見出し画像

知らないこと

Twitterでもほんの少し触れたのですが、先日、ナンバー出展者の方と作品についてお話しする機会があったのでその事を書きます

お話しと言ってもインライで一言二言ひとことふたこと交わす程度だったのですが、全く知らない世界の端っこを見せて貰った気がして、忘れないように頭の中で繰り返している会話です


その方は、この間はちくんがゲストで参加したナンバーの出展者です

3月上旬ごろ?だったか、携帯を開いたらその方のインスタライブの通知が来ていたので見に行きました
挨拶とか簡単な内容をコメントしたら、ナンバーのストーリーをメンションしたこともあってか、覚えてくれていました

話が逸れますが、この時のインライがきっかけでインスタの名前を本名に変えました
あいものってやっぱり変だよね( ;  ; )笑


タイミングを見てナンバーの感想を伝えたところ、嬉しいという言葉と一緒に
「一人で作るから結構孤独で。だからすごく嬉しい」
とというような言葉が返ってきました

たったこれだけなんですが、私としては衝撃でした

「創作」は孤独になりがちだと思っています
むしろ孤独にならざるを得ない場面がある

というのも、創作って0→1にしていく作業がほとんどで、0から1への過程、
「→」の部分に独自性が求められます
自己表現の一つだから、求められてなくてもオリジナルを出したくなる
オリジナルでありたいと思う

もっと書くなら“踏襲とパクリの境界を理解した上での”独自性だと思うんだけど、
その話は今日は置いておいて□\(・_\)= (/_・)/□

簡単に言うと、自分の独自性を守るために必然的に孤独(一人になる)必要がある
ってこと

人の意見や外界の産物に触れると、どこまでが自分のオリジナルかわからなくなるから、こもらなきゃいけないタイミングが必ずあると思う

でもその籠ってるあいだって、自分の生み出してるものが良いものか不安で、ぐるぐるして、さみしくて、苦しい

ずっと自信満々でいられる人はごくわずかなんじゃないのかな


で、話が戻るんだけど、ここまでの考えが私の中にあるのにもかかわらず、
何故か、ダンサーさんの人たちは全員、↑の「ごくわずかの人たち」だと思ってたの。無意識の内に

だからダンサーさんもそうなんだ、って、すごく驚いた

みの苦しみ」はお絵描きする人間の端くれとしてちょっとは分かるつもりで、そのんだものがいいものでもわるいものでも、糧になる幸せはなにものにもがたい!

この苦しくて幸せな時間を、上記の出展者さんだけでなく、私の大好きなダンサーさんも経験していて、それを繰り返し且つ更新していく流れに常に身を置いているのかと考えたら、ただただ尊敬しかなかった

でも、きっとつらいぶん何倍も楽しいんだろうと思う!

もっともっと、大事に見たいなって思いました

それではー!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?