ニコス・カザンザキス『日本旅行記」(1937年)の訳
1. サクウラとココロ
彼の国の二つの言葉を知るだけで、私は、日本に旅立った。意味が分かる二つの言葉、そのひとつは、サクラ。桜の花だ。もうひとつは、ココロ。心のことだ。それを誰が知っていると言うのだろう! 心中で独り言ちた。このとても簡素な二つの言葉が、私の心に届くことが出来たのは…、
私たちの夢想の中では、つい最近まで、着物が翻り、花盛りの桜の後ろに大砲と槍が見えていて、その日本は、磨いた赤い下駄、着物の柄の黄色い菊、絹の扇子の様な形に膨らませた青黒い髪に挿された象牙の櫛で、輝いていた。それらは、感性的な徘徊に描かれていたこと。可愛らしい桜の花、それは毎春に水の流れに映るものだけれど、私はそれを切り取って持ち上げるのだけれど、自分の袖を濡らしてしまう。
フジの山は、私たちの夢想の奥で常に雪を戴いて聳えている。目には見えない三弦のリュート、シャミセンが、悲しみを言葉少なに押え込んで、静々と音を漏らしている。景色、着物、女性、楽音、黄昏時、そのすべてが、意味深さと優雅さを持って、私たちの内面にぴったりとまた巻付く。
日本は芸者の国だった。すべてが官能的で神秘的なこの国は、遠い海の向こうで、微笑み続けている。マルコ・ポーロは、この国をシンパゴと呼んだ。彼は、この国を美しく悦楽的に、そして金を満載していると語り、全ての人々の幻想に火を点けた。コロンブスの夢にも火を点けた。その為に、コロンブスは三枚帆のカラベラ船で出航し、シンパゴを目前にする為に外洋を進んだのだった。コロンブスの先生である老人、著名な地理学者のトスカーナ人は、その島は金と真珠と宝石で出来ていると、彼に教えたのではないだろうか? 家々の屋上そして敷居は、いわゆる金製だと。そうすれば、飽くことを知らないジェノバ人は、どうやって目を閉じることが出来るだろうか? コロンブスは、その島からそれらの宝物を奪おうと旅立ったのだ。だが、見つけられなかった。彼らの中にはアメリカが浮上した。その後、五十年のちに、ポルトガル人の一人の冒険家、メンデス・ピントがシンパゴを発見した。ピントの小舟は、危険を賭して岩々を抜けシンパゴの陸地に取り付いた。自分の高価な品物を売り、船倉を金と絹で満たした。荒くれの海兵たちは、シンパゴの豊かさと気品、文化に面食らった。 驚きを持って語られているのは、シンパゴでは、誰も、当時のヨーロッパでしているように手で食べることはしない。そうではなくて、木か象牙で出来た小さな棒を使って食べるということだった。
飽くことのない冒険家たちは、そこら中を走り回った。カソリックの宣教師たちは、宗教的な品物を持って走り回った。温和な聖フランギシコス・クザビエ ( フランシスコ・ザビエル ) が最初にシンパゴに行ったのだけれど、彼の言葉によると、その国の中でのまったく新しい生活は、何もかもに於いて、彼の心に大きな慰めであったということだ。「日本人は、世界の中で最も高潔で、最も正直な民族だとさえ言えよう。心優しく純情で、全ての人間に価値を認めているのだ。」
ほんの数年後には、いくつもの教会が建てられた。数千の日本人が洗礼を受けた。民衆も貴族も新しいブッダことハリストスを礼拝したのだ。ヨーロッパ人たちは、キリスト教と共に、銃と梅毒を、さらに、煙草と奴隷商人を穢れのない国にもたらした。良心のない商人たち、女攫いのそして大酒飲みのフランク人の海賊たち、彼らのために、幾千の日本人をガレー船に積み上げられ、遠くの奴隷市場に売られたのだ。その上、最も恐ろしいことは、キリスト教の日本人たちは、その数が増えると、自分たち民族の性質、他の宗教への寛大さと優しさを忘れたのだ。そして、迫害を始めたのだ。仏教の修道院を燃やし、洗礼を受けようとしない地元民を釜で茹でたのだ。けれども、日本人たちは、ずっと耐えた。そして、1683年のある日、― 神の祝福を! ― 恐ろしい虐殺が、日本の土地から、キリスト教徒とヨーロッパ人をきれいに除去したのだ。
私と妻の二人は、汽船の船首に暫く寄り掛かり、海の水が青々と広がりスエズ運河に入っていくのを見ていた。それから一ヶ月以上官能的な道行きが続くことになるのだった。けれども、私の心中では、もう、海に揉まれてほっそりした体つきの日本が描かれ始めていた。
私の側に、三人の料理人がおり、白い頭巾を被っていて、膝を突いて座っていた。植木鉢を見詰めていた。鉢には、矮小な幹の花をつけた石楠花が植えてあった。三人は潜め声も発しなかった。一瞬のこと、三人のうちの一人が指を伸ばした。そして、そっと触れながら花弁を数え始めた。花びらを一枚、一枚。それから、また、手を引込めた。彼は、ある一つの言葉を発した。他の二人が身を屈めた。まるで、植木鉢に跪拝するかの様。
慈愛、沈黙、精神の集中。— 私たちは、もうすでに、飲酒と暴力から起こる恥じ知らずな喚き声それに余計な身振りのあるところから、何れ程遠くにいることか! 私は、彼らの前に初めて現れたヨーロッパ人を代表する者達となったスペイン人とポルトガル人が、彼らのような寡黙な魂を持つ者達には、何れ程に野蛮な印象を植え付けたかと、深く思いを致していた。 そして、港を閉ざして、先が尖り多色に彩色された屋根屋根の上に静寂と平安が、再び浮かんだ時には、日本人の魂は何れ程安堵したことだろう。
二世紀の間、どの港も、白い野蛮人には閉ざされたままだった。ところが、再び現れる朝があった。それは1853年の夏のこと、日本の海にアメリカの提督ペリが来た。ペリは、金の箱の中に最後通牒を携えていた。通牒は、アメリカの船に対して日本の港を開くことを求めるものだった。提督は、地元の統治者達、サムライに金の箱と手紙を置いて、翌年には、返事を録りに来ると言い残した。
日本では大動乱が起こった。野蛮人に、再び我らの神聖な国を穢させるな! 先祖達は皆、大地から跳ね起きて叫んだ。しかし、翌年には、提督は軍艦と共に再来した。何発かの大砲を撃ち放つと、日本人は看破した。頼める綱はない。あの白い悪魔達にどのようにして攻撃するのか? 悪魔達は、鉄の船を持っている。大砲を持っている。船は、妖術の機械で帆も無しに進む。それら邪悪な力が白人と共にあるのだ。 助けはなかった。港は開けられた。そして、素晴らしい光景が、白人達の魅了された瞳に、呈されたのだ。春には満開の桜の木立。秋の極彩色の菊。優雅な小さな身体の女性。絹布。扇。風変わりな神殿。彫像に絵画。どれも予期しない喜びと幸運の世界だった。
ロティダの臆病な草臥れた登場人物達が遣って来て、私たちに、技巧に満ちているけれど魂のない俗信の精緻な置き物であるかのように、この穢れのない国について物語った。 女達は人形のようで、男達は小人のようだ。もし着物を脱いでしまったら、何も残らないだろう、と。ラフカディオ・ハーンのロマンチックな登場人物達が遣って来て、まるで不朽のロマンスであるかのように日本の魂全体を演じてみせた。その淑化された情念と謎めいた微笑みと。「貴方は、日本の心を更に知りたいですか? それは、朝日の中、芳香を放つ山桜の花なのです。」 雅、洗練、静寂、微笑みながら死ぬ男達、全く従順でどこまでも無口な女達…。偉大な作家達は、この国に瞳を投じた。そしてもはや、私たちは、この国の悲劇に惹き付けられることなく、この国を見ることは難しくなった。作家達は、また、日本の骨の細い漁師の身体の上に、作家達が夢に見た幻の花を刺繍した着物を投げ落としたのだ。
けれども、私たちは、それを見てみようと着物を取り上げよう。私は、たった二つの日本語、サクラとココロ、を知っているだけで旅立ったのだ。旅路をかなり進んだ今、日本としっかりとした接触を望むのならば、三番目の言葉を付け加える必要があることを、私は分かっている。その言葉は、まだ、日本語ではなんと言うのかを知らないのだけれど。それは、ギリシャ語では、トロモス τρόμος だ。
2. 日本の汽船で
戸は反対に開く。船員達は、背が低く、黄色の肌で、ほとんど喋らない、そして、自分たちの手を汚さないように白い手袋をはめている。不思議な文字、倒れた樹木の様な、門構の様な、あるいは、登攀する為の足場の様な。その文字は、純白の磨き上げられた様な下地の上に黒々と輝いている。何所にでも、それは、戸の後ろであったり、階段の下にであったり、網の中にであったりするのだが、煌めく切れ長の眼が、待ち構えていた。まるで、密林に入ったように怯えさせる。カシワ-マル、と言う日本の船だった。
多くの民族、あらゆる人種がいた。イギリス人男性とイギリス人女性が甲板でゴルフに興じるかバーでレモネードを飲んでいる。無口な日本人は過ぎ去って行く陸を見詰めている。写真機と双眼鏡を担いだ一人のドイツ人がいる。一人のフランス人女性と、ロシア人男性が一人。イギリス人宣教師たち。彼らは、二つの大きな商品を売りにインドへ行く。キリスト教とイギリスと言う商品。ポーランド人のバイオリニストが、止むことなくいい加減なドイツ語を喋っている。誰もが、最初の日から、彼の秘密を知っている。彼は、トーキョーに行って、バイオリンの学校を開くのだ。恋人のステンカを連れて行くのだ。彼女は、九年も彼と一緒に暮らしていて、従順で気立てがよく、金髪の女性なのだ。私たちに、一枚の彼女の写真を見せた。それで、彼女の身体の秘密も全て分かってしまった。サロンから、恐ろしい叫び声。まるで、雄猫が一杯詰った蓄音機の箱があって、それが開かれたかのよう。そして、猫達は、今や、全ての窓から、飛び出して来る。
私は甲板を歩いた。自分のパイプで煙草を吸う。パイプは気心の知れた旅の道連れだ。歩いていると、支離滅裂な会話が立ち昇り、私の耳に掛かる。上海の女についての会話、音楽についての会話、ハリストスのこと、スリランカで見たブッダの歯について、ムッソリーニについての会話など。フランチェザ、彼女は陽差しの中で仰向けで、絹のストッキングを覗かせている。騒音、わけが分からない混乱。形を、辛うじて見分けるぐらいでは、まだ、評価をすることは出来ない。初めて目にするもの、初めての言葉、初めての接触。それぞれの者が相手になる者を探している。旅の延々と続く三十二日間が過ぎるまで、しがみつく人の中から、相応しい者を見つけ出そうとしている。ちょっとした騒ぎが、乗客達を捉えた。誰もが孤独、冷酷な虎に震えている。
海は静かで凝っている。馬手も弓手も人のいないところ。無音の砂浜。軽やかな細波、黄色の帯が入った灰色の世界。蒸している。昼も夜も、際限のない砂浜に向かい、それを視界に捉え、目前に線を描き、頭を振り向けて後ろを見ることを全くしなくなると、私の中の太古のおののきが、また、震えた。 軽い酔い、強烈で神秘的な懐かしさで、私は、人のいないところに迷い込む。ワインも女も全くないのに。もの思いは、度し難い程甘美で、私の心を揺さぶりもしないのに。
しかし、人のいないところに迷い込む勇敢さを私は持ち合わせていない。旅の間中、全く口をきかないでいることが出来ればいのだが。それは、ピタゴラスの治療だ。 その治療、私が聞いた言葉、私が話した言葉、それを全て洗い流して、私の臓腑に、まるでシルクバインのように、涼しさと新緑を広がらせる。けれど、人間達は、寄り集まるもの、人を一人にはしない。 人間達は、お互いに寄り掛かり凭れ合うことを求めている。羊がお互いの首を凭せ掛けているように。沈黙を恐れている。駄弁だけが、人間達のこころを安心させるのだ。
紅海に入る。暑くて重い空気、息をするのも辛い。女性たちは、肌を出している、イギリス人達はよく冷やしたレモネードを飲む、日本人達は団扇を揺らしている。 微かに、甘い胡椒が溶け出した薫り。ポーランド人の男がまだ喋っている。その話し方は、呂律が回らず不快だ。しかし、そこに立って聞いている誰をも、怒らせることはなかった。 男の言う所では、男の祖先は、王宮に隣接した所の大農家であったと言うこと。ある日、王の馬車の車輪の車軸が壊れてしまったが、彼の祖先が車軸の代わりに自分の指を入れて、馬車は進んだ。その指は潰れてしまったが、王は、男の祖先を伯爵にした、と言う事だ。
一人のドイツ人が、身を屈めて訝し気に紅海を見詰めている。海は、少しも「紅く」ないのだ。真青なのだ。何が流れているのか、と訝っている。 彼はバルト海から航海を初めていて、それまでに暑い国々の特徴と不思議を読んでいたのだ。 全員が汽船の舳先に乗り出して、鮫が口を開けているのや、海豚の群れが遊んでいる様子、風変わりな海鳥を見ようと待っている。夜には、海がそれは燐光を放つので、漁り火で差し障りもなく本が読める。今! 至極ありふれた鴎が数羽。海は昼には真青で、夜には真っ暗闇。ある恐ろし気な夜、ドイツ人は私に「それで、桜とは?」と尋ねた。
彼は、桜は存在しない、色付きの宣伝紙に咲いただけの紙に描いた春ではないかと、不安がっていた。私は彼を安心させた。私が彼に断言したその瞬間、遠く日本では、絹の様な肌をした枝々が整えられ、樹液が昇って行き、木の芽が膨らみだし、私たちが到着するまでには、すべての内側での準備は終えられているだろう。そして、どの桜の樹も、根元から梢まで神聖な花を吹き出し、旅行会社の宣伝のそのままになるだろう。
次第次第に騒音は治まった。乗客達の区別がつき始め、不定形の集団から形を持ったものになった。最初の似たもの同士の仲間が作られ、習慣が決められて、乗客それぞれがいずれかの集合に入れられた。イギリス人達は、止めどない時間を話すこともなく、直立した棒に縄で作った輪を投げて過ごす。時には、野蛮な言葉にならない叫びを挙げる。化粧を落としてさっぱりしたウィーンの踊り子が、夫を捜しにジャワに行く。その踊り子は、甲高い声をしていて、丸ごとの情熱を持っている。発情した猫と同様。巻き毛の子犬、彼女のプウピスのことを物語る。ウィーンの社会主義革命の時に死なせてしまった子犬。血にまみれた冷酷な瞬間を二つも目前にしたのに、全ての凄惨な虐殺は、ウィーン女性の小鳥の様な詩的な頭の中では、殺された犬の短いロマンティックな話しになっていた。
日本人の乗客は、二つに分けられる。一等と二等客室の日本人乗客は、英語を話し、ゴルフに興じる。三等客室の日本人乗客は、何時間も猫を撫で、植木鉢か海を見ている。そして、二本のよく動く棒で米を食べる。
私は、一人の年老いた穏やかな日本の男性と話した。男性は、船尾の折りたたみ椅子に座り、汽船の緑の航跡を眺めていた。 老人の英語は、彼の日本人の喉を通り、歪められて出て来るのだが、私が老人の言うのを理解することは出来た。老人は、ミカドの超人的な偉大さについて、私に話した。
― 露日戦争の時、一人の海軍将校が泣き咽びながらミカドに報告したのだと。将校の言うには、「陛下、恐ろしい知らせをお持ちしました。我らが最強の軍艦が撃沈されました。」
宮殿の外の民衆は嘆き悲しみ、将校達は動揺した。しかし、ミカドは、沈着で平静だった。「そうですか、沈みましたか。」と言い、それ以外は一言もなかった。
数日後、海軍将校が喜色も露にミカドの元に急ぎ来た。「陛下、大勝利の報告をお持ちしました。ロシア艦隊が沈没致しました。」
宮殿の外の民衆は有頂天で歓呼の声を挙げ、海軍将校は喜びで顔を輝かせていた。しかし、ミカドは、やはり、沈着で平静だった。「そうですか、沈みましたか。」と言い、それ以外は一言もなかった。
その日本の老人は、小さな輝く目で私を見抜いた。暫く黙り込み、再び、海を見詰めて、知らない日本語を一言呟いた。
― フドーシン。
― フドーシン? 私は尋ねた、何と言われたのか。
― 心を乱さないようにすることです。幸運を前にしても、不運を前にしても、動じないのです。日本の言葉です。他の国の言葉にはありません。Made in Japan です。
その日の夕、一羽の青黒い鳥がアフリカの山から遣って来た。帆柱の周りを羽搏いて、私たちの頭の上を通り過ぎ、二三度囀った、チッチッ。それからまた、アフリカの方へ去って行った。
この日本の老人の会話と青い鳥は、汽船で過ごした日々の中で、最も楽しいものとなった。
3. 東洋の港
花開いたブーゲンビリア、名前の分からない麦、口や鼻からではなく喉からの声、喧噪、瞳の青白い閃光、タールと魚、それに腐敗した果物の匂いのする小舟、胸を膨らませた恥知らずな少女たち、人を後ろから捉まえて悦楽的な秘密を約束する子供や老人、その全ての上に、人間の汗の神聖で刺激的な匂い。港中に子牛の匂い、恋に曳かれる獣のよう。何世紀も前から、同じ、東洋の港!
私は、生まれたこと、このような港々を彷徨い回ること、人間が放つ鼻を刺す悪臭を感じられることを、神に感謝した。聞く筈も感じる筈もなかった甘美さを持っている言葉を聞けたからだ。 — ただ甘美であるだけでなく、あまりに神聖なのだ — それは、禁断の港産の果実。
化粧をした娘たち。目に、唇に、掌に、足の裏に化粧。娘たちは、桟橋にドーム状に積み上げられている一塊の芳しい果物のように座っている。物も言わず、動きもせず。停留している船を見ている。クノッソスの女性の陶製の小像には腰骨のあたりに磁気を帯びた鉄がある。そのよく知られている抗し難い磁力に、人は、そのアナトリティスの女性、永遠のセイレーンが船を引き付け押し止める力を見ている。彼女たちは、メロンの種か落花生を噛み続けたり、弾ける音のする薫りのいいマスティハを噛んだりしていた。落ち着き払い悠然としていて、乳牛のように、黙考している。叫んだり、ネッカチーフを振ったり、船人を出迎えたりする必要のないこと、微動さえする必要がないことを、彼女たちは心得ている。磁力は変わらずにある。船を引き寄せる。
バルセロナ、マルセイユ、ナポリ、コンツタンティンノープル、ヤッファ、アレキサンドリア、チュニジア、アルジェ、—、この何世紀もの間は、地中海を取り巻くどの港にも、日に灼けたセイレーンが座り、船乗りを惹き付けている。船乗りだけではない。娘たちは、すべての謎めいた汗臭い匂いを取り込む。そこにあるすべての、果物、人間、思い、品行、それらすべての匂いが、一所に淀んだ生暖かい水、そして、港に停泊しているあらゆる国々のあらゆる色彩の船、そしてまた、桟橋で跳ねている褐色の塩辛い皮を持つ魚類、そして、酒と女を長く断っていたために獰猛になった船乗り、それらから上がっていた。
バナナ、メロン、ナツメヤシ、イナゴ豆、柑橘類の実は色が濃く、その木陰、その薫りの中で生まれた文化と不思議な一致を見せていた。ここのすべて、果物、人間、思い、品行が、同胞であるかのように似通っている。ここでは、人は臭い、汚物に耐えられるようになる。魂を拡げ精神に想起させなけらばならない。それから、西洋人は、自分の衝動に厳しい規律を押し付ける。そうしないと、東洋の港の光景は、西洋人には、耐えられない不快なものになるだろう、あるいは、西洋人に死に至らしめる様な魅力を飲ませることになるだろう。 ここでは、厳格で清明で冷淡である高潔な魂は、何をも感じることは出来ない。東洋の港における美徳には、別の境界、別の罪があり、広範な権利がある。突然、西洋人は、この港で、言葉に表すことの出来ない悲哀を感じながら、「美徳」というものが人間の本性に逆らっていることに気が付く。
4. コロンボ
私たちは、紅海を通り抜けてインド洋に入った。陸地と向き合う日々。帆柱に爽快な退屈が居座り、霞のように甲板を覆っていた。 過酷な暑さで、誰もが息が詰まる。私たち乗客は、下のボイラー室にいる火夫たちに思いを馳せ、涼を感じる。時々、一頭の海豚が跳ねた、よく肥って輝いている。時々、飛魚が動かない水面を鋭く飛ぶ、矢のようだ。乗客たちは全員、暑さのために活気を失った。影で、力が抜けた状態で喘いでいる。そして、あなたは、自分の鼻孔に腐敗を感じ始めるのだ。
インド人のイスラム教徒の二人だけが、甲板で気品を保っている。彼らは、自分たちの規律も守っている。陽が昇る毎朝、陽が沈む毎夕、二人のイスラム教徒は、蓙の上に跪き祈りを上げる。二人が信仰する宗教は、実際の太陽の周期をもたらしている。それだから、西洋人は、彼らの魂が、恰も向日葵のように、巨きい星辰の軌道に則っているように思ってしまう。もし、この汽船の誰もが堕落しているとしても、この信心深いイスラム教徒の二人だけは、堕落に抗しているだろう。
単調で、腐敗に満ちた昼、夜が過ぎて行く。ある夕、全ての顔が輝いた。明日、明方に、スリランカのよく知られた港、コロンボに着くと言う。
昏い藤色の雲、深紅色の太陽、濡れしょぼり、くぐもって鈍い光り。私たちは、ゆっくりゆっくりと港に滑り込んだ。まるで、眠っているハーレムの女を起こさないかと気に掛けているように。暁の明星は、まだ、私たちの頭上に輝いている。恰も、今にも、夜露のように女の胸に滴ろうとしているかのように。 幾本ものミナレットの頂きが仄かに柔らかく照らされている。ドームが幾つか薔薇色になっている。鴎達が目覚める。烏の群れが一つ、私たちの頭上を通り過ぎる。何もかもが、柔和でいて謎めいて、そして官能的な瞬間。舳先は、無音で町に入って行く、、
真っ暗な港の奥から、幾艘かのほっそりした小舟、それはゴンドラのような、あるいは、荷を積んだ細長い箱のような、その箱も棺に似ているのだけれど、その小舟が、とても高いものに映っている。一艘が他の小舟の後ろに、それがまた他の小舟の後ろに。それぞれの小舟の先頭には、箱の上に直立した、三人のチョコレート色の半裸の男が、真っ白な帯を締め、とても長い櫓で、ゆっくりと漕いでいる。
太陽は上がっていた。家々は笑い、人声と喧噪を聞かせる。都市は目覚めた。私たちは陸に飛び降りた。そして、私は、桟橋に行く。幾本かの路が、扇子のように、私の前に拡がっている。どの道を選ぶか分からないのを、私は、面白がる。浅ましい程に絢爛豪華な英国人居留地の飾り窓の後ろに、私は、幅の広いバナナの葉を認めた。そして、現地の果物の痛烈な臭いを嗅いだ。
私は、軽快な二輪の車、リキシャに乗った。幅広の足の裏をした人間馬が、全速力で駈ける。私たちは、もう、ヨーロッパからは遠く、解放されている。 花の咲いた樹々、木蓮、藤、ジャスミン、アラビア蘆、等々。両の鼻、眼、耳が開く。心が開花する。そして、ブーゲンビリアのように、胸の内を占めてしまう。
私たちは、白い忙しない抜け目のない人間達から解放される。ここでは、人間の身体は、褐色で、胸も腿も足も、みな裸だ。女達は麝香の臭いをさせて、その締められた腋は、緑に、黄に、橙色、様々にに輝いている。そして、魂は、日に灼けた胸に、腹中の露に、胡座をかいて座して居り、そこからこの世を見ている。
路上に、背の低い祭壇があり、その中に、小さく細緻で優雅な仏陀が一体置いてあり、通行人を見詰め微笑んでいる。一人の黄色の襯衣を着た痩躯の老人が、跪いて、親し気に仏陀を見ている。 女の子が一人、両の足首に金環を嵌めているけれど、階段を上がって行く。そして、小さな仏陀の小さな足元に一束の赤い花を置いた。祭壇の後、一本の椰子の下に、女の子たちが、寝転がり欠伸をしている。キンマを噛んで、彼女たちの唇は、濃いオレンジ色に染まっている。
友好的な人々、真黒な瞳、茜で染められた長めの爪、品やかで軽やかな足どり、真っ白く大きな歯、その歯は、半ば陰っている狭い小さな店を照らしている。 一人の小さなセネガル人が私に寄って来た。その男の長い膨らんだ髪が匂う。風がその髪を揺らしている。少しだけ英語が分かる、その男のチョコレート色の顔は、喜びと汗で光っていた。
「ルビー、サファイア、ターコイズは如何ですか?」
私は、とても好きな宝石がこの島にあるということ、また、とても買えないと言うことは、分かっていた。だが、それら宝石の名前は、とても甘美に聞こえ、私は、セネガル人が何度も母音の多い早口ではっきりと繰り返し言うままにさせていた。恰も、一掴みの宝石が溢れ出て石の上に落ち、カラカラと鳴り響くかの様。その音を十分に楽しんだので、私は、セネガル人に宝石は欲しくないと合図をした。すると、男は、絹織物を勧める。それから、真珠。それから、女。それから、私をしげしげと見て、私が何を欲しがるかを推量していた。突然、男の目が輝いた。
「ああ、あなたは、仏教寺院に行かれるのですね!」
私は笑った。手を伸ばし、男の褐色の肩を強く叩いた。
「分かったかね!」
寺院の敷居で、道案内の薔薇で出来たような掌に卑しい硬貨を置き、私を一人にさせた。そして、一人で、小さな寺院の中に入った。清涼で、私の目は険が取れ、額は楽になった。薄暗がりの中で、私は、至る所に、たくさんの像、ブロンズの神々、未開の地の霊を認めた。緑の貌、紅い口、痩けた頬の神々。そららは、おそらく、人間の病苦。奥の高い所、白い帷の後ろに、仏陀がある。胡座を組み、倫理を軽んじ、微笑んでいる。
仏陀の頭には、十本一組の紙製で極彩色の小人寸法の風車が差してある。それは、祈禱のための神聖な風車だ。戸口からは、そよ風が吹き込み、風車は回る。また回り、人間の欲望を粉に挽いている。
5. シンガポール
ここには、別の人類がいる。この世の相貌が違っている。ここでは、私たち種族は絶えていると人は感じるだろう。全く違ったふうに、笑い、喋り、食べ、泣き、笑うのだ。ここの人々は、別の動物から生まれ、他の土から造られているのだ。
私たちの丸太舟が林のように港を取り囲んだ。丸太舟一艘毎に、一人の赤みがかった黄色の肌で頬骨の広い真ん丸の小さな目をしたマレーシア人が、一本に二枚の翼が付いている櫓を抱えて居いた。マレーシア人は、その彫刻がしてある木製の櫓を、まるで軽く鋭い矢でもあるかの様に、驚くべき機敏さで丸太舟の右に左に差し入れて、船を操った。櫂の背で、マレーシア人たちは、テニスのように、ゴム製のボールで遊んでみせた。笑いながら、私たちをからかう。薔薇色に身体を火照らした、二、三人のイギリス人が、前屈みになり喘ぎながら、男たちを見詰めていた。
さあ、この大地を踏みしめよう、そして見るんだ。舗装された広い路、何千もの店、豊富な黄色の果物がある。そして、家々そして下水溝からは、我慢出来ない異臭。人間から発せられる悪臭と下水溝からの悪臭を嗅ぎ分けられる、極度に訓練された鼻孔が必要だ。表面がツルツルのお化けのような果物がある。それを、老いた孔子達でもあるかの様に真剣に黙している一塊りの子供が、泥濘の中に転がしている。時折、燕麦の上に、藤のように房になる、けれど赤い花をつけた、緑濃い樹が見えた。
女達は、黒いパジャマを着て、長い何処も真黒な艶のある髪のお下げを背中にぶら下げている。彼女たちの顔は、節のない黄色の板に彫られている。何人かの老婆がいた。山羊の足のように丸く変形した小さな足をした、その老婆達は、蹌踉けながら歩いている。他の女達は、裸足の幅広の足でしなやかに、そして男と変わらず決然と石を跨いでいた。
人すべてに、強い印象をもたらすのは、途絶えることのない蟻の列。河のように道に流れている。それは、アフリカの目の無い蟻を思い出させる。あの蟻は、滝の様に村々に傾れ込み、荒廃させて行った。 その流れの中に落ちた一人の男は、ほんの数分で、骨だけが残ることになる。さて、この地で、一人の白人が落ちてしまえば、どうなるか。
その次に印象深いのは、現地の人々の目だ。輝いて叡智が宿っている。同時に、白人に対する激烈な憎しみに満ちている。華人街を歩いていると、幾度も、自分の後ろを振り返って見ることになる。すると、何千もの目が容赦なく自分の上に注がれているのが分かり、身震いを覚えた。
その憎しみを忘れてしまうのならば、その中国語の標札のある路々は、大きな喜びをもたらすだろう。中国の文字は、とても表現豊かなもので、西洋人は、それが目に見えて分かるように構築されており、中国語の意味を理解するために、漢字の意味を知る必要はない、と思うだろう。 精神と文字が一致している。路を歩けば、文字の多彩な色の調和が楽しめる。黒地に白の文字、緑地に金文字、深紅の地に黒文字。東洋に於ける色は、大層に温かく楽し気なものだから、聴覚・味覚・触覚・嗅覚を除いた、ただ目にだけ訴えかけるのではない。
もう、夕暮れが落ちてきはじめた。それは灰のように。細い三日月が空に現れる。椰子の茂みの後ろに、私は、宵の明星が葉から転げ落ちるのをを認めた。広場全体が、葦の日除けの下にある鄙びた大衆食堂で満たされている。男達、女達は胡座をかいて座り、食べている。飯碗を一口( いっこう )、太鼓の撥のような二本の細い木の箸を抱えている。手品のような技で、食べ物をつかみ、男達女達の貪欲な口の中に落とし込む。
[一口:碗の数え方]
空腹を覚えたので、私は、座った。長い編み下げ髪の華人の男が、飯と魚と卵を私に持って来た。飯は、華人と同じ匂いがした。魚は、怪し気な濃い汁が懸かっていた。卵は、異臭がした。私は茶を頼んだ。私に出されたのは、混濁した液体だった。サレップか乳香のように見えた。私は、空腹のまま立ち上がった。東方世界、東方世界、私達は思いを致す。東方世界に触れるには、相当に頑丈な頭脳と胃を持たねばならない! そして、何と言う複雑さなのだろう! この最上の組成物からすべてのこと、東洋的矛盾は、痛ましい程の努力の末に見出せる。貝殻が何処までも敷詰められた秘密の路を見つけるのだ! その貝殻は病気のため巨大な真珠に姿を変えている。 既に夜、灯が灯っている。中国の極彩色の燈火が戸口や露台の上に釣下っている。店々は閉まっている。悪臭は減り、夜の花が起き上がる。女達は、髪にバター塗り染めている。人目を引くパジャマを着ている。その小さな足に、赤、黄、緑の下駄を履いて、路に出ていく。さっさと急いで行く。何処へ? 公園へだ。
宏大な公園。紅い燈火、荒れて感度の悪いラジオの音。5レプタの安っぽい情熱。極彩色の掘建て小屋が無数。そこでは、タバコ、ピーナッツ、玩具、女を売っている。女達は踊り歌う。銅鑼が鳴り、極小の舞台に華人の白粉漬けの女優が上がる。そして、歌い踊り、そして、絶叫する。
私たちの頭上に星々が輝く。空は、朧で無音だ。空の下の地上では、此処の公園の奥では、ナイトクラブが開く。公園の門の横木には緑の龍が描かれている。その鱗は輝いて、その舌は炎の様に波打っている。入口に、英国人興行主( インペラッシオ ) が立っている。南国の日に灼かれて、獰猛な風貌。リキュールとビフテキのために野獣と化した風貌。とても高い弓なりの門の下に、華人ココットたちが、入り始めた。乳房も、尖った腰骨も無く、蛇の様に細身のココットたち。女たちはローブを纏っているが、それは、鞘の様に細く詰められた絹製で、神聖な色を使っている。龍の碧、濃紺、真黒。ローブは、腰骨の高さまで開いている。歩く一歩ごとに、力強く無敵でニスをかけたような光沢のあるその細い腿全体が、輝く。その敏捷で危うい胴の上には、起こったコブラの様に幅広の恐ろしい仮面を着けた顔がある。オレンジ色の動かない口。斜めの目、それも動かない。その目は、蛇が見詰める様に、無頓着に冷酷にこちらを見詰めている。
門の中では、寄せ木張りの床の上で、踊っている。金髪の英国人たちが怒鳴る。英国人たちの目は、もう濁っていた。その黄色人の女たちは、英国人の男達の血を吸う。夜が更けるに従って、女たちは生き生きとし、男たちは品を下げて行く。夜明けになれば、白色人種は、全員が、地面に転がっているだろう。黄色い女たちは、首を擡げて、腹がくちいた毒蛇の様に、唇を嘗めるのだろう。
夜がすっかり明けてから、私は、疲れと喜びと不快感を覚えた。― 濁って固まっている沈殿物がある、まるで、阿片を飲んで遠い思い出を呼び覚ましたよう。― 懐かしさと恐ろしさのある思い出 ― 失われた楽園の記憶。路々は、下水溝とジャスミンの匂いがする。吐き気を催させるような匂いと芳しい香り。妖気と死で満ちた女たちは、天国にも似て、私の魂を惹き付けもし気味悪がせもする。
それは、セイレーンが満ち足りていた魂を好奇と品位の間で掻き乱すのと同じだと、私は思う。その魂は、地上の誘惑のうち何一つも逃したくはないと思っているが、一方では、堕落は望んでいないのだ。人間がすでに見つけ出した三種の方法、すべてをセイレーンに与えて自らは朽ち果てると言う方法、何も与えないで痩衰えると言う方法、オデッセウスの方法、そのうち、やはり、オデッセウスの方法が最善だ。
6. 日本人のハリストス教徒
私たちは、中国の海岸をやっと捉えて上陸した。香港に近付いたのだ。食事をする汽船の食卓には六人が席に着いていた。フランス人女性が一人。若いピアニストが一人。ナポリ人の父と日本人の母を持つ、目を瞠るような混血児。ヴァイオリニストのポーランド人男性。ロンドンから帰国する医師のインド人男性が一人。そうしてもう一人、私の向かいに、年老いて脹よかな日本人男性、カバヤマさん。
背が低く脹よかで、真面目。滅多に私たちの歓談を乱すことがなく、笑わず、喫煙はせず、飲酒せず、カード遊びをしない。彼の手は、食卓をパンを果物を子供たちを、入念に、気持ち良さげに、そして丹念に調べる様に触っていた。話す時には、彼の唇は、老嬢のように窄まる。言葉は、その唇の窄みから厳粛かつ優雅さを帯びて出て来る。そして、彼がとても好きなものを見る時には、うっとりとして目を細める。― それは、果物であったり、鴎であったり、日没であったりする。
すべての日本人と同様に、彼も、掌や目で物を撫でる。そうやって撫でることで、彼は、僅かな違いを見分けている様に思われる。― 目立たず内密に素早く撫でるので、恥じているのだと、人は思うだろう。何か、彼は過ちを犯している様に。
私たちは友情を結んだ。カバヤマさんは、私の手帳に日本の聖山、富士を描いてくれた。冬には雪を戴き、夏には澄み切った空の上にある様子だった。 彼は話した。それは、風景に精彩を付す謎に満ちた千変万化の美しさの自然について、それはつまり、それぞれの鳥の飛翔の違いであり、波の上で自分の尾を追ってそれぞれ違った仕方でぐるぐると回る魚についてであるけれど、そうした自然に対する知識と情熱を見せながら話したのだ。
そして、自らの民族を、その同じ知識と情熱で愛していた。高貴な人々、詩人、画家、農民、漁民を慈しんでいた。私たちのものとは全く違った手振りをしながら、彼は話した。力を入れて掌を腹に当て、ゆっくりゆっくりと上の方へ向けて引いていった。そして、掌を腹の前でいっぱいに拡げた。ハラキリをする仕草そのままに、彼は、腹を下から上へと裂いた。内臓を取り出し、それを生贄に捧げた。
突然に、一閃の稲妻が私の頭脳を切り裂いた。一気にすべてが、手振り、言葉、意味深さ、慈しみ、秘された愉悦、それらすべてが明るく照らされた。何憚ること無く、私は叫んだ。「貴方はクリスチャンなのですね、カバヤマさん!」
日本人は微笑んで、至福に目を閉じた。そして十字を切った。
私は嬉しく思った。これまでにも、私は、様々な風土の中にいるキリストを見て来た。スーダン近くで、襤褸を纏ったエジプト先住民フェラホスのキリストを見たことがある。また、アルハンゲリスク近くのラップランド人の柴屋で狼の毛皮を纏ったキリストを見たことがある。それに、何時だったか、アトス山のグリゴリオス修道院で、斜視の聖母を見たことがある。華人女性のように、黄色で幅広い頬骨の聖母だった。また、ある時、眠っていて山岳民族の様な聖母を夢に見たことがある。丈の短い毛織りの短外套を着た、首に古金貨を着け、蹄鉄を付けた紅いツァローヒを履いた聖母だった。その聖母が、山に攀じ登りその尾根で、山岳民族の揺り籠の中、山羊皮の赤ん坊用の寝床の中に、山岳民族の子の様なキリストを抱えていた。そして今、着物を着たマリアの御子を感嘆する時、何処かの菊の庭で弟子である苦力達と共に茶を飲む時、その時が来た。
私に幸運を運んでくれたこの日本人のキリストを、私は、底尽きない興味を持って、跪拝した。そして、忍従への信仰、予想される死後の英霊へと変身した生活への崇拝、この世への愛情、日本人の魂がどのようなものなのかを見たくて仕方がなかった。
神道は日本人の自然崇拝、祖先崇拝だと私は思う。日本の大地は神々に依って形成され、その神々と言うのは、死んで行った祖先から次第につくられて行ったのだ。自然宗教は、日本の大地への信仰だ。ある偉大な祖先がこう言っている。「日本人は祈る必要はない。日本の土地に暮らすことになれば、即ち、祈りの中で暮らすことになるのだから。」 それでは、果たして、この宗教が、幾つもの国境と民族を捨て去り、西洋人の魂をつかむことが出来るだろうか? また、この宗教は、他でもないこの土地を越えて、人間の希望を西洋人にもたらすことが出来るのだろうか?
