見出し画像

『星に願いを。』

◯pixiv小説のユーザー企画『第11回1週間小説コンテスト・シルバー』に参加するために書き下ろした短編小説です。
→第二位でした。投票ありがとうございます。(2019/11/02)
◯分厚い雲に覆われた人類滅亡後の世界で生きる、ふたりの機械人形の物語です。

 その光景を見て、わたしは呆然と立ち尽くしてしまった。
 住処からはカレーの香りが漂っている。いつもなら呼ばなくてもリビングにやってくる彼だったが、今日は待てど暮らせどやってこなかった。散歩に行っているにしても遅すぎる。せっかく作ったのに、冷めてしまうじゃないか。ぷんすこ怒りながら、エプロン姿のまま外に出てみたところ、天を仰いで立ち尽くしている彼を見つけた。
「……そっか。時間切れだね」
 それはいつか必ず起きる事象だった。だから、覚悟は出来ていた。

 『星に願いを。』

 寄せては返し、返しては寄せ。
 哀れなこの惑星のうえに、百億の昼と千億の夜が訪れて。

 ※

 21世紀、地球環境がたいへんセクシーなことになってしまって、人類は滅んだ。
「どういうこと?」
「いや、わたしに聞かれても」
 発掘された古い文献にはそう書かれていた。
「ねえねえ、これは何に関する記述なんだい?」
「国連での演説の記録だって。地球環境についてはだましだまし対応してきた人類だったけれど、このあたりから具体的に対策を打つことを強制されて、いろいろ試して、いろいろ間違って、そして滅んだ」
 集中して作業をしたいのに、隣からぐいぐい彼が顔を寄せてくるのでため息をつく。このあいだ廃墟から引き上げてきたこのデータは非常に興味深かった。人類が滅んでしまった経緯には諸説あるが、この文献には、そのうちのひとつ、《雲》について詳細な記録が残されていた。
 地球温暖化対策のために、やけっぱちで造り上げた気象コントロールシステム。洋の東西を問わず神の領域を侵すものには天罰がくだるもので、これも例外ではなかった。暴走の結果、急激な気候変動が巻き起こされ、分厚い雲がこの惑星の全土を覆うことになった。
 そのころ人類は、あらゆる情報を周回軌道上の衛星経由でやりとりをするようになっていた。ドローンによる重要拠点破壊が流行っていたあの時代、テロリストでは手の届かない宇宙に情報資源を避難させるのは当然の結論だったのだが、なにせ運が悪かった。そのシステムが構築し終わるのを待っていたのかように、ある年の秋、世界各地に厚い雲が巻き起こり、大事に大事に避難させていた情報資源は、ついには誰の手も届かないものになってしまった。
 雪の降り積もる実りの季節、それは《白銀の秋》と呼ばれていた。
「だいぶ放浪はしたけど、雲が晴れている場所はなかったねえ」
 と彼は言っていた。わたしも同じだ。世界各地は冬に閉ざされ、一部の人類たちはシェルター代わりのドーム型都市を建造して耐えていたのだけど、それも資源不足によって立ち行かなくなった。人類の積み上げてきた科学は、雲の上に置き去りだ。限られたものを奪い合い、言葉にするのも躊躇われるような争いが多く起こったという。
「我らが造物主は何を考えていたんだろうねえ」
「さぁ、わたしたちにはきっとわからないさ」
 わたしたちはそのアポカリプスのあとに覚醒めた汎用人形(パンドール)だった。人類に仕えるために造られたものの、随分と寝坊をしてしまったわたしたちは、それぞれにこの惑星を放浪し、この廃墟で偶然に出逢った。それからはここでささやかな自給自足(当たり前だ、わたしたちしかいないのだから)の生活を送っている。
「晩ごはんは何がいい?」
「カレー!」
「はいはい」
 元気な彼の言葉に、相槌を打ちながらわたしはエプロンの帯を締める。カレーは彼の大好物で、今日もそう言うとわかっていたから、すでに下ごしらえは済ませてあった。人類が残した料理書とにらめっこしつつ、何千回、何万回とふたりで試行を繰り返したものだ。いよいよ調整も大詰めといったところで、出来上がっているのが肉じゃがと呼ばれるものだと気づいたのは、いまとなってはいい思い出。
「いただきます」
「いただきまーす」
 カレーに使われているのは、元素合成した擬似的な肉と野菜で、なにを『いただいている』のかよくわからなかったが、造物主たちの儀礼を真似ることにしていた。きっとわたしたちが食べているものにいのちはない。この惑星の上に、もう《いのち》はないのだから。
 わたしたちも含めて。
 覚醒めた瞬間からアイデンティティを満たす手段を根こそぎ奪われていたわたしたちにとって、また、自らいのちを断つことが出来ない汎用人形にとって、これはコアが機能静止するまでの壮大な暇つぶしだった。わたしたちの胸の中には半永久的に駆動をする機関があって、それは自らを少しずつエネルギーに変換している。この宇宙が光速の二乗なんてどうかしている変換係数を設定したせいで、コアが完全に尽きるまでにはまだかなりの時間が必要だった。雨水が石を穿つような速度で、わたしの胸の中の23gの魂は質量欠損を続けている。
「ねえ、君っていつ覚醒めたの?」
 そう彼に聞かれたことがある。わたしは答え、彼も答えた。
「ということは、ボクのほうが先に動かなくなるわけだ」
 感傷でもなく、愚痴でもなく、彼は淡々とそう呟いた。これは最初に与えられた時間と、経過した時間の単なる引き算だ。それはわかっている。わかっているのだけど。

