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『クロックワイズ・メカニクスへようこそ!!~狐獣人の遺言~』

クロックワイズ・メカニクス小説総集編第ニ巻収録(第六話)
◯ほのぼの獣人スチームパンク短編連作。時計工房で働く犬獣人の少年クストと、技師である羊獣人の少女ウル、そのふたりを巡る物語です。

◯もくじはこちら。

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「いろいろあったけど、さよならだ。犬っころ、ボクの大事なウルをよろしく頼むよ」
 そう言って、プライドの高い狐獣人(ヴェルペ)、ノイン=シュヴァンツ=マクローリンは深々と頭を下げた。彼のこんな姿は見たことがなかったから、ぼくもウルも言葉を失うばかりだった。

 『狐獣人(ヴェルペ)の遺言』

 歯車機構工房、クロックワイズ・メカニクスの朝は早い。
 ぼくの名前は、犬獣人(ファミリシア)のクスト=ウェナクィテス。この蒸気と歯車の街、アンティキティラで祖父の工房を営んでいる。相棒は、羊獣人(オビスアリエス)の技師、ウルウル=ドリィメリィ特等工女なのだけど、朝が非常に弱くてまだ起き出してこない。いつものこと。
 朝の掃除を終えて、看板を玄関に出す。商会のラジオ放送から情報を仕入れながら、朝食の準備に取り掛かる。ふむふむ、今日はあそこの卵が安いのか。野菜もそろそろなくなりそうだし、買い出しに行くのもいいかも知れない。ちょうどコーヒーも切れかけていたところだ。
 いつも密かに楽しみにしているラジオ放送の《獣人占い》のコーナーを聞きながら、ウルが起き出してくるのを待つ。なんでも今日の犬獣人(ファミリシア)の運勢は、なにか厄介なことに巻き込まれるというものだった。ちょっとがっかり。まあ、厄介事に巻き込まれるのは慣れっこだからいいけどさ。恋愛運は最高とのことだけど、どう受け取ればいいのやら。
「おはよ~、クスト~」
 寝ぼけたような声を出して、パジャマ姿のままのウルが階段を降りてきた。寝癖でぼさぼさの髪の毛、きれいに曲がった角。あくびをむにゃむにゃと噛み殺して、寝ぼけ眼のまま、食卓につく。
「おはよう、ウル。はい、コーヒー」
「ありがと」
 ずずずっと、淹れたばかりのコーヒーを飲むウル。おおよそ三時間後くらいにカフェインが効いてくるのだけど、それまではこのねむねむモードのままだ。都会の喧騒から離れて暮らす羊獣人(オビスアリエス)はよく眠るものだとは言われているが、みんなこんな感じなのだろうか。
「朝食を食べながら聞いてくださいね。猫獣人(フェリシアス)のジョバンニさんから、家の大時計の修理の依頼が来ています。時間のあるときに来てくれればいいから、ということなので、今日の午後にでもお邪魔しましょう。サービスでミニヨーグルトくれるそうです」
「ふぁい」
 朝食のサラダをもぐもぐしながら、ウルが返事をする。目はほとんど開いておらず、まだ夢うつつといった感じだ。
「あと、このあいだ受注していたラプラスさんの《階差機関(ディファレンシヤル・エンジン)》の修理ですが、必要なコペルニクスギアがそろそろ入荷しそうだと連絡がありましたので、準備をしておいてくださいね。以前のメンテナンスからかなり経過していますから、結構大掛かりな修繕になりそうですし」
「まかせといて~」
 と、目玉焼きをもぐもぐしながら、ウルが返事をした。ちなみにウルは卵焼きには胡椒派で、目玉は最後まで残しておく主義だ。
 階差機関(ディファレンシャル・エンジン)というのは、この蒸気と歯車の街、アンティキティラでも一部の貴族しか持つことができない高価な機械だった。蒸気のちからで膨大なギアを回し、加算計算を行うことができる。ただの加算と侮るなかれ、差分商とニュートン補完の手法を用いて、星の軌道計算や弾道計算など、人の手では不可能なほど複雑な演算を行うことができるのだ。
 ちなみに歯車機構の設計やメンテナンスで膨大な計算をしなければならないため、この工房にも祖父が設計したクロックワイズ式階差機関(ディファレンシャル・エンジン)がひとつ鎮座している。多少の故障ならウルが直してくれるが、完全に壊れてしまうと店が傾いてしまうほどたいせつな機械だ。