カバヤマさんは、熟考に入っているかの様に瞳を閉じた。それから、目を開けて微笑み、語った。「日本人の魂は、単純でもあり複雑でもあります。特異なのです。日本人の魂が唯一小径を持っているのです。ヨーロッパ人がその小径を知っていたとしても、失ってしまったものなのです。」
私は答えた。「私はヨーロッパ人ではありません。ヨーロッパとアジアの間に生まれた、そう考えています。」
震えて両腕を挙げながら、私の対談者は言った。「貴方を怒らせるつもりではなかったのです。今貴方がその魂をお知りになる為に、日本に行かれる。その今、貴方には、幾つかの特徴を心に留めておく必要があるのです。とりわけ、三つのものがあります。
1. 日本人の魂は、いとも簡単に、外国の考えを受け容れます。
2. その外国の考えを、同化させる事無く、そのまま卑屈な態度で受け容れるのではありません。日本人の魂の同化の力は、それは強力です。
3. 外国の考えを同化するや否や、元からある日本の考え方すべてと、調和させるのです。そうして、新しい考えは、古いものと分ち難い調和の取れた総体となるのです。
私たちの本来の固有の宗教は、先祖崇拝の神道です。西暦552年に、突然、朝鮮から我が国に新しい宗教、仏教が到来したのです。私たちはそれを受け容れました。けれども、抵抗がなかったのではありません。私たちの考え方では、新しい宗教を吸収し、元からの宗教と調和することは出来なかったのです。何世紀もの間、太陽の女神、アマテラスを信仰していたのに、どうして、私たちは、仏陀を最高神として受け容れる事が出来たのでしょうか? 古い信仰が新しいものに抵抗したのです。戦いは約三世紀の間続いたのです。戦いは、大聖人ガノキ( 鑑真 ?) が来て答えを見つけるまで続きました。その答えとは、仏陀と太陽女神は、同じもの、瓜二つの神である、印度では仏陀の面を付け、日本ではアマテラスの面を付けているのだ、というものでした。日本人の魂は、それで一挙に、もはや抵抗する事無く、新しい宗教を受け容れたのです。その理由とは? その理由とは、元からの信仰、神道と同化し調和させる事が出来たからなのです。」
「今、同じ事がハリスト教に起こっています。ハリスト教は、その思想あるいは倫理あるいは儀式の仕方からではなく、その礎に犠牲の考えがあるので、私たち日本人を惹き付けるのです。ハリスト教の本質は、犠牲なのです。( この日本人は、また、ハラキリの身振りをした。それは、激しくて生々しいので、私は、男の腑が私に飛び散らない様に、頭を後ろに仰け反らした。 )
犠牲こそが、私たち日本人を魅了し、ハリスト教徒にしたものなのです。犠牲は、私たち民族が何よりも切望するものなのだからです。祖先からの大地の為に、犠牲となると言うことなのです。偉大な神、太陽の子孫であるミカドの為、犠牲になるのです。そして、自らの名誉の為に犠牲となり、ハラキリをするのです。そして、ハリスト教は更に一歩前進をするのです。その人自身よりも重要なこと、王よりも重要なこと、自分たちの民族よりも重要なことの為に、犠牲となるのです。つまり、人類の為に犠牲になるのです。それこそ、犠牲の最たるものなのです!」
「それで、多くの日本人は、ハリスト教徒なのですか?」
「日本全国に、1708の教会があります。信者は254,000人です。まだ少数なのです。ですが、日本人の魂が作用するその仕方は、私たちは分かっているのです。ですから、確信しながら期待しているのです。調和しないままに普及することは、望んではいません。私たちの中では、常に、新しい世界観は、他の世界観を完全に滅ぼす様な戦いはしないのです。そうではなく、争いを止めそして一つになる様に奮闘するのです。」
その日本人は、再び目を閉じ黙した。そして、私は、甲板に上がった。舳先から身を乗り出して眺めた。私たちは、タイの海をもう通り過ぎていて、香港に着く所だった。丸裸の、魅力的な小島が幾つもある。それは、泳いでいたのを、今は上がって、陽を浴びて甲羅干しをしているたくさんの身体のよう。その中を、中国の小舟が幾艘も通り過ぎている。 小舟の船尾は幅広で水に沈む程低くタールに塗れていて、舳先は、細くて曲がっていて、喉を渇かさせた龍の様に、水の上に伸びていた。そして、拡げられた濃い珈琲色の布が、巨大な蝙蝠の羽根に見えた。
幅広で吃水の低い小舟が私たちを取り巻いた。その小舟には、漁師の家族が一年を通じて住んでいる。一家の父親は、船尾に取り付けられた長い一本櫓を抱えている。それで、船を操るのだ。妻は、ずっと身を屈めているのだけれど、洗い物をし繕い物をし料理をし、あるいは、赤ん坊の虱を取ってやっている。 大きな方の息子は、丸裸で船尾に直立していて、私たちに、「アオ! アオ!」と叫んだ。それは、私たちに、小銭を投げて欲しいからで、私たちが小銭を投げると、海の底に飛込んで、歯で小銭を取るのだ。
香港では、私は、日本人ハリスト教信者と一緒に出掛けた。地元の街に入るまで、私は楽しくしていた。狭い路、黒に赤に緑の象形文字が書かれた幟、歩道で縫い物をしているか稗を料理をしている寡黙な女達、黒い絹の帽子を被り疎らな山羊髭をつけた府君・マンダリン、魚や米や砂糖黍を喘ぎながら運ぶ苦力、喉から出る声、開いたままの下水溝、吐き気がする様な中国の匂い、突然に幕が引上げられ、それらすべて、中国の街が見えた。
私は、編みの様に視線を投げ掛けた。即座に、すべての夢像が採れた。そして、同伴の日本人の方へ振り返った。日本人は、柔らかくけれども執拗に私の腕をつかんだ。
男は神妙になって私に言った。「参りましょう。香港には大きな教会があります。礼拝をしに参りましょう。」
私は答えた。「そこの角で、果物が溢れている掘建て小屋を見かけました。パイナップル、マンゴー、パパイア、オクラなどです。途中でそれを手に入れたいのです。」
そうして、私たちは、別れました。夕方、すでに山全体に灯が灯る時分で、香港の絶妙な夜の演出が始まる頃に、私は、汽船に戻った。波止場で、友人である日本人に会った。私は、果物の籠を抱え喜色満面でいた。友人は、手ぶらで、嬉しそうにそれを受け取った。
「どの路も喜びに連れて行くのですね。」 老人は少しばかり得心した様に言った。私は、重いバナナを一房、老人に渡して、笑いながら答えた。
「ええ、御覧の様に、果物の路が、私は好きなのです。」
7. 上海、呪われた都市
海は泥で濁っている。長江が数千メートル沖合の外洋まで中国の土を運んでいる。濃い霧が不意と現れ、船は恐ろし気に汽笛を鳴らしていた。全員が、身を乗り出して、霧を突き抜けたその後ろに、有名な魔都上海を見ようと、目を凝らしていた。
私は地図を見た。斑模様の怪物の様に幾つかの帯に別れている。赤い帯は国際都市上海、緑の帯はフランス、黄色の帯は中国。1843年に、最初に港を諸外国に開いた時には、上海は、沼と葦に囲まれた侘しい漁村だった。そこに、悪鬼の様な行動をする白人が来た。川を深くし、埠頭を造り、工場、銀行、煙突、高層建築を建設し、異様な機械、商品を持込み、白人達の顧客になる様に中国人に新しい欲求を産みつけた。 - 為に、漁村は、巨大な都市になった。そして、心優しく幸福に暮らしていた漁民は、殴りつけられる上に酷く飢えた苦力になった。
地図の上に横たわった上海のからだを飽くことなく見詰めている私を眺めていた、同行者の日本人は、意地悪く笑った。
「上海の禁断の果実を無理にも知ろうとしてはいけません。それに触れば毒が滴ると言う様な、この上ない恐ろしさの魔都と言うのは存在しません。」
誰かが私たちの後ろで笑った。歯の間を擦り抜けた、嘲る様な二滴の唾が私の耳に散った。私は振り返った。一人の青ざめ落ち窪んだ頬をし濁った青い目をしたイギリス人が、私たちの話していることを聞いており、悪魔の様に笑った。「この世には、この上なく魅力的な都市はない。」とその男は言った。
イギリス人は、地図の上に彼の窶れた震える手を伸ばし、上海すべてを撫でた。
「女、ウィスキー、ドル、ですか?」と私は笑いを止めて言った。
「プッ!」イギリス人は見下したかの様だった。女もウィスキーもドルもない。上海には、美しい少女達が居る、「中国の王女達」、私たちはそう言っている。― 柔らかい寝椅子、灯が消える、長い煙管を持ち上げ君たちが現実と呼ぶ衝立てが倒れる、真実の世界、天国が我々の前に開かれる、そこに入って行くのだ…
イギリス人の曇った目は、一瞬、灯が点り、直ぐに消えた。彼の厚い顎はねじ曲がり、口は歪んでいた。不快と憤懣を私は覚えた。堕落した人間の魂と肉体を目にすると、常に、私に起こる怒りだった。急に、私は向きを変え、船首に向かって行った。
霧は既に晴れていた。太陽が現れていて、上海が、私たちの前の黄色い泥だらけの水の上に、拡がっていた。何れも国旗を掲げた汽船、工場のとても高い煙突、太陽を曇らせる煙。私たちの右手、まだ汚れていない幾許かの畑が緑に彩られている。誰が気付いているだろうか。私のすぐ周りでは、セメントと鉄が、既に、畑を浸食してしまっている。思わず、私は、手を挙げてさよならを言った。極彩色の帆を付けた翼竜の様な変わった形の小舟の一団が、神話の怪物の様に、水の上を過ぎて行った。
汽船の吊り橋が降ろされた。上海へと掛かった。どれほどに急いで、大地を再び踏みしめたことか! 桟橋を乗り越えたことか! 極彩色で無数に分岐した路へと入り込んだことか! 西洋人がそれを初めて見たとき、臭いを嗅いだとき、味覚を試したとき、初めて手で触れた時には、最上に刺激的な幸福はないのだと、私は思う。私は、そそくさと、広い西洋風の通り、銀行、事務所、洋品店の前を通り過ぎ、イギリスの赤い建物、肥満のフランスの洋品店、絹と茶を売っている狭苦しいインドの店を後にした。また、教会、公会堂、病院、図書館、会館、そのような白人文化の上辺だけのショーウィンドーを後にしたのだ。そして、私は、黄色の世界へ、何もかもが泥に塗れ、食べ物は蟻に塗れた、中国の世界へ潜り込んだ。
喜びのため叫び出すのも押さえ難く、私は目を見開いた。この地上のあまりに豊かで夢見る様な相貌を見るのに、私は全く待つことはなかった。ある種の酔いが私を捉えていた。この過密な幾万の頭の群衆に混じっていることで生じる酔い、そして、その毛玉の中に巻き込まれて、来た方向を忘れさせてしまう酔いだ。目に入るものが、次第に、鎮まって来ると、物が見分けられ始める。傾いで狭い路。そこには、中華文字が書かれた長い幡が下がっている。そこの家々の壁には、緑の龍が彫られている。そこには、蜂の巣の蜜房のような店がある。店では、身が屈んだ黄色の小人が木や鉄や革を細工している。火を熾す。料理をする。肉を切り刻む、牛肉あり、馬肉あり、犬の肉もある。
指が侵されて無くなっている癩病患者、腹の脹れた真っ裸の子供、黒くて窮屈なズボンを穿いた女、喉からの声、派手な色彩、風変わりなアコーディオン、それらすべての上に、耐えられない濃密な全てに勝る中国の悪臭がある。人が居るところ、下水溝がある。堆積した汚物は言い難いものだ、そこを通る。そこには、何千年もの先祖達が積み重なり、分厚く弾力のある中国の外殻を作っている。私は、ゆっくりと踏み進む。狼狽に取り憑かれないよう、そして、この驚くべき凄まじい光景のすべてを、気を失わずに受け容れようと気を張っていた。
日が暮れる。夜が、強力な共犯者が降りて来る。銀行、工場、事務所は閉まる。西ヨーロッパ人は、背を伸ばして欠伸をし、身体を洗い、香水を着け、路々に繰り出す。しっとりとした提灯が中華街に点る。― 黒い龍が描かれた赤いもの、黄色の甲虫をあしらった緑色のもの。その下、地下の薄暗いところから、ジャズのその日最初の音が漏れて来る。
夜の孔雀、ココットたちが目を覚ます。羽を伸ばして、艶をかける。爪を塗る。ビロードの担ぎ椅子を持った黄色の寡黙な荷役が、来る。他の者たちは急いで歩き、切れ長の目の黄色の天使長の様に大胆に大股で汚い路を跨ぐ。 女たちは慌てている。キャバレーからキャバレーに渡り歩き、お喋りをし、笑い、一時、男たちを病気の子供の様に甘やかせ、金を貰い、また、戸を開けて足を挙げ、星の様な肉体の輝きで路を照らし、また昇って行き、他の男の所に、笑いもせず慌てふためいて向かう。女たちの羽が抜け落ち、色が落ちる。また、色を塗り、髪を梳る。そして、夜の行進が続くのだ。
薄明るい資格の庭、何処にでもアーチ状の低い扉、修道院の様に周囲を囲む高い格子。― 半裸の女たちが身を屈めて通る者を呼ぶ。安っぽい化粧石鹸の、粗悪なオーデコロンの、人間の汗の臭いがする。一枚の窓が開く。濁水が撒き散らからせる。嗄れた歌声と笑い声が聞こえる。そして、窓は再び閉まる。するとまた、格子から極彩色で細身の妖怪たちが通る者を呼んでいるのが聞こえる。ここでは、ほんの僅かな金で、全ての恥辱と不運、全ての快楽から来る恐怖を見ることが出来る。そして、( もし人間であるならば、 ) ここの男と女に嫌悪を覚えるに違いない。ここでは、白人が何れ程下品なことをするかを見ることが出来る。こうして、緩慢にだけれど冷酷に、東洋の二つの主要な毒、女と阿片は、白人たちを蝕み腐らせる。
上海の大気は、何かしら反精神的なものがある。沈思黙考、熟考、貞節と言うものに決定的な敵意がある。コロンボやシンガポールでは、白人の堕落には、魅力と同時に、何らかの弁解もあった。それは気候なのだけれど。暑さ、湿気、呼吸の困難さ、休むことのない団扇の風。熱帯の樹々を見詰める白人を、麻痺が捉える。そして、白人は涅槃へと入って行き、その大気全体の中へ蒸発して行くのだった。白人は、樹木になり雲になり、樹木と雲の影になる。そして、我を忘れる。白人世界よりも恒久的で宏大で長い世紀に亘る世界を認め、我を忘れてしまう。けれども、価値を下げられるのではない。崇められるのだ。しかし、ここ上海では、価値を落としてしまう。我を忘れる。人間の魂のある所から、ひどく卑しい狭い暗い所に転げ落ち、品位を落とす。
呪われた都市。未来に現れるであろう都市の形の先触れとして現れている。世界は、他に術もなく零落し、このような都市の形を取るだろう。このようなこと、バビロニアも、メソポタミアの二ネヴェも、エジプトのテーベも、夷狄が来る前のクノッソスもそうだったのだろう。金への飽くことのない渇望、性急さ、買収、快楽による病気、そして、何処にでも、人間の優美さと無私の微笑みがある。 人間達は、その祖先に戻ってしまう、家豚に、野豚に。白人たちは、上海の西洋風の街路を通り、身震いをする。まるで、ジャングルを通るかのように。白人は、見た目、緊張し微笑も見せない、強奪者だ。
ハイエナ。ハイエナの両の瞳は、殺戮と暴力に満ちている。何時も急いで駈けている。階段を駆け上がり、戸々を叩き、身を屈め、数字を書く。電話をし、電報を打つ。ビジネスと言うものをする。それは正しく狼。夜が来ると、その狼は、豚になる。発情して獣のように貪欲。犯す。何故、狼たちは犯すのか? 狼たちはこの世の終わりだと考えているからだ。
その狼の周囲を取り囲み、中国の巨大な壁が聳えている。その壁は、縄の環のように、締め付けに締め付ける。数え切れない程の、小さな切れ上がったそして燃え上がる眼がある。その目は、白人たちを凝視し、待ち構えている。何も起こらない。遅かれ早かれ、驚くべき瞬間は来るだろう。そのような白人をもそのような黄人をも同じように嫌う正義の裁定者、公平無私な精神は、腹を空かせた鴉のように、もどかしく思いながら、最上の瞬間が遣って来て腐った私たちの「兄弟」と私たち自身を地上から一掃するのを待つ他はない。
8. 汽船での最後の数日
修道院のような、汽船のような、隔離され閉じられた場所での生活は、もし大きな情熱に捉えられてないとしたら、本当に耐えられないものになり勝ちだ。あるいは、もし、私が昨日上海で見た盲人のように、どんな情欲も超越して、最高の平穏に到達していないのであれば、耐えられないだろう。盲人は、汚い中国式カフェの、何もかもがうるさく、誰もが怒鳴り合うか、細かなことに文句を付けるか、値切っている中に、座っていた。襤褸を纏い裸足で後頭部の平たいの盲人は、一人で座っていた。盲人の顔は、恍惚として輝いていた。恰も、目には見えない最高に澄み切った春の息吹が、彼を高く連れ去ったかの様だった。人は、熱烈な情熱がなければ、あるいは、欲望をすべて克服しているのでなければ、閉ざされた場所に禁足されれば、絶望的になるものだ。
ここ、汽船の中では、私は、同じ旅の道連れの人たちを見ている。時には、優しさが私を捉え、時には、私の目は厳しくなり、人を求めなくなる。男たちが女たちを、女たちがお男たちを挨拶して回り、品物を交換した。女たちが皆、化粧室に入って内緒話をした後、そこを空にした。そして遂に、休暇は汽船の綱に吊り上げらてしまっている。ズボン、ワイシャツ、ガウン、それら人の洗濯物のようにぶら下がっている。その洗濯物を、海風が、はためかしては膨らませている。
イギリス人たちは、少しでもゴルフをすることに固執する。しかし、退屈している。突然に、一人が立ち上がる。金歯を入れた口を大きく開いて、意味不明の獣のような声を吐き出す。男はそれで気が晴れる。日本人たちは、英語の新聞を全部読んでは、また読み返す。そして、黙坐に堪忍と、あらゆる仏教のポーズをとっていたが、結局は、退屈の相、欠伸の格好をする。甲板に、ワニのように並んで寝そべり、カタカタとリズミカルに下あごを開いている。
サロンでは、シンガポールから一緒になったアメリカの踊り子、所謂ガールが、練習をしている。突然、心中で、退屈が彼女を鞭打ったかのように、飛び上がる。ガールの髪は亜麻糸の様に薄い色。睫毛のない瞳は漱いだように瑞々しい。塗られた爪からは血が滴っている。 見た目、猛禽類の爪。多くの旅をし多くを知る踊り子の足が上がり、下がり、何かの意味になる。飛び上がり、高い声を発する。リハーサルをしているのだ。けれど、誰も踊り子に注意を払わない。私たちは、この踊り子の曲がった足や太い膝を見るのには、もう飽きているのだ。今朝は、赤と緑の条の入ったパンタロンを履いている。ハーモニカを持ってベンチに腰掛けている。鳴らし始めた。おそらく、バラライカ。だが、誰も聞いていない。踊り子は、ハーモニカを吹き、声を挙げる。赤と緑のパンタロンは誰もいない所で煌めく。私は憐れに思う。何か言葉を掛けに近付こうとするが、億劫になる。再び、私はダンテの同伴者の端くれとなって、地獄へ下って行く。
あの陰気なフィレンツェ人が、ハーデスの底に自分を置いた故に失ったものは、退屈なのだ。顎を開けての欠伸を失ったのだ。何故なら、不屈の亡命者は、情熱に溢れており、憎み、愛し、切望するもので、止むことのない無慈悲な衝動に駆られているので、退屈など知らないのだ。それが地獄の実体なのだ。本当の悪魔は、退屈に我慢がならない質なのだ。
私たちは、覚えられるだけの日本語を教わった。アリガトーは、有り難う。オハーィヨは、お早う。コムバーウァは、今晩は。ニポーン・パンザァイは、日本よ永遠に。タイョーは、太陽。ツキーは、月。しかし、それらの言葉全部でも、気休めにはならない。
舳先に繋がれた一匹の犬が、誰もいない海を見詰て、悲しげに吠える。それが聞こえると、私たちは身震いがする。まるで、人間の声のよう。まるで、私たちの声のようだ。退屈で居ると、人間と動物は一つになる。私の道連れの人たちが次第次第に人間的な物言いを忘れていると、私はもう気付き始めていた。 誰も彼もが、生物系統の原型へ家系のトーテムへと戻る。ある者は豚に、ある者は鸚鵡に、ある者は驢馬に。女たちは、狐に、牝馬に、雌豚に戻る。汽船は地獄の怪物に似ている。その怪物は、私たちを自分の背中に載せて運んでいるのだ。怪物は、夜にはその瞳全体が緑か赤になり、鉄の内臓を唸らせる。昼には、一纏めの人間の言葉を取り出して、喋る。そして、何処かの港に着くと、私たちを見つけようと陸から呼び寄せるために、笑いながら口笛を吹き始める。
中国の海は、猛り狂っていて、上昇し下降する。一日中、海は黄色く濁っていて、海水から取り込んでいる熱い浴槽の湯は、まるっきり泥水だ。私は、これ程に反感を持ち敵意に満ちている海域を見たことがない。憎しみの波は、数に限りがない。黙して暗い憎しみが沸き立ち、それはどれも執拗だ。それらが船を打つ。船は、呻吟し軋んで、再び船首を立てて進む。だが、泡立つ憎しみを伴った、寡黙な黄色い新手の波がそそり立ち、打ち付けて来る。その時、人は、助けはなく一日経てば船は海の藻屑になる、と感じるだろう。
ところが、日本人たちは、蓄音機を持込んでいた。白人の女性たちが黄色の男たちと踊る。乱暴なアメリカの音楽、それは、野蛮な魅力に溢れ夢中にさせる音楽だ。黄色の男たちは、すでに、白人の女たちを抱いて去って行った、と人は思うだろう。私は、小さなカップの熱いサケ、米から出来る蒸留酒を飲んだ。パイプに火を点け、そして、踊っている幾組かの二色のカップルを眺めていた。蓄音機の中から、モダンなムスメが月に向けて歌う。彼女の声は、甲高く金属的で呪文のように一本調子だ。「私は顔を薄赤く塗るの、ラララ、桜色に ― 月はお空に上がるの ― 月のお顔は白粉をつけてるの ― ラララ、うっすら白粉がついてるの… 」
私は、ずっと独りで、パイプを吹かしていた。幸福だった。「幸福。私たちは、それを、極々僅かな瞳が見ることの出来る、日々の奇跡、一期の偶然の邂逅の中に思いめぐらす。幸福よ、人々はお前に、余りに高すぎるもの、そうでなければ、余りに低すぎるものを求める。だが、幸福よ、お前は、私たちが歩んでいる土地に歩み入り、小柄な女性のように私たちの側に立っている。そして、私たちの心に直と付いているのだ!」
水平線のずっと奥に、私たちは、うっすらとした日本の山々を見出した。一ヶ月の旅を経て、やっと目的地に着いた。全員の心は浮き立った。血は再び活き活きとし、人々の顔は魂の入った人間的な表情を取り戻した。
一緒に旅をした日本人たちは破顔した。冗談を言い始めた。一つの笑い話しが他の話しを持って来て、神秘的な黄色の魂の新しい面を、私の目前で、晒して大笑した。私にとって、笑いは、常に、最も分かりやすく顕示された最も偉大な神の一つなのだ。他のどのギリシャの部族よりも厳しい悲劇的な人生を送った、がさつで口数の少ないスパルタ人が、笑いを祭壇に高く掲げたと言うことを、私はよく知っている。唯一、湧き上がる澄み切った笑いだけが、人生の恐怖を取り除き生きていけるように出来るのだ。無論、笑いが恐怖を打ち負かすのではないのだけれど( 恐怖は決して負けることはないのだから )。悲劇は、同時に喜劇が発生しなければ、発生しない。( 悲劇は人間には耐え切れないのだろう。 ) 悲劇と喜劇は双子の姉妹だ。人生の悲劇的側面を知った者だけが、笑いの解放させる力を知っている。
日本の国民、厳格で慎重に喋る国民、彼ら程に責任に対して自覚的な国民は他にないのだが、その日本の国民も、笑いを正に知っていて、それ故に、責任の悲劇性をよく自覚しているのだ。日本人の胸中の笑いの水脈はとても豊かで、儒教と仏教による何世紀にも亘る精進も、その笑いを枯渇することは出来ないのだ。幾つもの日本の御伽噺は、村から村へと、長い冬の夜の間、今でも幸福を撒いている。低い木の家々は、日本の笑いで揺さぶられている。そして今、その日本の笑いで甲板が揺さぶられている。水平線の向こうでは、厳格な母、日本が寡黙のままでいる。その子供たちは、笑いながら母を迎え入れるのだ。誰もが、恰も厳格な胸中から溢れ出す跳ね上がる喜びに同調する者でありたいと思うかの様に、自分の思い出の中から冗談や小話を選び出す。それ故、全員が一致して、裏話が笑いの原因であるかの様にして、笑いが吹き出すのにまかせている。
日本は、それは今空と海の向こうにあるけれど、始終、鮮明に際立って見え、微笑みかけ、陽光に輝いている。それ故、日本人たちが泡立つようにふつふつと笑っているこの瞬間、私に、日本は笑いの中から現れる東洋のアフロディーテであると言う、印象を与える。
9. サクウラと大砲
私たちはやっと、日本の臭い立つ港に入った。世界の最も美しい海の一つの、日本の地中海が私たちの目前に開かれて、春の陽光の中で微笑んだ。言葉にならない魅力に満ちた、狭く深くない、陽気な海だ。小さいのや大きいのやの九百四十もの島々が、一方の端からもう一方の端まで散らばっている。木で出来た低い小さな家々の漁村、それらが雨で黒ずんでいる。機織りの杼の様に細長い小舟。尖った笠を被っている漁師たち。真っ白な砂浜。海に根を浸している濃い緑の松の木立。真青のギリシャは遠い。 ― その瞬間、私は戦慄を覚える。まるで、故郷に帰ったかの様な思いがして。
汽船は、朝の青緑の光の中に、粛々と滑り込む。腹を空かせた鴎たちが起こしにかかる。脚をぶら下げた一羽の鸛が私たちの頭上を通り過ぎる。その瞬間、鸛の純白の羽毛の腹が輝く。私は、掌に柔らかさと暑さを感じた。
瞬間毎に、幻影の相貌が変わる。緑の穏やかな小島の時があり、切り立った配意色の御影石の時がある。深い蒼の洞窟。その他にももっとある。僅かに傾いた屋根の赤い門がある神道の神殿が、花盛りの木立の中にある。至る所に死火山。ここで、凄まじい地質学上の転倒が起こったのだ。陸地が裂け、幾つもの波が押し寄せた。そして、九百四十の頂きが洪水の中に残った。溶岩は冷え、草々が覆い広がり、そこに、人間の夫婦が来て、草木の中に潜り込んだのだ。
今私たちが通っているこの海が、日本人の魂の紺碧の揺籃なのだ。海の男たちはここで生まれ、その細身の身体を日に灼かれた。そして、一尺また一尺と苦労して、日本を手に入れた。そして、アイヌを北の海辺の向こうに追いやったのだ。ここから、半ば商人で半ば海賊である、大胆な海の戦士たちが旅立ち、多くの中国の港を略奪したのだ。彼らが故国に帰る時には、船倉にそして心中に多くの中国の品々を入れて運んだ。絹、美術品、神々、思想などを。
私たちの船は、この日本のエーゲ海を、静かに心地よく裂いて行く。私たちの側を過ぎる小舟は、時化に会った様に上下に揺れた。太陽はもう高く空に掛かっていて、海岸は光に埋没している。白い手袋の船室係が通って行く、彼は、私たちにその日の無線電報の知らせを配る。私は、もどかしく思いながらそれを受け取る。まるで、地球が病気であるかのように心配して。毎日、私は、その知らせの中で、地球の微熱を観察するのだ。「東京発。― 気象台は、今年は、早過ぎる温かさの為、桜はとても早く三月の終わりには開花するだろう、と発表した。」 直ぐ下の欄では、次のような乗客への告知があった。「当船は、戦闘地帯に入ります。乗客の皆さんには、写真撮影は、固く禁止されています。」
浪漫派の者は、花盛りの桜の素晴らしい景観を大砲に穢されるのを見て憤慨するだろう。また、現実派の者は、軽蔑の感を見せて唇をへし曲げるだろう。人は、多いに現実的な日本人たちが恥を忍んでまでも桜の花に関心を寄せ、電信まで送る、と言うことに当惑するだろうと私は思う。私は大きな喜びを感じた。そして、もう一度、この極端な対比を私自身の中で調和させようとした。それは、偶然同時に起こったことに意味を付与することなのだ。私はポーランドのヴァイオリニストの方に振り返った。彼は怒りに燃え上がっていた。私は彼に笑いながらこう言った。「何て幸運なのでしょう! 花盛りの桜が見られますよ、同時に、ちょっとした戦慄も感じられるでしょうね。桜の花の後ろには、何台かの連砲が隠れているのですね。それに、塹壕があり弾薬がありガソリンがあるのです!」
だが、ポーランド人は飛び上がった。
「それでは、このように見事なサクラ・花盛りの桜樹全体が、仮面に過ぎないと言うのですか? 日本人たちが大砲を偽装するのに利用するだけだと?」
「君は分からないのですか? 生命そのものが、死の偽装であるかもしれないのではないですか? 仮面だけを見る者にどうか憐れみを。完璧な看取と言うのは、電光の閃く一瞬に、最上の愁眉な仮面とその後ろの身の毛も弥立つ顔を見ることなのです。貴方自身の中で調和させるのです、自然の中の未知の新しい組み合わせを作り出すのです。そして、生と死が恰も二重奏のフルートであるかのように、巧みに演奏するのです。」
可哀想なポーランド人は金髪の頭を振った。理解が出来なかった。私はと言えば、危険な戦闘地帯の魅惑的な海岸を見詰めながら、心の中で、熟考し、そして、日本の困難さ、目一杯に負わされた責任、その運命を見極めようと煩悶し続けた。大量の金があるシンパゴ、もはや、そのような不思議の国ではない。また、花盛りの桜と繊細な乙女の国でもない。扉を開いて茶瓶を洗っている、日本人の心は、雪深い季節の美しさに捉われている。「すべてが雪に覆われている。ああ、茶瓶を洗わなくては!」
牧歌は過ぎ去った。日本の扉々は開かれ、ありとあらゆる西洋の風が中に躍り込み、渦を巻いている。 ― 幾つもの工場、資本主義、プロレタリアート、過剰人口、不信、…、等々。複雑な機構は勢いを増し、それを駆動させた手は、もはや止めることは出来ない。人間が創り上げた悪魔たちであるが、それは人間よりも優れていて力強い。その現代の悪魔たちが解き放たれたのだ。日本は踊りの輪に入った。踊りたくとも踊りたくなくとも、踊るのだ。ただ踊りの輪に加わっただけではない。踊りの輪の前面に、一番突端に出たのだ。世界の踊りは、日本の踊りが齎すリズム次第になりかねない。
現代の強い不安の中心は地中海にはもうないのだから。地中海の内海は、鄙びた港になっている。世界は拡がって行く。今、私たちの地中海で起こっていることはすべて、単に、内輪の噂話に過ぎない。世界の中心は、太平洋に移っている。ここで、私たちの文明を飲み込む途方もない獰悪さが出現するだろう。甚だしく利害が相反する四つの地域が、ここ大西洋で渦巻いているのだから。四つの大きな国がそれぞれ互いに互いを立ち塞いでいる。中国、ソビエト・ロシア、アメリカ、日本の四カ国が。ここ太平洋で、グレート・ゲームが興じられるだろう。来るべき戦争である。敗者には、悲惨な。また、勝者にも同様に憐れなことになる、未来の戦争。
中国、その混沌。無尽蔵の人間が湧き出す泉。黄色の蟻塚。その無尽の蟻が住む塚は、河の濡れた土から成る泥土。それが隆起し倒壊し、また隆起する。ほんの数年前、三千万の人を河は溺死させた。中華は、それを分かってはない。九ヶ月間で、三千から四千万人が、再び、泥濘から登り上がって来たのだから。
ソビエト・ロシア、それは世界に新しい考えを齎した。全ての新しい思想がそうであるように、ソビエト・ロシアも、全世界を手中にしたいと望んでいる。全ての人々を、彼らの旗、血と夜明けの輝きの色である赤の色の旗、その赤の旗の下に呼び寄せる。旗の槌と鎌が象徴する意味は、二重になっている。槌は、上流階級を破壊し、そして、建設する。鎌は、一度と言うことなく何度も、実の入っていない穂を首から刈り取る。槌と鎌の、否定的な面と肯定的な面の二つの使命は、遂行されなければならない。さもないと、その成果は、不全で実りの無いままになるだろう。
アメリカ、機械そして量そして速度それに記録への崇拝の国。あの国での歳月は、始終、金に帰着する。その精神は、物質への奉仕へと箍を嵌められている。アメリカは、物質の支配者だと考えている。初めはそうだった。だが、今や、物質の奴隷となっている。ヨーロッパが始めた全てのもの、それを、アメリカが延長し、とどのつまりにまで至った。そこには、自己破壊がある。巨人症、量への崇拝のことだけれど、その病いは、どの時代にあっても、衰亡の最も特徴的な症状の一つなのだ。これまで常に、例えば、巨大な国家、過大な劇場、市場、宮廷と言う、尋常でない量と恐ろしいばかりの大きさによって、幾つもの文明が圧し潰されて来た。
最後の日本、太平洋の第四の人魚、謎に満ちた瀕死の国。この国は、大きく相反するものを混ぜようと、そして、よりよい組成を創り出そうと奮闘している。激しさと抑制を混ぜると言うこと、日本の東洋の女性的な魂と機械的な西洋の文明の物質的武装を混ぜると言うことは、周囲を隙間なく締め付ける撥条のようだ。日本の旧時代の騎士、サムライは、絹のキモノの上に重い鉄の鎧を着ていた。優雅で強靭、繊細で冷酷な国、そのような日本が、生き残ろうと藻掻いている。
そのような組成を創り出せるのだろうか? あるいは、古来の日本の魂を失い、桜のすべてを引き抜いてしまいこの魅力的な国は機会の奴隷になってしまうのだろうか? 恐ろしい問いだ。この時代が与える答えに、アジアの命運が、延いては世界の命運が懸かっている。日本は、この瞬間、非常に危険な分岐点の前に居る。一つの道。それは、徹頭徹尾、西洋文明に従い機械への崇拝を強め、古来からの本来の精神を否定する、と言う道。もう一つの道。それは、本来の精神、伝統、習慣、神々を保持すると言うこと、そして、日本の身体は、世界を退廃的に理解すると言う極めて現代的な精神、唯物的な精神よりも勝っているのだから、西洋文明は、より良い生活が期待出来る手段として、その神秘的な身体に着ける現実主義的な武装だけに止める、と言う道。
機械への服従は義務となっている。まず、物質の競争を終わらさない限り、私たちは、精神に手を伸ばすことは出来ない。
日本のみと言うのではなく、全人類が、生き残りたいのであれば勝ち抜かなければならない、現代の大規模な競争とは、次のようなものだ。物質的勝利者の内のより新しくより強靭化された者に、肉体を与えよ。それがより強靭化された精神であろうから。多くの者は、ヨーロッパとアメリカはこの競争を為果せることが出来ないだろうと絶望している。それでは、日本はどうなのだろう?
