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私の仕事の歩みとこれからの思い 看護師+介護=「介護ナース」 

今までブログなどに書いていた記事の文をピックアップしながら、書いた記事です。
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書いたら長文になってしまいました。
お時間ある時に読んでいただけたら有難いです。

私は病院などで18年ほど看護師として病院などで勤務してきました。2013年に東京から静岡県に夫婦で移住・起業し、介護タクシー等の事業を始めて10年が過ぎました。

結婚した時は、介護とは無縁のサラリーマンだった夫と、介護タクシーの事業をするなんて思ってもいませんでした。

この仕事をしようと決めた夫は、10歳の時に不慮の事故で生死の境をさ迷い、

集中治療室の3ケ月を含めて約1年の入院経験があります。

その時に身体はチューブだらけで動くことができず、窓のない部屋で天井を見て、外に行きたい、早く学校に行きたいと願っていたといいます。

闘病中・ 入院中の方は外出を諦めてしまう方も多いため、介護タクシーの仕事で

外出サポートをしたいと思ったとのことです。

 

私は子どもの頃から「看護師になりたい」と思っていました。

その理由は 好きなアニメの主人公が看護師だったから、、、とずっと周りの人にも

言ってきました。

でも、本当のところは よくわからないまま ただ、「看護師になりたい」と いう思いは 持ち続け、早く看護師になりたくて最短コースで 衛生看護科のある高校に行き、

その後は看護専門学校に進学し、20歳で看護師になりました。

20歳から 大学病院やがん専門病院、地域密着型の病院、療養型の病院等で病棟・外来に勤務しました。

また、病院以外の場所での看護師の仕事も経験しておきたいと 派遣等で クリニック、訪問入浴、デイサービス、在宅看護、イベント救護、老人ホームなどの看護師を経験し、いろんな場所で看護師は必要とされていると感じていました。

 そして今、 私は熱海に来てから 福祉限定タクシーと患者等搬送事業、訪問介護事業の仕事をしています。

この仕事をするようになってから、人生とは どう進むかわからないように見えて、でも確実に自分が決めてきた未来に進んでいると感じるようになりました。

私が「看護師になりたい」とずっと思ってきたことや今まで私が辿ってきた経験や学びはこの仕事をするために必要だったから、看護師になったのではないかと 思うのです。

 病院勤務時代、私は退院する方や転院する方、一時外出、一時外泊をされる方を送り出す側でした。退院された方が どのように帰り、その後の自宅での生活はどうされているのか、一時外出・外泊をされた方がどんな時間を過ごしてきたのか 話には聞きましたが、関わりたいと思っても 実際に関わることはできませんでした。

 今 私が行っている介護タクシーの仕事では病院勤務時代、私が知りたかった車中、そして自宅に帰った時の 表情、言葉などを側で見ることができます。

この仕事を始めて、そのご家族の節目となる時に関わらせていただくことも多くなってきました。

 この仕事をしようと決めたのは夫です。

冒頭にも少し書きましたが、当時は東京でサラリーマンをしていた夫と 熱海に週末移住している時に 普通のタクシーに乗るのが大変そうな高齢者を見て「熱海は高齢化率42%(2012年)。

坂、階段がたくさんあり、外出するのに困っている人がたくさんいる。自分も10歳で死にかけて助かった後に窓のないICUで ベッドから動けなかった。だから 外に出かけたいという人の気持ちがわかる。自分は高齢者や病気療養中の方たちが介護タクシーで 外出できるようにしたい。人の役に立つ仕事をしたい」と言いました。

10歳の時に不慮の事故で 生死の境をさ迷い 生還してから ずっと「生まれてきた意味」、「生かされた命。自分にはどんな使命があるのか」と思いながら 生きてきた夫が自分の使命を見つけ、熱海に移住し起業することを決めました。

 夫は、介護の資格や介護タクシーの会社をするのに必要な実務者研修修了の資格、普通二種免許を取得などを取得しました。

 伊豆おはなは 福祉限定の介護タクシーの会社であると同時に 通院等で介護保険が利用できる(条件などはいくつかあり)訪問介護事業所です。

熱海の地域調査をする中で 車が停められる場所に行くまでに坂や階段があり、通院等が難しくなり、ギリギリまで体調が悪いのを我慢して 救急車を呼ぶことになった、経済的な理由で 定期通院ができず、救急車を呼ぶことになったなど 課題が見えてきました。

