して、安楽な道を選ぼうとしている時、
それを戒めてくれる存在がいたら、どれ程有り難いだろうと思っています。
残念ながらそんな人はいないのですが、そんな弱い人間なんですよね。
一方で、メディアは日本や世界で活躍する一流の人材やチームに光を当て、
自由な教育方針のもとで育った選手を見て、
「今の時代は選手の自主性に任せ、自由な育成方法が素晴らしい」と
報じることが多いと思われませんか?
結果が伴っている=そのやり方は正しいとなっているような気がしていますが、
私は強い疑問を抱いています。
だって、みんなが大谷選手のように、自分で自分を追い込めるのでしょうか?
青学や駒沢の駅伝選手は、全国から集まってきた猛者たちであり、
彼らは自分で自分をある程度追い込める人たちだと思うんですよね。
慶應の野球部が甲子園で優勝した時も、同じような報道でしたが、
私のような凡庸で弱い人間に自由を与えられると、
優れた人たちとどんどん格差がついてしまうだけだと感じています。
長い目で見た時、それが本当に正しいのかどうか、大いに疑問なんですよね。
これは「働き方改革」や「評価制度」など、ありとあらゆるものに当てはまり、
個人の趣味や家族との時間を大切にしたい人もいれば、
もっと働いてお金を稼ぎたい人もいたり色々なのに、
自由や平等の方にばかり報道が偏って、責任や義務には触れないような、
耳障りの良い情報で溢れてしまっている気がしますね。
イチロー選手は、「残念ながら今は厳しい指導はできなくなってしまった。
だから可哀想だけど、今の子達は自分で厳しくするしかない」と言われてました。
勝つためには、本当の輝ける自由を手に入れるためには、
乗り越えなければいけない壁があることを知ってるからこその発言であり、
残念無念な気持ちが滲み出ているなと思っています。
対人関係の問題もそう、社会課題を考える時もそう、
人口減少や少子高齢化問題もそう、ありとあらゆるものがそう。
必ず陰陽併せ持っているような気がします。
【だからこそ『軸』が必要】
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そうなって来ると答えに迷ってしまったり、何が正しいかなんて無いみたいな
考え方に陥ってしまいそうですが、
だからこそ軸が必要であることを先人は説いています。
「絜矩の道は忠恕のみ」と安岡正篤先生が仰っていますが、
トレンドに流されない確かな物差しを持つことが大切なのでしょうね。
それは何かといえば「忠恕」「至誠惻怛」「中庸」「仁義」「礼」「慈悲」
「愛」「忘己利他」などの言葉が示しているところだろうと思います。
その心(物差し)をもって一人ひとりの個性と向き合い、
一つ一つ丁寧に考えて対応していく必要があるのではないでしょうか。
私はそのように考えているのですが、皆様はどう思われますか?