その恐ろしい問いを抱えて、私は、太平洋の王国の花咲く土地へと踏み降りた。
10. コベ
私たちが神戸に入ったのは、朝だった。爽やかな春の雲が空を覆っていた。風は湿っていて、石炭の臭いがした。棟の低い木製の家々。そのどれにも揃って、脇に高く天に聳える巨大な日本語の看板と旗。波止場の何処からでも、真直ぐに、山の麓と煙を吐いている非常に高い煙突に至る。
二つの声が私の中にある。「嗚呼、何て醜い、春の風は何れ程に煙で汚されているのか、西洋文明の癩病が、芸者の国の清明な微笑みを湛えた顔を何処まで覆っているのだろうか? もはや、この世界には、もう一本の花咲く枝も残ってないのだろう。神聖な鳥が止まって囀る枝、それは人間の心であるのに!」
もう一つの声、冷酷で嘲笑的な声。「泣き虫は放っておけ。不可避の事と格闘などして笑い者になるな。自分の目前に現実に居る若者、その寸分も狂わず真直ぐな線、美しさを見出すように努めろ。この奴隷化された世界で自由でいたいのなら、自分の望みを排泄するんだ。」
霧雨が降り始めた。空は陰った。汽船は、藁で出来た雨除けのマントを着た日本人の作業員で一杯になった。作業員はもの静かに口もきかず作業をした。無駄な動きを何もする事なく、品物を素早く陸揚げした。 背が低く、力強く、日に灼けていて、明るい目をして、機敏に動く男たち。「この速さでは、この黄色の苦力たちは、パリもロンドンもニューヨークも、一日で空にしてしまうのではないだろうかと、それを誰かが知っているのではないかと、思いを巡らせた。」
私は、大急ぎでアメリカ風の通りを後にして、脇道に逸れた。ほっとした。しっとりとした紙の提灯が、ここでは、それぞれの店に掲げられている。異界の様な燈火だ。その多様な色の下で、人間の面は、どれも微笑んでいて、輝いている。 小径は、様々な品物で過度に飾り立てられていた。小さな玩具、果物、着物、下駄、菓子、茹で卵、メロンの類い、落花生、等々。道の端に、一本の花を着けた樹があり、その後ろに、とても小さな木造りの、相当に古い寺院があった。寺院の前では、細い棒状の香が焚かれていた。大きな石が一体、直立していた。それには、深々と文字が刻まれていた。「嗚呼、此処に、忠臣楠が眠る!」
その時、雨が強く降り出した。暫く、花を咲かせた樹の下に佇んだ。物乞いの女が居た。背中に、粗い布の羽織で双子を括り付けていて、三人は、固く一体化しており、惨めに擦切れた三位一体の像となっていた。女は祭壇の前に立ち、片手を差し伸べて来た。もう一方の手で、破れた傘を持ち、赤ん坊を庇っていた。
私も手を差し伸ばし、女の枯れた掌に一枚の小さな硬貨を置いた。
物乞いの女は微笑んだ。
「アメリカ人?」と女は私に尋ねた。
「いや、キリヒア人だ。( ギリシャ )」
女は切れ長の小さな目を見開いて、私を見詰めた。「キリヒア?」、そのような所がこの世界にあるのを、女は初めて聞いたのだ。
大きな赤い提灯の灯の下で、私も、女を見詰めた。提灯は、矮小な寺院の門に懸かっていた。女の顔を、私は、仔細に見詰めた。口の周りに悲しみによって刻まれた皺、飛び出していて虫が喰っている歯。ああ、私が、日本語で「妹」と言う語を知っていたらよかったのに。そうすれば、その言葉で上手く女を慰められるだろうに。仏陀、女の信仰する神、女が慣れ親しんでいる言い方、それを知っていたなら。「金での施しは、七年の間は救える。だが、良い言葉と言うものは、七十七年間に亘って人間を救えるのだ。」
雨が強くなった。重い雨粒が落ちて来て赤い提灯を叩く。そして、墓の石の輪郭が煌めいた。物乞いの女は私の頭の方に傘を差し伸ばした。私は近寄った。破れた紙の屋根の下で、四人は押し詰められて、雨が止み、接して立たずによくなるのを待った。「忠臣楠公」の墓の前で、無言の静止した長い時間があった。二人の赤ん坊と、物乞いの女と、私は、満ち足りていて、濡れた土の匂いを吸った。
私たちは、夜明けに起きた。日本の町が目を覚ますのを見たくて待ち切れなかった。雨上がりの澄み渡った風。神聖なマヤ・サンが、その頂きに豪華な別荘を載せて、深い薔薇色に輝いていた。
店々はもう開いていた。日本人たちは、早く寝て早く起きる。太陽のリズムに従っている。長い時間をかけ大きな音を立てて、身体を洗う。嫌な匂いを強く放つ濃いスープを飲む。多種なピクルスと大きな容器の米を食べる。跪いた妻が夫に使えている。夫に、何種類かの木製の器に入れた食べ物を載せた盤を持って来る。着替えを手伝う。夫の為に靴を磨き上げて履かせる。夫の為に玄関を開き、無言で、深いお辞儀をして、礼をする。この地では、男性は女性の尊敬を受ける。それも、狡さや粗雑さのない尊敬だ。女性は、卑屈になることなく夫に服従する。恰も、神に傅く神官の様に、夫と共に寝る。
都市が目覚める。下駄が鳴るのが聞こえる。肩に長く太い竿を担いだたくさんの農村の売り子がやって来るのだ。竿の両の端には、野菜や果物の入った、見事に編まれた籠がぶら下がっている。大衆食堂が開く。頭にターバン様のものを被った料理人が、立って待っている。店を表す図柄がずっと輝いている。描かれた龍は目覚めていて、厚い木の標札の縺れた様な文字が、擦り抜けて出ていく。
小さな仏教寺院は、まだ、灯の点った紙の提灯を掲げている。何の飾りもない貧相な掘建て小屋が一棟。奥に木の仏像があるのみ。それに、入口の前に桶がひとつ。そこに、信者たちが小銭を投げる。私は立ち止まって、愛らしい導き者、仏陀を見る。その仏陀は、薄暗がりの中で、アーモンド型の目を細めて静かに微笑んでいる。その微笑みは、密やかで笑っているのかどうか分からない。その耳は大きくて、地上の虚しい物音を全て聞いている。苦力たちがその大きな桶に小銭を投げ入れる度に聞こえる音、店々や通り過ぎる女たちの音が聞こえる。そして、七オルギアの深さで世界を一日覆っていそうな、灰の様な静寂が聞こえる。ある瞬間、一人の信者が立ち上がって自分の手を三回叩く。まるで、神がそこに立ち現れて自分のことを聞いてくれる様にと、神を呼び寄せようとしているかの様だ。桶の底に小銭を投げて、手を組み合わせて、祈る。下部らが無事に過ごせます様に、仏陀が下部らに手を添えてお助け下さいます様に。 仏陀は、樹の影で企みがある様にほくそ笑んでいる。私は、仏陀と共に笑う。まるで、古代ローマで予言者が、人里離れた小径で別の予言者に出くわした時に笑う様に。…、私は漫ろ歩きをまた始めた。
幾つかのサイレンが工場で金切り声を挙げ始める。笑いさざめく急ぎ足の工員の一団が、私の前を通り過ぎる。工員たちは、貧相だけれど色彩豊かなキモノを着ている。彼らは、ほんの一瞬、振り向いて私を見詰める。そして、笑い始める。私は、工員たちに向けて楽しげに叫ぶ。
「オハアイオ、コザーイ、マアス!」 おはようございます、と。
すると、私の声にたくさんのとても涼しげな「オハイオ、コザーイ、マアス」が答える。
道端に即席の食堂が立てられ、金網を載せた火鉢が燃えている。八百屋たちは、フォルモザ ( 台湾 )からのバナナ、リンゴ、ナシを並べている。肩に太い竹を抱えた荷役人たちが通る。それを港に降ろす。友人同士が出会う。幾つもの挨拶が始まる。開いた掌を膝に当てて、長い時間、三度も深くお辞儀をする。そして、身を屈めたまま、お互いへ頭を振り向け合い、健康について尋ね、出会えた喜びを口にする。
日本人たちよりも礼儀正しい国民は世界にはない、と私は思う。礼儀の外面的な形式は、この地で、最上の様式に達している。有名な日本人の笑顔は、仮面であるだろう。この仮面が、ともに生活することをとても楽しくさせ、人の諸関係に、礼節と礼儀を添えているのだ。そして、仮面は、人々に従順である様に、抑制的である様に、全ての苦しみを自分自身だけで抱え込む様に、自分の困窮の所為で他人に迷惑をかけようとしない様に、と教えるのだ。そうして、次第次第に、仮面は、実在のものと変わり、顔になって行く。おそらくは、それらの顔は全て、同じ一つの形なのだ。
一人の日本のサムライ、カツ・カイシュウが、短い詩の中で人間の有り難い理想を表現している。
「他人に微笑みながら対すること。自分自身に厳格に対すること。困窮にあって勇敢であること。日常にあって明朗であること。喝采を受けて沈着であること。野次られて動揺せぬこと。」
太陽は、もう、路に溢れ返っていて、店々のショーウィンドウは輝いていた。ゲイシャたちはこの時間、キモノを脱いで眠りに就いている。夜の苦役は終わった。足は踊るのに疲れ、指は三本の弦の「シャミセン」を弾くのに疲れていた。 そうして、休むために着ているものを脱ぐのだ。「オビ」という幅の広いリボンが付いたバンドを解く。「オビ」は小さな鞍の様に女たちの背中に載っている。そして、匂いのするキモノを身体から取る。橙花油で顔を洗う。藺草で編んだ蓙の様なもの上に刺し子布団の様なものを拡げて、そこに倒れ込んだ。「シマダ」を壊さないように、項に小さな固い枕を、用心深く当てる。「シマダ」は、芸者の髪を高く込み入らせて編み上げたものだ。ゲイシャたちは、書き記された古い伝統に従って、キモノを着て髪を梳かす。「モガ/modern girls 」がするように、西洋の流行を追いはしない。自分たちの髪を切ったりはしないし、洋服や帽子を身に着けたりもしない。
「それは、ゲイシャたちの曲がった膝が見えないようにするため。「モガ」たちは、そう陰口をたたき、キャーキャーと笑う。ゲイシャたちの頭の頂辺の禿が見えないようにするため。」と言われる、おそらくそうなのだ。ゲイシャも、日本の仮面の一つなのだ。 おそらくは、それが、日本の最も甘美で最も蠱惑的な魅力の一つなのだ。乙女の子供らしい目をした、その仮面が、時に真剣な、時に微笑みを浮かべて、路を通って行く。それを人が見ると、その人の心は、涼感を覚える。挑発的で破廉恥な眼差しでふしだらな白人女を見るヴァゲスティソス達がなぜ…、
事務所が開く。黄色い手が、苛立たしげに電話を握り締める。― 綿、砂糖、鉄、絹、化学製品、汽船。コベが大きな関心を寄せている物が皆、目覚める。満員の市街電車が、鐘を鳴らしながら道々を切り裂いて行く。 微笑みを唇に変わることなく凝固させた、小さな可愛らしい車掌たちが、ステップに立ち、切符を集めて、単調に間延びした大きな金属的な声で乗客に別れの挨拶をしている。「アリガトー・コザーイ・マース! アリガトー・コザーイ・マース!」
路を歩いている男たち女たちが溢れかえる。それぞれの女は、背中に堅く包まれた一人の子供を抱えている。女たち、男たち、子供たちが、背中に赤ん坊を抱えている。人間カンガルーだ。人間カンガルーが歩き回り、歩道の石で木の履き物をうるさく鳴らす。タカ、タカ、タカ、タカ。それは、日本の路で聞こえる、最も大きな音だ。
この地に来て漫ろ歩きしながら、私は、自分の本分を果たす。有名な日本のユーモア作家、ソセーキ・ナツメーについて考える。素晴らしい風刺小説を書いた人物だ。『イーメイ・ガトス / 吾輩は猫である』。一匹の猫が人間から受けた日々の印象を物語ると言うもの。 ソセーキは、人生を逍遙する人、覚醒者、洗練された東洋人だ。近代の熱病の中にあって、精神的な平熱の平穏状態を保っていた。「人生は喜びに満ちている、と言われる。茶の味について話しなさい。自分の庭の花に水を遣りなさい。ひねもす絵や彫像を眺めなさい。あるいは、戯れなさい。それが人生の喜び。何故、そのような楽しみが文学の主題にならないのか? 例えば、一人の市民が市場に買い物に行く。そうすれば、きっと、ぶらぶらするだろう。子供が鼠を巡査に渡すのを見ようと、交番の前に立つだろう。 立ち止まって、勇猛果敢ぶる男が友人に治療を止めるのを盗み聞きするだろう。そして、ぶらりぶらりと進んで行って、買い物をする。見たり聞いたりしたければ、急いではいけない。急いでしまっては、何も見えないだろうし、何も聞こえないだろう。買い物に直行するだけだ。」
私も、日本のユーモア文学の言葉を思い浮かべて機嫌がいい。そうして、漫ろ歩きをする。コベの慌ただしい都市の中にあって、私は、何の心痛もない。ただ、大地を漫ろ歩きながら、見たり聞いたりするだけだから。それが、私の買い物だ。
1、 日々の務めを果たしながら、穏やかに生きる。
2、常に心を清らかに保つ。そして、心の声を聞いて行動する。
3、祖先を尊ぶ。
4、ミカドのお考えを自分のものとし、それを実行する。
これらが、日本人の精神を司る四つの大きな訓戒だ。日本人は、難解な形而上学的な諸問題には頓着しない。インド人と同様には、自らの人格を失うこと、宇宙の森羅万象の中に消滅して行くことを、受け容れていない。世界が何所から来て何処へ行くのか、それには無関心だ。宏大な精神的な眺望が、日本人には、目眩くようにそして不毛に見えているのだ。日本人は、自分の視線を、祖先の骨と灰で満たされた、先祖伝来の踏み固められた三和土、狭い土地と海だけに限定している。日本人にとって、人間の責務は、ただ多産であることで、それが何よりの責務なのだ。自らの民族の狭い輪の中で、働き行動するのが日本人だ。
日本:それは、日本人だけの宇宙。そこには、日本人が心地好く納まる。日本人の小さな身体、神経、跳ね上がろうとしている撥条の様な目に見えない振動、日本人全員の飽くことのない且つ抑制された精神、それらが、民族の領域の中にある。そして、自身の殻を打ち破り遥か彼方へと行ってしまう可能性を実現しようとしている。日本人は、自分の心に自信を持っている。その心は自分自身の個人のものではないからだ。個人と言うのは、偶々行き当たった束の間にしかない個別の肉体なのだ。しかし、日本人の心は、民族の全体のものなのだ。正しい道を見つけるためには、そして、行動を律するためには、日本人は、形而上の体系を必要としていない。間違えることのない自分の心の声、それはつまり民族の声、を聞くだけだ。そうして、行動を決めるのだ。その確実な、あるいは、ほぼ肉体的な行為は、単純な日本人の行動を迅速にそして確かなものにしている。
日本人は、働いている時にだけ、生きていると感じている。ナイチンゲールは、「始めに歌があった。」と囀る。日本人は、「始めに行動があった。」と言うのだ。凸凹の地面の上で活動することが、唯一の救済の道なのだ、と信じているのだ。自分の職業が何であろうとも、日本人は、どうすれば自分の民族の繁栄と救済に自分が資することになるのかを知っている。個人の利益と部族の利益は同一視されているのだ。
日本に復古をもたらしたメイジ大帝は、今はそれから二世代になるのだけれど、休暇の時に、歌を書く習慣があった。どの日本人も、大帝の三行の歌を祈禱の様に朗誦する。「運命が人にさせること、それが王であれ荷役であれ、終生をかけてそれを果たし終えるのだ。」
爪先を持ち上げた、一人の背の低い日本の工場経営者が、その人は蚊を殺す粉を製造している自分の工場をその日の午後の間中、私を工場内を連れ回したのだけれど、狂信的に自慢げに私に語って聞かせた。まるで、日本中が褒め称えていて、工場はどんどんと大きくなり、それだけ、儲かっている、とでも言う様だった。この男の仕事に対する勤勉さ、そして、仕事を運命と思うことは、どちらも、男個人の功名心や儲けよりも優先されていた。男は、日本と言う総体へ緊密にそして神聖に結合されているのだ。工場を建設した、物質を変質させた、と言う僅かばかりの自我の後ろに、西洋人は、この民族が楽々と徹夜をし働いているのを感じ取るだろう。また、その希薄な自我意識は、工場経営者の貪欲な欲望に、個人の欲求を越えたある種の神聖な崇高さを付帯させている。
私たちは、やっと工場見学を終えて、工場経営者と共にあるレストランに入って、夕食を摂った。私たちは、熱い湯でずぶ濡れの小さなナプキンを渡された。それで、埃だらけの自分たちの顔や手を拭った。それから、極めて小さいカップで、生温い「サケ」を飲み、食事をした。私は軽い疲労を覚え黙していた。どの工場も、ある点までは関心を引いた。もう、私には過ぎていて、関心が持てず疲れていた。私は、人間が物質を変化させ、人間に役立つようにさせるのを見るのが好きなのだ。 それ以外のこと、それらは確かに工場経営者や商人が関心を寄せるものだけれど、私の心の内奥の好奇心に何も応えるものではない。私は、それらを私の仕事には全く余分なものだと看做していて、それを知っても直ぐに忘れてしまおうとするようなものだ。
極めて狡賢い日本人は、私の精神的な不快に気が付いていたのだろうか? そのような巧妙な企みがあるようには、私には思えなかった。けれども、随分と沈黙があった後に、私たちが果物に手を着けた時に、日本人は、溜息を吐いて、次のように言った。
「本当は、これらの事どれもが私の心を満足はさせないのです。私たちは、一日が早く終わるようにと急いているのです。そして、慌てて事務所を出て家に帰るのです。風呂を使い、着替えます。着物を着るのです。そして、裸足で庭に降りるのです。草むしりをして、水を撒いて、花々が何れ程大きくなったかを見ます。縁側に座り、月の出を待つのです。私の妻は、「三味線」が弾けます。それで、三味線を弾きながら、馴染みの低い声で私に歌って聞かせてくれるのです。「愛し合いましょう、愛し合いましょう、ああ、山桜! 貴方以外に、私は誰も知らない。」」
彼は少しの間黙った。私はこの黄色い多面的な工場経営者を見詰めた。そして、男の頭脳の明晰さ、あるいは、不可思議な神託を心の内に得る能力に感嘆した。この男は、溜息を吐いてそのようなことを言うことが私を言い包める最善の方法だと、元から分かっていたのだろうか? しばらく黙った後、日本人の工場経営者は、微笑んで、小さなカップの「サケ」を口一杯に含んだ。そして、言った。
「今の私たちの時代には晶子と言う偉大な詩人が居ます。彼女が私のとても好きな俳諧を書いたのです。「人類が建てた家、何千年も経った今、私はそこに金の釘を打ちつける!」」
男は、半ば得意満面、半ば嘲笑の奇妙な笑い顔をして、続けた。
「私は、この句に少しばかり手を入れて、自分のものにしたのです。「人類が建てた家、何千年も経った今、私はそこに緑の蝋燭を灯し蚊を追い遣る!」」
劫初より つくりいとなむ殿堂に われも黄金の 釘ひとつ打つ
11. オオザカ
今日のとても早い朝、日本の古い歌が私の心を引き裂いた。早朝に、私は、列車から固くなった沼地を見たのだ。そこには、稲の小さな芽が芽吹き初めていた。「雨の日も晴れの日も、稲田の泥の中で、腰を屈め背を丸め、農民は一日中働く。主君よ、彼らの辛い労苦を熟考せよ!」
確かに、支配者たち、サムライとダイモーは、1868年その時には、農民が撒いた米を共に刈った。けれども、考えていたのは戦いのことだけだった。花の咲いた桜の枝を自分たちのブロンズの兜に刺して、戦いへ出掛けて行った。日本の再生の後、誇り高い戦士たちの運命は変わった。農民にもう課税しなかった。国から僅かばかりの恩給を受け取った。商売を始めようとしたが、無知で世間知らずで、失敗した。そして、政治や文学、新聞、教職に身を投じた。 支配者から、今では、必要に迫られて、自由主義者か社会主義社になっている。今日、日本の左翼のほとんどは、サムライの子か孫だ。しかしながら、農民は、不滅で動じない大地の人々は、運命を変えはしなかった。 農民は、未だに、雨の中で呻吟し、日照りの中で辛労し、米の泥濘の様な畑で身を屈めている。そして、夜には、農民の恨みの歌にあることそのままに、疲れ果てて眠りに就けば、また、働くことを夢に見るのだ。
列車は満員だ。日本人たちは、旅行するのに熱中している。遠方の寺院に参拝に行く。あるいは、春には満開の桜を見るために、秋の菊を、八月には蓮を見るために、また、五月の藤を見ようと、遠くから馳せ来るのだ。 彼らは、僅かだけの手荷物を一緒にもって行くだけだ。彼らが滞在する「リオカン」と言うホテルには、必要なものはすべてある。パジャマ、スリッパ、歯磨き用のブラシまである。それに、彼らの脇には、緑の茶が満杯の急須が無い時がない。
多くの男たちは、未だに、民族衣装でいる。ほとんどの女性もそうだ。寒くなると、風が身体に当たらない様にキモノをきつく巻き付ける。冬には、この衣裳は、甚だしく具合が悪い。両袖は広くて、風が入る。キモノは、開いたままで、足が剝き出しになる。女たちは、隠された美しい腿、あるいは隠している醜い腿が露わにならない様に、必死にそして優雅に努力をする。実際、昨日の夕方の風が吹く時に、私は、象牙で出来た様な膝が林檎の様に輝くのを見た。
日本民族は、とても暑い気候の地域に起源があって、遠い南のマレーシア諸島から遣って来たのに違いない。そうでなければ、日本の衣装も、家も食べ物も、説明が出来ない。日本の家は、鳥籠のよう。木製で、軽く、涼しげで、そして、壁の代わりに葦と屏風を使う。床面に筵。家の中には、常に、裸足で踏み入る。風が何処からでも入るのに、小さな火鉢で、身を切る様な日本の冬を凌ごうと虚しい努力をする。日本の伝統的な食べ物は、非常に暑い気候だけに合っている。米、野菜、魚がそれ。肉はほとんどなく、バターやラードは希少だ。おそらく、こうした食べ物と気候の為に、日本人は背が低く、病弱に見えるのだろう。新しい世代は、十分にたくさんの肉やバターを食べアングロサクソンの習慣に倣っていて、その肉体はもう変化している。前よりも背が高くなり逞しくなっている。
相席した人とお喋りをした。笑い顔のよく肥えてさっぱりとした中年の男性だった。私には、裕福で遊興に耽っている人に思えた。夜には、柔らかいクッションに座り、生温い「サケ」を飲みながら、コベのゲイシャが踊るのを眺めているのだろう。一晩の気晴しをして、結婚生活の単調さから逃れるのだろう。「日本の諺にあります、一番優しい女性と言うのは、自分の友人の妻で、その次は、芸者で、その次は、自分の家の女中で、その次が、自分の妻なのです。」
可笑しかった。男は、英語が少しわかった。商人で、コーベの避暑地に別荘を持っていて、オオザカにある自分の事務所に通っていると言うことだ。自負で顔を輝かせ、五十万の人間が住む彼の大都市について話した。
「大阪は、極東のマンチェスター、いやそれ以上、シカゴなのです。ご覧なさい、もう、大阪の煙突群が見えます、煙突の森です! 私たちは、全世界に綿製品を送り出しているのです。大阪には、六千七百の工場があるのです。大阪は、日本の経済的首都なのです!」
男はそう言って、瞳を輝かせた。人は、その肥って艶のある身体に抑え切れない活力が宿っているように感じるだろう。自分の生涯の中で、私は、幾度も、魂が漲ったよく肥えた身体の見事さに遭遇して来た。人は、男が精神を食べてしまい自分の四肢にそれ程大量の肉を詰らせているのだ、と思うだろう。
日本人は太い葉巻に火を点け、話しを続けた。
「私たちは働いています。一日中、電話、電報、伝票、荷積み、為替の発行をするのです。そして、夜になると、気晴しをするのです。これ程の数のキャバレーや人目を忍んだ楽しみ事をする料亭があり綺麗な芸者が居る都市は、日本には他にありません。大阪には、六千人の芸者が居るのです。」
その太っちょが話すのを聞くのを楽しんだ。私は、男の腕周りの太さを感嘆しながら眺めた。その二本の手は、稼ぐことも女を愛撫することもよく知っている。
「貴方は仏教徒ですか?」、男をからかおうと尋ねた。
男は笑った。刺す様に私を見詰めた。
男は言った。「もちろん、仕事が上手くいっている時には、時々、何処かの寺に立ち寄って、仏様の足元に小さな花を置きます。何も無駄にはしませんよ。」
「世界は五感の走馬灯のようなものです。瞼を開いて目覚めなさい。欲の網を取払うのです!」
「ええ、その言葉は知っています。」、遊び好きの商人は笑って答えた。「それは、仏陀の言った言葉ですね。仏陀の時代、熱帯の森の中の仏陀の民族に於いては、確かにそれが正しかったのでしょう。ですが、仏陀が現代に、それも、大阪に生きていたなら、きっと、私と同じでしょうよ。」
初めて見るかのように、私は、男の方を向いて見詰めた。以前に、私は、ある仏陀の木像を見たことがあった。それは、膨れ上がった大きな腹をしていて、顔全体にたっぷりの肉がついているその中の口から陽気な笑いを惜しみなく溢れさしていた。その笑いは、二重あごを伝い、三段腹まで降りて行っていた。そして、胯座にまで。また、何も着けてない柔らかいふっくらした脚の裏にまで…。 私を抜かりなく見極めようとするこの贅沢な商人。彼が、朝、風呂を使い、風呂から上がると、心地好い畳に、火照ったまま全裸で胡座をかいて座り、そこに、妻が何も言わないで緑のお茶を持って来る。なる程、その様子は確かに、慈悲深い仏陀が世界をシャボンのように見ているのと同じだ。茶、女、商い、それらは直ぐに壊れて、空中に消えてしまう…。
ある瞬間には、すっかりオオザカの太った商人であり、商人の仕事は上手く行く! 私は、何もかもが二律背反する不可思議な極めて東洋的な魂を見て感じた。
林立する煙突。大阪と言う煙に包まれた巨人の身体中を廻り血管の様に交差している甚大な数の運河。一千三百二十の橋がある。そして、荷を入れた袋、木箱、鉄、材木を載せた無数の艀が、黒く淀んで揺れている水を音もなく突っ切っている。黄色の人夫たち、剃り上げた頭に汚いタオルを締め付けた苦力。彼らの裸の身体に、煤と一緒になった汗が流れている。
美しさも優雅さもない、黒いベネティア。そこは、都市が生まれる初期の活発な熱気の状態にある。あの時間はまだ来てはいない。年を経た古色を帯びる、港をやや荒れさせて高層建築に蔦を登らせ、そして、美しさを感じ優雅さを愛でる蒼白な観光客が遣って来る、と言う時間。何世紀後には、その時間は必ず来るだろうけれど。現在、オオザカは、未だに野性的に貪欲に忙しなく生きている。漫ろ歩きをする者を黙認したりはしない。人は、ジャングルの虎を見るようにオオザカを見るだろう。その毛皮がどれほどに美しいか、その胴がどれほどにしなやかに躍動するかを、感嘆するのに十分な時間を人は持てない。今のオオザカは、野獣であり、噛み付くのだ。オオザカの道を散歩する用の無い者、詩人には悲しいことだけれど。
人は、忍耐と慎みを保持しなければならない。また、日が暮れるのを待たなければならない。そして、オオザカは夜の中に隠れてしまう。すると、運河の上に横たわり、一日の狩りで疲れた頭をやんわりと擡げて、欠伸をし、海から来る涼しい微風を吸う。その時間になると、虎は身体を休め食べたものを消化している。そして、ありとあらゆる灯りが点る。電飾の灯りが水のように落ちて来る。劇場に、映画館に、キャバレーに注がれる。閉じられていた扉が半開きにされ、涼しげで洗ったばかりの様な身体の女が、お辞儀をして出迎える。
オフィス街の通りは暗くなり人がいなくなる。夜の繁華街の狭い路地が色とりどりの絹のちょうちんで照らされて、人を呼び込んでいる。商人、工場の経営者、工員、人夫たちは、身体を洗い髪を梳き着物を着替えている。昼間は、緊張した獰猛な外観だったのが、その表情に人間性を取り戻している。虎は、満腹していて、運河の上で涼んでいる。穏やかな目を半分閉じている。
日本の夜、光沢のある紙のランプが灯され、道には女の下駄の音が聞こえ、春めいた微風が吹いて来て人の胸中のない奥に触れる。それで、ビザンティンの修道士が神の命令を与えられることを望んで「ἤπιον δάκρυ / 優しい涙」と呼んでいるものを保つのは難しくなる。
故郷から遠く離れ、私を夢中にさせる妖精のような可愛らしい人間たちの中に居る喜び。私はバーに入った。三人の小さなゲイシャが、派手で明るいキモノを着て、不動の穏やかな笑顔を浮かべて、黄色のランプの下に座っていた。ランプはハート型をしていた。煙草を吸い、待っていた。ゲイシャたちは、自分たちの笑いで手で口で、一日の疲れから男を楽にさせてやろうと待っている。私がバーに入るや否や、まるで私を待っていたとでも言う様に、立ち上がる。私の腰に手を回して導いて、クッションの上に座る。そして、パントマイムが始まる。私はほんの何語かの日本語を知っていた。心、桜の花、有り難う、太陽、月、いくら?、いいえ、はい、食事がおいしかった時に言う「ゴギソー・サマ」。この貧弱な言葉で、どうやって用を足せるだろうか? けれども、帰ろうと立ち上がった時には、これだけの言葉で間に合って十分だったことが分かった。
可愛らしいゲイシャ、―「ゴギソー・サマ!」― 、目を引くランプもいい。それらは、朝、魂の唇に一滴の苦い雫が落ちて、目を覚まされる様な感じだ。真っ当な道から逸れてしまったかの様で、隠す所なく最新の罪を暴露してしまったかの様だ。私たちは、一人前の男は薄められてない甘美さに耽溺することは出来ないししてはならないと言う時代に生きている。
キモノやランプの後ろから、怒りと絶望の声が聞こえて来る。絶望的な日当の為に歪められ、飢えて浮き足立った、無数の兵士からなる軍隊だ。それが非常に険しい目でこちらを見ている。私は、一昨日神戸で会った、自分の工場を自慢していた、抜け目のなさそうな工場経営者を思い出した。
私たちが倉庫に入ると、そこでは、身を屈めた女性や老女や少女の一団が、昼夜を通して十二時間、十四時間も働いていた。私は、工場経営者の方を向いて、尋ねた。
「毎日の日当はいかほどですか?」
私たちは工場長に話しを聞けなかった。工場長は話題を変えた。だが、私はそのままにしなかった。
「毎日の日当はいかほどですか?」
工場長は声を低くした。まるで、恥じる様に、そして、答えた。
「一円の半分 ( 15ドラクマ )。」
「幾らですって?」
「一円の半分…、」
ぞっとした。工場全体が血を浴びているかの様に、私には見えた。私は、最近発表された日本の女性労働者に関する医学上の公的な報告書を思い出した。
「繊維工場で働く80パーセントが女性である。昼夜を通して14時間から16時間を働いている。女性たちの健康はすぐにも損なわれている。働き出して最初の週には、体重が減っている。特に、徹夜の作業は、女性たち全員を酷く痛めつける。一年以上を耐えることの出来る者は一人もいない。死ぬ者もある。病気になって去って行く者もある。何千もの女性は、二度と家に帰ることはない。女性たちは、工場から工場へ回されるか、身を持ち崩して性的な地区へと移り住む。女性のほとんどが病気であり、その病気は結核…、」
私は、朝の光の中、オオザカが煙草を吸いキーキーと音を立てるのを見詰めた。それは、まるで腹を空かせて目を覚ました人喰い鬼女であるかのようだった。何世紀も過ぎれば、同じ様な都市、オオザカ、マンチェスター、シカゴ、ニュー・ヨークは、そのどれもが、遠い子孫たちに、人を喰う神話の怪物のように思い描かれるだろう。
驚くべきなのは、物質を征服する人間の力だ。だが、この工業による征服は、人間の精神の進歩と歩調を合わせてはいない。おそらく、一方は他方に敵対しているのだ。この二つが鋭く対立している中で、日本に残されている、取るべき唯一の道は、工業化であったのだ。この無理強いの道を採ると直ぐに、あらゆるものが当然の結果として遣って来る。搾取、不正、病気、物質的力の肥大、精神の教養の萎縮がそれだ。結局は、最終的な帰結の時が来て、赤い花が落ちる。社会的な蹶起だ。
その日一日中、私は、工場を回った。ブーンと言う音が私の耳を一杯にした。黙って働く蒼白な少女たちと機械が私の目を占めた。私の手帳を数字が満たした。一日中、質問し、書き留めて、また書いた。その答えが役に立たないことは、私には分かっていた。数字は、夢の様に融通無碍なのだ。目端が利く利口者は、数字を無数の組み合わせに置いて、望むままの結論を出すことが出来るのだから。私が日本の女工だったなら、鑿を取って、自分の髪に差す白い櫛に太い黒い文字で悲しい「ハイカイ」を刻むだろう。「そう、数字は言う。私たちは幸せだと。でも、私は日毎に青ざめて行く。今日には、咳が出始めた。」
「女工一人の給金は、一日五十銭だと仰いましたが、女たちは、その極貧の賃金でどうやって暮らして行けるのですか?」
私たちは、ある工場の事務所に座り、自分が監督する地獄を全て案内して来た、抜け目のない工場経営者とお茶を飲んだ。工場経営者は煙草に火を点け、慌てることもなく、落ち着いていて、勝利を確信していて、蜜を塗った様な声で話し始めた。
「すべてのヨーロッパ人と同様に、ご自分たちを条件を変えて見て下さい。そうして、早急な結論を出して下さい。もし、正しい判断をなさりたいのでしたら、日本の諸問題をご考慮にお入れになるべきです。イギリスの労働者一人は、一週間に2イギリスポンドを得ます。そのお金では、とても遣り繰りは出来ません。生活は、とても費用がかさみます。でも、イギリス人はそれに慣れているのです。服、靴、家、家具、食事、何もかもが高額です。食事を取り上げて、比較してみて下さい。イギリス人は、肉やバター、牛乳や缶詰を食べる習慣があります。他の生活の仕方はないようです。ですが、日本人は、その性質の為、それに、伝統の為に、質素なのです。野菜、魚、米を食べるのです。それで、満足しているのです。日本での生活は、ヨーロッパやアメリカでの生活に較べて、比べ物にならない程安いのです。貴方は、一円の購買力が何れ程かご存知ですか? 通りすがりの者としてホテルに住んでいて、それが分かる様にご自分で買い物をなさらないのです。さて、一円で買えるものです。一キロの米。一箱の鰯缶。50グラムの魚。三個の卵。五本のバナナ。ですから、私たちが与える給金では、イギリスの労働者は飢えて死ぬでしょう。が、日本の労働者は、幸福に暮らすのです。」
「それに、私たちの家がどれだけ簡素かをご存知ですか。藁で覆われた壁。僅かだけ、一間だけの畳。家具もなく、余分な小物もなく、神聖な程に洗練された何もなさなのです。ですから、少しだけの給金を与えて、私たちは、二つの目覚ましい成果を達成したのです。労働者の簡素な必要を満たして、同時に、工業製品をとても安価にすることに成功しているのです。」
「何か考えておられるのですか?」と工場経営者は、黙っている私を見つめながら聞いた。
「危険について考えています。私は大変な危険があるのに気がついているのです。貴方の国全体が市場を閉鎖してしまったら、どうなるのですか?」
「私たちに対してすべての扉が閉まると言うのは起こり難いことです。常に、最も大きな扉、中国が開いたままであることに期待しているのです。中国は私たちにとって十分なのです。五千万人の顧客…。確かに、この困難な時代が到来するまで、私たちは、このような時は決して来ることはないかの様に、働いていました。貴方は、ご自分が、二種類の働く人間のうちのどちらかだか、お分かりですか。こう言う二種類です。「私はまるで不死であるかの様に働く。」と言う人間。「私は今にも死にそうである様に働く。」と言う人間です。私たちは、最初の人間のシステムに従っているのです。」
「それから、忘れないで下さい。日本の労働者は、機械に夢中なのです。機械であればなんでも、日本の労働者を惹き付けて魅了するのです。白人に遅れを取らないよう、追い抜くように、やる気を刺激するのです。信念を持って働いているのです。個々人の意欲でしょうか? 愛国心でしょうか? 受け容れたばかりの者の持つ熱狂でしょうか? お好きな様に言って下さい。兎も角、信念を持って働いているのです。十二時間、十四時間も疲れることもなく働いて…、」
「そうして、貴方は利益を得る…、」
工場経営者は笑い出した。
「いったい、貴方は、私たちにどうして欲しいのですか? 私たちが労働者の熱狂にブレーキを掛けることですか。私たちが労働者を利用して儲けている。私たちは工場経営者で貿易商です。修行僧でも慈善家でもありません。それぞれの階層には、個別の決まりがあります。嗚呼、貴方がそれを破ったり、他の階層の決まりで変えたりするのであれば、悲惨なことになります。虎に草を与えたら、死んでしまうでしょう。羊に肉を与えたら、死んでしまいます…。」
「しかし、全人類の法、すべての階級に亘る法もありますが…、」
「当然、私たちもそれを守っています。労働者たちを注意して見ていますよ。よく眠るように、身体をきれいにするように、健康になるように運動するように、気をつけているのです。」
「…、それで、労働者たちが最高の仕事をするように、一層に利益が出るようにですね、…」
太い首は、また、笑った。
「当然です!つまり、私たちは、労働者のやる気と利益を組み合わせているのです。これ以上に完璧な組み合わせがありますか?」
もし、私が裕福な日本の工場経営者だったなら、細い彫刻刀を取って、絹紙に赤い文字で次のハイカイを書くだろう。「最高の智慧の果実は如何に? パイを丸ごと抱えるのだ。 満腹の犬のことを考えるんだ。お前の手を舐める犬をだ。」
工場からやっと出ると、私は、きれいな空気を吸った。そして、振り返って、日本の友人に言った。
「オオザカには、目を休ませる彫像や中世の城、あるいは、花の咲いた庭はないのですか? 私の魂は、猛り狂い始めているんですよ。」
「機械や数字が、疲れさせましたか?」
「機械と数字に対する人間の信仰が私を疲れさせたのです。世界のアメリカ化は、大変に悲しいことの一つで、文明の工業化が滅びる前に通ることになっている避け難い段階の一つだと言うことは、分かっていることなのですけれど。自動車が人々を押え込んでいるのです!」
「それは違いますよ。少しばかりの忍耐と大きな愛があれば、あなたが彫像や城や花の咲く庭に見るのと同じ喜びと安堵感を持って、私たちに話し掛ける「ロボット」に気が付く筈ですよ。それに、その機械人間は、あなたが愛しておられる芸術作品と同様に、絶え間の無い競い合いの悲劇的な痛々しい結果なのです。」
「ええ。人間の歴史は常に何れ程に悲劇的なのかは、分かっています。ですが、屢々、それを忘れたいと思うものです。そうでなければ、どうやって笑えることが出来るでしょうか? そして、もし笑わなければ、どうやって人生の出来事に耐えられるでしょうか?」
私たちは話しながら歩いていたのだけれど、突然、荒れ果てた城が見えた。川に取り囲まれていて、頑丈に造られた突堤の上にあった。このような人工的な建造物が厳しい厳格さを帯びながら力と不屈を表しているのを、私はほとんど見たことがなかった。七層の屋根は、撥条の様に抑えられているけれど、上に向かって荒々しく突き上げていた。それはまるで、大火に巻き上っているかのようだ。ここには、パルテノンの力学的に均整の取れた直線はない。解き放たれ空に消えて行くゴシック建築の先端もない。それは、先端を上げた三角波の線だ。飛び出すために破裂しようとする意志、均整を壊し、しかし、解き放たれようとはしない力があるのだ。 それは、飛び掛かろうと身体を丸めた虎が身震いしているその瞬間だ。
私は叫んだ。「偉大な魂を収める鞘だ! 誰が造ったのですか?」
「確かに、偉大な魂、日本の傑物ナポレオン、ヒンデギョヒの魂を収める鞘です。」
「ヒンデギョヒの? 」と、私は、恥ずかしさで赤くなりながら尋ねた。その名前を聞くのは初めてだった。
「私たちの歴史の最も偉大な武人です。背が低く、色黒で、奇怪な程醜怪で、「猿面冠者」と言われています。猴王のことです。1536年に、卑しい村の家に生まれました。彼の活力は、肉体的にも精神的にも信じられないものです。猛烈に好色で、無茶苦茶な乱痴気騒ぎの夜々を過ごしたのです。同時にまた、俊敏で冷静な精神と戦争の天才を持っていて、高麗と唐を征服し無際限の帝国を打ち建てようと言う途方もない野望を持っていたのです。「余が、唐、日本、高麗を一国にしてみせよう。一枚の敷物にし、それを巻いて余の袖に簡単に入れられる様にして見せよう。」」
「また同時に、ヒンデギョヒは、強力な建立者だったのです。行政や財政、それに農業や商業を活性化させて、イエズス会と西ヨーロッパ人を保護したのです。西ヨーロッパ人が最初に日本の港を開いたのですが、ヒンデギョヒは、機械や鉄砲と言った、「白い悪魔」製の物の中から見つけた良いものを何でも取り入れたのです。
この恐ろしげなそして多面的な魂は、自分の母さんを愛し恐れていたのです。また、とても優しい父さんでもあったのです。高麗の大使がヒンデギョヒの庭での謁見の後に送った報告書が残っています。
「秀吉は短躯の人物である。至極醜怪な様相である。色黒である。然し乍ら、彼の男の瞳は人を燃やす炎を放っている。正面を南に向け、黒みがかった儀礼用の室内着を着て、三枚重ねた座布団に座っていた。突然に御簾の後ろに引き下がった。直ぐに、私たちにその姿を見せた。普段着で、懐に赤子を抱いていた。彼の者が謁見の間に入って来ると、皆は床に伏せ、秀吉に跪拝した。その瞬間、赤子が粗相をした。秀吉は、子供を着替えさせるように一人の高官に合図をした。謁見の間に、恰も一人で居るように振る舞った。」
それから、高麗人たちは主人と会談した。ヒンデギョヒが大使たちに下した返答には、以下のように述べられていました。「余が我が国を平定した。余は貧しい家の出身である。しかし、我が母がまだ余を腹に宿しておる時、太陽を生む夢を見たのだ。ある行者が母に言ったのだ。「太陽の輝くところは何処でも、この子が統治するだろう!」と。であるから、余は大軍を集めておるのだ。余は唐に行くつもりだ。余の剣の露は、四百の地方の上に落ちるだろう。」
死が訪れなければ、それらの大きな野望は実体となっていたでしょう。ヒンデギョヒの夢は、散り去りました。彼の最愛の息子、ヒンデヒョーリは殺されました。他の一族が権力を奪いました。彼が死を迎えた時に書いた詩をお読みになると、身震いをなさるでしょう。自分の運命を予見している様があまりに悲劇的です。「私は雫の様に落ちる。雫の様に消えて無くなる。そして、オオザカの城でさえ、夢の夢でしかない! [ 露とおち露と消えにしわが身かな 難波のことも夢のまた夢 ]」 」
12. ナラ
私たちの魂を養うことが出来る偉大な魂。私たちの精神を押し広げ、ギリシャローマの諸都市の冒険譚だけでなくヘブライのエホバの偏狭な狂信も、遠く離れた人々のものであるにも拘らず、あらゆる人々の人生を受け容れることが出来る魂。
今日は、オオザカから古代日本の中心地ナラへと旅の行程を進んだ。けれど、ヒンデギョヒの黒黄色の猿姿の身体に宿っていた巨大な魂が、私の心から出ていくことはなかった。ヒンデギョヒの豊かで矛盾をはらみ多面的な魂は、私から見れば、最高の人間の類だ。好色である一方、母を慕っている。息子には優しい一方、衝動的に戦争に駆られると同時に平和のために不断に行動する。最期には、死の間際に握り締めた鑿は、彼の人生全体の成果を歌に刻んだ。「夢の夢」。生涯に亘る飽くことのない征服欲、それと同時に、人生すべてが夢であり露であると言う自覚、私は、それを、人間が到達することの出来る最高峰だと考える。
私は列車の窓から外を眺めた。心を広々とした畑地の上を蝶の様に漂わせながら。そして、遥か昔の英雄たちのことを考えた。人類が新しいより拡張された文芸復興を知る瞬間が訪れた。精神が拡張されて、ギリシャでは、神々の美しい姿態を知ることになった。その後で、私たちギリシャ人は、エジプトやインド諸国を知ったのだ。そして、私たちの精神、心が、その領域に中国と日本を含めることが出来る時代が到来したのだ。
文化的海賊行為。土地を満たす前に旋回し侵入し、目を喜ばす。私は、同乗している周りの日本人を見つめた。陽気な人々。小綺麗だ。身体を風呂で洗っている。洗練された容姿は、象牙に彫られたようだ。蛇のような切れ上がった目、純真な気高さを持っている。その気質として、気品と様式化された伝統を強く求め愛する人々だ。私は、日本人が挨拶し合うのを見て飽きる事がない。日本人は、深くお辞儀をする。その顔は、儀礼的で宗教的な儀式の相をとっている。彼らは叫ばないし、悪態をつかない。いまだに、二人の日本人が口論しているところに出くわさない。
オオザカのある橋で、私は、二人の自転車に乗った者がぶつかって二人とも石畳に転がるのを見た。私は立ち止まり、喧嘩が始まるのを待った。自転車の二人は、地面から飛び起き、埃を払い、帽子を取り、言葉も発せずに挨拶をすると、再び自転車に乗った。停車場で、大量の衣類の束を背負った一人の村人が市電に乗ろうとしていたが、満員だった。車掌は、村人に悲しげな表情で静かに何かを言った。荷を背負った男は、お辞儀をして、足を市電のステップから降ろした。日本は、人で溢れている。礼儀正しさを欠いていれば、社会的共同生活は持ち堪えられないだろう。善い言葉、善い振る舞いは、カヌーや小舟が衝突を出来るだけ柔らかくするために側面に当てているクッションのようだ。
私たちはもうナラに近づいていた。聖都、西暦710年から780年の間に最初の日本の首都になった都市だ。有名な仏教寺院や巨大な仏陀の像、それに、千頭の鹿が居る世界でもここだけの公園を見られるかと思うと、私の心は強く高鳴った。私は分かっていた、それはいつも思いがけない出会いだ、目にするものはすべてが夢に見ていたものよりもずっと素晴らしいことは、分かっていた。遠くに初めて見る異国的な風景が見られるのではないだろうかと思い、窓から身を乗り出した。例えば、大きく膨れ上がった禍々しい仏塔の様な。
静かだった。穏やかな風景。柔らかな稜線の山々。溢れかえる陽光。空を渡る軽げな雲は真っ白。二羽の足の長い鸛が黒い木造りの背の低い家々の遥か上を飛ぶ。その時突然に絶景が見えた。その背の低い家々の間、雨で塗れた為に黒ずんでいる屋根の上、ぼんやりとした微風に乗って、一面に、豊かなそして清新さを誇るようで、今纏められた粒の集まりのような楽しげな、噴水のように吹き上げられた薔薇色の光が舞い飛んでいた。それは、咲き初めの桜花だった。サクラ!