 起業する時に夫が こだわったのは介護保険を利用しての通院等ができる介護タクシーの会社。介護保険を利用するためには 訪問介護事業所の許可が無いと認めてもらえません。

 介護タクシーの会社のみだったら1名からでもできます。

訪問介護事業所を立ち上げ、継続するには  介護の資格を持つ人、看護師(ヘルパー一級と同等)で2.5人以上の人員が必要です。

 訪問看護事業所(訪問看護ステーション等)では介護タクシーの会社をしていたとしても 介護保険を利用しての通院等は利用できません。

私が 看護師という資格があるのに、訪問介護事業所にいる理由はこのような理由からです。

 私は、開業した時点では 普通二種免許を持たず、看護師添乗有りの搬送に同乗したり、階段介助などの二人介助の時の補助、院内介助、訪問介護で ヘルパーさんとしての仕事(看護師は訪問介護では 看護師ではなく、ヘルパー一級とみなされる)をしていました。

 いろんな場所にご挨拶に行っても 「介護タクシーで 看護師ってなにするんですか?」「訪問介護事業所にナース??病院では働かないの?もったいない」「元看護師さんだったんだよね」などと言われました。

 自分も プライドみたいなのがあり、病院で働けない人だから看護師を辞めたのかと思われているのかな、、、とかいろいろ考えてしまい、悲しくなったりイライラしたり 自分の立ち位置がわからなくなったりして 情緒不安定な時期も恥ずかしながらありました。

 開業して5年目の2018年1月、私も介護タクシーを運転するために 二種免許を取得。自分が運転して車椅子等で通院する方や転院搬送などを行うようになり、いろいろプレッシャーも感じますが、やりがいを感じています。

 病院勤務時代、私は退院する方や転院する方、一時外出、一時外泊をされる方を送り出す側でした。

退院された方が どのように帰り、その後の自宅での生活はどうされているのか、一時外出・外泊をされた方がどんな時間を過ごしてきたのか 話には聞いていましたが、関わりたいと思っても 実際に関わることはできませんでした。

 それが、介護タクシーの仕事は 病院勤務時代、私が知りたかった 車中での表情、言葉などを側で見ることができます。

闘病中・ 入院中での外出は 不安がたくさんあり、諦めてしまう方も多いのです。

でも、一歩踏み出すと、そこには本来、その方が持っている生きる力が眠りから覚めるかのように動き出し、魔法がかかったかのように 身体が動き、笑い、患者さんではなく、家族や仲間の中の自分の立ち位置に戻ります。

お子さんの前では母親だったり、お孫さんの前ではおばあちゃんだったり、親の前では子どもだったり、幼なじみの前では幼なじみだったりと。

そして、そこに ミラクルが見られます。私はそのミラクルが見れる外出のお手伝いが 大好きです。どうしたら外出が安心してできるかを考えるのが好きです。

 介護タクシーの仕事は、たくさんの 生きる力を引き出し、病院と在宅を繋ぐ役割を担っていると感じます。

 私が 理由ははっきりわからないけども「看護師になりたい」とずっと思ってきたことや今までの私が辿ってきた経験や学びは、この仕事をするために必要だから、看護師になったのではないかと 最近思うようになりました。

 そして、私は 訪問介護事業所にいる看護師としてのこれからの役割を考えていくようになりました。

看護師は 訪問介護事業所では 看護師としての仕事はできない。ヘルパー一級と同じ。でも、視点を変えると 看護師は、仕事の幅がかなり広がるなーと思います。

贅沢をいえば 訪問介護事業所でも 看護師は「看護師」で いたい。

 医療行為は 医師の指示がなければできないので医療行為は訪問看護ステーションの看護師が行うでいい。

 ただ、訪問介護事業所にいる看護師には、看護師としての もうひとつの役割である『療養上の世話』について重視してほしい。

介護とか看護とかではなく、生活を支える場面で看護が 自然と溶け込むようになれたらいいなと思う。オランダのビュートゾルフみたいに。。

 看護は 手と目で護る(まもる)と書く。日常の中でも 家族が家族の健康を気遣うように生活を支える看護師は、手と目というセンサーで観察し変化をキャッチしたり、痛みや苦しみは 癒しという魔法に包まれた手で触れ、時にはさすったりして 和らげる。