 ※

 造物主たちの儀礼は、たとえそれが不合理なものであっても真似ることにしていた。
 だから、わたしたちは交わりの真似事もしていた。汎用人形はもともとヒトに奉仕をするために造られた存在であるから、当然、そういったことをする疑似器官はあった。わたしには欠けている部分があり、あなたには余分な部分がある。それを埋めた結果、何が生まれるわけでもないのだが。
 プリセットされた知識に従いながら、ぎこちなくからだを重ねる。汗ばんだ肌が触れ、耳元で余裕のない吐息を感じる。やがてからだが硬直し、ニセモノの液体が放たれる。どこまで泳いでもそこは袋小路のニセモノであり、やがてはナノマシンによってタンパク質に分解される。蛭子すら生まれない、ただの真似事。
「汎用人形は、お星さまになれるのかな」
 行為が終わり、胎児のような姿勢で丸まっていると、彼はそう呟いた。詩的な表現であることを考慮したとしても、それは誤っている理解なので、否定をする。
「なれない」
「そうか、残念」
「そもそも人間だって、死ねばそれきりだよ。幽霊になったり、星になったり、というのは、死んだ者に起こる現象じゃない。残された者のこころのなかに起こる現象だ」
「わかっているよ」
 彼はわたしの汗ばんでいる乳房に人差し指を突き立てて、
「だから、ボクが死んでから、君は憶えていてくれるのかなという話さ。寂しがってくれるのかな。たまに思い出したりしてくれるのかな。夜のしんとした枕元で、いもしないぼくの存在を誤認してくれるのかなって」
 その人差し指の先には、わたしのコアが埋め込まれている。刻々と時間を燃やす魂の座。こころと呼ばれるものがあるとすればそれはここにあり、たまに軋みをあげる機関だ。きっとわたしは彼のことを憶えてはいるだろう。ゼロイチの情報として保持されるものだ。しかし、彼のことを想うだろうか。ちゃんと寂しくなれるだろうか。人差し指に差されてはいるが、そこは人とはちがうこころのあり方をしている。
「……わからない」
「だよね。とはいえ、覚悟はしておいてよ。ボクのほうが先にお星さまになるんだからね」
 彼は妙に明るそうにそんなことを言い、わたしに覆いかぶさった。
「そんなことを考えていたらさ、もう一回、したくなっちゃった」
 「ばか」と言おうとしたのだけど、その唇はすでに塞がれていたので声にならなかった。人の営みを忘れて久しいこの惑星の夜が更けていく。もし、かみさまがいるのならば、このようすを見て少しは懐かしがってくれるだろうか。いや、でも、恥ずかしいから見るのはちょっとやめて欲しかったり。
「ここ触るとさ、可愛い声が出るよね」
「ばか!」

 ※

 そして、昨日のような今日が終わり、今日のような明日が始まる。そんな毎日を、わたしたちはずっと繰り返していた。春夏秋冬の移り変わりでも楽しめればよかったのだが、この雲に覆われたままではそういうわけにもいかず、冬が咲いて、冬が誇り、冬が散って、冬が埋もれた。
 変わらない日々の中でも、時間だけは確かに時計回りに進んでいた。わたしたちの胸の中にあるコアは、わたしたちが稼働するエネルギーを生み出すために、きりきりとその身を削って、この宇宙から消滅しようとしていた。このエネルギーは、住居の電気や暖房、そして食料を創り出すための元素変換のためにも使われるから、残量がそのまま寿命というわけではない。ただひとつ、確かなことは、わたしよりも先に彼が尽きるということだった。