私がサクラを見ると、私の記憶に、遥か遠くの北の国、ルーマニアでのある夕方の情景が飛び出して来た。私はあの国で、巨大な、そして神聖な程に花に満ちた、中世の大聖堂を目前にしたのだ。その大聖堂は、粗末な家々の中から奮い立ち、その粗末な家々の屋根の上で、輝きと豊かさを一身に集め、空へ接していた。サクラと大聖堂、そのふたつが、その周囲のすべての貧相なものを言い表せない程の豊かなものに、そして、人と空気の暗闇を光に、その実相を変えているかのようだった。小川で身を屈めた小さな女たちが洗い物をしている、赤ん坊たちが泣いている、畑で腰が曲がった男たちが働いている、―、誰もサクラを見ていない。満足げな静けさ。それは、物質が最上の責務、花咲くことを果たした満足なのだ。その満足げな静けさは、家々の上に動かずにあり、周囲を取り巻く黒々とした田園地帯を神聖なものにしていた。
藤は無垢の喜びの象徴であり、菊は忍耐と不死の象徴、蓮は泥の中から汚れることなく昇り上がる高潔の象徴である。しかし、桜の花は、高い所の丈夫な枝に留め着けられていて、衰える前に地面に落ちて死ぬ、と言う理由でサムライの象徴なのだ。サムライが恥辱を受ける前に死ぬのと同じ。それだから、戦いに赴く時に、兜に桜花の咲いた枝を差すのだ。
私は、列車の窓から手を振り、去って行く「サクラ」に別れを告げた。今と同じく、九百年前のある日、仏教の僧侶ギオソンもサクラを見たであろう、そして、彼の手を伸ばし懇願したのだ。「愛し合おうではないか、花咲くサクラよ。お前以外に、私はこの世で誰も知らない。」 [ 行尊の歌:もろともにあわれとおもえ、山桜。花よりほかに 知る人もなし ]
ナラ、神聖な中心、日本のメッカ。この古い、太古の絶世の美女は、今は、大きな村となっている。王たちは去ってしまい、舟は燃やされ、この貴夫人は未亡人となってしまった。夫人の指のすべては落ちてしまったが、指輪は残された。神々は残った。八百万の神道の神々は、神々の頂点に立つ日本人の偉大な祖先、太陽の神と共に残った。優雅な、落ち着いた、微笑む仏陀たちが残った。仏陀たちは、暗い木製の寺院の中に正座し、信者たちには思いやりのある冷やかしで受け容れられた。
私は列車から飛び降りると、驚いて立ち尽くした。祈念行列の男たちや女たちが、幡と小太鼓を持って、上りの道を、ナラへと登っていた。けれども、多くは、列車か自動車か荷馬車で遣って来ていた。そうでない徒歩の人たちは、祈願の詣でる人たちだった。私は角に立っていて、様々な色、音、無数の者たちの長々と続く様子、その到着を楽しんだ。若い者たち、老いた者たち、百歳を超えた老女たちが、日本の端端から出発して、彷徨い歩いている。まるで、聖地から聖地へと巡り歩く中世のハリスト教徒の様だ。 黄、オレンジ、緑色の幡を持ち、小太鼓と長い笛を持っている。帯には皮か絹の煙草入れと先にごく小さな火皿の付いた長い煙管を挿し通していている。その煙管では、三服以上を吸う余裕はない。
「今日は、「花祭り」なのです。」と、駅長が、深いお辞儀をしながら、私に説明した。
参拝者たちは頭に白いタオルを巻いている。タオルは、花と文字が刺繍されたり押印されたりしている。それが有名な「ハナ・ミテヌグ」、花のタオルだ。咲いたサクラを崇める誰もが、春にそれを被るのだ。異教的歓喜、春の雰囲気、笑い声とさざめき。すると、一羽の郭公が松の樹から飛び立って鳴き、ナラの方へ飛び去った。その郭公も、仏陀の足元に席をとる参拝者だ。
私が旅を続けようと歩き始めた、まさにその時、徒歩旅の「ビク」、仏教の修行僧の大人数の一団が到着した。周囲に広い鍔のあるドーム型の麦わら帽子を被り、長い黄色の被衣を身に着けていた。裸足で歩き、一人一人が高い杖に縋っていた。杖は、修行僧たちの肩を越える高さまで届いていて、小さな鈴がついていた。目を伏せて、顔を顰めて、黙した僧たちは、ナラへの道を進んだ。この黄色の修道僧たちは、満開の桜の下で、一体何をしようとしているのだろう。あるいはもしかすると、すぐにも散る花を讃えているのだろうか? 人生の虚しさの清新な風景を見ているのだろうか? その中の一人、オノノ・コマシが、九百年前に歌っている。「ああ、桜花。なんと人の生涯に似ていることか。お前が咲いているのを見るこの時、お前はもう散り出している。」[ 小野小町の歌? ]
それは、人の生の不全な分かることの出来ない神秘的な側面のみの理解ではあるけれど、まがうことのない信仰だ。だけれど、その信仰は、その質に於いては、ほんの一瞬が永遠に匹敵し得るということを無視している。ある歌、「咲いた桜を見るために、盲いた息子が母の手を取って来た。」 その時、地面を見つめながら坂を登る長い杖を持った修行僧たちが、私には、この歌の武人と同じ盲人に思えた。
私は「リキシャ」を呼んだ。それは、半裸の苦力に引かれていた。
「ドウ? ( 何所に? )」、その人間馬は、優しい、けれど、鋭い目で私を見詰めながら、私に尋ねた。
「リオカン」、私は答えた。そして、僅かに知っている日本語で、「ソロリ、ソロリ、( シガ・シガ/ゆっくりゆっくり )」と言った。
私はその光景を眺めるのに飽きることはなかった。多色彩の参拝者たち皆が一緒に、笑いながら詠いながら坂を登って行く様子、また、陽気な日本人たちが、暗い宗教を上手い具合に色や花や人間の肉の匂いで満たしている様子。私たちギリシャの古代の花祭り、ヘブライの苦悩を宗とする宗教が私たちのギリシャから摘み取ってしまった花祭り、それが、この世界の端で再び花開いているのだ。
荷車に花を飾り、牛に花輪をぶら下げる。屈強な青年たちと奇麗な日本の娘たちはその荷車に乗り込み、春と言うゲイシャを迎えに行く。踊り、歌い、「サケ」を飲み、日々の悩みが退散するよう祈祷する。人の生は、太古の本質である酔わせるようなものに戻る、水はまた酒になるのだ。ディオニッソスは、ギリシャを見捨てて、遠い海岸に避難し、今は、キモノを着、手には花の咲いた桜の枝を杖にしている。三つの大人数の合唱団、老人たち、男たち、子供たちの合唱団が、ここに再び根を張ったのだ。そうして、この樹々と共にある民族は、開花した。死が決まっている生が、この地上で不死を理解したのだ。
「イラサイ・マセ! イラサイ・マセ! ようこそ、いらっしゃい!」
リオカンの外に主人たちが出ていた。主人、妻、この夫妻の二人の娘、そして、かなりぽっちゃりした女中がひとり。地面にまで身を屈めて、私に挨拶をした。私は、「リキシャ」から飛び降りて、三度地面まで身を屈め、儀式的な挨拶を始めた。それから、お辞儀のために血が上った頭で、部屋があるかどうかを尋ねた。
「ご来館頂いて大変光栄でございます。私共のような貧相な宿は、このような栄誉は思いも寄らないことです。閣下は、大変にお優しい方です。私共は、閣下に感謝して居ります…、」
もっと簡単に言えるだろう、「部屋はあります。」と。
とても小さいそして洗われたばかりの様に瑞々しい中庭。二つか三つの花の開いた石楠花の鉢がある。そして、中庭の真ん中にとても小さな鉢がひとつあり、奇観が見られた。矮小なサクラ。掌の二枚を越えることのない高さで、男の腕程に太い幹、花をいっぱいに背負い込んだサクラだ。この何日かの内に、リオカンの主人たちは、サクラを中庭の最も良い席へ上げていたのだ。サクラが偉大な殉教の聖人であり、その命名日であるかの様だった。中庭を取り巻いて、部屋がある。私は靴を脱いで、沢山あるスリッパの中から一組を取り出す。スリッパは、スカロパティ(上がり口)に一列に並べられていた。そして、私は、藺草で編まれた蓙が敷詰められたハヤティ(屋内から続いている屋根のあるバルコニー。) に上がった。
いくつかある日本の大きな魅力の内のひとつ、想像を超えた家の清潔さ。床、壁、戸、すべてが輝いている。私の部屋は、藺草の蓙で、真ん中に低い小振りの食卓があり、その上に三本の花が入った小さな花瓶があり、床にいくつかクッションが置いてあり、壁に、一枚の絵があり、一本の花の着いた木があった。幸せが私の心に押し寄せて来た。真率で、異教的で、嬉しくさせられる小部屋だった。私の好みだった。
私が足を二重に折ってクッションに座ると、リオカンの主人たちは一つの壁、簡素な風除けを開いた。それで、私は、道を見下ろした。小さな 磁器で出来たティーカップと一緒にポットが来た。小さな受け皿に、ほんの何個かの皮を剥かれたピスタチオがあった。私はひとくちひとくち茶を飲んだ。ピスタチオを長々と噛み続けた。満足していた。丸々と肥えた女中が入って来た。一枚の菫色のキモノと一組のビシナ( 黒っぽい赤色のサクランボ )色の木靴( 下駄 ) を私に渡した。お辞儀をしてこう言った。
「フウロ! ( 風呂 )」
風呂は用意が出来ていた。日本人が習慣にしているまま、熱湯だった。大きな樽が地面に半ば埋まっていた。私は中に入った。この上ない幸福感を感じた。キモノを着、足にはビシナ色の木靴を履いて、自分の部屋に戻った。また茶を飲んで、開けられている壁から参拝者たちが小太鼓を叩きながら参詣して行くのを見下ろした。私はその先を推察する。樹々のなかにある寺院。微笑みを湛えた仏陀の木像や石像、銅像のある太古の幾つもの太古の寺院を思い描く。それらを見ようと急いで駆けつけたりはしない。私は、焦燥や苛立ち、慌てを乗り越えていた。私が過ごすそれらの神々しい最高に温和な各瞬間を、少し少し、楽しむのだ。「幸福を考えてみる。幸福とは、日々起こっている単純な奇跡なのだ、水のように。私たちは、それに気が付いていないのだ。」
一千二百ヘクタールの日本で最も大きい公園。とても高いとても古い樹々が聳えている。松、樅、桃、ポプラ、柳。幾つかの池がある。赤い異国的な魚がいる。白い鰭を持っている、それを、踊り子のヴェールのように、拡げたり閉じたりして戯れている。そして、鳩、鸛、白鳥がいる。それらすべてより何より、ここだけにしかない面白さは、千頭もの鹿にある。鹿は、まるで貴公子のように、優雅に生真面目に、行ったり来たりしている。鹿は、恐れず堂々と通り掛る人々に近付いて来る。そして、長い睫毛のあるベルベットのような目で人々を見つめる。毎年十月には、角を根元から切り落とされると言う、大きな祭りが行われる。今はまだ角がある。私は、鹿の頭を撫でて、血腫が出来ている角の付け根を見た。
幾つものパゴーダが樹々の中に伸び上がっている。今にも飛ぼうとしている翼の様な、緩やかに傾いだ幾層もの階層があるパゴーダ。「トリイ」も幾つもある。大文字のπの形をした神聖な門だ。照り輝く緑の葉の繁みの中で、濃いヴィシニス色に輝いている。「シントー」の神聖な門だ。「シントー」とは、「神の道」の意味。救われたいと思う者は誰でも、この門を通らなければならない。
先祖からの宗教である、「シントー」は、日本人の原始的な宗教だ。家族の祖先を崇拝し、その上で、民族の祖先を崇拝し、最後には、共通の父の祖先、皇帝の祖先を崇拝するのだ。日本人は、死者は生きていて生者を支配していると信じている。両親がは死ぬと、霊「カミ」となり、子孫と絶え間なく交信している。喜びや悲しみを子孫と共に分ち合っている。生きている者たちを助けたり励ましたり、あるいは罰したり復習をしたりする。すべての大気は死者の霊で満たされている。波や風それに炎に、霊は留っていて、作用を及ぼしている。善い者も悪い者も、有能な者も無能な者も、すべての先祖が神になる。善い神も悪い神も、生きていた時に持っていた性質をとても大きく膨らませている。生者は、成功しようと望むのであれば、祈りや生贄、そして、踊りや歌で善い先祖たちを喜ばせ、また、悪い先祖を宥める義務を負っている。
つまり、皇帝たちを筆頭に、全ての日本人が神に起源を持っているのだ。それだから、今日でも、日本民族は、誇りを持って、自分たちの民族がこの世の他の全ての民族よりも優れている、そして、自分たちの土地は神の土地だ、と考えている。日本人の神々の中で最も偉大なのは、太陽神、皇帝の系統の根本である、アマテラスウだ。他の主立った神々は、風の神々、海の神々、河の神々、火の神、山々の神々、また、大勢の名立たる戦士たちや王たちだ。八百万と言う数がシンドウの神の数。どの伎能にも、仕事に使う用具に応じて、そのパトロンである神がある。鍛冶屋たち、建具師たち、大工たち、漁師たちは、それぞれ自分たちの神を持っている。息子が父の職業の手解きを受けることは、宗教的な行為なのだ。重要な神聖な儀式が行われる。若い見習いが、神の庇護の下、技術を習得するためには、パトロンの神を宥める必要があるのだ。
神の千の顔。険しい顔、憤怒の顔ばかりではない。その他に、朗らかな顔もよくあるし、円蓋の様な腹を持ち滑稽な顔をしている神もいる。この滑稽な神々は、コンボロイを握りしめていたり、茶か「サケ」の椀を抱え込んだりしている。そして、大笑しているのだ。その神々を祀る司祭たちも、その神々を見る信者たちも大笑いする。そして、神々は、怒っているだけではない。そうではなくて、子供たちが自分たちを笑わせるのを喜んでいる。それだから、神格の概念は、人間に具現化されている。神は家人となり、知人となっている。日本人は、私たちが飼いならされた象に近寄るように、神の側に近寄っている。
従順、犠牲、祈禱、これが、シンドウの三つの基本的な戒律だ。皇帝に従順であること。何故なら、皇帝は最高の神、太陽神に始祖を持つからだ。祖先の神々に犠牲を捧げること。古代では、祖先の墓や祭壇に、本物の酒、食べ物、服を置いたのだ。時代が下ると、木片に紙の帯を巻いたもの、それは酒を象徴しているのだけれど、それに、服を置くようになっている。最後のもの、祖先に祈りを捧げること。水と塩で自分の体を洗ってから、悪魔払いと断食で自分の心を浄めるのだ。
あらゆる方面から、全ての自然の力から、全ての樹や動物から、全ての人間から、全ての生者と死者から、日本総体を解くことができないように結びつけている神秘的な紐帯が解かれる。最近、一人の日本の政治家が、この古い信仰を鮮明に言い表した。「我々が持っているもの全て、我々は、それを祖先の諸霊に負っている。我々は、祖先の故にのみ生きている。諸霊は、専ら、我々を生かしめている。祖先の喜びになりそうもないのであれば、それが何れ程に大きいものでっても、犠牲ではないのだ。」 1905年に、ロシア・ヤポニア戦争が始まると、将軍たちは、兵士達に驚くような訓戒を下した。「祖先の為に、生死が分からぬ所へでなく、確実に死ぬ所へ赴け。祖先の諸霊は、常にお前らと共にある。諸霊はお前らをお守り下さる。お前らを取り囲んでおられるのだ。」
責務についてのシンドウの考え方が、日本人の上に、何れ程に大きな影響を持っていたか、そして今も持っているかを深く考えないのであれば、西洋人は、この日本人の精神を認めることは全く出来ない。この影響を深く考えた時にだけ、日本人の一人一人に鬼神のような力の源があることを理解出来るだろう。日本人が死を軽んじ、高揚して祖国の為に死んでしまうようなこと全てを受け容れる理由を理解するだろう。日本人にとって、祖国とミカドと神々と祖先と子孫は、分けることの出来ない不死の力なのだ。死ぬと自分の同胞の全てと相見えて不死になると信じているのに、人が死を恐れる理由があるだろうか?
私は、中の公園へとシンドウの赤い門を通り抜けた。私たち白人が、強大な信仰を持っていたとしたら、どんな恐ろしい力になっただろうかと考えて、身震いした。今、私たち白人は、為すこともないのに多くの知識を持っていて和やかにしているか、あるいは、ばらばらになった個人と言う煉獄の中で、何の一貫性もなく、何の希望もなく、狂気に取り憑かれてぐるぐると回っているのだ。日本人は、おそらく、誤謬を信じているのだ。だが、それで、大きなそれに実りの多い現実的な成果を得たのだ。私たち白人は、何も信じてはいない。惨めに生き、永遠に死ぬのだ。
その公園の中で、私の心は震え戦いた。私はナラの街へと下る。小さな店が何軒もある。評判の高いナラの人形を売っている店がある。人形は瑞々しく活き活きとして不思議な程だ。また、公園の鹿の角から作られたボタンやパイプや神像それに棒を売っている店がある。仏教の修行僧が、ゆっくりとした足取りで戸から戸へ渡り歩く。修行僧たちは、手を杖に凭せ掛け、瞳を地面に釘付けにしている。そして、祈禱を震え声で唱え始める。詠唱は、執拗に繰り返される単調さで、何度も小さな鐘を叩く。鐘の音に釣り出された家の人々が、戸を開けて片手を出して頭陀袋に一掴みの米を投げ入れるまで続ける。
私は、繊細で敬虔で享楽的な文化について沈思した。この文化は二十世紀も前にこの地に花開いたのだ。エウロピ全体が野蛮の深みにあった時、ここでは、貴族や王たちが、磁器の椀で米を食べ、金の盥で身体を洗い、庭の組成と花瓶に入れる花の等級を分ける技術を高めた。職人たちは見事な彫像を彫り上げる。その幾つかは今も残っていて、私はそれを見て、心が揺れる。
今、日本の青い鳥、精神はナラから去っている。別の翼で行ってしまい、別の曲を歌った。そして、オオザカの煙突群に留り、トキオの高層建築に留った。見捨てられた小さな巣が残っている。私は、巨大な寺院に立ち寄った。その中には、世界で最大のブロンズ像、大仏陀、ダイブツウがある。一輪の蓮の花の上に足を折って座っている。53ポディの高さ。鼻の穴は、3ポディの直径だ。親指は、4.5ポディの長さ。この巨神を鋳込むのに、438トンの銅と8トンの白蝋と870リブラの金、それに4.885リブラの水銀が必要だったのだ! ナラの最高潮であった752年に鋳込まれた。 当時の日本では、ペストが遣って来ていて、何千もの人を死なせていた。民衆は恐れ、狂信的な者たちは、このような死がもたらされるのは、偉大な女神アマテラスウが自分たちの国に新しく遣って来た神、ブウダに怒っているからだ、と叫んだ。王は怯えて、巨大な像を造るように命じた。そうして、この巨大な姿になった。ブウダの形象とアマテラスウ、その大胆な組み合わせ。日本は、そのすべてを上手く組み合わせて、二つの宗教を、すべての優しさとすべての力を持つ巨大な雌雄同体の一つ身体の中に混ぜ合わせたのだ。
長い間、私は、龍の組まれた足の周りの蟻のように、歩き回った。穏やかな顔、河のように広い微笑み、二つの丸い膨らみのある幅広の胸を見詰めた。とてもとても小さな巡礼者たちが波のように次々と来た。掌を三回打って、ブウダと叫ぶ。鐘の音がリズミカルに聞こえる、寺院の入口に大きな鍋があり、香が焚かれ、濃い煙りが上がっている。高僧たち、その他によく肥えた豚、痩せた狐たちが、小さな教会の蝋燭台の様なものに置かれ、売られている。魔除けや祈禱が書かれた帯状の紙も売られている。紙やブリキやビロードのお守りが売られている。石、木、鹿の角、象牙で出来た小さなブウダが売られている。汗で濡れた小銭が集まっている。その上にブウダが立っている。ブウダの頭は屋根に触れていて、僧たちを眺め、微笑んでいる。ブウダは、内面に没頭して手を合わせている群衆を見て微笑んでいる。ブウダは、すべてが見せかけで、感覚の幻想であると知っている。拝んでいる民衆がそこに居るのも幻影。拝まれる神も幻影。痩せた僧も、富を得て太った者たちも幻影。風が吹き、すべてが消え去って行く。
私は像を見た。像から立ち去ろうと言う考えは起きない。像の美しさは、私を魅了し続けはしない。技術は雑で忙しげで手際が悪い。だが、この、土着のものと外来のものの二つの大きな神格を堅く分けられない組成に合成した像は、測り知れない重要性を持っている。日本人の精神の基礎を成すような錬金術的な能力が、ブロンズに刻されている。外国人が持ち込んだものを変化させて日本的にすると言う能力だ。 日本人の精神、行動を渇望し、表面的な世界の存在と価値を信じている、その精神は、目に見える世界は不在であり、どの行為も虚しいと説く、6世紀に仏教を広めに来た僧とどのような関係を持ったのだろうか? 「空にしなさい、貴方の腹中を空にしなさい、すべての欲望を腹中から除いて空にしないさ。」と、ブウダは教えたのだ。「お前たちの願を強めるのだ、お前たちが始めたことを完遂するのだ! 神格化された日本の祖先たちが、そう叫ぶ。三つの不死の真がある、家、郷土、ミカドだ。」
恐ろしい戦いが勃発した。土着の神々は、外来の神に襲いかかり迫害した。外来の神は、それを拒み、覆した。だが、日本の精神は、常に、どこか女性的な面がある。外国の種を切望していて、それを受け容れるのだ。ゆっくりゆっくりと、日本の腑の同化作用の中で、理解が始まり、身になり出した。日本人は、自分たちに役立たないものは追い出して、自分たちの精神が吸収出来るものだけを抱え込む。自然に愛を抱いている。植物も動物も人間も、すべてが一つなのだ。すべてが、私たちの心の根源で元を一つにしている。その上、日本人は、不運や死を前にして無頓着で平静であり、褪せることのない微笑みを湛えている。微笑みは、彼らの魂が苦しんでいてさえも、唇の上に、常に、咲いているのだ。更に、仏教から、振る舞いに於いての気品を、社交に於いての寛宏を、感受性を得たのだ。「嗚呼、地に落ちた枯葉よ、寒くはないのか? 嗚呼、枯葉よ、お前を私は自分の胸に当てる、太陽が再び姿を現すまで、雪が溶けるまで、嗚呼、枯葉よ、私はお前をこの胸で温めよう。」
空は雲に覆われていた。私は、ブウダのブロンズの胸が暗くなるのを見た。私の周囲の参拝者の顔はどれもが、弱い光に沈み込んで行った。ただ、切れ長の目だけが、電灯の明かりで毛羽立った様にぼんやりとした暗闇の中で、輝いていた。最初の雨滴が落ちて来た。大きなガジュマルの厚い葉を強く打った。私は寺院から出た。香が焚かれている大きな釜の側にある石の腰掛けに足を折って座った。静寂。極めて苦い悦楽。地面から上がって来る匂い。遠くの黄色の稲妻、それは、点っては、樹々の梢を舐めて消える。目を半分閉じた、そして、何の煩いも無く、ブウダの恩寵を感じた。恩寵は、私の上に降りて来て、舌の様に、私の両の顳顬や胸を舐めた。ある東方の偉人の言葉の数々が、柔らかな苔の様に、静かに静かに上がって来て、私の精神を包み込む。「すべての人々は幸福だ。宴席に座っているかの様に、あるいは、春に塔に登るかの様に。私は、ただ、静かにしている。幸でも不幸でもない。私は、まだ笑ったことのない稚児であるかの様だ。すべての人々は何かを持っていて、余らせている。私は、ただ貧しい、何も持っていない。すべての人々は賢い。私は、ただ愚かだ。波が私を引き摺る。私は引き摺られまま進む。頭を振ることはない。仏陀よ、貴方の微笑みに逃げ場所を見つけさせて欲しい。」
13. 慈悲の神
ナラは目覚める。まだ透明なガーゼの様な霧に包まれている。都市の目覚めは素晴らしい、最愛の妻の目覚めの様に。早朝に、急いで道路に降りてみた。そして、早朝の都市の小さな神秘を見た。
「リオカン」の丸々と肥えた女性が、私の部屋の壁、衝立てを引いた。黒い木の皿に入れた朝食を運んで来た。
「オハイオ・コザイ・マス おはようございます。」
私と女性はお辞儀をする。それから、私は、何種類かある木製のケセス( ヨーグルトを入れる器 ) に似た器を次々に開けてみた。黄色いスープ。濃いスープだ。それは、耐えられない匂いがする。幾切れかに薄く切られた生の魚。小さなカップに、キュウリとズッキーニのピクルス。そして、大きなケセスには、水煮された米。それから、緑色の茶が入ったティーポットが必ずある。
何を食べているのかを気にしない様に、食欲が無くならない様に、私は、ナラの有名な博物館で昨日の午後に見たたくさんの絶品を思い出した。素晴らしい彫像。絹布に描かれた絵画。神聖な容器。それらの多くは、遠くチベットやペルシアやビザンティオンから来たのだ。そして、数え切れない宝物、武具、衣装、60.000の宝石の入った幾つものカセラ( 長持 )。皇帝の財宝の数々。それらは、八世紀に未亡人となった皇妃コムノが国に寄贈したものだ。王家の寄贈品についての手書きの文書が未だに残っている。「私の最愛の主人の死から四十九日が過ぎました。でも、私の熱望は大きくなり、悲しみは、段々と、私の心により一層重くなります。大地に懇願しても、天空に叫んでも、それは、何の慰めも私に齎しません。それですから、私は、主人の尊い御心を喜ばすために、善行をすることを決心したのです。それ故に、これらの宝物をブウダに納めることにしたのです。そうすることで、皇帝の魂は安らぎを見出すでしょうから。この寄贈品が、主人が解き放たれることを助け、直ぐにも、主人の魂が乗る車が、神聖な蓮の華の咲く世界へ着きますように、と思っています。その世界で、主人が、これからはずっと、天上の音楽を楽しんで居られますように、そして、明るいブウダの楽園に迎えられますように、と願っています。」
十二世紀も前に一人の女性が溜息まじりに言った、この愛の言葉を、私は心の中に持ち入れては、また持ち入れた。そうやって、食べていた日本の食べ物のことを忘れさせた。そして、満腹になって、道に降りて行った。公園は人気がない。ただ、鹿たちが、一度だけ、大きな潤んだ二つの瞳のある頭を擡げて、急いで通り過ぎる私を見ただけだ。私は、小さな列車を捉まえようと急いでいた。ホリウギに行くのだ。ナラから一時間程の小さな村だ。そこには、古代のブウダの修道院がある。私は、日本芸術の傑作、慈悲の神、カノンに対面するのを待ち切れなかった。それは、女子修道院にあるのだ。
女子修道院の庭には、現れた様な瑞々しい敷石と、赤や黄の花々の植木鉢が真直ぐに並んでいた。穏やかで静寂だった。私は、まるで、この庭を通過するのに何時間も何日も何年もかかってしまうことを望んでいるかのように、敷居に佇んだ。黒い斑がいくつかあるオレンジ色の猫が一匹、朝日の中、パタリ( 木製の段 )に座り、薔薇色の舌で舐め回していた。その時、遠く、庭の後ろから、甲高い女性の声が詠唱するのを、私は聞いた。
私は、スペッツェス島にシケリアノと一緒に行ったことのことを思い出した。私たちは、女子修道院に行ったのだ。庭は、ここと同じようだった。赤い花々が、美しく植木鉢に入れられ、最上の甘さの女性の声が聞こえた。声は、こことは違う神を讃美していた。けれど、永遠と言うことでは同じだ。私たち二人は、敷居に佇んだ。心臓が高鳴った。
「この花はなんと言うのですか?」と私たちは尋ねた。
「炎です!」、一人の修道女が答えた。
アッシジを私は思い出した。何羽もの鳩がいた。すべての植木鉢にはバジリコが植えてあった。鐘は、高い上にも高い銀色の音がした、住んだ女性の声音だった。それは、向かいの修道院の聖フランシスコの鐘の低い音に合わさって行った。男の声が女の声に混じっていった。そして、今、世界の端で、同じ様な庭、同じ様な女性の声音、同じ様な治まることのない心臓の高鳴りがある。
小さな扉が開いた。和やかなぽっちゃりとした子供の修道女がひとり現れた。私を微笑みながら見詰めたけれど、喋らなかった。
「カノン神を見たいのです。」と私は言った。
少女は、指を唇に当てた。
「大きな声で話さないで下さい。お祈りして下さい。」と言う意味だ。
少女は私に石の腰掛けを示した。オレンジ色の猫の側に座り、待てと言うのだ。
私は座って待った。向かい側の庭の隅に、一本のおチビさんの桜樹が花を咲かせていた。桜の蜜を集めている蜜蜂の唸り声が聴こえた。蜜蜂と穏やかな女性の詠唱の声が混じっていた。と、突然、背の高い満開の桜樹の様に、ブウダの幻が私の空想の中に現れた。女たちは、その桜の蜜を採っていたのだ。
どれだけの時間を私が待っていたか、それを誰が知っているだろう! 時間の周期が変わってしまった。確かに、何時間か何秒かが、いつもと同じ翼で私の上を通過した筈だ。突然、少女の修道女がまた現れて、私に頷いてみせた。詠唱は終わっていた。小さな礼拝堂は空になっていた。洗われたように清新な木の梯子に、私たちは至った。私は、裸足になって、登った。上がって行くのに連れて、私の身体は、喜悦を感じていた。まるで、私の両の足裏は、裸足の女たちの足裏のすべてと合わさっているかのように思えた。幾世紀にも亘り、女たちの足裏が、この光沢のあるとても古い木の梯子に触れていて…、
掃除が行き届いた部屋だ。床に白く小さなクッションがある。二枚の大きな皿。一枚は花で、もう一枚は果物で満たされている。部屋の奥に、重たげな絹のカーテンが一枚あった。
「カノン神はどこですか?」 私は不安げに尋ねた。
修道女の少女は、笑みを浮かべて、裸足の小さな足で走って行った。両手を上げてカーテンを開いた。カノン女神が香しい暗闇の中で輝いた。右の足を左の膝に載せて座っている。左の手は右の足裏に触れ、右の手は二本の指を硬く若々しい顎に当てている。小さな優雅な高貴な少女。厚い肉感的な唇、切れ長の穢れのない優しい瞳をしている。人は、この少女を苦痛をよく癒す慈悲深い女神だとは思わないだろう。少女は、不運な人々の元へ慰めに行きはしない。自分の椅子に座ったまま動かずに、人間の心を癒す女神だ。少女がそこに居ること、その少女を人が見ることで、人は苦痛を忘れてしまうのだ。
ほんの軽く前屈みになっている。大きなブウダ的な耳を傾けているかのようだ。とても遠くの人間の苦痛を聞き取っているかのようだ。そして、ブウダの娘は微笑んでいる。苦痛は誤謬であり、ほんの僅かの間の夢であり、人間はいずれ目覚めて夢を散り散りにすると知っているからだ。そして、人も散り散りになる。世界も人と一緒に散り散りになる。ブウダがよいように。苦痛は克服される! それだから、小さなエレウサ( 聖母 ) は、穏やかに微笑んでいる。それだから、少女は自分の席から少しも動かない、手を差し伸べもしない。勝利を確信している。誰の勝利? 消滅を確信しているのだ。
私の心は、このような堂々とした不動の確固とした、慈悲の神を作り出したことは、一度もなかった。私の心の全体が、ブウダの黄色い被衣が巻き付くことを、全く望んでいなかったからだ。ただ、完全な絶望だけが、このような冷淡な救済の神を思い描くことが出来るのだ。私は、この女神に満悦を覚え、この女神を彫り出した賞讃する。これは、日本に於けるブディスムのコンスタンティヌス大帝、ソトコス王の作品だと言われている。ソトコスは、聖人であり、同時に、偉大な法の制定者であり武人であり詩人であり、また、彫刻家だった。絹に描かれた肖像画がまだ残っている。優しい端正な輝く面立ちだ。本当に、この高貴な少女、女神は王に似ている。
再び、時間が私の頭の上で止まった。この冷淡な慈悲の女神を私が何れ程の時間見詰めていたのかは分からない。覚えているのは、ただ、立ち去ろうと立ち上がった時には、修道女の少女が腕枕をして床で眠りこけていた、ことだけだ。
14. 日本の歌が生まれたところ
カスウガ神の神殿とは何なのだろうか? ナラの公園の端にとても古い木製の祭壇がある。鹿はすべてが、カスウガ神の恵みへの捧げ物なのだ。
入口に巨大な提燈がいくつも。人間の背丈ほどある、絹で出来た、神殿の神聖な色をしたランタン。赤と白と青の明り。輝いている木の床。澄徹な床、まるで水のようだ。片方に、八つの赤く塗られた低い食卓。その上に、一本の帯と、大きな鈴の付いた踊りのシストロがある。もう片方には、同じように光沢のある赤い腰掛け。その一つ一つの上に、一本の扇子があった。奥には、開かれた古い本を載せた四台の書見台があった。床には、休んでいる獣のような、「コート」、巨大な日本のハープがある。そして、壁を巡る上の方には、ディアゾマ( フリーズ )のような、その上に踊り子を描いた幅広い絹の帯があった。
私は、公園で散々彷徨ってから着いた。無限に並んだ石の灯籠に頭が混乱した。人間の背丈よりずっと高い。花崗岩から彫り出された、重々しく威厳のある灯籠だった。何時間経っても終わらない、石化した灯りの幽霊の並木。蔦が周りに編み込まれ、苔が生え蜘蛛が居る。灯籠の上に刻み込まれた神聖な格言は埋もれている。
神殿を目前にした時、私の心は、鹿の様に飛び跳ねた。私はとても喉が渇いていた。ちょうど、樹々の下に泉が湧き出していた。私は、木の丸い匙を伸ばした。「まず飲みましょう、まず、身体を気遣いましょう。」と私は言った。
私は飲んだ。清々しくなった。物乞いのように端に座った。そして、柱に凭れた。私は、その楽器と踊りの鈴、解けた帯と絡み合わない髪の少女たちを飽きることなく見詰めた。少女たちは、バッコスのように、身体を丸め、前屈みになり、頭を膝の間に深く入れて、座っていた。私は幸せだった。この瞬間をどれだけの年月切望していたことか! 私は、聖域に辿りついた。そこで、日本の歌が生まれたのだ。
世界には、古代ギリシャの悲劇のように、神性の内奥にその根源を持つ、深淵な宗教的悲劇がある。それは、踊りから生まれ、英雄を歌の主人公の神にしている。「ノ」と言われる悲劇。所謂、演技と歌唱の劇。それが、ここ、ナラの公園の隅、カスウガのとても古い木造の神殿で、神聖な踊りから生まれた。神官たちが、大きな祭りの時に、想像上の洞窟の前で滑稽な踊りを踊っていたのだ。それは、太陽の女神、アマテラスウが怒って隠れ再びそこから世界へ出て来ようとしなかったと言う神話上の洞窟である。神々が集まって、女神に懇願した。人間たちは、暗闇の中で、泣き叫び、胸を叩いて嘆き、懇願した。だが、怒っている女神は、出ようとはしなかった。世界を照らそうとはしなかった。その時、一人の太った陽気な神、ウウズメ女神が飛び出した。そして、飛び跳ね、滑稽に踊り始めた。神々全員がどっと笑った。アマテラスウは、見ようとして、洞窟から現れた。そして、ウウズメを見て笑った。そして、怒りを忘れて、再び、空へと昇って行った。夜は終わった。世界は輝いた。
その滑稽な踊りを、カスウガの神殿の神官たちは、祭りの時に音楽とパントマイムを交えて踊る。彼らは、野卑なあるいは滑稽な面を被り、跳ねて進み、筋斗返りを打ち、呻き、踊り好きの酔っ払いのように金切り声を上げる。それに、演奏される音楽は滑稽な「サルウガクウ」だ。猿真似の音楽の意味だ。踊りとパントマイムの主題は、直ぐに、豊富になって行った。土着の神々、それに、とりわけ、仏教の諸問題やブウダの生涯を表現し始めた。ブウダは、直ぐに、踊りの中心的な英雄になった。
こうした大衆的な踊りや猿真似の金切り声、そしてパントマイムから、日本の悲劇は創り出された。最初は、僧侶が全員一緒になって、飛び跳ね叫んでいた。その後、ゆっくりゆっくりと、錯乱は整えられて、跳梁や叫びに規則性が生じ始め、配役が決められて行った。そして、理性的になり、演技に優雅さと一貫性が生じた。
そして、一人の神が語り、他の者は押し黙り、神の独白を聴くようになった。神は、神聖な仮面を着け一人で踊る。踊りの他の登場人物たちは、離れて舞台の右奥に居て、見たことを、畏まりながら様々に註釈したり、あるいは、神の言葉に応答するようになった。そして、対話が編み始められて、演劇的効果が生まれ、新しい登場人物が舞台に入って来た。それは、神の同行者や下部である人間だった。作品は、より完成されて行った。飛び跳ね、呻き、笑うと言った自然の力の無秩序さに、神を先頭にした聖職者の統率によって、秩序がもたらされたのだ。
言葉の理性がもたらされた。それを神が語り、人間たちが聞く。けれど、その神的な独白は、単調で何も産み出さなかった。そして、人間がその言葉の中に入って行った。神と人間の永遠で実りの多い対話が始まることになった。悲劇は、ずっと完成されたものになった。奇跡が成就した。
非常に劇的になって行った。対話に動きと感情が付与され、踊りを付けて行った。そして、楽器も決めた。楽器は、小さなタンバリン様のもの、大きなタンバリン、それに、笛。それらが、悲劇の法則を作って行った。また、喜劇的なものから悲劇的なものは取り除かれて、喜劇は別のものになって行った。「キオゲン」が創り出されたのだ。狂った言葉と言う意味だ。悲劇は、文字を知っている者たちだけが理解出来る古代の言葉を使って、高尚な語調で書かれている。喜劇は、大衆の言葉で書かれ、そのテーマは、日常生活から取られたもので、風刺的でファルサ的だ。
誰がその喜劇を書いたのかは、私たちは知らない。大衆の中の無名の人々だ。だが、日本には、アイスキュロスやソポクレスが居る。カーン・アミー、そして、その息子のセー・アミーだ。彼らは、14世紀に生きた人だ。 その二人は、舞台に大きな革命をもたらした。音楽家であり詩人であり演出家であり舞踊家である二人は、日本の舞台の音楽と劇作法と演出と踊りに新しい高尚な形式を与えた。二人は舞台の偉大な立法者だった。二人が伝統を創ったのだ。その時以来、「ノ」は宗教的な儀式として定められた。
舞台は、幅が27フィート、奥行きが28フィートだ。地面よりもとても高いところにある。屋根は、シンドウの神殿の屋根そのままだ。その屋根は、四隅にある四本の柱で掲げられている。左側に、屋根のついた廊下が通じている。それが舞台と舞台裏を繋げている。その廊下から役者たちが入って来る。奥に吊り下っている思いカーテンを持ち上げるのだ。一本の巨大な濃緑の松が、常に舞台に描かれている。それは、「ノ」が私的な舞台ではなく、野外の神殿の松の下で演じられていた時代を表現しているのだ。「ノ」の黄金時代に書かれた数千の悲劇の中から、342の演目が、今でも演じられている。悲劇のテーマには、神、幽霊、悪魔、あるいは屢々、生身の人間の来歴に伴う激情がある。悲劇の主題に於いて、次第次第に、人間が主要な位置を取るようになり、神と取って代わった。これは、進化の特徴の一つである。それまで神が演じていた役割を、人間が取り、演じるのだ。
悲劇の配置は、特定の様式に従っている。冒頭に於いては、ギリシャ古典悲劇のデフテラゴニスティスに当たる「ヴァキ」が登場する。「ヴァキ」は、大抵、僧侶か何所かの為政者に使える助言者だ。歌いながら独特の歩行をする。観客に、どう旅をしていたかを述べる。ある点まで来ると立ち止まる。そして、私たち観客に、旅の目的であったその寺院で自分がどのようであるのかを述べて明らかにする。それから、ギリシャ古典悲劇のプロタゴニスティスに当たる主人公が、神官あるいは農民または猟師の姿で、遣って来る。そして、作り話しと語り、寺院の言い伝えを述べる。すると、突然、不可解に消えてしまう。それは、神あるいは名立たる戦士の誰かの幽霊だったのだ。
ヴァキが、超自然的な現象に驚いていると、本物の農民たちが現れる。野卑な言葉を話す彼らは、神あるいはその寺院に祀られている英雄について物語る。そして、農民たちが退場し、再び、ヴァキが一人になると、歌が始まる。歌が終わると直ぐに、廊下の奥のカーテンが上がり、ゆっくりと、聖職者風に、プロタゴニスティスが、再び入って来る。今度は真の姿で。神、悪魔、幽霊の姿だ。仮面を着け、踊り始める。言葉と身振りを伴って踊り、観客に、自身の魂と複雑な悲しみ、あるいは、気高い身の上を物語る。
「ノ」に於けるすべての動作は、簡素で緩徐だ。そして、宗教的威厳に満ちている。後に残る印象は、重苦しいものだ。観客の心持ちを多少和らげるために、悲劇の後に必ず喜劇が演じられる。「狂った言葉」は、陽気さを取り戻させる。心持ちはしっかりし、もう二番目の悲劇を聴く用意が出来る。と言うのは、古代ギリシャと同じように、ここでも、少なくても三つの悲劇が演じられるのだ。公演全体は、一日中あるいは一晩中続くことがままある。それは、ハリスト教徒が、一晩中、ハリストスの受難劇を見て過ごすのと同じだ。また、古代人が、ディオニソスの受難劇を見るのと同じ。それと同じように、仏教徒がブウダスの受難を見ているのだ。何故なら、ブウダスとハリストスとディオニソスは一つだから。永遠に苦しむ人間なのだ。
15. キオト