そこは大事にしながら、現代には必要な、家族がされている医療行為は訪問介護事業所の看護師ができるようになったらいいなと思います。

 都内の地域に密着していた病院に勤務していた時は 退院調整会議の時に皆が悩むのが医療行為が必要な方の時でした。

 痰の吸引とか 胃ろうからの栄養材の注入とかではなく、糖尿病があり、食事を食べている方が食事前にインスリンの注射をしなければいけないが高齢で やや認知症もあり、さらに片麻痺もあり確実に自分で注射をすることができない。

家族は遠方に住んでいるが、しばらくは 通いや泊まりでお世話をする、でも 働いているので夕飯前の注射は 打てない日がある、、、など、さまざまな問題にぶつかった。

 私がこうなったらいいな、、と思う訪問介護事業所の看護師は 食事をする前の注射をして 食事のセッティング、食事中の見守り(介助)、服薬介助、食事後の口腔ケア、食事前後の排泄ケアなど、一連のことが区切りなくできること。

病院や施設に勤務していた時は この一連の行為はしていた。

 今、介護に携わる職業の方々が 多くの時間をかけて 痰の吸引やら胃ろうからの注入などができるように研修がたくさんありますが、看護師が在籍する訪問介護事業所では 訪問診療の医師やナース、訪問看護ステーションのナースと連携・相談しながら それらの行為を対応できる体制が 整ったらいいのにな、、と思う。

 以前に 看護の大先輩とお話する機会を頂いた時に言われた言葉は、「看護師は 『観察』ができる。何年も勉強してきている。訪問介護事業所にいる看護師が 訪問してケアに入るなら そこは 介護報酬が 加算されてもいい位だ」と。

その話も聞き、いつか そういう時代になるのかもしれないなと思った。

 訪問介護事業所には 介護の資格を持つ人、看護師(ヘルパー一級と同等)で2.5人以上の人員が必要。

訪問介護事業所にいる看護師が 特色を生かして仕事の幅が広がれば、訪問介護事業所で勤務する看護師が増えるのではないか、、。

 特に 結婚や出産、介護等で 看護師の仕事にブランクがあり、病院への復職には躊躇している看護師には 訪問介護事業所が 新たな仕事の扉となる時代がきたらいいな、、、と思う。

さらに看護師で普通二種免許を持っていて介護タクシーの会社にいたら 今まで 気になっていたあの患者さんみたいな方や この患者さんみたいな方の入院・退院や転院、外出、外泊などに関われて 点だったことが線になり、モヤモヤ知りたかったことが知れて楽しいだろうなーと。

 私は、知りたかったことが知れて、楽しいと思うので そういう看護師もいるんだろうなーと思いました。現に、この数年で、看護師や救急救命士、介護福祉士、社会福祉士などの国家資格を持って介護タクシーや患者等搬送事業(民間救急)を起業している方が全国に増えています。

 また、夫は、43歳の時、この仕事を始める前に介護職員初任者研修と実務者研修を受講しました。そして、訪問介護事業所であるため、自分の経営する会社で実務を重ねることができ、介護福祉士の受験に挑戦し、49歳で介護福祉士となりました。

本当は、次の目標として、准看護師、可能なら看護師、救急救命士の資格を取得したいと思い、いろいろ調べたのですが、何年か学校に通うという事になると、事業の継続が難しくなるので、今は保留にしています。

 コロナ禍の時に、zoomなどで、授業を受けることも多かったと聞きますが、座学などをzoomやアーカイブで受講して実技は土日とか、夜間とかに通いで学べたり、介護福祉士の資格を持っているので、この分野(身体介護や生活支援でおこなっている所など)は授業免除という制度があったり、5年~10年位の中で取得できるような制度になったら、何歳からでも、働きながらでも、ステップアップできるんではないかなー、、、などと思ったりしています。

私は 看護師という職業が好きです。

病院や施設に勤務していなくても「看護師」として仕事をしていきたいです。

私は看護、介護、医療、在宅を知る看護師として自分を「介護ナース」と名付けました。

私の携わっている福祉限定タクシー・患者等搬送事業、訪問介護事業所にいる看護師としての仕事はたくさんの生きる力を引き出し、医療・看護と介護、福祉・病院と在宅を繋ぐ役割を担っていると感じ、可能性を感じます。

「介護ナース」として 「繋ぐ」をキーワードに これからもがんばります。

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