「階差機関(ディファレンシャル・エンジン)といえばさ……」
 ウルが工房のそれを見つめながら、呟いた。
「マクローリン伯爵のところの階差機関(ディファレンシャル・エンジン)、そろそろ壊れそうだよね」
「あー、ノインのところですか。最近あまり行ってませんよね」
 ウルのこの発言は別に予言というわけではない。マクローリン伯爵の御曹司、狐獣人(ヴェルペ)、ノイン=シュヴァンツ=マクローリンは、ウルに逢いたいがあまり、定期的に故障させてはクロックワイズ・メカニクスを呼びつける。
 この街に十台もない貴重なもの。数千、数万のギアからなる複雑な機械なので、故障箇所の同定だけでも難しい作業となる。だからそんな安易な気持ちで壊して欲しくない反面で、定期的に入るその臨時収入は、いまのクロックワイズ・メカニクスにはなくてはならないものとなっていた。
 と、そんな話をしていると、からんころんからーんとドアベルが鳴った。
「「おはようございます。クロックワイズ・メカニクスへようこそ!」」
 反射的に満面の営業スマイルで、ぼくとウルは挨拶をした。玄関には逆光のなか、ひとりの少年が佇んでいた。頭にはピンと張った黄金色の狐耳、目には片眼鏡(モノクル)、高そうな白いスーツを着ている。噂をすればなんとやら。狐獣人(ヴェルペ)のお坊ちゃん、ノインのお出ましである。
「なんだ、ノインか」
「なんだとはなんだ、犬っころ。ボクは客だぞ」
「ちょうど噂をしていたんですよ。また階差機関(ディファレンシャル・エンジン)を壊し……、もとい、階差機関(ディファレンシャル・エンジン)が壊れてしまいましたか?」
 いつもなら『ふん、もちろんそうに決まっている。さぁ、技師を派遣して修理してくれたまえ』みたいなことを尊大に言うのだけど、今日はちがった。眉根の下がったいまにも泣き出しそうな表情で、押し黙っている。彼のそんなようすなんてあまり見たことがなかったので、ウルとぼくは目を見合わせた。
「どうかしたんですか? そういえば、クゥさんは今日は一緒じゃないんですか?」
 狐獣人(ヴェルペ)、クゥ=ノァイン=マクローリン。いつもノインが連れているメイドさんだった。クゥはクゥでノインへの熱狂的な愛情を抱いているのだけど、それはまぁ、あとで。ノインが断ったとしても、彼女は一緒についてきそうものなのに、今日はノインひとりだった。
「クゥは買い出しに行った。ここにひとりで来たかったから、ちょうどよかったよ」
 と、元気なさげに呟いた。そして、言葉を選ぶように口ごもり、意を決したように口を開いた。
「今日はお別れを言いに来たんだ」
「は?」「へ?」
 唐突な言葉にぼくたちは間抜けな声を出してしまう。
「……病気みたいなんだ。おそらくボクはもう長くはない。見たことも聞いたこともないような症状だから、マクローリンの医者でも治せるかどうかわからない。まだ動けるうちに、お別れの挨拶をしようと思ってね」
 彼は片眼鏡(モノクル)を外して、ウルを見つめる。
「ウル。いつも迷惑をかけてしまって、ごめん。生まれたことから衣食住なんでも持っていたボクだったけど、君にはじめて出逢ったとき、職人の腕一本で頑張っていたのがとても印象的だったんだ。ああ、ボクには周りにあらゆるものがあるけど、ボク自身はからっぽだったんだって思った」
「え、なに。らしくないよ、ノイン……。また何か騙そうとしているの?」
 ウルが震えた声を出す。
「そうだね、らしくはない。だけど、最期くらい素直に言わせてくれないか」
 悲痛な表情に、ぼくもウルも押し黙るしかなかった。
「ぼくはね、ウル」
 ノインはひとつ大きく息を吸って、口を開いた。
「ただ、君にしあわせになってほしいんだよ」
 ノインはそう呟いて、目を細めた。『好きだ』でも『しあわせにしてやる』でもないその言葉。自分勝手な要求ばかり押し付けてくるこの狐獣人(ヴェルペ)、ノイン=シュヴァンツ=マクローリンが、おそらくはじめて発した、誰かのしあわせを願う言葉。その重みに、ウルが困惑している。
「いろいろあったけど、さよならだ。犬っころ、ボクの大事なウルをよろしく頼むよ」
 そう言って、プライドの高い狐獣人(ヴェルペ)、ノイン=シュヴァンツ=マクローリンは深々と頭を下げた。彼のこんな姿は見たことがなかったから、ぼくもウルも言葉を失うばかりだった。