私のナラの日程は終わった。私は、「リオカン」の赤いクッションの上に座っていた。スーツケースは用意が出来ていた。直ぐにも、気品のある古都、キオトに向けて出発するばかりだった。私は、心の中に、この顕微鏡で覗いたような街で、見聞し楽しんだものすべてを思い出していた。私の魂がゆたかになったように、少し清らかになったように、心が和らいだように思えた。最上の美しさの作品を幾つか見たのだし、聖域に座り、眩惑と神々しさに満ちた睫毛の多い鹿の瞳と共に、時を過ごしたのだから。その聖域では、私たちギリシャの古代のディオニソス的酩酊の遠い妹である日本の悲劇が生まれたのだ。
王を亡くした王妃の街、キオトでは、一体どのような新しい楽しみが私を持っているだろうか。私は、今晩には、そこに着くだろう。旅は、思いもしなかった邂逅であり、狩りなのだ。だから、出掛けて行っても、どんな鳥に出くわすかは、予言出来ないのだ。旅は、ワインのようだ。それを飲んでも、どんな幻想が自分の頭の中に降りて来るのかを予め言い当てることは出来ないのだ。確かなのは、旅をしているといつも、自分の中に持っていたものを見つけるのだ。そうしようと望みもしないのに、怒濤のように押し寄せる数え切れない印象の中から、旅行者の瞳は、自分の魂に最も必要なもの、あるいは、最も知りたがっているものを選択、選別している。「客観的」真実が、それだけで在る。それは、写真の暗室に在る。それは、感動もなく、その上、密に触れ合うこともせず、冷たく世界を見詰める心に在る。―なんて無意味なことだろう!― これまで憎んでいたもの、愛していたものすべてが、この接触の不思議さに影響を与えるのだ。目にする土地、出会う人々、選び出す出来事の一因となっているのだ。そうだから、実は、旅行者は、各個人が、それぞれ、自分が旅した土地を作り出している、と言えるのだ。
日本の大衆歌謡がそれを上手く言っている。私よりも上手く。
プラムの小枝に、プラムの小枝に一羽のナイチンゲール。夜になり雪が降ったと夢見た。
すると、山々にも平野にも、本当に、降って降る雪以外は何も見えない。
雪以外には何も見えない。
また別の夜のそのナイチンゲール。そこにあるプラムの枝が花を散らしていると夢見た。
すると、山々にも平野にも、本当に、プラム以外は何も見えない。
花咲いたプラム以外は何も見えない。
そして、花弁は散っていく、プラムの花弁は地面に、、、
[ この歌の原詩は、野口雨情の「鶯の夢」( 1928 ) と思われる。
梅の小枝で 梅の小枝で鶯は
雪の降るよの夢を見た
野にも山にも雪ばかり
さあら さあらと 雪ばかり
雪の降る夜に 雪の降る夜に鶯は
梅の花咲く夢を見た
野にも山にも梅ばかり
ちいら ちいらと 梅ばかり ]
「リキシャ」に寛いで座りながら、私は、或る人類学者の背中を見詰めた。彼は、汗だくになって、小さな荷車を右に左にリズミカルに揺すぶりながら引いていた。私と一緒に旅行をしている、その人が、そんなにも大変な思いをしているのが、私は恥ずかしかった。私も同じ程の荷物があったのだ。幾つものツーツケース、書籍、それに、一盛りの果物籠。私は、その人の幅広の足裏が雨に濡れた道を柔らかくパタパタと音を立てているのを聞いた。苦力のほとんどは、結核で瞬く間に死んでしまう。
人間の品位を傷つける辛い労働。引いて貰う者を引く者がいる。世界が正にこのままならば、様々に常に新しい形態に更新される苦力が存在し続けるのではないかと、私は恐れている。
私たちの義務とは何だろうか? 汗に濡れた背中を執拗に見詰めながら、私は熟考した。私たちが出来るかぎりに於いて、世界に何もよくなるようなことを提供出来ない様なすべての人に、苦力が担っている仕事を実行させるように、私たちは努める。ただそれだけだ。 そうして、今日の不当で非人間的なものではない、苦力が乗り物で行き命令する、と言う、正しく公平な階層に、一時的にさせるのだ。
公平とは、全員が支配者あるいは全員が隷僕と言うことを意味しないだろう。生まれつきの隷僕は隷僕の務めをし、生まれつきの支配者は支配者の務めをする、と言うことを、公平は意味しているのだろう。人間の不平等性を、私は堅く信じているから。私たちが生きている今日でさえ、高貴な魂に、この今日の世界の構造を憎むと言う本分があるのは、世界に支配者と隷僕があるからでなく、今日の支配者たちが古代の支配者たちにあった美徳を失い、隷僕に成り下がっているからに他ならない。
駅には、桜花を楽しみに来た多勢の参拝者が、また、いた。今の私たちの工業化の時代に於いて、毎春に日本の大衆を捉える詩的高揚は、全く信じ難いものだ。参拝者たちは、花の咲いた樹の前に長い間立って、何も言わず動きもせずに、樹を見詰める。誰一人、枝を一本折ろうとするか、あるいは、花の一輪の香りを嗅ごうと、手を伸ばすものはいない。ナラの公園で、私は、花の咲いた枝の香りを嗅ごうと、爪先立ちで、枝に届くまで伸び上がったことがあった。私の側に立っていた二人の日本人が、驚かされたように私を見詰めた。ちょうど、私たちが花を食べようとしている者を見る時のように。
日本人は、花の薫りを愛でるのではなくて、その完璧な形状、繊細な色調、花瓶や樹上との建築的配合を愛でるのだ。それだから、日本人は、花瓶への花の配列を芸術に高めたのだ。「イケバーナ」と言う。花を蘇えさせる技能の意味だ。日本人が、本当に教養を身に付けたいと思うのならば、花の構成の仕方を知らなければならない。ある部屋の中にはどのように置くか、それが春であればどうなのか、秋であれば、あるいは、昼であれば、夜であればどう置くのか、その花々が自分に、喜びあるいはさびしさ、また、瞑想あるいは苦い郷愁と言った特定の感情を思わせるようにしたいならば、どうするのかを知らなければならない。
仏教信仰の深い影響がある。すべてのものを虚無と慈愛の柔らかな薄明の中に硬く結びつけて見るのだ。実際、日本の言い伝えでは、花を組み合わせる、この繊細な技法は、一人の仏教の聖人が日本に持って来たと信じられている。ある朝、その聖人は、寺の前で嵐のために地面に倒れている何輪かの花を見たのだ。聖人は、それを悲しみ、身を屈めてそれを起こし、何時間も跪いたまま、その花をブロンズの花瓶の中に組み入れていた。恰も、花がまだ樹にぶら下がっているかのように、花々に死んではおらずまだ樹上にあると自己欺瞞をさせたいと思っているかのように、花を組み立てたのだ。そして、組み終えると直ぐに、ブウダの足元にその花瓶を置いた。言い伝えでは、ブウダは唇を動かして満足げに笑った、と言う。
私は、灯の点った様々な色のランプでいっぱいの夜のキオトの細長い幾つもの道を忘れることは決してないだろう。どの道も、風が臭気を放ち、ヒューと鳴ったり、ガタガタと音を立てていた。ある所では、仏教寺院独特の優しいゴングを聞いた。また、葦が青々と茂った壁の後ろから、「サミセン」の硬い神経質な弦の音が鳴り、一人の女性が悲しそうに歌っているのが聞こえた。「雪の降る夜、人々が茶を飲む夜、貴方が私を愛してるのなら、来て、どうか…、」 また別のサッポー的な女性のいつの世も変わらない切望の歌、「長い長い夜、金の雉の尾の様に長い夜、その間中、私は一人で眠る運命なのだろうか。」
私は、それと知らずに、決まった路から外れてしまった。そこに、女たちが座っていた。小柄な笑顔の老女たち、相当前に世間から退いた女たちが、今は、男たちを迎え入れる門番になって座っているのを、私は見た。男たちが木履やサンダルを脱ぐのを手伝い、小さな戸を開けてやり中へ…。開いていた戸の所に、私は少しの間立ち止まり、身を屈めて、小さな中庭を覗いた。花の咲いた植木鉢、材木からの香り、二つの大きな紙のランプ。その下に、大きな音のする幅広の三段の階段…。その各段の上に、ゴムのものや、紐の付いたのや、新しいのや、歩行の癖で偏って擦り減っているのや、子供のものの様に短いのや、艀の様に幅広のやの色々の種類の履物が並べられていた。そこに、裏返しにされた、木履やサンダル、スリッパと言ったあらゆる履物が混ざった、別の一列が差し込まれていた。実際には、金の雉の尾の様に長い夜にも、ゲイシャたちは、( 神様のお陰 ) 、一人きりで寝ることはないだろう。
私は真夜中まで歩き回る。目が閉じてしまうのをもったいなく思う。この春の走馬灯のすべてが夜の街の見せ物のように、私には見えた。人間の偽りの神である、マラが、ある瞬間、中空に立ち、息を吹き掛けるだろう。すると、すべてのもの、灯、寺院、人間、木履は、吹き飛ばされるだろう。私は、その風の建築を見れるだけ見ようと、行ったり戻ったりする。「ヘイアン・キオ」だ。「平和の首都」と言う意味だ。794年に、ナラの皇帝たちは、全能で好色で貪欲な司祭たちから逃れて生き延びようとしたのだ。無駄な試みだった! 同様の優美さと逸脱がキオトの新しい宮廷を作り上げて行ったのだ。同じ悪の花々。中国風ファッション、厚かましい浪費、信心深さと放蕩。ダイングオ天皇治下の高位の廷臣が提出した嘆願書が今でも残っている。「修道士たちは非人間的です。信仰を慮ってはいません。愛人を何人も持っています。偽金を鋳造しています。盗みもするし略奪さえします。肉を食べます。それに、あらゆる命令に背くのです。」 貴族たちは、謎掛け判じ物である詩を創ったり、花を集めたりして時間を過ごした。また、桜の為だとか満月の為だとか水の等々と言って、祭りを催した。冬に花で樹を覆ったり、夏に雪で樹を覆ったり…。それに、犬や猫に夢中になった。犬猫に公式な官位を与え、多勢の人間がその世話に専念した。王のお気に入りの猫が子を産むと、廷臣はその猫に、絹のリボンや金の皿に入った小さな鼠と言った、贈り物をした。
私は、夜の路をゆっくりと通った。街を、暗闇の中で恋人の顔を見るように、見詰めた。どの街にも、男性か女性かの性別がある。ここの街は、どこも女性の性を持っている。私は、この街の恋の冒険、スキャンダル、奢侈に思いを馳せる。私には、どの街も神聖で不可欠なものに見えた。この街は、女性としてのその責務を為し終えた。街は、そこに住む人々が前進するのを持ち前の女性的な方法で助けた。愛して、浪費して、そして、奢侈をほとんど真実の位置、必然的に神聖な位置へと高めたのだ。
幾つもの路を歩き回っていると、そう思えて来たのだが、その路の昔日すなわち罪深い女たちから送られて来たもの、その本質を見ることが出来て嬉しく思った。この街が女性的な細胞を与えて、日本の魂は完成したのだ。明日の朝、私たち二人は目覚めて、街が陽の光の下私の前で覆いを外し、私が街を愛し街の罪のすべてを赦す理由を深く理解するだろうことを、私は嬉しく思っている。他の罪深い美しい街が、私がそこをとても愛しているからと言うだけで、赦されているのと同じだ。
奢侈を祝福しよう。私たちが、贅沢で余分な飾り羽と呼んでいるものだ。文化とも言うだろう。奢侈を必要なものと考えるのだ。動物を越えるのだ。食べること、飲酒すること、眠ること、女を求めることだけに汲々としていてはならない。パンと同じく余分なものを切望して「翼のない二足歩行」を始めた時、その時から、人間になったのだ。この世界にある良いもの、有象無象の衆の中から残っているもの、それは、奢侈なものなのだ。一枚の絵画、花の彫刻、一曲の歌、何か一般常識を越えたものだ。奢侈は、高尚な人間には何より必要なものなのだ。心の余裕、人間の真の心だ。
私は、千年の首都の豪華な宮殿全体を、いつ果てるともなく漫ろ歩く。そして、「青く清々しい部屋」で立ち止まった。幾つかのきざはしがある技術で設えてある。そこには、遠いビヴァ湖の風が常に吹いて、部屋を涼しくしている。私は、その絵画を楽しんだ、鳥、花々、水、葦の絵。そして、彫像と彫刻それに、赤白黒の神聖な三色のカーテンを堪能した。壁には、コンフォウキオスの意味深い格言がある。「王は風に似ている。民衆は草に似ている。草は、風が通る時、身を倒すものだ。」 風は通り過ぎた。草もなくなった。格言が残っている。
私は、人気のない宮殿を通って行く。そこにはもう、蜘蛛も住んでいない。王達は去って行った。象牙や金、木に刻まれた、あるいは、衝立てや団扇に描かれた、神聖な王の象徴が残っているだけだ。十六の花弁の菊だ。私は、庭を通る。世界にはこれより素晴らしい眺めはないのでは、と思う。中国風なのかあるいは日本風なのかの庭がある。今日までに人間が到達した最高峰の一つだと、私は思う。
「儂に世界で最も美しい庭を造って欲しい。」 大ヒンデギョヒは、有名な芸術家コンボーリ・エンソウに命じた。
「致しましょう。」と芸術家は答えた。だが、三つの条件を付けた。α:ヒンデギョヒが費用に制限を全く付けないこと。β:自分に乱暴をしないこと。そうなったら当然仕事を止める。γ:出来上がる前には、ヒンデギョヒが見に来ることは決してしないこと。何故なら、そうすれば、ヒンデギョヒに何かの考えが浮かんで、自分の元々の計画を台無しにするだろうから。
ヒンデギョヒはその条件を受け容れた。そして、ここ、カツォウラ河と優雅なニシギャマ丘の間に、素晴らしい庭が出来た。岩、水、橋、樹、灌木、それらすべてが巧妙に配置されているので、見る者の魂は、言いようのない安らぎを感じる。 自分の神の神殿に入る信者であるかの様に、自分が恰も仏教徒であるかの様に虚無に入って行く。その庭に入った者は、生の喜びも死の恐れも少しも覚えないのだ。そして、リ・チェオのように、身を屈めて人間の髑髏を一つ拾い上げこう言うだろう。「私はたった一人だ。そして、私たちは、この髑髏が本当には生きても死んでもいないことを知っている。」 確かに、このような喜びは、ただ、死者、偉大な庭師だけが私たちに与えることが出来るのだろう。
美術館を歩き回り、日本の絵画を見た。どの筆致を見ても、その比類のない程の簡潔さ、力強さ、純真さに、私は飽きる事がない。それは、真正の芸術だ。無駄な飾り、派手な色彩のない、まるっきりの曝け出しだ。私は飽きずに見詰めた。次のように自分自身に厳しく命じた。カーノ・テヌウの描いたこのあしを決して忘れないように。ほんの僅かの銀灰色と軽やかに真直ぐな黒い線で、優雅さを巧みに印象付けている。葦は、見えない水の上に枯れることなく撓んでいる…。
ブウンチョ・ターニの大火事の絵を決して忘れてはならない。私たちは、大火災の音を聞く、火焔を目の当たりにする。私たちは燃えているのだ。けれども、私たちは、理解は出来ない。突然に、この大火事に直面し、そして直ぐに、炎の本質を深く感じるのだ。恐怖が私たちを捕える。
それから、壁の肖像画のことも。一人の修行者が座っている。オレンジ色のものを着て、何も無いところを見ている。さらに、五人の僧たちの肖像画。赤いものを着ている。修道院のテラスに並んで座り、微笑みながら、静かに決まり切ったように空っぽの風を見詰めている。慈悲の神、カノンの木像が、隅に聳え立っている。たくさんの手がある。それぞれの手は、違った手付きをしている。押すもの、支え持っているもの、撫でているもの、指し示しているもの、追い遣るもの、招いているもの、…等々。だが、主な手は、固く握りしめられ、祈っている。庭、文字の謎、茶の儀式、花の組み合わせ、…、これらの喜びの泉は、白い胸には、このように優しく湧き出しはしない。黄色人種は、私たちよりもずっと繊細だ。と同時に、神秘性を併せ持ち、そして、とても野蛮だ。黄色人種の伝統と歴史は、時には、想像を超えた感受性に満ちていて、時には、残忍な冷酷さ満ちている。
今日私が散策した仏教の寺院、ホーノ・ジで、1582年、日本に生まれた最も重要な軍人であり政治家であり放蕩家の中の一人、ノブウナーガが殺された。頭脳に於いては最高の、そして、酒に於いても、戦争に於いても、快楽に於いても巨大な魂。その魂は、人をも神をも恐れなかった。冷酷で寡黙なその男は、神政を覆そうと、全国の平和と秩序を回復させようと、神々から人間を救おうと望んでいた。ノブウナーガは、自身の軍隊と共に、キオトに向かい合う位置にある、最も神聖で裕福な仏教の修道院であるリエイザンを襲撃した。そこは、全体が極めて美しい町だった。宗教の中心地、全能の場所だった。「突撃! 焼き払え!」とノブウナーガは叫ぶ。兵士達は震え、不敵に進もうとはしなかった。「此所を焼き払え! 地上を浄めるのだ!」と恐ろしい首領は再び叫んだ。修道院は灰になった。数千の修道僧とその妻、子供たちが虐殺された。
だが、ある夜、ノブウナーガは酔って興じて、寵愛していたミツウヒデの頭を掴んで、笑いながら、その者の額を扇子の鉄の骨で太鼓のように叩いた。ミツウヒデは、侮辱を受けながら笑っていた。そしてある夜、彼は数人の同朋を連れて、ノブウナーガが住んでいた、このホーノ・ジを急襲した。恐ろしい暴君は窓から姿を現して見た。矢の雨が彼を貫いた。ノブウナーガは、中に這い戻り、自分の最後が来たのを悟った。自分の妻と自分の子供たちを掻き殺し、ハラキリをした。「人間は一度は死ぬ、と常に言われている。人生は短い、世界は夢だ。栄誉のあるまま死のう。」
歌っていた声が喉と共に失われた。笛やハープを弾いていた指は朽ちてしまった。そして、踊っていた足も朽ちてしまった。ただ、すべての修道院には、今でも、絵画や彫像が残っている。それらは、人類の心を幸せで満たしている。宗教的法悦、そよぎもしない天国の空気、月明かりへ頭を傾げた隠者、大地から少し離れた上を過ぎていく夜露のような亡霊。そして同時に、生活のとても鋭い観察。熱のこもったごく細部までの描写。ユーモア。喜び。日々の生活への愛。色彩。例えば、真っ白な雪のある場所に全体が金色の雄鶏。また、鎧に身を固め、大きな二本のアンテナのある兜を被り、巨大な昆虫の様に、緑の渓谷から立ち顕われるサムライ。等々…
これらの絵には、謎がある。深くて、暗示的で、透過していくような謎。夢の中の軽い空気のような謎。何かを写しているのではない。たとえ、その画法が正確に見えたとしても、それは、描き写しているのではない。常に、描いた対象を仄めかしているのだ。西洋人は、画家は外見の形を愛していると考えるだろう。だが、画家は、その愛すべき形を産み出す不思議な諸々の力をもっと愛しているのだ。画家は、目に見えない物を描く。画家の技だけが出来る方法で描くのだ。正確に目に見えるように描くのだ。ある古代の中国の賢人は説いている。「事物のリズムで精神の実体を描け。」
白人は、自分たちを取り巻く世界に抗し、自我を押し付け、自然の力を自分たちの目的に屈服させるることに、最上の喜びを見つけ出している。東洋人が最上の喜びと看做しているものは、全体に没入し、個人のリズムを世界の大きなリズムと調和させることなのだ。今日では、私たちは、日本の絵画では、こうした深い精神的な対比を目で楽しむのだ。ここでは、絵画の主要な主題は、私たちが目にするその絵に描かれている人間では全くないのだ。主題は、その人間を取り巻いている風であり、場所であり、精神の樹木や水や雲との交感なのだ。主要な主題は、親交、同一化なのだ。そして、さらに良いものとして、人間の世界全体への復帰がある。
16. 日本の庭
二世紀前、偉大な舞踊家が日本に居た。ある時、その舞踊家は、ある有名な修道院の塔の階段を上った。塔の頂きから絶妙な庭が拡がっているのが見えるからだ。けれど、最も高い階に着いた時には、舞踊家の顔に不満が塗られていた。彼の後に付いて来た弟子たちの方に振り向いてこう言った。
「奇妙だ。何かが欠けている。階が抜けているのか。お前たちの内の誰か一人が、修道院長を呼んで来て呉れないか。」
修道院長が来た。舞踏家は、階が一つ抜けているのではないかと、修道院長に尋ねた。
「三十年、私は修道院長です。私が、この修道院に来た時、階は同じでした。何も変わっていません。」と修道士は答えた。
「けれど、何か階が足りないです。」 と、舞踊家は言い張る。「どうか、梯子の根元を掘るように命じて下さい。」
修道院長は、二人の人夫に指示して、掘り始めさせました。すると、もう一段があった。それは、時と共に、土に埋まっていたのだ。
「きっとそうだと思っていた。」と、舞踊家は言った。「一番上の階に登った時、私は、完全な調和には何か欠けている、と感じたのです。高さと庭の眺めとを完璧に調和させるには、もう一段の階が必要なのです。」
私は、キオトの中心部にある修道院ホンガーンジの小さな庭に立って居る。舞踏家の洗練された感覚が、私の心を揺さぶり、悲しくさせる。そのような感性を舞踏家の皮膚に与えることができたのは、誰なのだ。 私は小さな庭を見ている。二つの岩、偶然に落ちたように不規則だ。小さな水路、水が速く流れている。二基の橋、彎曲していて低く石造り。二、三本の枯れた灌木。それらは、ある暗示を人に与える、それは、なんて深い果てしない孤独だ!
「これは、偉大な女性アーティスト、シマノ・スケが造ったのです。アサギリは、三百年経っています…、この庭が何を意味しているのか、お分かりになりますか?」と、庭の番人の、よく太った無精髭の修道士が私に言った。
「分かります。感受性のない西ヨーロッパ人が理解出来るだけの分、分かります。」と、私は答えた。
修道士は喜ばしげに笑った。そして、話し始めた。私は、修道士の話しにうっとりと耳を傾けた。
「私たちの古代の芸術家たちは、私たちが一曲の歌を作曲するように、一つの庭を造っていた。大きな、難解な、複雑な作品です。私たちの偉大な庭師たちは、最初は、仏教の修道士でした。中国の技術を身に付けていたのです。後になって、その技術は、チャユの儀式の教師、詩人、画家、それに遂には、専門の庭師に移って行ったのです。」
「どの庭も、それぞれ、その趣意を持っているものなのです。抽象的な意味を提示しているのです。安穏、純粋、孤独、あるいは、威厳、雄大な荘厳さ、などです。その意味は、庭の所有者の精神にだけ合わせるのではなく、より広く所有者の一族の精神に、あるいは、民族のすべての者の精神に合わせているのです。個人が価値を持っているでしょうか? 個人とは束の間のことです。他方、庭は、他の芸術作品と同じで、永遠にあり続ける要素を持っているものなのです。」
「一人の修道士が、とても小さい庭に、神の全能性を印したのです。どうやって? 深淵まで届く感覚を使い、ここに、幾つかの古びてごつごつした岩を、配置したのです。修道士は、彼の考え、ある仏教の言い伝えを暗示しているのです。その言い伝えとはこう言うものです。修道士デティがある丘に登り、ブウダの教えを説き始めたのです。言い伝えでは、その時、岩々は、次第次第に、黄色い苔に覆われたのです。そして、まるで、拝んでいるかの様に、頭を傾けたのです。」
「私たちの国には、岩だけで出来た有名な庭があります。一本の樹も一輪の花もないのです。岩と干上がった水脈、水でなく砂が落ちる滝があるのです。こうした岩の庭は、宏大さ、孤高、近寄り難い神性を思わせるのです。修道士は、世間から離れて荒野へ行く代わりに、市街の中心部にあるこのような庭に引き蘢り、ただ一人でいるのです。修道士の精神は、瞑想と救済のために、孤独を必要としているのです。」
「他の庭々は、樹木と水と青草で装飾されています。そうした庭は、隠者ためのものではなく、一般の人々、やはり生の甘美を喜ぶ人々のためのものです。さて、その中で、最も広く知られているのは、「チャ・二ヴァ」です。チャユの庭です。その庭は、小さな部屋へ通じています。その小さな部屋は、チャユの儀式に使われます。それらの庭が指し示そうとしている感覚は、世間のざわめきからの隔絶、保護、解放なのです。考えて下さい、チャユの儀式が行われる神聖な小家へ行くのです。そこは、世間から遠く離れています。人気のない海岸にあるのです。そして、それは、秋の夕暮れなのです。侘しさと言う概念を示すために、その庭では、岩の上に、それに、樹の幹を取り巻いて、苔を植栽するのです。」
「私たちの最も偉大なチャユの儀式の司は、16世紀のリキウです。彼は、また、偉大な庭の芸術家でもあったのです。ある時、リキウは、地面に小さな埃も小さな葉を一枚も無い様に入念に掃いて、胸を張っていたのですが、突然に、何かが足りないと感じたのです。一本の樹のところへ行き、その樹を揺すったのです。何枚もの秋の葉が落ちて、地面に敷詰められました。リキウはそのままにしたのです。師匠が遣って来て、小路が葉で覆われているのを見て、理解しました。心を動かされた師匠は、手を弟子の頭に当ててこう言ったのです。「もう、私は不要だな。君は私よりも上級者だ。」」
修道士は黙った。そして、急いで、一つの石を本来の位置に置いた。石は、今日、多勢の参拝者たちが持ち運んで動かしていたのだ。
修道士は私にこう言った。「この石が調和しない所に置かれていたのが、お分かりになりましたか? この石の前にある二つの石の邪魔をして、視界を狭めていたのです。」
「ええ…、」と私は呟いた。心は痛んでいた。何も分からなかったから。
この極東の庭の芸術は、本当に、絶景だ。愛と忍耐によって得られた奇跡だ。一昨日には、私は、修道院の中庭で一本の松を見ていた。その松の幹は真直ぐだった。だが、枝々は、どれもが規則正しく幹の片側にあり、地面の方へ垂れ下がっていた。そして、葉はどれも、密に生え縮れていて、まるで、孔雀の緑の尾の様だった。
「この松はどうなっているのですか?」、私は驚いて尋ねた。
ひとりの修道士が私へ答えた。「忍耐を持って、そして愛情を持って、毎朝、朝はまだ枝々が柔らかいものですから、その枝を私たちは手で撫でて、言い聞かせて、私たちが望む形を取るように仕向けるのです。」
そして今日、あの修道士が私にあれらの庭について話すのを聞いた。私は、この世界にはこの様な一連の芸術があるのだと深く思い至った。それは、私たちの知っている芸術とは別の、驚く様なものなのだ。それを見る私たち西洋人の極小の精神を無限の庭にする様な芸術だ。そして、私たちが見たその庭の中に、私たちにとても良く調和する意味を置くのだ。例えばそれは、喜びであり、孤独であり、厳粛であり、快楽であり、静寂であり、…、私たちの本質である、ありとあらゆる意味なのだ。
この様なことを、私は、修道士に言った。修道士は、頭を振った。
「貴方の言われることは難しいです。庭の外から始めましょう。先ずは庭なのです。それから、心の庭になるのです。そうして、最も難解な、最も謎めいた、最上の庭になるのです。その庭には、樹木も、岩も、観念もないのです。」
「風があるだけですか?」
「風もありません。」
「では、その庭をなんと呼ばれているのですか?」
「ブウダです。」
17. チャのユウ
「この松はどうなっているのですか?」、私は驚いて尋ねた。
ひとりの修道士が私へ答えた。「忍耐を持って、そして愛情を持って、毎朝、朝はまだ枝々が柔らかいものですから、その枝を私たちは手で撫でて、言い聞かせて、私たちが望む形を取るように仕向けるのです。」
そして今日、あの修道士が私にあれらの庭について話すのを聞いた。私は、この世界にはこの様な一連の芸術があるのだと深く思い至った。それは、私たちの知っている芸術とは別の、驚く様なものなのだ。それを見る私たち西洋人の極小の精神を無限の庭にする様な芸術だ。そして、私たちが見たその庭の中に、私たちにとても良く調和する意味を置くのだ。例えばそれは、喜びであり、孤独であり、厳粛であり、快楽であり、静寂であり、…、私たちの本質である、ありとあらゆる意味なのだ。
この様なことを、私は、修道士に言った。修道士は、頭を振った。
「貴方の言われることは難しいです。庭の外から始めましょう。先ずは庭なのです。それから、心の庭になるのです。そうして、最も難解な、最も謎めいた、最上の庭になるのです。その庭には、樹木も、岩も、観念もないのです。」
「風があるだけですか?」
「風もありません。」
「では、その庭をなんと呼ばれているのですか?」
「ブウダです。」
私の心に庭の形象を止めるとするならば、私は、此所、京都にある修道院のリウアン・ジの岩の庭を止めるだろう。青い樹木は一本もなく、一輪の花もない。樹木や花は、高い囲いの外にある。その庭は、まったく誰もいない砂浜だ。その砂浜の上に、あちこちに置かれた十ばかりの小さなのや大きな岩がある。ソ・アミが、16世紀にこの庭を造った。彼は、この庭で、牙に赤ん坊の虎を咥えて逃去ろうとしている一頭の虎を表そうとしていた。本当に、私たち西洋人は、そこに配置された岩が、恰も恐慌に捉われたかの様に、恐れ戦いて走り回っている様に感じるだろう。虎と言う考えが、見る者の頭の中で成立するのだ。ただ、私がいつも心に描いている庭に居る虎に対しては、私は、神格を与えるに違いない。
今朝、私はホテルの庭に降りて行き、庭師が、矮小なプラムの小枝に、田園的でとても暗示的な咽び泣く柳の形になるように、言い聞かせ、撫でさすり、仕向けているのを見ていた。そのことを、私は考えていた。長い間、私はそこに立って、その年老いた庭師の細い巧みな指を驚きの感を持って眺めていた。庭師の指は、とてもやさしく、自然を手懐けていた。その庭師の老人は、自分の卑しい職責に於いて、高尚な隠者たちが従っていた、あの法則に従っていた。そして、あの得難い勝利を手に入れたのだ。自然の力を自在に操り、知性の決めた形にするのだ。
私が、チャユの儀式「チャ・ノ・ユ」に出掛けた時には、太陽は既に高くなっていた。私はそこに招待されていたのだ。歩きながら、私は、長く有名なチャユの歴史を全部頭に入れていた。非常に古い時代から、中国人たちは、茶を薬として使っていた。中国人たちは、チャには非常によく効く効能があると考えていた。神経を静める、視力を高める、精神を穏やかにする、意欲を強くする、と言う効能だ。何日もの徹夜がある時には、仏教の修道士たちは、疲労困憊して気を失わない様に、チャを飲んだ。チャは、修道士たちが神聖な昇華をするのに助けになった。それ故、次第に、チャは神聖な薬草と考えられるようになった。それからは、修道士たちは、決まった宗教的様式に従って、チャを飲むようになった。
宗教と共に、ある日、中国のチャが、日本の海岸に入港した。神聖な、高貴な飲み物。少数の友人が集まって、沈黙の中、美しい絵画か幾輪かの花を見詰めながら、ズズ、ズズッとチャを飲む。そして、彼らは、自分たちの身体と魂が静まっていくのを感じるのだ。厳しい野蛮な時代では、奥に隔絶された庭の小さな部屋に、多くても五人の少数の友人と一緒に座り、当時はまだ神秘的だった飲み物を飲み、神について、あるいは、芸術について語り、戦いを忘れることは、大きな安堵だった。こうして、最初の神聖な雰囲気が創り出され、それが、「チャ・ノ・ユウ」になった。偉大な師匠たちが現れた。彼らが式典の規定を決めた。チャユの部屋は何の様であるのか、冬には何の様であり、夏には何の様であり、朝には何の様であり、夕には何の様であるのかを決め、庭は何の様であるのかを決め、招待客は何の様に振る舞うのか、招待者は何の様に振る舞うのか、チャを何の様に湧かすべきなのか、何の様に注ぐのか、何の様に飲むのかを決め、何の様な会話をしなくてはならなくて、何の様な会話が神聖な交流を乱すので決してしてはならないのか、等などをを決めた。
こうした洗練された古いことのすべてが、私の記憶に楽しげに昇って来たのは、ニシジンの労働者地区を通った時だ。私は、長い家の敷居を通り抜けた。その家で、よく知られた儀式が行われることになっていた。庭の小径。それは、入口からチャユのパビリオンである「スキヤ」に連れて行く。その小径は、七メートルよりも長くはない。けれども、庭は絶妙な技巧で配置され、岩や樹や石の灯籠がとても暗示的に置かれているので、訪れた人の心の中には、直ぐに、絶対的な孤独の感が生じるのだ。
小径の端には、小さな泉の透明な水が流れている。私たちがしなければならないのは、身を屈めて、手と口を洗うことだ。靴を脱いで、裸足で三段の階段を昇る。そして、黄色の藺草の敷物が敷詰めてある神聖でとても簡素な部屋に入る。家具のない剝き出しの部屋。ただ、低い小さな卓がひとつと桜の花の花瓶が一つあるだけで、角に灯りが灯してある。そして、ティーポットが沸いている。ティーポットの中には、水が沸騰した時に何かのメロディが出るように、鉄の砕片が入れられている。招待客はそれを聴いて、様々なことを思い浮かべるのだ。「遠くの滝」であるとか、「岩に砕けている、遠方の海」であるとか、「葦に落ちる雨」であるとか、「風に唸る」等など。
壁には、吊り下げられた絹の長い帯がある。それには、「チャ・ノ・ユウ」の偉大な師匠リキウの絵が描かれている。「貴方の技術の秘密を私に教えて下さい。」とある日とある貴人がリキウに尋ねた。リキウは答えた。「冬には、部屋をきれいに片付けなさい、そうすれば、暖かく思えます。夏には涼しく思えます。水が本来そうであるように沸騰させるのです。そうすれば、茶は美味しくなります。「ですが、それは誰でもが知っていることです。」貴人は軽蔑して言った。リキウは「それを知っているだけでなく、それを実行出来る人が居るとすれば、私は、その人のところに行って、その足元に伏して、弟子になるでしょう。」と言った。
私は、偉大な師匠を見詰め、彼の言葉をずっと考えていた。その時、戸が音もなく開いて、黒い高価なキモノを着たゲイシャが入って来て、床まで身を屈めてお辞儀をした。そして、ゲイシャの後ろに、手伝いが現れた。ずっと若く、やはり黒いキモノで、背中に大きな金のリボンを付けていた。無言でお辞儀をした。二人は座った。先のゲイシャが沸いているティーポットの前に座り、とてもゆっくりな動きで、一枚の絹の布を使い、小さなスプーンやカップを拭き始めた。その後ろ、直ぐ側に、手伝いが座っている。深い沈黙。水の音以外は聞こえない。楽しそうな、踊るような、煮え滾る音だけが聞こえる。
戸が、再び、音もなく開いた。十歳よりも幼い少女が八人、足を引き摺る様な歩み方で入って来た。少女たちは、黒のリボンが付いた、明るい赤色のキモノを着せられていた。顔は、濃くパフを叩かれていて、仮面の様だった。それぞれが、陶器の小皿を抱えている。皿には、卵の様な、米と蜜から出来た菓子が一つある。それを食べたものは、生涯、病気にならないと言う。少女たちは、それぞれ、招待客の前に立ち、深いお辞儀をして、客の前に小皿を置いた。
一方、チャは出来ていた。一番年長のゲイシャがそれを磁器で出来た円い小さなカップに注いだ。そして、手伝いが、立ち上がり、カップを一つ一つ持って来て、私たち一人一人にお辞儀をして、前にカップを置いた。 私たちは、両の掌の間にそのカップをとって、すすりすすりしながらチャを飲んだ。濃厚で、緑色をしていて、とても苦い。私たちが飲むと、儀式進行者の年長のゲイシャが、再び、ゆっくりゆっくりと、チャユの道具、小さなスプーンやティーポットを拭き始めた。そして、立ち上がった。深くお辞儀をした。彼女の後ろで、手伝いがお辞儀をした。そして、ゆっくりした足取りで、次々に歩み出し、全員が戸から見えなくなった。儀式は終わった。
私は、庭に出た。まったくの静寂とチャ・ノ・ユのとてもゆっくりなリズムが、私の血に落ち着いたリズムを与えていた。思いもかけず、私は、ミコノス島に到着したあの日の午後を思い出した。私は、丘々を取り巻いた風車が微動だにしない光の中でゆっくりゆっくりと動いているのを見ていた。それから、あの時、私の心が何の様に捉えられたかを思い出した。その動きがあまりに絶え絶えであったので、私の血は、そのリズムを取る他はなくなっていた。あの時と同じ様に、私の心は、捉えられた。小径は直ぐに通り抜けた。賑やかな通りへ出た。私は、苦力たちが裸で車を引いて急いでいるのを見た。もう昼になっていて、幾つもの工場が汽笛を鳴らしていた。ニシジンのとても騒々しい地区を労働者たちが帰宅している。ニシジンには、大きくて有名な絹の工場が幾つもある。私は、さっさと歩いた。まるで、悪夢から逃げ出したいかの様だった。私たちが生きているこの時代に於いて、チャユの儀式そのものが、私には、ハシシの様に思える。チャを飲んで、目を曇らせ、自分たちを取り巻くもの、それに、私たちの中の恐怖を見ない様にしているのだ。実際、私たちは、ニシジンの顔の青褪めた女工たちや苦力たちを見なかったのだから。
18. カマクウラ
私は、断腸の思いでキオトを離れた。私の血が一滴、この鉄道駅に残った。
夜明け、大地が微笑む、満開の極めて小さな桃の花が肥えた畑に輝いている。列車の窓に寄り掛かって、私は、痛めつけられ強張った日本の身体を見た。溶岩の山、鎮まっているけれど未だに煙りを吐いている火山、幾度もの地震が切り開いた渓谷、熱泉、それらすべてが、日本の悲劇の歴史だ。石と煮え滾った水と炎で書かれた歴史。もし、空気が澄み切っているとしたら、日本は、どれ程のものをその清明さに支払っているのだろうか! 暴力的な大気の流れが、清明さを創り出すのだ。折々に現れる恐ろしいタイフーンがそれを創り出す。タイフーンは、村々や幾つもの都市を根刮ぎに引き剥がすのだ。
そして、大地と大気は、再び、穏やかになった今、日本人たちは立ち上がり、家々や寺院を再建する。大気はもう澄み渡っていて、大地はまた涼やかな華やいだ仮面を着けている。日本人の魂は、悪夢から覚めた様に、喜んでいる。そして、日本の魂は、悪夢が再び急に現れる前に、急いで喜ぼうとしているかのように、木材や石に喜ばしげな神々を彫り付けるのだ。彫刻刀を取って、ほんの短い歌、17音節の「ハイカーイ」、31音節の「ターガ」を書く。筆を取って、夜露の様に儚げに、世界の美を描く。それが世界の美に似つかわしいからだ。「花の色は衰えた。私が自慢していたあの瞬間は虚しい。私の顔が世間から離れて行く。」、こう一千年前の日本の偉大な女性詩人オノノー・コマシは歌っている。しかし、この儚さが意味するものは、日本人の勇敢な魂に変換されている。運命論者、諦観者になるのではなく、地震や暴風、死が来る前に、楽しむこと、働くこと、産むことを切望するようになるのだ。
そうして、日本人たちは、自分たちの最上の象徴を選んだ。昇る太陽。花は菊、魚は鯉、がその象徴だ。太陽は、三つの重要な徳を象徴している。知と善と勇だ。菊は、冬でも耐えて咲いている。鯉は、川の流れに逆らって登り、下に押し流す力に打ち克つ…
私は窓から身を乗り出して、膝まで泥濘に浸って、米を撒く為の畑を準備している農民たちを見た。質素で生命力に溢れ勇敢な民族。辛い仕事だ。土地は少ない。日本のたった12%の土地が、耕作適地で、もうこれ以上、日本の子供たちを養うことが出来ない。農村生まれの子供たちは村を去り、都市に、その都市の中の工場に押し込められる。危険な時が、今、日本を経過している。19世紀に島国イギリスが経験したのと同じ危険な時代だ。当時、イギリスは、全住民を養うために何をしたのか? 工業化だ。農業のままだと、人口は溢れ出し、イギリス人は、海に落ちただろう。工業化をして、許容の三倍の人口を養うことが出来たのだろう。同じことを、今、日本はし始めている。農村は、荒廃した。工場が、増加する。家父長的生活は終わりを迎える。
笑顔を見せるビヴァ湖を通り過ぎる。大地は一晩で水没し、この青い水で満たされた。その水は、今日、これ程にも楽しげに光を受けて輝いている。漁師たちが列車に入って来る。機織りの杼の様な形の魚籠を抱えている。湖の岸にそれを仕掛けに行くのだ。日に灼けた胴、柔和な顔立ち、楽しげだ。漁師は、ごく最近まで、日本を支える柱の一本だった。漁師と農民。魚と米。今、別の者が微笑みもしない顔で間に入って来た。漁師と農民を押しのけるのだ。それは、労働者だ。
農民たちは飢えると、三々五々森の中に入って行く。旨い肉の獣を請う呪文を唱え始めるのだ。鹿、水牛、ガゼルの肉だ。それらの獣が、農民たちを憐れんで、農民たちの罠に落ちに遣って来て、危機に瀕している人間の一族を養ってくれる様に願うのだ。同様の深い交感を、日本の漁師たちが感じていることも、確実だ。と言うのも、一昨日、キオトで、「魚の魂」を崇める聯禱が行われていたのだ。漁師たちが集まって、自分たちの仕事の幡を立て、籠、網、銛を掲げ、布で出来た彩色の魚を風に靡かせて、皆んなが一緒に、神殿に行って神に感謝する。魚は、忝くも、自分たちの網に入って下さり、日本の人間の一族を養って下さるのだ!
