社会は「おあいこ」がちょうど良い!
私は「未熟」という言葉が好きです!
それは、決して腐っているわけではなく、まだ熟していないだけで、
のびしろが沢山あるからです。
そして、大人だからとか、子供だからとかという括りではなくて、
基本的に特定の分野で成熟した人が、未熟な人を養育することで社会は成り立つ。
私は、そんな風に考えているんですよね。
例えば、親は子供を養育する。少しだけ人間として経験が長いので、
成熟した人が未熟な人を養うわけです。
お金儲けが得意な人は、お金儲けで成熟している。
だから下手くそで未熟な人を養えば、ちょうど良いわけです。
人間は、なかなか完璧な人はいませんよね。
それぞれに成熟した部分と未熟な部分があるわけで、
未熟な部分は、養ってもらえばちょうど良いと思います。
経営者は社員さんを、お医者は患者さんを、先生は生徒さんを養うのです。
ただし、その時の「礼」は大切だと思っています。
常に未熟な人は、成熟している人を敬って認め、本当にありがとうって
感謝の気持ちを示しながら、甘えたら良いのではないでしょうか。
甘えられた人も、頼られ、認められて嬉しいし、未熟な人は何より楽です(笑)
そして、未熟な人にも必ず成熟したところがありますから、
今度は、威張ることなく、横柄に振る舞うことなく、
「おあいこだね!」って言って貢献したら良いですよね。
世の中は、そうやってちょうど良くまわっているものだと思います。
子供は成長と笑顔で貢献してくれます。
社員さんは、一所懸命頑張って働いてくれます。
患者さんは、「お陰様で助かりました」と深い感謝と労いの言葉をくれ、
また元気になって誰かを幸せにします。
生徒さんは、立派に育って未来を創造してくれます。
その時、その場所、その役割で考えれば、「成熟」と「未熟」があるだけで、
長い目で見れば、社会はいつも「おあいこ」なのではないでしょうか。
先人が「お互いさま」という言葉を大切にしてこられたのも頷けますね!
成熟している人の能力だって、きっと誰かのお陰なのです。
私が頑張れるのだって、遺伝や教育のお陰かもしれないし、
未熟な部分を支えてくれた多くの人たちのお陰なのですから。
自分だけの力で成熟することなんて、自然界ではあり得ないそうです。
だったら「おあいこ」の精神で、ちょうど良いと思われませんか?
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