その結果は常に、やってみるまで分からない
ぱちぱちと音がなり、ゆらゆら揺れる炎と、ほのかに香りはじめるアロマ。
わたしは、木芯のアロマキャンドルが大好きだ。
木芯のアロマキャンドルとは、火をつけるところが木でできているものである。
初めて手にしたのは、eightのものだった。
そういえば、この購入にもかなり勇気が必要だった。
「だってキャンドルなんてただのろうそくでしょう?わざわざこのお値段に、お金払いますか?」
と、頭のなかの貧乏人がさわぐのをぐっとこらえ、ポチっとしたのだ。(いや、完全に自分の問題な。)
その結果、めちゃくちゃよかった!!!!
おかげさまで、木芯のアロマキャンドルのとりこになった。
わたしが特にすきなところは、火を灯すと、ぱちぱちと音がなるところだ。
この音を感じたくて、火をともしている。
今朝、キャンドルに火を灯すかどうか、迷った。
ノートに向かって書くときは、音を感じたい。
だけど、途中から動画を見たくなるかもしれない。
動画を見るならイヤホンを使うのだ。
イヤホンを使うならば、大好きな音を感じることはできない。
どうしよう、火をつけるともったいない。
大好きな音を味わえなくなるんじゃないか。
あの音を聴き逃し、キャンドルがとけていくのはとても惜しい…。
決めていないから、迷うのか。
迷っているから、考えているのか。
考え始めたから、迷うのか。
キャンドルを前に、じっと立っていたわたし。
ひとまずテーブルにキャンドルを置いて、ぐるぐると巡る考えを、つらつらと書いていく。
そっか。
動画を見たくなったら消せばいいか。
ようやく決まりキャンドルに火を寄せると、ばちばちっといつもより大きな音がなった。
火を灯すだけで、こころが満たされた。
ゆらゆらと揺れる明かりをたよりに、また文字を書きつづけた。
しばらくしてわたしは、ふぅっと吹消し、スマホを手にとった。
些細な日常ですら、どうなるか分からない。
いつ、大好きな音がきけるのか。
それを聞き逃すかどうかすら、やってみないとわからない。
人生って、そんなもんなのかもな。