19. ブシドウ
カマクウラの大通りにあるあるレストランに、私は座っていた。扉は開いていて、入口には、妖精じみた文字が書いてあるオレンジ色の帯の様な幅広の布がぶら下がっていた。ずっと細雨が降っている。夕方になる。雨に降られた人々が穏やかに通り過ぎ、細かい雨の編み目を擦り抜けるのが見られる。
食事の儀式が始まった。緑のチャ。煮た米が入った木製のバケツ、それはパンの代わりだ、それを自分で木の玉杓子で何度も引っくり返し、自分のケセ( ヨーグルトを入れる器 )の様な器に、一度、二度、三度と詰めるのだ。「男性にはケセ三杯の米、女性には二杯の米が正しい一人前だ。」と日本人たちは言っている。よく知られた「テンブウラ」が濃いソースと一緒に運ばれて来る。「ナンベ」が運ばれて来る、それは、火の上に置かれた小さなフライパンだ。私たちは、日本の民族的料理を、自分たちだけで料理し始めた。「スキギャキ」だ。カウカスの「シャシリク」、あるいは、ロミコ[ リムノス島のことか? ] のスブラキに似ている。バターを入れて、それから、薄く小さく切られた肉を入れ、そして、小さなタマネギ、セロリ、竹の柔らかいものを薄切りしたものを何切れか、茸、トマトを入れる。そして、木製の撥で掻き混ぜ始めた。小さなケセの中で卵を一つ割り、掻き混ぜる。フライパンの上に身を屈めて、料理が焼けるのをずっと見ている。それから、肉の一切れが焼けると、二本の木製の撥でそれを取り上げ、掻き混ぜた卵の中に浸す、そして、それを食べるのだ。それから、生温い「サケ」の入った底の平らな磁器のボトルを手に取り、極めて小さなカップに「サケ」を満たせて…、
私は食べて身体を養う。私はあちらこちらと見て回り、そんなことを望んでもいなかった、その身体を疲れさせていた。私は、憐れみながら、「わが兄弟、お馬鹿さん」に食べさせ、水をやる。今、私たちは、13世紀の燃える様な仏教の改革者、ニシレンが、厳格な『蓮の華』を説いた、と言われている石から戻って来たところだ。この激烈な日本のサヴォナローラに、美しいけれど恥じ知らずな奥方たちは、熱狂し、マゾヒスティックな喜びを抱いて駆け付けて、自分たちに鞭打つのを聞いたのだ。そしてある日、領主が、説教の革命的なことに驚愕し、この男の首を切り落とす様に命じたのだ。刑吏は、三度、剣を振り上げた。すると、稲妻が、三度、その剣を粉々に砕いたのだ。
それらのことを、ニシレンの石の前で、私は、自分の身体に言い聞かせ、疲れと空腹を忘れようとした。だが、私の身体は、頭を振り、信じない。身体は、信じるには、見、聞き、触ることを望むのだ。身体のこうした不信に対して、私は、天の王国ではなく地下の王国に行くことになるだろう、そこで蚯蚓に喰われることになるだろう、と、いつも言い聞かせるのだ。
レストランから出ると、細雨はもう止んでいた。紙のランプが花開いた桜の下に点っていた。風に苦アーモンドの仄かな香りが流れていた。私は、また、この照らされた桜の下のハシマンの神殿への道を取った。ハシマンは戦いの神だ。私は、もう、トーキオへ発つ。カマクウラの本当のパトロンに別れを告げなければならなかった。
何百年も経ている松に囲まれた、緑陰の中、戦いの神の神殿が威嚇する様に聳えていた。持ち上げられている粗野な屋根と梁。それらは、嵐を呼んでいる。龍が施されている重い扉。人里離れた、本当に誰も居ない、この神殿は、古い軍事国家の中心だったのだ。暗闇の中で、神殿は、一人の巨人のサムライを幻視させている。サムライは、樹々の陰で、ブロンズのアンテナのある重い兜を被り、二振りの剣と一本の絹の扇子を持って、待ち伏せているのだ。
ギィオリトオモの魂だ。ギィオリトオモの魂が、まだ、此所、彼が植えた樹々の中、段階の上に座っている。そして、彼の為の神殿で、故郷を救うであろうサムライの大軍を苛立たせている。と言うのも、厳しく不機嫌な頭首と言うのは、サムライの最も崇高な規範の一つだったからだ。簡素でスパルタ式の生活を営み、熱狂的にシンドウと仏教と皇帝を信じるのだ。「いつでも命を捧げられる様に簡素な生活を送れ、封土の主たちにそう命じた。我らの皇帝は、神の息子である。我らの郷土は、祖先の骨と魂で出来上がっているのだ。」
日本の中世の放浪の騎士たちは、この戦いの神の神殿から旅立った。サムライは、勇敢さと厳格さと公正さを持って、大事業を成し遂げた。修行僧であると同時に戦士である者たちは、厳格に生きることだけが、そして、自己否定することだけが、生き残れる方法だと信じていた。「自分の中を深く見詰めよ。そうすれば、ブウダを見出すだろう。」 肉体と精神を矯正するのだ、自らの意志を行使するのだ、自分が生きることではなく名誉と義務を最も重要なものとするのだ。人間の精神の前に、世界は、何の価値もないのだ。
彼らは、快楽主義やキオトの裕福な生活そして宮廷の洗練を軽蔑する。宮廷の儀式や道化の祭りからは程遠いところで生きている。山の中、険しい渓谷の中、遠い国境、辺境に、彼らの館の塔や城が聳えている。内戦が勃発した。その内戦は数世紀続いた。戦いを知らない不幸な農民たちは、封建的な君主から逃げるところがなかった。住民は、主な二つの階級に分けられていた。土地を持つ貴人と、土地を持たない奴隷だ。農民と職人がその奴隷なのだ。貴人にはただ一つの職業しかない、戦いだ。民衆は、武器を使用するのには相応しくないと、看做されていた。民衆の最も重要な徳性は、従順と勤勉なのだ。
私は、神殿の暗闇の中を逍遙した。階に触った。そこは、シズウカがギィオリトオモの前で踊り、死者を悼む嗄れた声を長々と流した所だ。血、愛、無情。その厳しく冷酷な目的は、死を恐れない人間の神域を創ることである。見るがいい、日本の古い徳、心性の最も堅牢なもの、「フンドーシン」が戻っている。「とても恐ろしい苦難の中にあっても動揺せず無頓直で居るのだ。戦いの場にあっても平静で居るのだ。恰も「老人が議場に穏やかに座っている、或いは、僧侶が独居室に静かに座している」かの様に。」 「常に自分の身体を死に備えておくようにするのだ。魂が自分を汚さない為に身体を投げ捨てる時が来たのなら、身体はお前に何の用があると言うのだろう?」
「常に備えておく様に! それが、サムライの最も重要な使命だ。家から出て行く時には、もう帰らないかの様に出て行くのだ。」 こうして、徐々に、サムライの使命が成文化されて、騎士資質の指針である「ブシンド-」が形成された。厳格な使命、日本人の徳の順列は次のようなものだ。
1: すべてのものの上に、名誉と義理。
2: 皇帝に盲目的な服従。
3: 大胆さと死の軽視。いつでも死ぬ用意が出来ている。
4: 肉体と精神の冷酷な鍛錬。
5: 友人への礼節を持った優しい態度。
6: 敵への苛烈な復讐。
7: 気前の良さ。節約は、臆病の形態の一つである。
そうした炎の様な使命を抱いて、純真で情熱的なドン・キホーテたち、サムライは、日本の歴史に噴出して来たのだ。その使命を抱いて、そして、「ブシンド-」を一つの宗教として賞讃して、現代の日本人も、新しい世代を創ろうと戦っている。騎士が、世界の歴史に溢れ出ようとして、完全に現代化されたのだ。
ドン・キホーテは、狂妄だ。彼は、高く、そして、悲劇的な理想を抱いて、滑稽な方法で、その理想を実現させようと奮闘している。木製の槍を持ち理髪師の兜を被って現れて、日本人の歴史の中では新しい武器、小銃と大砲を使い、そうした武器の敵と戦うのだ。日本人は途方もない野心を抱いている。そして、その野心を実現するために使う方法は、完全に現代化されている。けれど、その進め方は、ただただ忍耐、沈黙、頑なさなのだ。
マンツウリーアでの日本軍についての、一昨年のあるイギリス人の報告を、私は決して忘れないだろう。「 兵士達は、真冬の道も無い山の中を一日に50マイルを毎日進む。山中に、テントも無く、火も無く、野営する。凍えない様に、服の中に藁屑を入れている。米だけを食べている。稀に、魚か肉を食べる。 稀に、米が無い時は、寒さで固くなったパンを食べる。チャもコーヒーもない。水だけだ。そうしている間にも、四方から二十万の中国人が彼らを待ち伏せている。鬼の様に戦っている。チギスハノスの軍隊だけが、彼らに似ているのだろう。」
アジアの新しいドン・キホーテの歴史的使命とは、一体何なのだろうか?
20. トキオ
高層建築群、イギリス式庭園、可愛らしい小さな庭と金魚のいる小さなヴェセルのある二層の木の家々、パリのモードに絹の着物、 古い版画に映画の女や男のスターの破廉恥な写真、既に自分たちの「白鳥の歌」を奏でている「サミセーン」とその側に野蛮なラジオにジャズ、赤に黄に青の紙のランプ、滝の様な広告の電器の明り、濃く白粉を塗った小さなゲイシャたちと手にラケットを持ち大股で闊歩する「モガー」と呼ばれる男っぽい少女たち、これがギンザ、アメリカ化された罪深いトーキオの中心、その直ぐ脇にはメロンの種をグジャグジャ噛んでいる矮小な身体の女が敷居に立つ暗い小路が幾本も…、
古い日本の精神は、虚しく、出来る限りのこと、それは小さな燈火やキモノや「サミセーン」なのだけれど、それらを残そうと努力している。だが、アメリカで起こった地震がそれらを地面に投げ落とし、アメリカの嫌らしい陳腐な文句を、驚愕している日本の空にまで、高く掲げている。日本の古い精神が一番大切なキモノを着る、最も高く凝った髪の塔を立てる、白粉を叩き塗り付ける、そんな日が来るだろう。そんなに遅くはならないだろう。ある夕方、ラジオが怒鳴り始め、モダンな娘たちがカクテルを飲み始める時、日本の古い精神が、ギンザの歩道に座り、ハラキリをするだろう。そして、人々は、その古い精神の扇に一首の悲しいハイカイが書かれているのを見るだろう。「貴方が私の心を開くならば、貴方はサミセーンの三本の弦を見るでしょう、切れた… 」
私は、アメリカで学び今はある旅行社で働いている現代的な若い女性のヨシローとギンザに行った。夕方だった。ギンザのすべての燈火は点されていた。何千もの大衆、男たち、女たちが、日課のような「ギンブラー」、ギンザの散歩をしていた。
楽しげに色めいた風、柳の並木が歩道に煌めいている、着飾った女性たち、白粉を着けた女たち、アメリカ風衣裳を纏った黄色い洒落者たち「モボ、モダン・ボーイズ」、細身のスカートを纏い無遠慮な目をした現代的な娘「モガ」たち、時々、通り過ぎる未だに伝統的な香りのするキモノを着て奮闘しているゲイシャの鼻を刺す匂い。
私は、背の高い、毅然とした男っぽい少女ヨシローと一緒に行ったのだけれど、彼女に、ある夕方ここギンザでハラキリをすると言う、キモノを着た現代日本人を描いたハイカイを聞かせた。「モガ」は笑った。そして、皮肉な表情で私を見詰めた。「古い日本を惜しんでいるのですか? では、ハラキリをさせましょう、すっきりしましょう! 古い日本が銃を見た時に、ハラキリをして弓が千々に破れた時の様に、万年筆を見た時に筆がそうした時の様にです。プッ! アンティークですよ! さあ、行きましょう、民族博物館のショーケースの中に有り余るナフタリンと一緒に座りましょう。」
一瞬黙った。けれど、彼女の中で、感情が沸き立っていて、抑えられなかった。
「もう結構です。」と怒り帯びてを叫んだ。続けた。「私たちがカーニバルを演じるのはもう止める時なのです。観光客が口を開けて眺めに来るのも止める時なのです! どうか、私の憤りと羞恥をお分かりになって下さい。アメリカの老婦人たちが私の事務所に来て、私にエキゾチックな見学場所を提案させるのですよ。ゲイシャとか「スキヤーキ」とか、チャユの儀式とか、それに、出来るのなら、日本の結婚式か葬式に立ち会える様にして欲しいと言うのです。まるで、私たち日本人が猿であるかのように言うです!」
私は、彼女を宥めようとしたけれど、「モガ」は真っ赤に熱り立っていた。
「貴方は、私の年齢の女の子たちが何に苦しんでいるんかをご存知ないのです! 私たちが外国人の前にいる時は、お腹が空いてても少ししか食べないのです、そうしなければならないのです、口を半分だけ開けて話すのです、声のない笑いを笑うのです、ヒヒヒって。私たちの顔はメロンの様に長くなくてはいけないし、口は指ぬきの様ではなくてはいけないのです、蟹股なのは赤ん坊の時から背中に括り付けられて足を曲げているからなのです。それに、私たちはスポーツをまったくしないのです、それに、私たちは米を食べますが肉は滅多に食べないのです、それで、私たちの身体は虚弱で熟れたメロンの様に黄色くなるのです。それに、私たちは、私たちでなくて老人たちが好きな男の人と結婚するのです、そして、その男の人を礼拝して、それに、その人をご主人と呼び、靴を履かせて脱がせてるのです、それに、私たちは、男の人が愛人を囲っているのを知っているのです、けど、それは古くからの為来りなのです、私たちは、ずっとずっと、「祖先の霊」に平伏さなくてはならないのです! でも違うわ、どうか、「子孫の霊」の言うことを聞く方が良い、と私に言って下さいませんか。」
私は、嬉しくなり私の同志を見詰めた。私の前には、日本人女性の静かで微笑んだ様な幼稚な瞳は、もう、なかったのだ。ヨシローの双の瞳は、彼女の中で革命の先頭の炎が燃えているかの様に、輝いていた。当然、その瞳は、神秘的で東洋的な魅力を失ってはいた。だが、もしかしたら、日本女性のその瞳は、旅行者の為に生じていたのではないだろうか? この少女は、急激な過渡期の類型なのだ。キモノや蟹股それに東洋的エキゾチックな魅力、それらすべてを、彼女は、確実に一掃してしまうだろう。私の前にこれからそうなるだろう日本があった。この少女の言うことすべてが、日本について書かれているどんな博学な社会学の書籍よりも価値があると感じた。この少女のすることすべて、欲するすべてに、計り知ることの出来ない意義があるのだ。
「政治に貴女は興味があるのですか?」、と私は彼女に尋ねた。
「とても。私は、毎日、国内の新聞を数紙、海外の新聞を数紙読んでいます。私の国には大きな使命があります。今この時は、難局なのです。それで、毎日、何が起こっているか、何処へ行こうとしているのかを見る必要があると、感じているのです。責任は重大です。」
「どんな責任なのです?」
「アジアを解放するのです。アジアのすべてをです、中国人、シャム人、インド人、…。前へ分け入っていくのです、道を拓くのです。」
「新しいチギスハノスを夢見ているのですか?」
「チギスハノスではありません。新しい、現代的な、もっと世界規模のメイジーです。先の皇帝メイジーは、1868年に日本を自由にしました。次世代の皇帝がアジアを自由にするでしょう。」
「もし、ヨーロッパがそれを望まないとしたら、アメリカがもし望まないとしたら、もし、アジアが自由になることが、ヨーロッパやアメリカにとって都合が悪ければ? どうなるのです? 戦争ですか?」
少女は一瞬沈黙した。彼女が日本全体であるかの様だった。そして決断した。肯定と否定の間で、慎重に計りをかけていた。少女の両方の眉は、寄り集まって、荒れ狂っていた。眉は、計りの様に上がったり下がったりした。遂に、頭を上げて、静かに言った。
「戦争です。」
鳥肌が立った。私は、多くの儀礼的な日本人と話して来た。だけれど、この現代的な少女の返答に於ける様なあまりに重要な意味を返事をした者は、一人もいなかった。私は、心の内奥で、この少女の口を使って、未来が喋っているのだと、直感した。突然、少女は、あるバーの前で立ち止まった。
「もう私に聞かないで下さい!」と少女は、ほとんど命令する様に私に言った。私たちは、食前酒を摂ろうとしていた。
突然、自分が言ったことすべてを後悔したかの様に、外国人に国の秘密を漏らしてしまったと思っているかの様に見えた。私たちはバーに入った。現代的な少女たちがいた。足を組み、飲酒し、青年たちと喋り笑っていた。ラジオが喚いている。誰かが一枚の音盤を蓄音機に掛ける、と、活気のある日本の歌が始まった。
「何て言っているのですか?」、私は一緒にいる少女に尋ねた。
「現代詩人のヤーソ・サイゴの歌です。彼はこう問い掛けているのです。今、高層ビルから昇った月、この月は、嘗てのトキオの静かな草原から昇った月が照らしていたのと、同じ愛を照らしているのだろうか!」
「貴女は、どう思うのです?」
「同じ、同じ愛だと…、、まったくもう、恋は何時の時代でも同じです。」と少女は笑いながら答えた。
少女の片目が、突然、瞬いた。
こう言った。「私が男だったら善かったのに。男だけ、完全な自由人になれるわ。女は、何て言ったって、出来ないもの。私たちの考えが現代的であっても、心は、いつだって、とても古い武器で戦っているものなのよ。」
私の前を、映画の様にトキオが展開する。宏大な都市、五百五十万の人間、ニューヨークとロンドンに次ぐ、世界で三番目の都市。
アサークウサ、カノンのとても古い神殿を取り巻く喧噪甚だしい庶民の地区。私はゆっくりと歩く。参拝に行く人々の陽気に浮かれ騒ぐ様子のすべてを心に刻みつけようと努めた。何千もの足の裏で、磨かれ擦り減った、木製の階。入口に、二つの瓶の様な巨大な赤い燈火。幅の広い深い桶がある。信者たちが慈悲の女神に袖の下を渡そうと遠くから投げた小銭がチリンチリンと鳴っている。神殿の入口では、二体の木製の獣が大衆を見詰めながら大口を開けている。その内の一体の獣の下で、一人の年老いた盲人が邪視のお守りを売っている。それは、白い紙で、子供の掌に塗り付けたインクをその紙に押し付けるのだ。その時、悲しげな声でその小さなインクの染みの秘蹟を朗誦する。
神殿は、大きな紙のランプで薄暗く照らされている。弱々しい灯りの中で、辛うじて見分けられる程の男たち女たちがぎっしりぎっしりと筵の上に足を折り畳んで座り、轟く様に唸っていた。大きな太鼓がリズミカルに重々しく、ドーンドーンドーンと叩かれると、人々は、額を床に擦り付けて、魔術的な文句を唸っていた。その文句が彼らに天国を開いてみせるのだろう。「ナムウ・ミオホ・レゲキオ。ナムウ・ミオホ・レゲキオ。」
「あれはどう言う意味なのです?」と、私は、案内してくれた目つきの険しい修道士に尋ねた。
その修道士は、跛で、痩せこけていて、眇で、金歯をしていた。その息は「酒」の匂いがした。
「「真実の蓮にある栄光」と言う意味です。」
「それはつまり?」
「つまり、合い言葉なのです。貴方が、天国の扉を叩くと、中から恐ろしい声が聞こえます。「誰だ?」と言う声です。その時、この合い言葉「ナムウ・ミオホ・レゲキオ」を言うのです。すると、扉が開くのです。」
「真面目に言われているのですか?」
その目つきの険しい修道士は、小さな眇の目で、斜めに私を見詰めた。そして、微笑んで言った。
「至極真面目です。」
この神を信じない男は、馬鹿にして微笑む。そして、私が笑い、私たちの笑い声が混じり合い、私たちが無信仰と知性で固く結びつくことを期待していた。だが、私は、神殿の中に重なる様に集まった人々を見た。すっかり解放された、全体に輝いて、恍惚とした顔をしているのだ。自分の口の中で、どの知者のものだったかもう忘れてしまった、素晴らしい言葉を反芻した。「貴方が解脱を見つけたと思うのなら、見つけたのだ。貴方が見つけてないと思うのなら、見つけてないのだ。」
私は、薫りの出る小さな蝋燭とお守り、幸福を連れて来る紙の魚を買った。そして、急いでノーギ将軍の聖所に行った。私はその寡黙な偉人が好きなのだ。彼が暮らしていた家と1912年のある夜妻と共にハラキリを行った部屋を見ようと気が逸った。曲がる日本の鋼、その抵抗力は玉に巻くけれど、折れることはない。大皇帝メイージの柩が担ぎ上げられた、その瞬間に、ノーギと彼の妻がハラキリを行った何もない小部屋を、私は見た。血で汚れた筵に断片的な詩があった。「向こうに行かれ、高所で神々と交わられている。偉大なわが主君。私も、燃える様に焦がれる気持ちから、空の方へと主人に附いて行く。」
ノーギは、主人に付いて死んだ。主人と共に、民族の父の一人となった。日本人たちは、ノーギの様な、息子たちを畏怖させる勇士を抱き上げた夜を心に留めている。英雄とは、私は思うのだけれど、堅強を誇る民族に於いては、真の父なのだ。堅強な民族に於いては、英雄の魂が、夜、家々に入って来るのだ。そして、女たちと共に寝る。別の父達、生きている男たちは、身体を用意するのだ。死んでいる英雄たちは、魂を植え付ける。つまり、民族は、祖先が力を持つために、堅強でなければならないのだ。
遠いギリシャの私たち民族、死んでしまった祖先たちに、悲しく、思いを馳せた。
東京の中心にあり、川に囲まれて、高い岸壁の後ろになり、目に見えず、全てが謎に包まれ、近づくことが出来ないのが、ミカドの宮殿だ。ここでは、皇帝は神格で、真のタブーなのだ。そして、誰であっても、目を上げて皇帝に対面することは出来ないのだ。彼は死すべき人間ではないのだ、抽象的な概念なのだ、実体と力を持った象徴なのだ。天の息子である真正の「テンシー」、あるいは、天の王である「テノー」なのだ。深紅色の皇帝の系譜は、西暦660年から124代目の今日のミカード、ヒーロ・ヒートまで、途切れなく続いている。
ほんの何年か前、有名な日本の首相、イートは、こうのような信じられない言葉を書いている。「王座は、空が地から分かれた時に据えられた。皇帝は、空の子息である。神格であり神聖である。万人が恭順しなければならない。皇帝は、神聖不可侵である。」 ポルト・アルソウル( リョズウン )の英雄、タケーオ・ヒロセは、同じ様に、露日戦争詩を創っている。「空の円蓋の様に涯の無いもの。それは、皇帝への我らの義務だ。海の深さの様に計り知れないもの。それは、故郷への我らの義務だ。今や、我らの義務を果たす時だ。」
これは、全軍の極めて特徴的な兵士の教理問答のありのままである。「お前の指揮官は誰だ!」と兵士に将校が問う。「皇帝です。」 「お前の軍務は何だ? お前は服従するのだ、犠牲になるのだ。」 「「偉大な勇敢さ」とは何だ? お前は敵の大軍を見てはならない、ただ、前進するのだ。」 「「僅少の勇敢さ」とは何だ? それは安易に腹を立て、暴力行為に堕することだ。」 「人間が死ぬと、何が残るのか? それは、名声だ!」
日本人の魂の奥深くに息衝いているのであろう信仰は、本来、多産で、偉大な業績をなす様なものであるのだろう。けれども、迷いや批判が生じると、それは不毛で品位を汚す様な迷信になるだろう。もし、日本の魂にまだ余力があるのならば、他の信仰を信じるのだろう。そして、魂は生き延びて何かを産み出すだろう。
科学に於ける「仮説」は、間違っていいれば、それが正しい自然法則を見つける契機になり、偉大な発明を産み出すことになるのだけれど、それと同じ様に、ある宗教的か、あるいは、政治的な「間違った」教義は、偉大な文化を産み出し得るのだろう。確実なことは、どのような教義であっても、幸いなことに、恒久ではない。それにまた、科学的な仮説も恒久ではない。「偽りの」教義が出来てしまう時が来るものなのだ。人間の精神は、成長して古い境界とは合わなくなるものなのだから。そうして、科学は新しい仮説を見つける。それもまた、より広がりを持った、より多産な間違った仮説なのだ。そして、それに正しさと言う洗礼を施すのだ。そうすると、新しい発明が起こるのだが、それにもまた終わりが来て、そして、また別の仮説がその位置を占めることになるのだ。そしてまた、科学は、上へ向けての歩みをやり直すのだ。いったい誰が、新しい日本の教義を見つけるのだろうか?