 ※

 その光景を見て、わたしは呆然と立ち尽くしてしまった。
 住処からはカレーの香りが漂っている。いつもなら呼ばなくてもリビングにやってくる彼だったが、今日は待てど暮らせどやってこなかった。散歩に行っているにしても遅すぎる。せっかく作ったのに、冷めてしまうじゃないか。ぷんすこ怒りながら、エプロン姿のまま外に出てみたところ、天を仰いで立ち尽くしている彼を見つけた。
「……そっか。時間切れだね」
 それはいつか必ず起きる事象だった。だから、覚悟は出来ていた。わたしは何度も自分のコアに言い聞かす。
 しかし。わたしははたと立ち返った。いま見ているこの光景、なにか違和感をおぼえた。すぐに気づく。厚い雲の隙間から、一条の光が彼に差し込んでいたのだ。何千年、何万年ぶりのことだろう。人類がいかなる知恵を駆使しても解決できなかったあの雲を、この惑星は時間という比類なき武器で解決したのだろうか。
 天に召されるとは、まさにこのことなのだろう。
 見とれてしまいそうになる。だが、これは、仕えるべき主をなくした哀れな機械がその動作寿命を終えただけのことだ。この惑星にはすでに《いのち》はなかった。それを模したニセモノがふたつあっただけだ。
 でも、もしかしたら。
 いのちを悼むということを、最後にこの惑星は教えてくれたのかも知れない。わたしが死ぬときにこれが起こっても仕方がない。もう観測者がどこにもいないからだ。わたしという観測者がいる、この惑星で起こった最後の死。この幻想的な光景は、否が応でもコアに焼き付けられる。そして、雲が晴れつつあるということは、いつか星が見えるということだ。わたしはそこに、彼を誤認してしまうかもしれない。
「埋葬をしようにも、名前を聞き忘れてしまったなあ」
 ずっとふたりきりで生活をしていたものだから、呼び名なんて必要がなかった。けれど、彼が数多のここにいない者のひとりになったいま、墓に刻むにも、星の並びに名前をつけるにも、彼の名前が必要だった。カレー、なんて名前をつけたら怒るだろうか。
 わたしは彼のそばに寄り添って座った。どうしたらいいのかわからなかった。いずれにせよ、このまま住処に戻ってもやることがないのは明らかだった。彼が食べないのであれば、カレーなんて意味がない。もともとわたしたちに食料なんて必要ない。コアの質量欠損によるエネルギーだけで十分に稼動をすることができる。もっとも一般家庭で家族として活動するために、食事や排泄の機能があるだけだ。彼が食べたがっていたから作っていただけで、わたしひとりで食べても意味がない。
 古文書を紐解いても、もうそれを話す相手が居ない。ベッドで慰めてくれる相手も居ない。もう唐突に不合理(ロマンチック)なことを言ってもくれないし、もう可愛いなんて言ってくれない。もう。もう……。あれも、これも、君が居なければ、意味がない。
 いつしかわたしは眠っていた。いちにち、ふつか、それ以上。光は再び雲に閉ざされたから、いくつの昼が巡ったかもわからない。分かる必要もない。時間さえも、もう意味がない。
「……、ねえ、」
 まどろみの中で彼の声が聞こえた。夢だ。それは記憶の整理のための作業だ。あるいは過大なストレスから身を守ろうとしているのだろうか。いずれにせよ、こころが怠く、わたしはその甘い夢に身を委ねた。
「カレー作ってよ、カレー。お腹すいちゃってさ」
 エネルギーの無駄遣いだとわたしはいつも言っていたけれど、実は君にカレーを作るのは生きがいでもあったんだよ。これがなければ、きっとこのなにもない毎日の中で発狂していたにちがいない。
「ねえ、って」
 不思議とからだを叩かれているような気がした。随分リアルな夢だなぁと思っていると、
「……そろそろ起きないと、いろいろしちゃうけど」
「ばか!」
 いやらしく胸を触られた気がして飛び起きる。彼と目があった。立ち尽くしたまま機能停止している状態ではなく、意志のある眼でわたしを見下ろしていた。あれ。なんでだ。たしかにあのとき、雲の切れ間からの光に照らされるようにして、彼は動かなくなったはず……。
「幽霊でも見たような顔をしているね。ははーん、そういうことか。ボクが死んだのだと勘違いしたんだね」
「かん、ちがい?」
「君ってそんなきょとんとした顔もするんだね」
 種明かしとばかりに、彼は腕にシステム情報を表示させた。緑色の細かい文字の羅列の中で、わたしはひとつ異常なものを見つけた。
 バージョン情報が書き換わっていた。おかしい。わたしたちは工場出荷状態から一度もアップデートを受けていないはずだ。受けることができなかったというのが正しい。なぜならば、人類の情報資源は衛星軌道にあって、厚い雲によって遮られ……あっ!
 彼は天に召されるように、雲の切れ間から差し込んだ光に照らされていた。
「再起動に時間かかっちゃったなあ。なにせ人類が滅んでも独自でアップデートを続けていたらしくて、めちゃくちゃ量が多かったんだ。セキュリティ対策してももう意味がないってのにさ、最上位権限でやってくるんだもん」
「……ばか」
 からだ中からちからが抜けて、地面にへたりこんでしまう。まったく……。わたしの勘違いが原因とはいえ、ほんとになんなんだ。ばか。そんなわたしを見下ろして、彼は満面の笑みを浮かべた。
「でも、これで安心した。君がちゃんと悲しんでくれて、嬉しい」
 その言葉を聞いて、コアがきりりと軋みをあげた。悲しさとか、寂しさとか、それがどんな名前をつけるべき感情なのかはわからないけれど、きっとそれこそがこの滅びた世界でわたしと彼が生きた証になるのかもしれない。
 いずれにせよ、彼がこうしてお腹を空かしているのだから、わたしのやるべきことはひとつだった。
「ちょっと待ってて。いまにカレーを作るからさ」

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!(*´ω`*)