知らぬ間に絶望していた気がする
ともきです。怒涛のスケジュールとともに10月が始まったと思ったら、体調を崩しているうちに終わりを迎えてしまった。体調がいまいち優れない10月を過ごした気がする。薬を飲んだり、休み休みしながら作業しているうちにあっという間に時間が過ぎてしまった。
自分は体力がないと実感した10月だったのだけど、今思えば風邪をひいたりして体調が万全じゃなかったせいかもしれない。重たい食事をしたら動けなくなってしまったくらいだ。常に最大体力30%の中で動いているような感覚だった。
10月最終日に差し掛かって漸く体力が戻ってきたときに、こんなにも元気だということと、今まで最大体力が減っていたのだなあと実感している。20代ラストスパートなのかと危機感を覚えたが、何のことはない単に弱っていただけなのだと安心した。
そんな弱っているタイミングは、気分も少しネガティブになることが多い。ただ、自分が何に落ち込んでいるのか、何をそんなに憂でいるのかいまいちわからなかった。自分は多分今でも十分幸せだ。だけど、このままの人生が続いていくにはどこか味気ない気がする。とはいえ、ドラマチックを望んでいたくはない。何か恐れているのだろうかと色々考えていた。悩むのはいつものことだ。
どうやら僕は絶望していたのだと気づいた。絶望がもっとドン底みたいな、地獄のような場所だと思っていたから、現状に満足して幸せを感じてる自分が絶望しているなんて思わなかった。けれど、よく考えれば絶望は望みが絶えると書いて絶望と読む。なるほど、全てを失った感覚や、失意のどん底に落ちた感覚のことじゃなく、何か望みや希望や目的を失った状態も一種の絶望なんだなと気づいたので、今日はそんな話。
何も望まなくなることも絶望だ
足るを知るみたいに、煩悩を捨てるみたいに、自分の望みや欲を捨てることが善いことという印象が強い。僕もそんな風に何かを望むことが減った気がする。何かに飲まれて追い求めるみたいな事が減った。それはそれで自分を見失うことも減ったので良い面もある。メタ認知できるようになり、何かをしている自分を広い視野だったり、俯瞰的な場所で眺められるようになった。
しかし、そうやってメタ認知をし続けた結果、いつまでもスクリーンを眺めるだけの立場をとるようになってきたと思う。ある種、受動的でカウチポテトのような姿勢で色んな物事を悪く言えば冷ややかに、客観的に、無感情に見る事が多くなった。そうやっていくうちに、自分が望むことが良くわからなくなってしまった。
何か野望や野心に焚き付けられて脇目も振らず夢中になっていた昔の自分のアンチテーゼのように、全ての物事に客観的立場をとって、何かを望むことを辞めてしまった。
それは裏を返せば何かを望むことを恐れてしまったのだと思う。何かを望むことで何かを失う恐れを抱くこと、それ自体を恐れて、何かを望むことさえ恐れ始めてしまったようだ。
結局それもエゴに堕ちている。結局、自分を失うことを恐れることで自分を見失っているという本末転倒なところに来た。やはり、問題を複雑にするのはいつだって自分自身だ。
自分の望みや欲を認める
欲望に塗れることは悪なのだと思い込んでいたが、自分の欲に嘘をつくことも、恐れから自分をコントロールしようとするエゴに堕ちているという点で同様に煩悩であり、執着なのだということに気づいた。
つまり僕は執着しないことに執着していた。それが僕の煩悩だったのだと気付いた。勝手に自分が悟りに近付いてると勘違いして、実は悟りからどんどん遠ざかるようなことをしていたわけだ。
実際、仏教もどうやら欲を持つこと自体を煩悩ではなく、振り回されるような欲を煩悩というらしい。つまり欲を持ちたくないという欲に振り回されていたというべきか。つくづく人は物事を複雑にしていくなと思ったりした。
欲に忠実に生きるという煩悩の捨て方
僕は自分から湧いてくる欲をもっと認めてやるべきだと思った。それは野心だったり野望だったりするかもしれない。持った欲が、誰かに持たされた欲なのではないかと、訝しんだり恐れてしまうよりも、純粋な目で欲を持って、それを追い求める日々を過ごすことが自己成長となり、目標となり、希望となっていくのだと思う。僕はこれから欲に忠実になるという煩悩の捨て方を歩んで行こうと思う。
さて、僕の野心は何だったんだろう。いつまでも望んでいたことは何かに夢中になることと、うまく計画的に生きることだ。1日中、持続可能な形でまいにち何かに取り組んでいたい、何かを作っていたいと思う。それが体力的に、集中力的にも難しいと思っていた。しかし、体力をつけるのも集中力をつけるのも、筋力みたいなもので、限界ギリギリまでやって超成長していくしかない。
結局のところポモドーロテクニックを使ったり、習慣化したり、自分の色んな波を理解しながらうまくコントロールしていくことしかないと思う。それをやってみたいと思えるのに時間がかかった。でも、こうやってテーゼとアンチテーゼの両方をやって、中道に導かれたのは間違いなく成長だと思う。どうやら良い希望に巡り会えたみたいだ。
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