一人の西洋文明の洗礼を受けている日本人が私にこう言った。「新しい日本が歩む方向を理解する為には、私たちの国が、1854年に西洋文明への扉を開く前は何の様であったかを、思い出す必要があります。私たちの皇帝は、何世紀にも亘って、修道院のような、キオトの宮殿に閉じ込められていました。すべての権力は、現代はトキオと呼ばれている、ゲンドの城に居る強力なセゴウンの手にあったのです。」
「国全体は、300の封土に分けられていました。そして、封土の領主、「ダイモー」は衰えて無力になっていたのです。失業者と贅沢で快楽的なキオトの宮廷と強力なセゴウンの貪欲と猜疑が領主たちを消耗させていたのです。よく知られているサムライは、大言を吐く鶏冠だけ獅子の様な雄鶏に零落れたのです。元の気品は何一つ持たず、安食堂やゲイシャの所を回り歩いたのです。そして、哀れな民衆は途方に暮れたのです。飢えと内戦と地震と大火災で草臥れ果てていたのです。1783年の飢饉についての公式な記録にはこのように書いてあるのです。「飢饉は、頗るものであった。一つの村の500軒の家のうち、残ったのは、僅か三十軒であった。他は総て死んでしまった。一頭の犬が八百円で売られ、一匹の鼠が五十円で売られた。誰もが屍体を食べた。また、多くの者が瀕死の者を殺し、その肉を長持する様に塩漬けにした。」」
話しを続けた。「若し、1853年のある日、日本の海に幾艘ものペーリの「黒い船」が遣って来なくても、日本に社会革命が起こっただろうことは確実なのです。日本は混乱しました。大きく二つの陣営に分かれたのです。けれど、私たちに何が出来たと言うのでしょう? 抵抗? 「黒い船」には、大砲がありました。煙りを吐き、帆も無く、風に逆らって航行していたのです。「白い悪魔」は私たちよりもずっと力がありました。私たちは悪魔たちに扉を開いたのです。それ以来、起こっていることは、抗い難い論理的必然なのです。私たちは踊りに加わったのです。踊らなければならなかったのです。そして、出来る限り上手く、速く踊らなければならなかったのです。他の者たちはずっと前に進んでいたからです。それで、私たちは、追付かなくてはならなかったのです。追付けなければ、私たちは敗者になるのです。」
その日本人は考え込む様に口を噤んだ。
そして、その沈黙を置き去りこう言った。「誰も必然に対して抗議はしないのです。」 その言い方は、まるで、自分の心中の反論に答える様だった。ある人、ある民族が、その必然を受け容れて、出来る限り、思うままに向きを変えられる様に努力する。それは、一人の人間にとって、そして、一つの民族にとっての最上の使命なのだ。地理的、経済的、歴史的の諸必然性があって、人は自分の思う方へ変わるのだ。日本が西洋文明を受け容れなければならないのかどうかと言うことは問題ではない。それは必然なのだ。私たちにとっての問題は、一つきりしかない。それは、この様なものだ。一体、日本が、インドの仏教や中国の芸術を同化した様に、西洋文明を同化することが出来るかどうか、そして、日本的外観をそれに与えられるかと言うことだ。多くの人が希望を持っている、また、多くの人が懸念している。誰にも分からないのだ。
彼は笑った。細い強情そうな肩をすくめた。
「今話したのは全部、愚にもつかないお喋りです!」と最後にその日本人は、蔑んで言った。「行動です! 行動なのです! 英国人をご覧なさい。考えなければならない危険を察知すると直ぐに、皮の袋を掛けて、それを叩き始めるのです。 そうでなければ、太い釘だらけの棒を手に取って、木製のボールを叩く、あるいは、大きな鞠を取って、蹴飛ばすのです。そうして、思索から逃げ出して、世界を獲得するのです!」
21. 日本の劇場
ひとりのシンドウの神殿の神聖な踊り子の女が、この女の名前に祝福あれ!その名前はオ・クウニ、ある日、思い立った。それは、1600年前後であろう。そして、神殿を去り、通りへ降りて、キオトの民衆の広場に立ち止まった。そして、鈴を鳴らして宗教的歌を歌いながら、踊り始めた。彼女は、神殿の闇がりで神と司祭たちの為に踊るのを、もう、望まなかった。通りで、バザールの中で、小商いたちや漁師たち、職人たちのために、オ・クウニは踊り歌い始めたのだ。
民衆は喜び、バザールは笑った。そして、鈴を付け扇子を持った他の踊り子たちが遣って来て、あちらこちらの公園で踊り始めた。最初は、宗教的な踊りであったけれど、次第に、民衆的で滑稽な踊りを即興で踊る様になった。踊り子たちは、その恋人たちと一緒であったが、よく知られた名前は、オ・クウニの恋人のナゴーヤ・サンツァブスローだ。この踊りの集団が「カブウキ」と言う言葉を産み出した。「カブウキ」は、「均衡を失い、狂気の沙汰を行う」と言う意味だ。中国の表意文字に従えば、「カブウキ」は、歌・踊りだ。
若者から成る大衆は、この愉快な見せ物に熱狂した。オ・クウニと彼女の恋人と何人かの踊り子は、一つの劇団にまとまりテントを張ることを決めた。彼らは、キオトの真ん中を通るカーモ川の河川敷に行き、原始的なテントを建てた。そして、最初の出し物、太鼓と笛の伴奏での踊り、歌、パントマイム、喜劇を始めた。
驚異的な成功だった。多くの大都市、ゲンド、オオザカ、そこに住む日雇い人夫や商人、職人たちが、劇団にどうか来て欲しいと懇願した。巡業が始まった。他の踊り子たちも遣って来て、自分たちのテントを建てた。そして、彼らは、毎晩、舞台を終えると、バザールで喜びの新しい風を注ぎ込まれた。ところが、自然なとこであるのだが、美しい踊り子たちと一緒に恋も来た。踊り子たちはスキャンダルを起こし始めた。舞台が終わった後のカーモ川の河原は、嬌声と快楽の嗚咽を響かせた。上品な婦人たちは、恐怖を抱きながら橋を通り過ぎた。そして遂には、1629年のある日、悍ましい命令が出された。「社会的倫理上の理由に依り、女たちには、舞台へ出ることを禁止する。」
新しい時代。男たちが女の役を学び、着こなしにを教わり、歩き方、女性のように科をつくる仕方を覚える、幾つもの学校が開かれた。「オナガータ」。女性を演じる男たちは、「女よりも女らしい」と、有名だった。その上、個人的な生活に於いてさえ、彼らは、声の調子と女性的仕草をなくさないように、女性のように話し振る舞った。そうして、演技は、その基準を成し初めた。半ば官能的で半ば滑稽な即興的な遊戯から、芸術へと変わり始めた。「カブウキ」は、生きている生命体となった。飢えを覚え始めたのだ。そして、目に付いた食べ物を掻っ攫い、それを吸収して行った。オオザカの有名な人形芝居「ブウンラクウ」からは、迅速な一直線の動きを取り込み、神聖で貴族的な劇「ノウ」からは、風格と豪華な衣装を取り込み、さらに、古い演目から、たくさんの作品を取り上げ、新しい脚色を付けて、より大衆的に、より速い調子にした。その上、「サミセーン」を取り上げた。三本弦のリュートだ。1633年に南方諸島から齎されたのだ。
オ・クウニの子供の一人は次第に成長し、大きくなるに従って、尊大な「ノウ」から遠ざかって行った。そして、街々を席巻して行ったのだ。「ノウ」は、神聖な不動性のためにミイラになっていた。活き活きとさせる息吹の一吹きも「ノウ」の上にもう吹かなかった。貴族たちと一緒に品位と尊厳を保ちながら死につつあった。路上の浮浪児である、「カブウキ」は、馬鹿話しやどたばた喜劇や大衆の関心や息吹に養われて育って行った。高貴な者は、このような大衆のキャバレーに行くことを恥じていた。けれども、夜になると、幾つもの影法師が宮殿から抜け出て、「カブウキ」に潜り込み、それを観て聴いたのだ。
そこでは、俳優が勇者に見えた。中傷と軽蔑の中で、そして、貧困と惨めさの中で、俳優たちは、文化を創造した。「カブウキ」の俳優たちは、乞食、ぽん引き、風来坊と一緒の社会の滓だと看做されていた。「カバラモーノ」、川のならず者だったのだ。人口調査の場合は、動物に使われていた特別な数字が俳優を数えるのに使われた。 1868年のメイジーの大改革が、「カブウキ」の上演にも遣って来るまで、それに耐えていた。そして、その日以来、「カブウキ」の俳優の地位は上げられて、浄められ、他の種類の俳優たちと同等にされた。
俳優の職業は、世襲であったが、日本では、いまだにそうだ。子は父を継承する。すべての名家は、こうして形成された。こうして、今日、キクゴロー・オノゲ六世とダンズウロー・イシバーラ八世のいる有力な名家、キクゴローがある。ある俳優が息子を儲けなかった時には、他の俳優の誰かの息子、あるいは、彼の弟子の最も優秀な者を養子にする。俳優になりたい者は、誰であれ、とても小さい時から芸術を理解しなければならないのだ。私は、八歳の子供が信じられない規律正しさと上品さで演じるのを見た。その難しさは相当なものだ。声の調子は変形されなければならない、手振りは伝統に従って様式化されている。だから、二十歳になってしまうと、誰も、「カブウキ」の役者になれないのだ。
「カブウキ」は、今日でも生きている。しかも、君臨している。私は、ある劇場の地上席の隅に座り、幕が開くのを待つ。私の心は喜び、あらゆる劇的な冒険、戦い、屈辱、オ・クウニの英雄的な子供たちの勝利を心の内に再現している。私は、ナラを思い出していた。神聖な踊りの為の神殿「カスウガ」だ。そこで、神聖な石の灯籠ととても高く陰々とした樹々に囲まれて、「ノウ」が起こったのだ。キオトでは、何度も、河原に降りて、粗末な揺り籠を見た。そこで、宿無し鳥「カブウキ」が生まれたのだ。小さな女たちが、緑の淵で洗い物をしている、洗濯棒を叩き、きゃっきゃと騒いでいる。風来坊たちが自分たちの襤褸着を干して乾かす。可愛らしい小さなロバが草を食んでいる。風は、シャボンと馬糞と草の匂いがする。私は、嬉しそうに、行ったり来たりした。それはまるで、叛逆する女、オ・クウニが、裸足の足で最初に歩き踊って、踏み固めた大地を見たいと思っているかの様だった。と言うのも、偉大な業績のこの小さな端緒から得られる喜びよりも、少しでも大きな喜びを私の人生に於いて与えられると言うことは全くないのだ。
私が、スイスの山中のローヌ川の水源を忘れることは、決してないだろう。一本の青い静脈、それは絹の紐の様に細かったのだけれど、その水が、緑の氷河の下をすり抜けていた。水は、何処へ行くのか一体どうなるのかをまるで知らずに、ためらいがちに、けれども着実に進んでいた。ゆっくり、ゆっくりと進み、次第に大きくなり、他の曲がりくねった水道と一緒になり、どちらに道を掘り進めるかを決めていた。もう、不安はなく、ためらいもしない、分かっていたのだ。広くなり、深くなり、村々に灌漑し、水車を回し、水瓜畑を水で浸し、町を二つに割って、もう分かっているのだ、海へと急いで走り抜けていた。同じように、私は、アルメニアの高所の真青な湖から、控えめに、さらさらと流れ始めるキロ川を誇らしく思っている。偉大な文化は、どれも同じように、簡単な理論、あるいは、些細な日常的な必要から始まっているのだ。あの日、私たちの踊り子オ・クウニは、誰か司祭と喧嘩をしたのに違いない。彼女に恋人がいることが分かったので、オ・クウニを叱りつけたのに違いない。そして、神の可愛いゲイシャは意固地になって、自分の小さな鈴と扇子を持って、河原に降りて、踊ったのだ。彼女は、将来に於いて、自分が一つの文化を創ることになるとは、その時、少しも分かっていなかった。何も気にしていなかったのだ。彼女は、ただ、その時現在その瞬間を生きていただけだ。白粉をはたいた両方の鼻の穴が、怒りで真っ赤になっているその瞬間だ。そして、彼女は、敷居を飛び越えた…、
人間の魂、それは泉のようなものだけれど、一つの奇跡なのだ。それは、上昇しようとする理解し難い熱狂を抱えていて、何処へ行くのか何をしたいのか分からないまま、肉の泥濘の中から噴き上るのだ。
一人の、押し黙った、黒尽くめの、頭を剃り上げた者が、幕の外、前舞台の右側に座っていた。その者は、二つの木製のカスタネットを握っていた。動かずに待っていた。私たちも、皆、その者と一緒に待った。握っている二つの木が打ち鳴らされると、幕が開くのだろう。午後の三時だ。この有名な劇場カブウキ・ザでは、それが公演が始まる時間なのだ。今晩は、七つの作品が夜の十一時まで上演される。黄色い幕の上、高い所に、フリーズの様に大きな黒い剣が並んで描かれている。そのほかには何もない。観客たちは、土間席で、柔らかな座席に座った。バルコニーに足を折って小さなクッションの上に座った者もいる。広い客席は、千五百の観客で、満員だ。この一月一杯は、四月であったけれど、偉大な俳優キクゴロー・オノゲ五世の死後33年の記念に捧げられている。キクゴローのために、「カブウキ」の有名な俳優たちが集められて、彼が愛していた作品の数々を上演するのだ。プログラムには、「幸運にも、この四月、トキオに於いて、公演の予定です。」とある。
押し黙った黒尽くめの者が両手を挙げた。タック、タック、タック。すると、黒い剣の付いた黄色い幕がゆっくりと開く。岩の庭、緩やかに傾いた屋根の城、背景に深い渓谷に川、それに、崖に花咲く桜。舞台に右には、ベランダの様な所があり、三人の黒衣装の者が座っていて、「サミセーン」を演奏する。合唱隊がいる。それがドラマを追って、場所を説明し、声を伸ばし、新しい登場人物を迎え入れ、「サミセーン」を伴って、喜んだり嘆いたり踊ったりする主人公に付いて行くことになっている。一本の細い廊下が、舞台の左から観客の中を通り、客席の端で終わっている。「ハンナ・ミッチ」、花咲く道だ。俳優たちは、壮大にあるいは悲劇的に見せたい時に、そこを行ったり来たりする。
舞台は無人。「サミセーン」が神経質に演奏される。合唱が、突然に、「オ! オ! オ!」と言う風に叫び始める。すると、城から一人の恐ろしげなサムライが出て来る。その衣装の豪華さと重々しさは何とも言い様がない。濃い緑の寸法が大き過ぎるキモノ。それには、大きな白い刺繍がある。海の海星か、蛸の様だ。ブロンズの兜。昆虫の様に、二本の長い触覚が揺れて煌めいている。両方の眉は、上に向かって斜めに反返っている。口は厚く塗られている。そして、右の唇の端の下に赤い色の指跡があって口を歪ませている。それが、軽蔑に満ちた表情をサムライに与えている。
サムライはゆっくりと階段を下りる。舞台を一杯にする。ゆっくりと重々しく揺れる。まるで、彼の恐ろしい力を作動させるのは簡単ではないと言う様に、そして、彼一人が、先鋒と本体と後衛とがある軍隊全体であるかの様に見える。サムライが移動したい時も、全体を動かさず一部分だけを動かすのだ。そして、周囲の至る所から、跪いたまま這いずって動く小間使いたちが遣って来て、サムライにキモノを動かせてやり、襞を作ってやり、剣を渡すのだ。小間使いたちが何もかもを動かしている。私は、この様な目に見える様になった力と言うものを見たことがない。
このサムライは、泣く子も黙る領主ツウナで、悪魔イバラーキに悩まされていた。イバラーキを打ち負かし、腕を切り落とし、今は、それを自分の城の塔に収監している。ツウナは、悪魔がいつか腕を録り返す為に彼と戦いに来るだろうことを知っている。いつでも準備して悪魔を待ち構えている。ある老いたツウナの伯母が遣って来る。そして、悪魔の腕を見せて欲しいと頼む。領主は腕を持ってくる様に命じる。
伯母は、変心した悪魔なのだ。その役は、六代目キクゴロー・オノゲが演じる。悪魔の動きは表現出来ない。時に刺々しく、時に嬉しげ、そして時に無情に取り澄ましている。飛び出そうと焦って震えている撥条が、何度も途切れる様な停止で押さえ付けられ、ゆっくりゆっくりと伸びようとしている様だ。停止していても、目も眩む様な焦燥感で感じ取れない程であるけれど震えている。そして、稲妻の様に腕を引っ手繰ると、サムライと一緒に、荒々しい戦いを始める。それは、ぐるぐる回り、滑り回る、剣と扇子と激しい踊りだ。見る者は、直立した二頭の豹が愛し合い戦っている様に看做すだろう。そして、そこで、力と優美さが最高潮に達したと感じるのだ。豹の頭頂に。その上はないのだ。
劇は一時間程かかっただろう。押し黙った者が、また、二本の木を打った。高くて薄っぺらな幕が降りた。休憩。私は、廊下を行ったり来たりした。この大きな劇場全体を仔細に見て回ったのだ。何本もの廊下は、小店で溢れていた。絵葉書、玩具、扇子、飴、キモノ、サンダル、傘を売っている。日本食、ヨーロッパ食、中国食のレストランが六軒ある。診療所がある。玩具と乳母の居る部屋がる、そこでは、親たちが劇を観ている間、乳母たちが赤ん坊を世話しているのだ。私は、奇妙な舞台裏も見る。私の両の目は、まだ、偉大な二人の俳優の戦いで満たされていたのだけれど。それは、記憶の根を根こそぎ引き抜いてしまうような光景であったからだと、思うのだ。
新しい劇が始まる前に、一幕の幕間。幕が開くと、一面に深紅のビロードが敷詰めてある。そして、偉大な俳優キクゴロー五世の子供、親類、後継者たちからなる二百人のカブウキの役者たちが居る。黒尽くめの衣装で、礼拝する様に、俯せて横たわっている。彼らの王朝と廷臣のすべてだ。相当長い時間、俯せてじっとしている。それから、偉大な俳優の息子が、膝で立って話し始めた。彼の父について、芸術への忠実について、伝統を維持していこうとする切望について話した。そして、芸術が衰退するままにはさせておかないと言った。それから、再び、額を床に付けて言った。すると、幕がゆっくりゆっくりと降り始めた。
次の何作かの劇は、超自然的な生物に悪魔それに悪魔払いの祈祷師に溢れていた。あるいは、純真な人間の物語りを描いたものだった。二人の恋人が自殺する話し。子供を救う為に自分を犠牲にする母の話し。息子が辱められた父の復讐をする話し。文学的な価値は程々のものだ。だが、これを観る西洋人は、日本の演劇は二つの大きな目的以外には作品を成さない、と思うだろう。目に楽しみを与えることが、その一つ。俳優の技量を披露することが、もう一つだ。演出と衣装の技術は想像を超えて魅力的だ。俳優は、舞台の支配者である。俳優は支配者たり得るのだ。酔いと規律。自由と様式化。衝動と熟思。西洋人が事細かに観察するのは、例えば、扇子が唯一だろう。それは、大変な技量と魅力で観る者を驚かすのだ。日本の俳優の手にあると、扇子は、命あるものになるのだ。そして、可愛らしかったり恐ろしげだったり、羽を開いたり閉じたりして飛んで行く鳥であったり、亡霊の様に赤や緑や青に光ったり消えたりする稲妻であったり、と千の顔を持つのだ。突然に、荒々しい動作でサムライが赤い扇子を自分の頭の上で開くと、それは戦いの最大の山場に於いてなのだけれど、観る者は、サムライの額に一羽の恐ろしげな赤い鳥が留った様に思うのだ。その様は、頭で炎が震えているようで、敵対者は恐れて後退るのだ。
これは新しい世界だ。何もかもが不思議で、言い難い魅力がある。日本の俳優は、絵画や彫像や異国的な寺院よりもずっと上手く、西洋人たちに、狭い母国から本当に離れてしまった、白人の住む地域の向こうにもっと深遠なもっと危険な世界がある、と思わせる。それだけ、余計に魅力があり力があるのだ。深い意味もある。
22. 日本の芸術
二世紀と半前、高名な画家タヌー・カーノが生きていた。彼の一枚の絵、風が撓めている一本の葦、水面を見詰めているコウノトリの絵を見た者だけが、芸術のただ一つの秘密は何かを理解することが出来るだろう。簡明な手法、色は無く、白と黒の濃淡だけ、非常に困難な完璧さの極みに達している。この冷静な技能を前にすると、レンブラントは泥酔している様に思える。
ある日、ある仏教の修道院の院長が、彼に、一枚の屏風絵を描くことを任せた。誰もが、この大画家の作品が何時出来上がるか、何時享受出来るか、と待ち切れない思いで、待っていた。そしてある日、タヌー・カーノは、修道院長に、屏風絵が完成したと告げた。修道院長は、晴れの衣装を着て赴いた。画家は、屏風の覆いを取った。院長は屈み込み見入った。樹の下に長い顎髭の老人が一人立って居て、見詰めている。老人の後ろに、恭しく、二人の若者が立っている。院長は、すぐに、言い当てた。それは、二つの大きな特徴からして、高名な中国の詩人、リ・ポであると。背中にぶら下げた酒杯と、前を流れる滝がそれだ。詩人は、直立して、滝を感嘆して眺めている。カーノのその絵には酒杯があった。けれども、その滝は何処なのだろう。
「リ・ポですね?」と驚いていた院長は尋ねた。
「ですが、この滝は何処ですか?」
画家は何も言わず、立って行き、反対側の扉を開けた。修道院の庭が見えた。岩の間に、小さく細い滝が流れていた。院長は理解して、微笑んだ。そして、身を屈め、深いお辞儀で画家に感謝した。
この挿話よりもより明らかに日本人が抱いている考えを説明するものは、何もない。日本人にとって、芸術は、自然と分け難く混ざり合っているのだ。自然を引き延ばし、自然を補うのだ。神の作品と人間の作品は補完し合う。片方が他方を有機的に補うのだ。絵画、彫像、神殿は、大気中の現象ではない。河、岩、風への神秘的で意味深い応答なのだ。その作品群は、また、祖先たちへの隠された接触でもある。つまり、絵の線の一本が、神殿の屋根が、俳優の仕草の一つあるいは叫びの一つが、日本を表現しているのだ。
ここでは、他の何処とも違い、芸術作品の意味する所全体を考えるのには、その作品を樹々や海河や湧き上がる雲の中に置いて観なければならないのだ。この地に滞在して、神殿から神殿へ渡り歩いている中で、その簡明な事実が私の頭の中にはっきりと展開したのだ。樹々の中に深紅の神域の門がある。それで、自分がシンドウの神殿に近づいているのが分かるのだ。神の門を過ぎて、とても古いしとどに濡れた長い並木に入る。苔が自分の胸に拡がる様に、静寂が拡がっている。それでも進む。石の灯籠の列の中を進む。そして、神殿の庭に入る。樹々の中で、古い白蟻に喰われた神殿が輝いている。裸足になって滑らかな煌めく階を一段一段上がる。神殿の入口に、一体の背の低い古いブロンズの釜がある。それには、澄んだ水が溢れている。上空を雲が流れる。そして、水に映っている雲を見る。一枚の葉、あるいは、一輪の花が、樹から落ちる。そして、水の上に静かに浮かぶ。微風が吹いて、水が細波を立てる。ここでは、すべての自然の力は、人間の干渉も理性による制限もなしに、自由に振る舞う。人は、まるで、雲や樹葉や風で満ち溢れた、瑞々しい大地の中心に居るかの様だ。
私は、これ程に簡単な方法で人間の精神が最上の領域への秘儀参入が出来るとは、全く信じない。ここでは、人は、神性の前で、裸で居るのだ。裸の女。裸の水。裸の神格。それらすべてが一つなのだ。人の心は、神殿の入口の水を湛えた釜が輝いている様に、溢れ返っている。愛、理想、喜び、恐れ、それらが心の上を、雲の様に、葉の様に浮かんで過ぎて行く。人の胸中は、まだ開いていないバナナの葉の瑞々しい芯の様にしだいしだいに涼しくなる。
シンドウの神殿を訪れた人たちは、最後の祭壇に着く前に、幾つかの小さな礼拝堂で太い樹の幹に巨大な荒々しい形状の物たちが登っているのが刻まれているのを見るだろう。その龍は、自然の力を表現している。火災、地震、洪水と言った自然の脅威だ。だが、それらを恐がってはいない。それらは、祖先の霊だと、自分自身の力だと知っていて、それらを除霊することが出来るのだ。それに、それらは、解放へ向かう道程の中での、準備の為の段階だと分かっている。人は、それを乗り越えるだろうし、神聖な感激に深く浸りながら、非人格的な最上の境地に辿り着くだろう。
誠実な日本人は、私よりもずっと深い感動を感じていることは確実だ。その感動は、彼の人生全体を規定している。私は、瑣事に喜ぶ論理と如才ない小商人に満ちた母国に帰ることになるだろう。一方、日本人はここに残るのだ。神殿に行き、また行くのに違いない。少しずつだけれど、内奥をすっかり変質させ、もう元に戻ることは決してないのだ。そして、路で人と行き会って、挨拶もしないと言うことは、もうないのだ。木材や石材を刻めば、その上に自分の魂を吹き込むことをしないことはないのだ。夜、一日の労苦の後、自分の家の、小さな庭、日本のどの家にもそんな小さな庭があるのだけれど、その庭に座ると、自分の妻と子供たちそれに、落ちて行く夕暮れに向かい合うことをしないことはない。そして…、
神殿から神殿へと訪ね歩いてみて、私は、日本を理解し始めた。今、日本人のごく小さな動作は世界を映しているシンドウの水の煌めく水面で完全に規則立てられたものだと言うことを、分かっている。今では、私は、日本人は何のために描くのか、何故あれ程に花や子供たちを愛するのかが分かっている。そして、私は、今まで日本人の唇の周りの理解し難く思えていた微笑みが何を意味しているのかを推量できる様になっている。そしてまた、日本人の女たちが波状に歩く理由、西洋人に日本の女の醜い口と醜く曲がった膝を忘れさせる魅力は何なのかが分かったのだ。また、ひどく粗末な品々に、それは例えば、木箱であったり杯であったり、扇子や人形、木靴( 下駄 ) であるわけだが、それらに、何か奥深い魅力、愛情と理解、美しさと純真さがあることを、今や、私は理解しているのだ。踊り、劇、チャユの儀式、庭、家々、それらは、神殿のシンドウの水を纏っていて、私は、そこに日本人の顔と一緒に映る、自分の顔を見たのだ。
いつだったか、数年前、私は、一人の女性と一緒に井戸を覗き込んだことがある。一瞬、私たちの二人の顔がお互いの上で重なって揺れた。突然、私は、その女性を愛していると感じたものだ。
私は、本当に日本を愛し始めているのだと、感じた。
23. 日本の女
α. ヨシバアラとタマノイ
« 子供を儲けたことの無い者はもののあわれを知らない、と、ある日、一人の日本人が私に言った。 » 私は、一度、人手の入っていない雪に閉ざされた山を通って、アトス山に行き、ある修道士の独居室を前にしたことがある。洞窟だった。二枚のイコンと、一口の水瓶、それに一脚の背のない椅子があった。年老いた修道士がその椅子に座って身震いしていた。私はそこに立ち、彼と少し言葉を交わした。
「老人、貴方の送られている人生はとても厳しいものです。苦しまれている。」と私は言った。
「苦しんでいます。だが、君、これが苦悩だろうか? これは少しも苦悩ではないよ。苦悩とはこれとは別のものだ。」と老人は私に答えた。
「何が苦悩なのですか?」
「子供を儲け、その子供を失うこと。それが悲哀だ! 他には、嗚呼、苦悩は無い。」
ところが、今日、私は、トキオの狭く曲がりくねった繁華な街区で、また別の苦悩を知った。それも、もっと暗く重い苦悩だ。人間を辱める苦悩だからだ。白粉を叩かれ、化粧をされた頭部、その恐ろしい仮面が、扉の小さな窓から並んで差し出される。小窓は、ちょうど頭の大きさにぴったりだ。そこから首を出し、叫んでいる、…。今日の日中に、その恐ろしい区域に行ってみたいと、私は思っていた。ギョシバーラとタマノーイだ。だが、私はまったく愚図愚図している。その光景は、私に圧倒的な羞恥心と身震いを引き起こさせるからだ。人間の堕落、病んだ身体と魂が、怒りの為に、私の心を満たした。怒りの矛先は、その為に人間の性質が堕落し勝ちな不幸に対してではない。人間の身体と精神にとって、耐えられない…、
だが、昨夜やっと、私は臍を固めた。タクシーに乗り込んで、運転手に言った。恥ずかしいので低い声だった。
「ギョシバーラ」
私たちは中心部の喧騒な通りを通り抜けた。小糠雨が降り出していた。様々な色の紙の傘が開いた。どの道も雨に輝いていた…。次第に、家々が低くなる。人通りが疎らになる。辺りが暗くなる。突然、雨に洗われた紙のランプが、不意に、どっと増えた。タクシーは止まった。
「ギョシバーラです。」、運転手は私にそう告げた。そして、一本の、果ても見えない過度に照らし出された、道路を指差した。
私は降りた。通りの入口の真ん中に、巨大な凱旋門があり、全世界の旗で飾られている。これが有名な「クルウバ」だ。放浪詩人や放蕩好きの貴人たちが、ここのことを随分とたくさん歌にしている。何世紀も、ギョシバーラは一時的な恋をする遊興の王国だった。この凱旋門を、何世紀もの間、サムライや芸人たち、また、庶民たちが、楽しそうな行列を作って通ったのだ。そして、そのアーチには、得意げな言葉が書かれている。「遠くにいる者よ、わたしの声を聴け。近寄れ、見つめろ! 「クルウバ」を通るのだ、そうすれば、不意に、お前の前に天国が開くのを見るだろう。」 このように、「地獄」はいつも言うのだ。私たちは、恋と言う世界的に流行する病気への千歩に及ぶ敷居を通り越してみよう。そして見てみよう。
きれいに掃き清められた道、バー、理髪店、薬屋、八百屋、…。何処も静かだ。羞恥心から歩を速めることもない、家の中と同じ様に歩いている。日本人は、肉体についてのハリスト教的天罰を被らない。日本人にとって、その場だけの快楽は、道徳的な罪ではないのだ。
私は勇気を出して、日本人たちと一緒に進んだ。左右に、戸口にカーテンのある木造の家々が並んでいる。どの入り口の外にも、欄干の後ろに、交易事務所の様に、一人のキモノを着た日本人の男性が座っている。「呼び込み」である。通行人を呼び招いている。男の隣りに、柩の様なとても長い照らされたショーウィンドウがあり、そこにその家の女たちの写真が寝かされておる。呼び込みは叫ぶ。「いらっしゃい! 写真をご覧下さい、お選び下さい! さあさあ! ギョシバーラのきれいな女の子たちがいます! お立ち寄り下さい! 一円! 一円! 一円です!」
老人たちも若者たちも一緒になり、近寄って行って、ショーウィンドウを見詰める。私も、彼らと一緒に近づいた。細長いショーウィンドウの底、綿の上に、10枚ばかりの女の写真が仰向けに寝かされていた。あまりに厚く白粉を塗っているので、西洋人には、顔の造作が見分けられず、どれもそっくり同じに思える、少女たちだった。技巧を凝らし建築された構造物かのような髪。小さなあどけない可愛らしい目。全体が真っ赤な閉じられた口、まるでデスマスクの様な。耐えられない辛さだ…。細長い柩は、薄暗い緑色の電灯で照らされていた。私は、水晶の上に屈み込む様にして、綿の上に並べられた女たちの身体を見た。私には、突然、私は、深い緑色の水の中に並んだ溺死した女たちが私を見詰めているのを見ているかの様に思え出した。
私は立ち去った。隣りのショーウィンドウは、藤色に照らされていた。戸口のカーテンが揺れて、白粉のマスクをした一人の女が頭を出して、私に微笑み掛けた。同時に、他の一人が顔を出した。そっくりだ。最初の顔と瓜二つだ。そうして、三人目。また同じだ。西洋人には、各々個人の個性を全く失くすために、そして、マスクとなる為に、そのマスクの背後に女の性があるというだけになる為に、故意に濃く塗っている様に思われる。東洋人は、何処の誰か分かっている人物に会わない様に、そうではなくて、顔のない、野獣的で、同時に、原始宗教的な快楽を楽しみたいと願っているかの様だ。
私は何時間も歩いた。女たちを見た。ここ、ギョシバーラで西洋人を捉える恐怖は、人間が耐えられる恐怖だ。ここでは、家々、女たち、声、そのすべてが、何か屈託のない陽気な雰囲気があるのだ。大きな恐怖は、他の歓楽街、タマノーイにあるのだ。狭い小路。人間二人がやっと立って居られる。暗い。石鹸水の取れない濃い匂い、椰子の酸と人間の悪臭。千に及ぶ今にも壊れそうな掘建て小屋。どこの小さな戸口にも、細い明り取りがある。何とも言い表せようもない悲劇的造作の女たちの内の一つの頭が出た。それぞれの明り取りに頭はちょうどぴったりだ。顔は、篭手で化粧されている。通る者誰にもに微笑みかける。その微笑みは、乾いた白粉と厚い口紅に、打ちつけられ楔込まれているのだ。微動もしない。変化しない。一晩中、不動だ…、時々、口が難儀そうに揺らめき、か細い言葉を囁く。そしてまた閉じる。
男たちが通る。終わらない行列だ。どの女も注意深く見て、選ぶのだ。時には、一言だけ話す。大抵は数字だ。50セン( レプタ )、30セン、20セン。そして再び黙り込み、好みの、それも得な値段の商品を見つけようと次の戸へ進む。一人の酔った父が小さな息子の手を引いている。息子は八歳くらいだろう。西洋人の様に、西洋風のズボンを穿き、鍔広の綿毛の帽子を被っている。父は、戸口ごとに立ち止まる。そして、息子に女を指差してみせる。女は、子供に微笑み掛けて、呼び寄せる。だが、子供は恐がる。泣き始める。それ以上進むのを嫌がる。けれど、父は、吹き出して笑い、子供を引っ張って、次の戸口へ進む。…。
私は足早に通り過ぎた。この恐怖に、私は耐えられなかった。林檎を二つ買った。恰も、その林檎が私の仲間になって欲しいかと望んでいる様だった。そして、そうすれば勇気が得られると思っているかの様だった。私は、自分の瞳に強いて見させた。また、戸の正方形の小窓から首から上を差し出されている、その恐ろしい頭の数々を恐れない様に無理強いしたのだ。中国の拷問の「カルカーン」の様だ。囚人の頭を非常に厚い板に開けた穴に通すと言う拷問だ。そうして、この女たちは、まるで、首で戸全体を、小屋を、タマノーイのすべてを、トキオすべて、人類全員を支えているかの様だ。中国の拷問の「カルカーン」の様だ。囚人の頭を非常に厚い板に開けた穴に通すと言う拷問だ。そうして、この女たちは、まるで、首で戸全体を、小屋を、タマノーイのすべてを、トキオすべて、人類全員を支えているかの様だ。私は恥ずかしい。私たち男が女たちに最も重い責任を負わせている様に感じるのだ。女たちは戦いの最も凄まじい局面で戦っており、私たち男たちは隠れているかの様に感じる。
そして、突然に、私は嫌悪感に打ち克った。ある戸に近づいて、私は立ち止まった。ぐっと近づいたマスクを見詰めた。ひどく白粉を塗っている。それだから、私に笑いかけると、顔の皮全体が激しく動く。まるで、剥がれ出した漆喰塗りの壁の様だ。けれど、それには、二つの人間の眸がある。嘗て、私は、遠い北の都市で、一頭の猿が格子の後ろで掌に頬を載せたり言いようの無い悲しみを湛えて眺めていたりするのを、見たことがある。時々、咳をしていた。猿の両乳房は垂れて、空の袋になっていた。人は、猿が私に私たちがこの様な小屋に不当に違法に閉じ込めたと不平を言っている、と思うだろう。「なぜ、なぜ、」と、その悲しげな眸、人間的な眸が、私に問い掛けるのだ。
私は頭を振って、悲しい思い出を追い払った。そして、再び、私の目の前で笑い掛けている女の頭を見た。戦慄のために、私は、強いて、口を曲げて笑った。女は思い切って、何か一言を言った。私はそれが分からなかった。だが、語勢はとても柔らかだった。嘆願する語調だった。私たちの間の隔壁が崩落した様に、私には思われた。実際に、戸が開いた。戸が開くのに気が付かないまま、私は、貧相な筵の上に足を折って座っていた。剝き出しの壁。船乗りの小さな写真が何枚か。筵の上に、拡げられたマットレス。昔日では、女たちは、このマットレスを背中に背負い、通り通りを回ったのだ。…。
寒くなった。口を利かない女は跪いた。私の前に、火の点いた隅が詰まった小さな陶製の火鉢を押し出した。
β. ゲイサ
ダンテが地獄に居る時、彼は、俯き、蒼褪めて、まるで脅迫に直面し、希望の無い光景を目の当たりにしているかの様に恐怖で細かく震える目をして、歩いていた。そして、タマノーイに行ってからの何日か、私は、トキオの道々を逍遙している様に見えたのに違いない。と言うのは、日本に一年も滞在している私の友人の一人が、私の肩を捉まえて、笑いながら、私に叫んだのだ。
「何て顔をしてるんだ? 靴型の様なそんな長い顔だと、にこりともしないフィレンツェ人を思い出させるよ。」
私は彼に、私の昨晩の「悲しみの町」散策のことを話した。有事は眉を顰めた。彼は、二十年、日本に滞在している。日本のこともよく知っていて、この土地を祖国の様に愛している。
彼は私にこう言った。「そんな苦い思い出を抱いて日本を離れるべきではない。今晩、僕と一緒に行こう。別の女たちを見られると思うよ。まるで純情な、裸のガゼルの様な女たちだ。君の先祖たちがとても愛したものを見ることになるのだ。それに、老いてとても陰険なソクラテスその人が、小さな初学者の様に彼女たちの膝に腰掛けて、愛、美、昇華とはどう言う意味なのかを学んだと言うことを知ることになるだろう。君自身が、彼女たちの膝に腰掛けて、君が良い初学者なら、愛、美、昇華は何なのかを学ぶことになるだろうよ。」
「あのマスクにはもううんざりだ。」と憤慨して私は言った。
「どのマスク?」
「ほら、あの日本人たちの顔。男も女も、誰もがマスクの様に微笑んでいるじゃないか。君は、マスクの後ろが何なのかを分かっていない。私は、温かい肉を持った本物の顔が見たくてもどかしいんだ。笑い、怒り、私を罵倒する顔だよ。マスクは欲しくないんだ。」
「そんな、マスクなんてないさ。」、私の友人は笑いながら言った、「あるいは、もし君がその方が好みと言うのなら、顔は無いのさ。君の言うところのマスクを君が取ったとしても、また別のけれどソックしそのまま同じマスクを見るだけだよ。それをまた君が外しても、また同じ別のマスク、そしてまた別のマスク、最後までそうさ。ちょうど、中に同じ形の人形が入っている日本の玩具と一緒だよ。中の人形の中にはまた同じ人形があるんだ、その中にもまた別の同じ人形、最後までそうなんだ! 顔は無いんだ。それが日本人の顔なんだ。けど、哲学は放っておこうよ。もう日が暮れてしまった、行こう。」
二つの大きな陽気な紙のランプが低い屋根にぶら下がっている。扉は開いている。私たちは入った。それは、とても小さな所だった。洗われたばかりの様だった。極小の古い松が植えられた植木鉢が幾つか。水の入った石の水盤が一つ。その上に、切られた黄色い花が浮いている。ハヤティ( 屋根の付いたベランダ ) に五六人の笑顔の幼い少女が現れた。並んで膝を突く。跪拝する様にお辞儀をする。そして、立ち上がり、朗らかな声を上げる。
「イラサイマセー、イラサイマセー」、ようこそいらっしゃいませの意味だ。
少女たちは私たちの靴を脱がせた。柔らかい革のスリッパを履かせた。私たちの前を進み行く路を教えた。私たちは階段を上がる。光沢のある木製だ。糸杉の様な薫りがする。修道院の独居室の様な小さな部屋が幾つもある。その部屋はフスマで閉ざされている。そのそれぞれの小部屋には、黄金色の蓙が敷かれていて、低い漆塗りの机が一卓あり、柔らかいクッションが数枚、銅製の火鉢が一口あった。そして、一枚の「カケモノ」、吊り下げられた絵、が壁にあった。花瓶には、僅か数本の花が入れてあった。
私たちは、足を折って床に座った。私たちに、チャと米で出来た菓子が出された。その後に、「サケ」と松の実。若い女性が一人入って来た。お辞儀をすると、彼女の小さな鼻が蓙に着いた。
「浴室の用意が出来ています。」と言った。
私たちは、浴室に入った。僅か二分だけ。身体が心地好くいられるのはそれだけだ。そして、「ユウカータ」を着た。パジャマの様な軽いキモノだ。そして、また、筵の上に足を折って座った。
満悦、純粋、悦楽。私はゆっくりと生温い「サケ」を飲んだ。そして、人生とはどれ程に簡明で、この部屋の様に簡明で、愛とはどれ程に天真爛漫な接触なのか、渇仰している者が飲む神聖な水の様に無垢なのか、どんな感傷もない、あからさまなものなのかと、深い思いに浸った。私は、この土地で、古代ギリシャの愛の概念の雰囲気を感じた。女に喜びを与え、女から喜びを得ることは、許し難い罪ではないのだ。
ゲイシャたちは、私たちを取り囲んでいた。私たちを見詰め、微笑んでいた。彼女たちの瞳は、澄んで、清らかで、厚かましさも嫌悪感もなかった。まるで、自分たちを大切に思ってくれる、そして、自分たちを晩餐に招待してくれた友人の家に行くかの様だった。中年のゲイシャが一人いた。彼女はもう踊らないのだ。そのゲイシャが、ひとりで「サミセーン」を弾いた。私の友人は、周りの少女たちを撫でた。そして、私に説明した。15歳までは、「マイコ」。ゲイシャの見習いだ。着方、化粧の仕方、踊り方、話し方、男への気に入られ方を学ぶのだ。それから、16歳を過ぎると、正式なゲイシャだ。本来の仕事をするのだ。呼ばれたところへ行き、踊り、サミセーンを弾き、男たちを楽しませる。代金を受け取ると、「ママー」の元へ帰る。女衒のことだ。「ママー」は、少女たちの両親たちから、少女たちを買うか借りるかしているのだ。そして、少女たちに食べさせ、育て、着物を着せ、夜の仕事の報酬を徴収するのだ。
一番年嵩のゲイシャが隅に座り、「サミセーン」を自分の膝に立て掛けて、胸から大きな三角形の象牙を取り出した。そして、三本の弦の調律を始めた。一番若いゲイシャ、新人のゲイシャ、が突然に立ち上がった。踊るのだ。中央で立ち止まり、跪き、私たち一人一人に無言でお辞儀をした。桜の花が刺繍された緑のキモノを着た、とても小さな可愛らしい少女だった。踊りを始めた。静かで、簡素なパントマイムだ。女が恋人を待っている様子を表現している。ラブレターを胸から取り出す様子。それを読む様子。再び懐に戻す様子。待っている。踊りながら待っている。そして突然に、嬉しげに叫ぶ。遣って来る彼を見たのだ!
踊りが終わった。少女は、再び、身を屈めて、蓙に額を付けた。私たち一人一人にお辞儀をするのだ。そして、微笑みながら、側に来て座った。ところが、「サミセーン」は演奏を続けていた。今度は、年嵩のゲイシャが歌う声が聞かれた。踊りの物語りを続けるのだ。「タツェ・ヒ ・ノ・ナカ・ミズ・ノ・ソコ、ミライ・マデマ・ミスト・ヤトー!」( 火も海も通り抜けて、そして死を越えて、男と女の私たちは、一つになる。 )
三番目のゲイシャの両頬が紅潮した。二十歳ぐらいだろう。跳ね立って、愛の踊りを踊った。ずっと速い、ずっと切迫した踊りだ。恋人はもう来て、もう去って行ってしまっている。この時、少女は、喜びに満ちて、満足している。思い出しては喜んでいる。彼女の、大きな金の蓮があしらわれた黒いキモノが、踊りの激しい勢いで、時々、開く。すると、中から、絹の薔薇色のキトン ( 肌着 ) が見えるのだ。踊りが仕舞いになる。彼女は額を床に付けお辞儀をした。そして、私の側に来て座った。身体から湯気が出ていた。私たちは、ゲームをし、笑い、話し始めた。私は、「サミセーン」を弾いた年嵩のゲイシャに対して、彼女の人生に於いての最大の喜びは何かを尋ねるように、友人に頼んだ。だが、女は、黙っていた。私たちはもう一度頼んだ。
「何も思い出しません。」と言った。「ただ、苦しみを思い出すだけです。七歳の時、私の父は、借金の為に、私を売りました。七歳から、踊り、「サミセーン」、歌を習い出したのです。男性に気に入られるようにです。難儀な仕事です。難儀です。」
私は、銅製の火鉢に寄り掛かっている産毛のある子猫の様な少女に尋ねた。
「あなたの一番大きな願いは何ですか?」
顔を紅潮させて、火に屈み込んだ。私たちは、彼女に答えて呉れるよう頼んだが、彼女は答えなかった。すると、年上のゲイシャが僅かに笑った。苦々しい笑いだった。そして言った。
「結婚することですよ! 他に何があります? 彼女を連れて行ってくれる男を見つけること。 それが、私たち皆の願うことです。」
空気が重くなった。何千回も、私は、このような胸中を混乱させる愚かな希望の無い質問をして後悔して来た。年嵩のゲイシャが、再び、「サミセーン」を膝に立て掛けて、歌を始めた。「私はここで来る年も来る年もゲイシャでいる。私の愛する人を待っている。今日、明け方に、あの人が遣って来る夢を見た。目が覚めて、泣いて泣いた、まだ泣いている。」
二人のゲイシャが急に立ち上がり、踊り始めた。官能的な、静かな鬼ごっこ。破廉恥な手振りはまるでない。おそらく、夫と妻が一緒に居て遊んでいるのだろう。無邪気に、愉しげに、芝の上の子山羊のように、遊んでいる。
もう一本の小さなボトルの「サケ」と、それに、幾つかの牡蠣を持って来た。黄金色の蓙が敷かれた小部屋は、静かにひっそりと輝いていた。小さな赤いランプで満たされた、盛大な前宵祭の時の神殿の様だった。「サケ」と牡蠣と汗に溶けた白粉の匂いがした。私たちは夜明けまで起きていた。そして、二人の少女は、跪いて、額を蓙に当てて、私たちに暇乞いをした。 ― 私たちは、まるで、明方に花が満開の庭から出て行ったかの様だった。私たちの手や髪に、まだ、最上に甘い、強いアーモンドの花の薫りが残っていた。
24. 日本への別れの挨拶
今回の滞在期間が終わった。3,800の島のある太平洋の長い女王での、私たちの散策は終わった。私たちは、見、聞き、歓び、心を痛めた。そして、今回の巡行は完遂された。まだ何か残っているのか? 小夜らなの挨拶が残っている。
私は、記憶の中で、見たものすべてを再循環させている。心を痛めたこと:工場の蒼褪めた少女たち。オオザカとトキオの労働者の貧民街、「ゲットー」。戸から何度も差し出されるマスクに驚かされた身の毛も弥立つタマノーイ、等々。心を躍らせたこと:ナラ、キオト。彫像と絵画。絶妙な庭園。「ノウ」の悲劇。「カブウキ」の演技。大地が私を飲み込む迄、私の目を活き活きさせてくれるであろう踊り。満開の桜。一晩中踊ったゲイシャ、等々。
古代ギリシャの最も輝かしい瞬間はこうであったろうと想起させる国はこの世界にはない、と私は思う。古代ギリシャにあった物、同様に、ここ日本の古代にあった物が、ほんの僅かだが、いまだに生きている。それは、人間の手から出て来た物で、日々の生活に役立てられている物、愛情と喜びで作られた工芸品だ。すべてが、最上の美しさ、最上の簡明さを痛切に求めている、陽気な熟達した手から出て来るのだ。それを日本人は一言で言い表す。「シブイー」だ。
日々の生活にある美しさ。他にも類似点がある。二つの民族共に、宗教に陽性の外観を付している。そして、神と人間とを穏やかな接点に置いている。また、服飾、食事、住まいに、同じ簡素さと優美さを持っている。そしてまた、自然を崇拝する似た様な祭りを行っている。アンテステーリア祭( 花祭り ) と「サクラ」、根源は同じだ。踊りも、同じ神聖な結実を齎している、悲劇だ。二つの民族共に、肉体の行使に精神的な目的を付そうと努めている。日本人は、弓の稽古を大変に好んでいる。何故なのか。例えば、一人の日本の体育教師が、以下のように私に尤もな理由を述べた。1、弓は熟視を前提としている。弓は、人に、矢を放つ前に熟視することを習慣づける。強い倫理的な力を得たいと望んでいるのなら、その習慣は、日々の生活の中で不可欠なものなのだ。2、弓は、規律を強化する。人に、冷静で居ることを習慣づける。その習慣は、人間の生活に於いて、測り知れない価値があるのだ。3、弓は、人に、どの動作にも優雅さを持って行うことを学ばせるのだ。
古代ギリシャ人は、東方とエジプトから、彼らの文明の最初の要素を取り入れたのだ。そう、それらの文明の要素を変質させること、極めて異形の神々から人間の聖的な輪郭を自由にすること、神話や神学の恐ろしい怪物に人間的な温かい気持ちを与えることに成功したのだ。全く同様に、日本人は、その宗教をインドから取り入れ、文明の最初の要素を中国と高麗から取り入れた。そう、日本人は、自然と怪物たちを人間化することで、独自の文化、宗教・芸術・芸能、を人間の背丈で創り出すことに成功したのだ。
( 一行開け )
それが、日本の顔の一つだ。美しい面だ。だが、別の顔もある。厳めしい、冷酷な、断固とした顔だ。その顔は、ソビエト・ロシアの顔を想起させる。同じ機械への崇拝、彼らを取り巻いている危機への同じ自覚、西洋に追い付き追い越すと言う同じ執着。同じ工業化での壮大な飛躍。そして、同様に、工業化の向こうに、隠れたイデオロギー的目的があるのも同じ。全世界への救世主的な使命だと言う同じ信念。ソビエト・ロシアと日本は、同じ第一段階の達成度にある。アジアを征服すると言うことだ。
ひとりの八重歯のある痩せた教師の日本人が私にこう言った。「私たちが教えている民族の歴史を、そのまま私は受け容れます。それは、少々、偽造され脚色たものですけれど。確証された事実を示していません。科学的な意図を持っていないのです。目的は、倫理なのです。若者に勇敢さと祖国と民族のための犠牲的行為の見本を与えると言うことなのです。私たちには歴史家や評論家の智慧は必要ないのです。私たちには犠牲を厭わない勇敢な精神が必要なのです。しなければならないのは、しなければならないのは、その様な精神を創ることなのです。そうしなければ、私たちは滅んでしまいます。何故ならばです、これは忘れないで下さい、日本人の魂は、次の二つの極の周りを循環しているからなのです。α:大きな危機を認めていると言うこと。β:その危機の中に大きな使命を認めていると言うこと、の二つです。
危険: 私たちは幾つもの恐ろしい敵に囲まれていると感じています。強くならなければならないのです。陸軍、海軍、空軍、農業、工業、商業、それら総てが成長の最頂点、力の最頂点に達しなければならないのです。ところが、私たちが強力になれば、それだけ、危機は大きくなるのです。何故ならば、私たちの敵たちが緊張し同盟することを止む無くさせるからなのです。
使命: 私たちは自分たちが目覚めてアジアを解放する責任があると感じています。偉大な中国の予言者、ソン・ギアト・セン[ 孫中山 ]が、1924年に神戸での講演の中で行った言葉を、私たちは忘れません。「アジアには、12億人が居る。ヨーロッパは4億だ。全てのアジア人が連帯すれば、自由になることが出来るだろう。」 私たちは、その言葉を忘れません。それは私たちの大きな責任なのです。何故なら、私たちはアジアの先頭にいるのですから。 」
病弱で蒼褪めた教員が話した。この教員の首は、羽を毟り取られた雄鶏の様に引き伸され続けていた。彼の声は、掠れていた。彼と同様に、233,862名の小学校教諭がガーガー喚くだろう。その教員たちの周りに新しい世代の子供たちが集まり、こう叫ぶだろう。「嘲られる小人には、もう、なるな! 鍛えるんだ、背を高くしろ、肉を食べろ、強くなるんだ! 脳を身体を精神を鋭敏にしろ。機械を飛行機を汽船を大砲を工場を見るんだ。目を四つにしろ! 白人よりも優れた者にならなければ、我々は滅びるんだ! 大地を見詰めてみろ、先祖を復活させるんだ! 祖先の命令に従うんだ、沈黙・絶対服従・根性! アジアは我らのもの! 世界は我らのもの! 「パンティザーイ、ニッポーン! 日本よ永遠なれ!」」
こう、嗄れ声の雄鶏である日本人は喚いた。それと反対に、シベリアでは、もう一羽の別の嗄れ声の雄鶏、赤毛の男が、胸に空気を入れて膨張させ、喚いている。その間にあって、アジアは、数え切れない雛を抱え、クッククックと鳴いている。
美しい昔の日本、キモノ、燈火、扇子で装われた日本はなくなった、消えてしまった。新しい力のある日本、工場と大砲とのある日本が、目を覚まし、膨れ上がる。日本の国旗に登った太陽は、真っ赤に焼けた大砲の砲丸に驚くほど似ている。この美しさと力と言う、基本的構成要素から、一つの構成物を創り出すことが、一体出来るのであろうか?
