自分は天才じゃないって思ってる人ほど強いなと思った話

今思えば物心ついたときから天才に憧れるタイプの人間だった.気が付いた頃にはエジソンの児童向け伝記を読んでいて,「将来発明家になりたい」とか言っていた子供時代だった気がする.多分それは急性中耳炎になって初めて耳鼻科にいったときだったから幼稚園児くらいの頃だった気がする.待合室の消毒くさい部屋の児童コーナーの傍にあった本棚に並んでいた伝記からエジソンを選んで読んでいた.

そんなこと書きながら「えっ,3〜5才程度の子供がたとえ児童書とはいえ伝記なんて読めるかな…?」と自分でも思ったので思い違いかもしれない.ただ,幼稚園に入る前からプレイステーションの忍者ゲーム「天誅」は一人でプレイしていたのは確実だし(母親に「買い物行くけど,家に一人でお留守番しても大丈夫?」って聞かれて「力丸(天誅の主人公)がいるから大丈夫〜!」って言ってたのを鮮明に覚えている),幼稚園に入りたいか?って親に言われたときも「忍者ごっこしたいから入る」って言っていたし,その確たる証拠として幼稚園時代に描いていた絵の中に既に忍者がいたので,幼稚園児で伝記を読んでいてもありえない話ではないと思う.3才の甥っ子も東京の駅名とそこを通る電車や新幹線の名前をスラスラ言ってるし,多分そんなもんだろう.

話を戻すと僕は天才に憧れる人間だ.今でも類まれな才能を持つ人に憧れる.そんな人たちと比較して「自分は天才じゃなかった.」と思って落ち込む夜もあった.だから,左ききのエレンの「天才になれなかった全ての人へ」というキャッチコピーは僕の心に深く深く突き刺さった.でも,だからこそできることもあるのかなと思った.

天才じゃないからこそ頑張れる

正直言うと僕は自分が天才なんじゃないか,天才になれるんじゃないかと思った時期があった.でも,それは単に井の中の蛙になっていただけだった.自分より遥かにすごい人たちに囲まれて,自分が天才じゃないことを思い知った.強い無力感を感じたときがあった.

でも,天才になりたい,近づきたいって気持ちはそれでも失わなかった.今でもそうだ.左ききのエレンに,光一が「何かにならなきゃ退屈すぎて生きていけねえよ」というシーンがあるが,衝撃が走るほど共感してしまった笑

そのためにはどうすればいいのかと考えたら,自分の無力感に立ちつくしてしまいそうな自分に「それでも走るしかないじゃん」って言い聞かせて,重い足を前に突き出して続ける道を選ぶしかないなって思った.でも,それって結構正しいんじゃないかと思う.

自分が天才だと言われたら,誰だってその甘い響きに溺れてしまう.傲慢になってしまう.次第にその肩書を失うのが怖くて逃げ出してしまうだろう.典型的な硬直マインドセットだ.だから,実は天才じゃないのはむしろアドバンテージかもしれない.天才じゃなくたっていい.

天才と言われた人も時間を費やしている

一時期話題になった「1万時間の法則」.これにも天才だと言われた人たちは,実は他の人よりも練習にも時間をかけていたことがわかったと言われている.もっとも,この話には反論がされていて「量だけでは身につくとは言えないんじゃないの?」と言われているものの,練習の質が重要なだけで,当然練習しなくても超一流になったりはしない.

そうとわかったら,天才じゃない僕にできることはひとつしかない,まずは身に付けたい技能に取り組む時間を割くこと.それから,どう練習すればもっと身に付けられるか,質を上げるにはどうすればいいか考えながら練習していく時間だ.

頑張った人は自分を天才じゃないという

それだけ時間を費やして工夫して頑張ってる人は,たとえ他の人から天才と言われても「自分は天才じゃない」と答えるだろう.自分がきっと天才だったら頑張ることも,工夫することもきっとしていなかっただろうし,生まれ持った才能で上り詰めてきたわけではないからだ.その過程にも頑張ることはあっただろう.途中で挫けることがあっただろう.その努力を自分で認めたいからこそ「自分は天才」とは言わないし,仮に言ったとしても自分ではそう思っていないのではないかなと思った.

そう思ったら自分も頑張るしかないなって思った.最近は自分のやりたい遊びでさえ,スケジュールに組み込むようにした.ちゃんと時間を費やすことをしようと思ったからだ.少しでも天才に近づける日を夢見て.

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Tomoki
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