日本の若い予言者、ハニ・イートの声に耳を傾けてみよう。私はこの若者が好きだ。彼は、大胆にも、自己を語り、そして、彼自身の民族全体に当て擦りを言うからだ。彼の純粋さ、青年らしさ、予言者的生意気さの故に、私は彼が好きだ。彼は、彼独自の福音書を書いている。『新しい東洋主義』だ。彼の言うことのすべてには、大きな価値がある。と言うのも、彼は、今日の危機的な、いまだに混沌としている上へ向けての日本人の激情に光を当てているからだ。
「新しい東洋主義とは何か? 我々は、東洋の復活を信じている。西洋文明は、腐敗し中が空洞になっている。資本主義の波が地上の美徳を一掃したことが、それを明らかにしている。東洋文明は、太平洋よりももっと深い所に横たわっている。けれども、新芽の芽吹く時期にあるのだ。今、長年待ち望んでいた日が遣って来た。東洋の花が芽を出し始めたのだ。人生の全世界的な有り様が、中国大陸に花咲こうとしている。友好の花が、日本海と中国の間に花を咲かせる筈である。我々は立ち上がらなければならない。そして、東洋の主立った二人の兄弟は、手に手をとって、ゆっくりと歩み出すのだ。」
「 我々はアジアに於いて物質文明を育て上げようではないか。そして、労働者たちに自分たちの仕事を誇らしく思えるようにするのだ。我々の生活を繁栄させることに限って資本主義を活用しようではないか。食料が山と積んであるのに、幾千の人間が飢えで死ぬとは、何と悍ましい国であろうか! 我々が貧困と辛酸を世界から一掃させようではないか。精神が肉体の中に在るのと同様に、幸福は唯物論の中にあるのだ。唯物論から、芸術、宗教、歌が生まれる事が出来るのだ。ところが、「現在」と呼ばれている、この混迷は、唯物論を花咲かせそうにはない。製産を最高点までに強化させよう。すべての者が製産された物資を分ち合おう。これが、新東洋主義なのだ!
聞くんだ、日本人たち! 日本は中国の救世主になり得るのだ。同様に、中国は日本を救え得るのだ。中国が我々を買手として以外に人としては興味を持っていない、と言うのは正しくないのだ。中国は、最も古い、そしてまた、ほんとうに新しい偉大な民族なのだ。この民族の大地は、未開なのだ。中国は、マルクス主義ではない。中国はファシズムではない。中国は帝国主義ではない。中国は植民地ではない。中国は処女地なのだ。中国の運命は、日本の運命と結びつけられているのだ。もし、日本が新しい全世界的戦争で白人に負ければ、東洋全体が光明を失うことになるだろう。と言うのも、西洋のどの民族も正義が何で愛が何かを知らないからだ。だが、日本が勝利すれば、中国は自由になれるだろう。英国領インドとフランス領シャム、東洋全体が物質的白人の文明から解放されるだろう。傲慢な資本主義の西洋から中国を救うんだ! 日本を救うんだ! 大陸の魂を島の精神に繋げるんだ! 新しい東洋を創るんだ! 幅広の赤い太陽は、新しい東洋主義の旗だ! その旗の下で、我々は、東洋と人類の幸福の為に戦おう!」
この若い黄人の予言者の言葉が、私の記憶の中を、行きつ去りつして照らし出した。私は、速い列車から、過ぎ去っていく日本を見詰めた。猛禽の様に、私は、痩せ細った村民たちが米の畑で何度も見を屈め、膝まで泥に浸っているのを見分けた。桜樹は、すでに花を散らせて、明るさを無くしている。他の樹が花を咲かせ始めている。生命の車輪は回っている。最初の藤が、もう、ぶら下がっている。濃紺の優雅な葡萄の実の様だ。そして、大気が薫っている。
列車の中で、私は、蒼褪めて微笑んでいる日本の女たち、その背中に小さな手でとても注意深く包んだ赤ん坊を背負っている女たちを見詰め、そして、言葉も発せず何の身振りもせず別れを告げた。私は、彼女たちを偉大な戦士たちを見る様に見詰めた。日本の女性は、ただ版画やロマンチックなそして表面的な風説だけからの知識で想像された彼女たちと、どれ程に違っていることか! 複雑な髪形、高い木履、そして、笑うこと、お辞儀をすること、キモノを着て脱ぐことを知っている、可愛らしい人形。それが、想像された日本の女性だ。だが、ここに来て見ると、西洋人は、直ぐにも、そのような白粉を塗り付けられたマスクの後ろに、生きて奮闘している一人の人間、完全に意志を持ち忍耐強い勇敢な人間、を認めるだろう。そして、愛すべき麗人なのだ。日本の通俗歌謡の中で、女性は、こう言っている。「あなたとわたしのふたりは、ひとつの松の葉のふたつの部分。枯れて落ちる時も、分かれることはない。」 日本女性の外面的な優しさは、女性の非力さから生じているのではなく、鍛えられた意志から生じているのだ。その意志は、人を動揺させる様などんな不幸にも立ち向かう事を出来る様にさせるものなのだ。それだから、例え、貧しく災難に苛まれていても、日本女性は、まったく、不平を言わない。優れた戦士が戦いに於いて自分の状況を受け容れる様に、何の屈託なく自分の運命を受け容れるのだ。
25. フウジ
列車は、轟きながら疾駆していく。山々や平原、日本が去って行く。澄み切った空、散らばった雲、山と浜は透明な空気にそっと微笑んでいる。ギリシャの有り様に、日本ほど似ている国は、他にはない。入り組んだ海岸、黄金色の砂、漁村、四角い褐色の帆の杼の様な小舟。私は眼を開く、心を開く。自分の記憶にこの線、色、面、喜色、苦味、この国で体験した不安を捉え込もうと一所懸命になる。これらすべては、消えて行く空中の遊びだ。一枚の絵に、豊富かつ簡素な一つの思案に、日本全ての姿を凝縮してみよう。十年、二十年の後、心の中に、一体、何が完璧に磨かれ輝いて、そして、何が残っているだろう。それぞれに非常に重要だが、互いに相容れない無数の要素がある。それらを、一つの「無数という概念」に入れることは出来ない。
そして、突然、解決! 私が求めていた輪郭。全てを収める簡潔な線。救済。不意に、列車の中の男たち、女たちが立ち上がり、感動していた。窓が開かれ、母親たちは子供を高く持ち上げ、手を右側の向こうに伸ばして叫んだ。「フウジ! フウジサーン!」。私は飛び上がった。何週も日本に居て、私は、まだ、聖山を見てなかったのだ。空は覆われていた。雨だ。聖山は、濃い玉になった雲の下に隠れていた。そしてその時、私は右を向いて、頭を少し動かしていたなら、私の目は幸福で満たされていただろう。
私は、本の数秒、動けないでいた。今でも、私は、何が至福なのかを知らない。喜びの入口に立って居るとして、人は、「入りたいと思うか、入りたくないと思うか、私は自由だ。」と言うかも知れない。あるいは、間髪を入れず、敷居を跨ぎ、入ってしまうかも知れない。私には、この敷居の上での震えが、最上の幸福に思えるのだ。何秒もの間、私は、自分の焦燥に轡をかませ、私が振り向いてよく見られる様にした。私は、これが、仮面を外した日本の心底の、本当の、顔ではないかと思う。そして、これが、私がしたすべての問い掛けへの答えを返しているのだろう。
私は振り返った。聳え立つ、真白な、頂上から麓まで雪を被った、浮遊している、穏やかで黙りこくっている、日本の聖山があった。それは、瑠璃色の空の上に描かれた最も簡潔な数本の曲線に、すべての気品と力を支配されていた。
ある日、私は、イオン・ドラグウミスの部屋からイミトス山を眺めていた。この才人であり、相反する力を持ち不安を嵩じさせている種類の人間、イオンは振り向いて、悔恨で太い好色な唇を固く閉ざしてから、私に言った。「この山を純真な目で毎日眺めていたならば、私の人生は違ったものになっただろうにな。」 日本人たちは、純真な目でフウジを眺めている。フウジを見詰める日本人たちは、そこから、厳粛で抑制された気品に満ちた形を取り出しているであろうことは、確実だ。この山は、真正の祖先神だ。神は自分の姿に似せて、日本人を作ったのだ。伝説、神々、童話、幽霊、日本の空想上の戯言は、すべて、神の姿に似せて作られている。
日本の子供の誰もが、フウジを学校のノートに数え切れないほど描いたことがある。そうして、彼らは、固く簡潔な線の引き方を学ぶのだ。力と気品を組み合わせている線だ。フウジは、非常に小さな縮尺になり、日本の手を席巻している。木に、石に、象牙に、彫刻されているのだ。人は、そこに、フウジの形の品、無駄な折れ目や起伏のない毅然とした姿を認めるだろう。日本の歌では桜の花が日本の心だと歌われているが、そうではない。日本の心は、フウジなのだ。全残を覆う未踏の雪で抑制された、不滅の火であるフウジなのだ。
軍人アラキは、亡くなった彼の母に、彼がフウジ山を描いた一枚の紙を送った。軍務で遠くに居るので、告別をしに行かれないと伝えるためだ。それに、危篤の母は、絵の意味を即座に理解する筈であるからだ。と言うのも、フウジは、日本の精神的な言葉に於いて、神聖な表意記号であるからだ。それは、義務の意味だ。
私は聖山を見詰めていた。私の心はその反照で満たされた。他のものはない、最善の最深の反照だ。フウジを見る時、すべての日本人の心は、その反照で満たされるのだ。その国の命脈を均整に保つこうした至高の山がある国と言うのは、きっと、力と気品をひとつにした、
寡黙で、決然とした、素晴らしい国であろう。
そして、危険な国だ。
終わり
詩「ヒンデギョヒ」
ヒンデギョヒ
( 唐から故郷に凱旋 )
神は夜を明かした、そして、強い夜雨に
洗われて、蒼褪めた、弱々しい
訳もなく笑う薄ら莫迦が父母の地を照らす。
祖先たちが、この地の内奥の搦め網から
出て来て、着飾り、そして、
ヒンデギョヒを出迎えようとする。
俄雨が、やさしく、満開の花を点けた
桜樹の豪華なキモノに降り出す。
雨の勢いに、彼女の紫の木履は
脱げ落ちて、くるぶしの輝きがそのまま、 10
青い海へと降って行く、 そして、
彼女の象牙の櫛に新しく書かれた
ハイカイが、太陽に谺する。
「私の君、五月の光りと露で、
私たちを奇麗に暈取って下さい。 」 15
だが、彼は、船首に真っ直ぐ立っている。戦いの瘡蓋が
未だに髪の中にある。狂気じみている。
風の翼に身を委ねている。
見せ掛けだ。短身で、醜い。 19
ニケ女神の、妖精セイレンの、切り刻まれた、
両の翼を、この傴僂男は毟り取る。
城が、秦国の至る所から来た絹物が、
庭が、秦国へ続く海が、西瓜畑が、
この傴僂の手にあった。だが、この男は、飢えの為に果てた。 24
彼の希望の無い胸には、燃える様な渇きをもたらす、
噴水が上がっている。子供、酒、女だ。
夢を追う隊商が何隊も、徳と名誉を語る聖者の御伽噺が幾話も、
彼の脳の中で、響めいていて、そして、
彼は跪き笑う、そして、
真実を搾り取るのだ。 30
空の城にある往来に、
星々が点る。すると、星々は、次第に、
彼の脳の中、そして、重苦しい猿めいた胸の
高慢さ故の狂気を消して行く。
宵闇に、濃紺の絹の扇子を
弄んで、開いたり閉じたりする様に。 36
傴僂は、人っ子一人居ない草原で、
餓え、渇し、脳の中には苦悩を蔵して、
独りきりで練り歩く。そして、縮れた無音の
神聖な影の下に黙して立ち止まる。
そして、地上の満開の自由の茨から
すべての喜びを搾り取る。 42
傴僂は、死の懐の奥深くに、
巣を作り、その巣を信用して、
その中に、自分の卵すべてを託した。
魂と肉体を繋ぐ紐は保たれた、
それ故、傴僂は、馬銜も付けられず、拘束もされず、
長生きし、為政者として君臨した。 48
船首に真っ直ぐ立って、彼には、片方の肩に
喜び勇んで飛び立とうとしている魂があり、もう片方の肩には、
震えながら自分を見詰めている肥った鴉が居ることが、分かっている。
陸地からは、大きな響きが聞こえる。
歓声、歓待の言葉、無数の笛の音だ。
人々の囁きに海鳴りが谺する。
光りの中を平和の鳩が敏速に滑空する。
大地から出て来る黄色い蟻が
絹の旗を揺らす。
母国が生んだこの息子、一寸法師を、母国全体が、
その背丈に合わせた。
胯座にある羽で一族が飛ぶ。
肉は慌てふためいて魂となる。
魂は、その全体が頭の上で、直立した光りとなる。
そして、海岸は大火災となる。 63
そして、傴僂は、嫌気を覚えていて、愛着のある
海岸に飛び降りる。そして、土の
塊を握りしめ、砕いて粉にする。
埠頭で、黙して、蟻を見つめる、
そして、花を着けた樹々と山々と
虚ろな空の円蓋を見つめる。
予期しなかった捷利は、直ぐ様、
軽々とした煙りの様な羽となり、無くなった。 71
解き放たれた多くの魂が笑う、
名声も栄誉も過ぎ去って、傴僂は死ぬ、
そして、魂たちは、空の
澄み切った静寂の中で
実を着けない花を歓ぶ。
「前へ!」、傴僂の眉はゆらゆら震え、
祝いが始まる徴をゆっくりと表した。
彼の片目のルビーが輝く、
踊りの場に視線をきつく留める、
ぶんぶん飛び回る貪欲な羽虫の様に、
若者たち、少女たちの手や足に留って回る。 81
彼から出て行った、飽くことを知らない蛸の様な魂たちは、
音も立てず、ゆくっりと、身体をじゃぶる、
それだから、どの乳房も、 柘榴の様にピチピチと音を立てている。
と、「虚空」の崖に果樹園があり、
こころが繁茂している。そこで、死神は
茉莉花を匂う。死神の両胸は、
人間の最も甘い陵堡を立てる。
苦しみ、歓び、羞恥、心、寝床、
ヨーロッパケナガイタチ。 それを女が見分けるのだ。
夜が落ちて来た、燈明が点る、
道化たちが、踊り手たちが、婦人たちが
祝いの真最中の宮殿の天幕に忍び込む。
浜辺に暗色の足の速い海賊船が何艘か碇を下ろしている。
女奴隷、食料、金を運んでいる。
諸侯のヒンデギョヒへの贈り物だ。 96
と、傴僂は出し抜けに立ち上がる。直立し厳めしい。けれど、
彼の両の鼻の穴と両脇は、硫黄の匂いがする。
傷には、赤茶色の仮漆を塗っている。
そして、階に、襤褸を纏い裸足で立っている、
まるで、仮面を着けている様に。そして、
王権の豪華な金の鞍が、翻筋斗打ちながら
登って来るのを見下ろしている。 103
先祖たちがその声を傴僂の腑に染み通らせる。
裸で捻れた貪欲な大衆だ。
傴僂は、その大衆に舌を伸ばし、舐め回した。そして、
無数の短い首と男根を起こし、叫んだ。
「ああ、食べろ、そして我らを受け容れよ、孫よ!」
短躯で見栄えのしない一族の全員が、
ヒンデギョヒの両の腕に、両の脇に、喉に、蜜蜂の様に群がる。
戴勝が、頭脳が怯える。 111
千年の飢えが傴僂の腸を締め付ける。
寺々は、ヒンデギョヒに殺された大勢の
死者で軋み音を立てる。
片や、非情で眠りもしない星々が監視している中、
聖山フウジは憤激で屹立し、
魂は、飛び出し、手を叩き、祖先たちを
追い遣り、煉獄に押し込める。
そして、襤褸で出来た旗を立てる。 119
彼は、もう、食べようとも飲もうともしない。嬉しいかな!
どんな希望からも、そして、どんな概念からも解放された。
傴僂は、己の老巧さを用い神に罠を仕掛けることを、もう、
望まないのだ。そして、彼の新しい真っ直ぐな魂は、
風に解き放されて、飛散して行く。
彼らを生み育んだ大地が、傴僂の脳の涯で叫ぶ。
神性な、高貴な酔いが彼を捉える、
そして、その声は、彼の野蛮な宮殿に踏み込むと、
華やかな廷臣達や行列に襲いかかり、
笞刑の鞭で、瞬く間に、
女たち、ヴァイオリニストたち、諸侯たちを追い出した。 130
踊りの集団、神々、幾種もの酒、無数の灯りと言った、
大地の派手な夜会は、吹き消える。
私たちの夢と思念の娘、
巨大な唸る風の建造物は、
夜露の様に霧散する。
清らかな光りが息苦しさから解放される。
ヒンデギョヒは、幾つもの後宮を通り抜ける。
彼の真黒な足の裏が火花を散らす。
そして、やっと、心の奥底に辿り着く。
神性で、清新なところ。誰も居ない。そして、入る。 140
難攻不落の岸壁の向こう奥深く、
水もない、樹もない庭がある。そこで、
蜘蛛が一人で時間を織っている。また、
引っくり返された幾つもの岩が並んで立っている。
岩は薪載せ台の様に湯気を上げている、
一つの岩がが別の岩に危な気に寄り掛かっている。
一頭の目に見えない虎が、岩の背から岩の背へ
跳んでいるのが、そして、その虎の牙には、
毛玉を一つ銜えているのが、傴僂には分かる。虎の子たちだ。 149
嬉しさから、魂は、こそばゆく感じる。
頭領は、虎に怒鳴りつける。
「やい、俺は付きがある、お前らの様な屑ども相手だ!
ここには、お前が食べるものも飲むものもないぞ。儂は、
田守だ、お前の一族を遠くへ追い遣るのだ!
聞け、荒野に響く叫び声を、あれは儂の朋輩だ、
ああ、お前、孤独な雌鷲よ、崖の巣には雛もなく、
華やかな輿もない、お前こそ儂が恋い焦がれる者だ! 157
終わり
付:覚書
日本海、1935年3月22日 ( 続き )
…、私たちは上海から出ると、大きな嵐に会った、が、海は私を酔わせはしなかった。今は、だいぶ凪いだ。これから、日本の内海に入る所だ。島で満ちた湖の様な海だ。
大きな不安を感じている。明日には、何の知識もない所に投げ込まれる。言葉も出来ず( ごく僅かの日本人は英語が分かる。 )。潤沢な金もない。安価で良いホテルを見つけられるのか、レストランは…、上手くいくのだろうか、そういった不安だ。まあ、私は例外的に物事が分かるだろうと、期待しようではないか。日本の事どもは、私に不安を忘れさせるだろう。既に、大きな補償としての或るヴィジョンがあった。私は、それを中国で得ていた。
まるで違う世界、違う国だ。それが、人間を作り出し、或る社会を作り出す。確かに、歌、恋、苦しみ、取り分けて死が、彼らと私たちを一纏めにはしている。だが、私たちは、恒久の時に対面する為に、遥かな遠方から来たのだ。
コベ
…、静かに雨が降っている、幸先悪く。酷く寒い。泥濘んでいる。私は、外出して、三時間歩き回った。町は、まったく言うに値しない。西洋風だ。寒い。カシェ( 何かの印も、目立った特徴も )もなく。或るバーに入った。 名高いゲイシャが数人…。一つの小卓を取り囲んで、三人のゲイシャが座って、客を待っていた。目を見張る様な所もない、矮小な、醜い、愚かな女たち。ここの女たちは、中国の女たちとは好対照で、私には、醜く見える。中国の女たちは、死へと誘う様なシャーマ [ charme ( フランス語 ) 魅力 ] を持っていた。だが、君はあの中国の女たちは極悪だと感じるかも知れない…。
ナラ、1935年3月26日
旅が始まった。とても大変な旅だ。言葉が分からないから。朝、私は、オオザカを発った。軒の低い湿っぽい木造の家々の貧相な小村で、突然、高い桜の樹が目に飛び込んで来た。満開だった。…。
ナラに着いた。私は、日本式の宿に行く積もりだった。日本に馴染めるのかどうか、確かめるためだった。無理だった。私は中に入った。二、三人のキモノを着た女が、ブロンズの深いブラゼロ( 火鉢 ) で暖をとっていた。彼女たちは、私が何を望んでいるかを察するのに手間を取った。[ https://en.wikipedia.org/wiki/Brasero_(heater) ] 彼女たちは分かった。私は靴を脱いだ、…、サンダルを履いた。部屋は鳥籠のよう。薫りのする材木で作られていて、掃除されて照り映えていた。私にクッションを充てがうので、私は膝をついた。女たちは、私を取り巻いて跪き、私に話し掛け始めた。私は、幾つかの文章を書いておいた自分の帳面を開いた。 それを見て、私は返事をした。「私は空腹である。」と。女たちは、米を私に持って来た。それから、その他に怪し気なものを幾つか。それは、薬品の匂いがしていた。それに、サフランで全体が黄色であった。とても食べられないものだった。私は席を立ち…、リキシャを拾って…、ナラにある、もっと高級な、すっかりヨーロッパ式のホテルに部屋を取った。
千以上の鹿が公園にいる。私は、あらゆる神殿に行った。蝋燭を灯し、ゴングを打ち、貴女の名前を付けて大きな好い薫りの( 小綺麗な )バトン[ 芳香を放つ短い棒 ] を燃やし、貴女の為に或る祈りの言葉を呟いた。ブウダよ、私の望みを聞き給え!
私は疲れた。一日に林檎二つを食べただけだ。地元のレストランに入る気がしないからだ。…。私は、この旅が私に大きな喜びを齎してくれない理由を、今まで分からなかった。おそらく、これ程に長い間、君の手紙がなかったからだ。不安だ。君を失ったのだろうか? 二人がこんなに離れていて、私がどうして嬉しかろう?
三月27日 [ 1935 ]
ナラ、有名な修道院ホリュー・ジに行った。絶妙。閑静。幾つかのパゴダ。春の愉悦。微笑んでいるブッダたち。メゾソプラノ。絹布に描かれた絵。舞踊家。そして、それら全てに優って、クアニン女神。それはおそらく、慈悲の神、これまで私が見て来た中で、最も美しい彫像だ。ナラに戻り、鹿で有名な公園を散策した。石の灯籠が並んだ余りに素晴らしい道。この灯籠の長い列に灯が点った時には、どんな光景なのだろう…。
キオト、1935年三月31日
愛する君へ
僕は、昨夕、この最高に美しい古都に着きました。僕は日本人の友人と一緒でした。それで、上手くいったのです。素敵な日本式宿を見つけました。三日間を滞在したいのだと、身振りと小さな単語帳を使って、話したのです。
地元のレストランでの食事に、慣れ始めました。夜には、街並は完全にイレール[ 非現実的 ]です。至る所が、燈火で雨に濡れた様に光沢があります。聯禱の様なのです。忙しく行き来する木履の道を打つ音が聞こえるだけです。( 君にとても綺麗な深緋色のを一足手に入れました。それに、水を弾く紙で出来た傘も手に入れました。 )
オオザカで大きな新聞社数社に行きました。そこで、巨大な機械を見ました。日本の新聞社は、僕の来訪を知らせていました。そこには、僕が日本について言った、と言うことが書かれていました。 けれど、彼らは僕に何も尋ねてはいないのです。
今のところ、日本人は好感が持てます。うわべは全く親切です。彼らの生活には、東洋の穏やかなシャルマンがあります。女たちは、僕には全く醜く見えます。でも、シャルマンがあるのです。いつも微笑んでいます、頭を下げてお辞儀をします、踊る様に歩くのです。
[ キオト ] 4月1日 [ 1935 ]
今日は、一日、ブウディズムの寺院と美術館を回った。最高級の素晴らしい絵画を幾枚も見た。中でも、16世紀のパラボン paravent、水の中にボンブウ bambous が一列に並んだ絵が良かった。図像も背景もすべてが、グリザルジョン gris-argent [ 灰銀色 ] だ。色の強さだけが違っている。これ以上ない程に単純。けれども、思うのだが、私はこれ以上に美しい絵画を見たことがないのではないか。
疲れて宿に帰った。女の子が、直ぐに、私にチャイを持って来た。私にバスの準備もする。私は、彼女に食事が欲しいと言う( すべてを手振りで )。私は身体を休めた。パイプに火を点けた。私の魂の丸ごと、そして私の生命のすべてが、レンドッツァを巡る。彼女は、ボンブウよりも遥かに高潔で、より深い愛を私は彼女に抱いている。彼女は、旅よりもずっと愉快だ。彼女は、大きな喜びなのだ、私の人生の喜びのすべてなのだ、私の希望のすべてなのだ。私は何も恐くはない。彼女が一緒だからだ。彼女と一緒にいること以外の何も望まない。君のことを考えると、歓び、愉悦、永遠、私の心は震える、私の精神全体が大きな喜びで花が咲いた様になる。
「この屏風について言及したメモをエレニーは残しています。「美術館で一枚の見事な屏風。霧の中の竹。たぶん、日本で見た中の最も美しい屏風。」 この優麗な屏風を、カザンザキスは、1957年の日本旅行の際に、エレニーと共に見ています。 この手紙とその後の4月9日の手紙は、他の未公開のものと一緒に、[ キプロスの ] レフコシア [ ニコシア ] にあるフランス文化センター所長のロジャー・ミリエクス Roger Milliex を通じて、エレニーが、雑誌『キプロス編年記 Κυπριακά Χρονικά 』誌上で公開したものです。初出は、1961年12月の14号です。その59ページに掲載されました。」
トキオ 1935年4月2日
愛する君へ
僕はホテル・インペリアルに行って、君の手紙がないか尋ねたのだけれど、何もないと言われました、その時の、私の苦しみを思って下さい。何もないのですよ! 君は僕に手紙を書いてくれないのですか? どうして? あるいは、もしかして、君の手紙は紛失されてしまったのだろうか? がっかりしています。答えは一つだけ。君は手紙を書いた、そして、その手紙は無くなった、と言うこと。妹からの手紙が一通あるだけです。君の一言が、私を慰めることが出来るのです。
だから、ホテルから外に出ても、トキオは、僕には、楽しみも何の特徴もない、くすんだ陰気な都市に思えるのです。一日中、希望を失って歩き回りました。ああ、直にギリシャに帰れたらなあ…、
トキオは五百万の人口を有している、アメリカ的で、寒い[ 都市 ]です。広い道路に、高い建物。何のカシェもありません。
取り急ぎ、この手紙を君に送ります。私が送った手紙を君は受けてっているのでしょうか? 今日までで、7通だと思います。出来る所からは、何処からでも、送ったのです。
愛する君、僕は、今日、酷い悲しみを感じたのです。それだから、書くことが出来ないのです。僕は、毎日、ホテル・インペリアルに行くつもりです。君の手紙を受け取ると言う希望を持って行くのです。神が君と共に御座します様に。ずっと愛しています。
僕が君よりも愛している人なんか、いないと言うことを分かって下さい。だから、僕をこんな風に世界の涯で一人っきりにしないで下さい。
君の両肩にいっぱいのキスを
N.
当時の妻エレニーは、自著の中で、信じられない様な嫉妬と悪意による事件を述べています。( 380頁から381頁 )。「ニコス・カザンザキスが極東に旅立った時、カザンザキスのとは別の新聞社のギリシャ人特派員が、同じ目的地へ旅立ちました。その特派員は、カザンザキスが自分を見劣りさせてしまうだろうと恐れていたので、日本の当局へ彼を訴えたのです。カザンザキスは危険なテロリストかも知れない、ミカドを殺す為に日本へ来たのだ、と言うのです!」
「ニコスが手紙で教えてくれた日本人の友人と言うのは、秘密警察官以外の何ものでもなかったのです。彼を密かに見張る任務を帯びていたのです。そうして、運命の女神モイラは、この時、日本の秘密警察官に扮して、ニコスの手を掴んだのです。読者の皆さん、ニコスがコベに着いた時の彼の不安を思い出して下さい。地元の言葉も知らない見も知らない土地なのです。女神は、ニコスが余計な苦労と出費をしないでいいように、キクの中心を真っ直ぐ刺す様に、手を添えたのです。」
「ニコスは、私に次のように話しました。最初は、酷く煩わしかった言うことです。眠気が来ると、彼らはニコスを起こして、ロシア語で話し掛けて、無数の質問をしたのだそう。彼らは、ニコスを「捕まえる」為にそうしたのだ、と言うのです。警察官は、次第次第に、穏やかになっていったそうです。それから、静かに眠ることが出来たのだと。地元警察の姿を借りた天使は、ニコスの「守護天使」になったのだそうです。そして、彼は完璧な道連れになったそうなのです。彼は、自分の国の人には知られていない美しいもののすべてを知っているのです。彼はそれを何よりも大切に思っていて、ニコスに一般の旅行者はほとんど見ることがないものを教えてくれたのだそうです。」
この後、エレニーは、他の手紙からの引用を続けています。
トキオ 1935年四月8日
…、たくさんの演劇を見ました、カブウキです、たくさんの踊りも見ました、たくさんの音楽も聴きました、素晴らしい絵画も幾つも見ました。それから、一冊の古い極めて素晴らしい本を手にしました。全部が日本画の画集です。
四月9日 [ トキオ ][ 1935年 ]
今日、カマクウラに行きました。細雨が降っていました。桜はどれも満開、長いアリー( 並木道 )は何処も花、その下を防水紙で出来た多彩な色の傘をさした女性たちがものも言わず行き交っていました。寛恕。沈黙。言い表せない愛情。困難さを感じながら、泣き出すのを堪えています。君と一緒にいる時を僕は切望しているからです。僕は、一歩一歩、歩きます。まるで、君の歩く速度に合わせようとしているかの様です。僕が堪え難く悲しいのは、君が素晴らしい光景を見ていること、君の側に君が愛している者がいないと言うことなのです、…。
1935年四月10日、夕
…。まだ、僕は、これらの新しい富を自分の中に整理出来ないでいます。そうなんです、見て、聴いて、歩き回って、疲れているのです。春は、僕に大きな喜びを齎してくれるのです。往来の様子、絵画、いくつかの寺院、紙のランプ、等々。とても無口な異世界です。僕たちの世界とは違って、とてもスティリゼ( 規格化された )な世界なのです。演劇、歌、踊り、女性。それらは、君が距離を感じる様なものなのです、それもとても長い距離です、他の惑星にあるかの様に距離を感じるものなのです。シャーマと無頓着、奇妙な悲哀。トリ・アンテリゾント trés intéressante ( とても興味深い )。ビブル bibelot への愛好。それは、僕にはまるで分かりません。ここに居ると、瞬間瞬間、ショッキ choque です( 僕を立ち止まらせます )。矮小化された樹を見た時、僕は心を奪われました。鉢に植えられた樫。満開の小さな桜、桜は王室の花なのです。十センチの樅。そんな樹を見たのです。
四月15日 ( 1935 )
アズーマ ハ ヤ!
僕は新聞を何部か受け取りました。その一つの欄に、パナイトが亡くなったと言う驚愕の報知がありました。君の新しい手紙を心待ちにしています。僕は詳細を知りたいですから。人生は危険に満ちています。けれども、僕たちは、そう感じていないのです。日々の瑣事や悲惨な境遇で、人生を見失っているのです。僕たちが愛している人が死んだ時にだけ、僕たちは崖の縁を歩いているのだ、と言うことを思い知るのです。君の側に帰りたくてなりません。そして、君と手と手を取って歩くのです。それが、ただ一つの悔やみです。…
中国では、また、戦闘が起こっています。ああ、ペキノを見る時間があればいいのですが。それから、僕は、五月6日には、サガイから帰途に着きたいと思っています。…
https://en.wikipedia.org/wiki/Panait_Istrati
四月17日 ( 1935年 )
雨、雨、寒いです。昨日、僕は、一日中、ニコーに居ました。トキオから遠くて三時間掛かる古い街です。すばらしい山並み。たくさんの巨木、クリプトメリア cryptomeria です、松杉の仲間です[ 杉は日本の固有種。 ]。古い素晴らしい神殿。彫像。絵画。石の灯籠のアリー( 並列 )。等々。
僕は、今、自分の部屋に居ます。細長く狭い部屋です。僕の前には、きれいなブロンズの火鉢があります。壁には、僕が買ったブウダの絵があります、カケモノです。…。一昨日、僕は、ある友人一人と一緒に、夜、ゲイシャ( 芸者 ) の家に行ったのです。その雰囲気の純真さと気品を君に描写してみせるのは、僕には難しいです。全部が木の家です。入口に、巨大な紙のランプ。僕たちが叩くと直ぐに、戸は開いて、一団の女の子たちが駆けり出て来て、僕たちを迎え入れたのです。まるで、僕たちが元からよく知っている懇意の人物であるかの様にするのです。彼女たちは、額を地面に付けて、僕たちにお辞儀をするのです。僕たちの靴を脱がせます、そして、サロンに案内したのです。蓆です。木が薫ります。低い食卓が一つと、ブロンズの火鉢が二つ、クッションが二つ、その他には何の調度品もないのです。壁には、宗教的な内容のカケモノ。一人の女性と出逢って、花叢で語り合っている、ブウダです。僕たちは、足を折って、座りました。ゲイシャたちが取り巻きます。僕は、僕の知っているほんのちょっとの日本語で喋ったんです。すると、皆が笑いました。僕たちには、ピスタチオとお菓子、それに、熱いサケが出されました。[ ラキの様な日本のアルコール飲料です。それが、熱いのを飲むのです。 ] 僕たちは飲んでみました。ゲイシャの一人が、足を折って座ったまま、サミセーンを取り上げて、弾き始めたのです。小さな女の子が立ち上がって踊りました。可愛らしくて、物静かで、色とりどりのキモノを着ています。彼女たちの瞳は、朗らかで純真です。ヨーロッパのどんな家庭でも、こんな瞳を見たことは、僕はありません。僕の友人は、日本語をよく知っていたのです。女の子たちと一緒に冗談を言っていました。皆が、まるで七歳の子供の様に、笑っていました。僕は、女性のこの様な無邪気さと愛らしさを認めたことは、一度も、一度もありません。僕は、ブウダの様に手を重ね合わせて、静かに座って、彼女たちを見ていました。手を伸ばして彼女たちに触ることはしませんでした。この魅力的なビジオンが消えないかとひどく心配だったのです。
僕たちは遅くに退席しました。女の子たちは地面に身を屈め、僕たちにお辞儀をしたのです。それから、僕たちに靴を履かせ、また、うれしそうに深くお辞儀をしました。そして、鳥の様にさえずったのです。
「アリガート、コザーイマス。アリガート、コザーイマス!」( 大変にありがとうございます、の意味です。 )
四月20日 ( 1935年 )
昨日、僕は、日本食のレストランで、元在アテネ日本大使と食事をしました。ここでもやはり、僕たちが入る入口に、女の子が遣って来て、敷石に額を付けてお辞儀をしました。僕たちは、磨き上げられた階段を上がりました。そして、足を折ってクッションに座りました。客はそれぞれ、当然として個室に入るのです。何もない部屋です。床は蓙です。クッションが三つ、熾った炭の入っているブロンズの火鉢が三つ。壁には、カケモノが一つ。葦が描いてありました。それから、三輪の花が入った花瓶。他には何もありません。女性給仕が入って来ました。モウブ色のキモノを着て、髪を奇天烈に建て上げています。突っ伏してお辞儀をしました。食事のリテ( それは典型的な、何か神聖な感じのものです )が始まります、…。
その晩餐が持っているシャーマは、言葉では言い表せません。何か宗教的で、リトエラ( 典礼 )の様で、寡黙なのです。少女が給仕します。ゴン・ダム ( 年上の、主席夫人の様な、 ) が隅に足を折って座り、注視しています。彼女は、僕たちの動きをどれも予知して、音を立てずに素早く移動して、サケやアルコール類、それとか、チャイ、ナプキンなど、僕たちが頭の中で思うもの何でもを持ってくるのです。
君にと真珠を手に入れましたよ! 格別です…、僕はとても嬉しいです、…
明日の朝、トキオに向かいます。…、もう何もありません。僕は、日本の土地に、ゆっくりと、ゆっくりと別れを告げます。
よく眠れません。一昨日は、声がして、恐くて目が覚めました。「お前は御影石の上に座っている。だが、お前は、それがすべて空気であることを分かっていない!」と僕に言っているように聞こえたのです。
ここでは、ほとんど毎日、小さな地震があります。トキオから直ぐのところに山があるのですが、熱い泉がいっぱいで、煙りを上げているのです。確かに、僕たちは、まだ生きている火山の上に座っているのです。でも、僕が夜に聞いた声ですが、あれは、形而上学的な意味がありました。生命についての僕のヴィジョンに完全に一致するのです…。
「 1935年四月26日、ニコス・カザンザキスは、作品『 ζωντανό ηφαίστειο ( της Ιαπωνίας ) 』に、夢で聞いた通りの、風である御影石を書き残しています。手紙では、終わった旅の評価をしています。また、始まろうとしている中国での旅のことを語っているのです。」
[ この作品は、「 Le jardin des rochers 」なのだろうか? ]
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