 ※

 生意気なやつだったけど、悪いやつではなかったな。
 衝撃的な言葉を残していったノインは、もう必要なことは伝え終えたとばかりにクロックワイズ・メカニクスから駆け出していってしまった。すぐに追いかけようと思ったのだけど、まるで蜃気楼に包まれたかのように彼の姿は消える。狐獣人(ヴェルペ)の得意な幻術系の魔法。犬獣人(ファミリシア)であるぼくは視覚的にカムフラージュされたとしても臭いで追うこともできるが、しなかった。ここまでするということは、きっと追いかけないほうがいいのだろう。
 それにしても。
「え、演技とかじゃないの……」
 工房に戻ると、ウルがそんなことを言っていたが、ノインの尋常ならざる雰囲気は彼女だってわかっているはずだ。明らかにまともじゃない。ウルの気を引くためだとしても、もっと賢い方法を彼なら思いつくはずだ。病気を騙った以上、自分で時限を切っているかたちになっているから、いずれこの嘘はバレる。バレたら印象最悪だ。いくら狐がひとを騙す生き物だとしても、ノインはそこまで腐っていないし、馬鹿でもない。
「ウル。とりあえず彼の話は信じることにしましょう。もし嘘だったらあとでこてんぱんにすればいい。いますべきことをせずに、あとで後悔をするよりマシです」
「うん。そうだね」
「それにしても、病気か……」
 詳しく症状は話してくれなかった。まぁ、話されたところで、歯車機構工房であるぼくたちがしてあげられることはほとんどないだろうけど。見たことも聞いたこともないような症状。蒐集家(コレクター)で知られるマクローリン伯爵、屋敷には膨大な蔵書があると聞く。ノインがこう言うということは、それを一通りは調べた結果なのだろう。
「なにかノインのためにできることはないかなあ」
 ウルが心配そうな声をあげる。ウルを連れてお見舞いに行ってやるとかそういう気休めくらいしか思いつかず、お手上げだった。症状も話してくれず、あそこまでひとりで覚悟を決められては正直なところ打つ手なしだ。
 狐獣人(ヴェルペ)のお坊ちゃん、ノイン=シュヴァンツ=マクローリン。
 生意気だけど、悪いやつではなかった。貴族として生まれ、いままで何不自由なく暮らしてきた彼は、貧乏工房の後継ぎであるぼくからすれば正反対の存在だった。ひとを見下したような不遜な態度にはイラッと来ることもあった。ウルに直接的なアプローチをかけることも多く、ウルにその気はないことはわかっているものの、いつか取られてしまうのではないかと内心ヒヤヒヤしていた。
 それでも、ノインのことを嫌いになれなかったのは、彼がいつだって自分に正直に生きているからだろう。もう少し他人への迷惑は考えてほしいが、自分のやりたいことに対する無邪気さや素直さは尊敬できる。
 それに。
 少なくとも同じ女性を好きになった。
『犬っころ、ボクの大事なウルをよろしく頼むよ』
 あんな表情で、ウルを任されたって困るんだ。ぼくにだって気にいる勝ち方と気に入らない勝ち方がある。それに。それに……。そうだ、ノインが定期的に壊す階差機関(ディファレンシャル・エンジン)の修繕は、クロックワイズの貴重な収入源だ。
「……お前がいなくなると経営が傾く(さみしい)んだよ」
 ぼくは我ながら情けない台詞を吐きながら、ため息をつく。かぶりを振って、頭を切り替える。いまはしんみりしている状況ではない。そんなことは後でいくらでもできる。いまは、いまできることをやるだけだ。
 ノインのために、ぼくたちが出来ること。ひとつだけ思いついていた。
 レジの横に置いてある神銀細工(ミスリルクラフト)の小さな歯車。これには《絡み合う双子座のマナ》が刻印されている。刻印時に対となっているアイテムに対して、それらがどれだけ遠くに離れても通信ができるという代物だ。
 ぼくは指先に精神を集中する。猫の置物が淡く緑色に発光し、魔力を帯び始めたことがわかる。
「クスト……?」
「ウル。事情は詳しくはわからないけど、たぶんノインは未知の症状に侵されている。ノインだっていろいろ調べたうえでのあの結論だろう。たぶんまっとうなやりかたじゃあ、彼を治すことはできない。だから、《埒外のちから》に頼ることにした」
 白き魔女、マナリア=ディデュモイ=ラティナリオ。この大陸で唯一けものの特徴を持たない魔女であり、獣人同士の争いを仲裁する《調停の魔女》だ。いつも箒に乗って、使い魔(ファミリア)のクロとともに大陸中を飛び回っている。
 彼女は魔女であり、魔法を行使する。魔法とはその名のとおり、魔なる法。ぼくたちのような技師は既存の物理法則に従ってそれを利用することを考える。しかし、魔法の概念はちがう。物理法則すら捻じ曲げるほどの《意志》のちからによって、光子を媒介として物理法則自体を書き換える。ぼくだってこの《絡み合う双子座のマナ》の術式くらいは使えるが、彼女と比べれば子供のお遊戯レベルに過ぎないだろう。
 白き魔女ならきっと、ぼくたちではたどり着けない解決の糸口を見つけてくれるはずだ。
 次に通信回路が開かれて、マナの弾けるような声が聞こえた。
『クスト、あの事件以来ね!』
『やぁ、マナ。元気そうでなにより。いまちょっと時間いいかな?』
『ちょ、ちょっと、マナ! いくらなんでも帝龍と戦ってるときにそれは呑気すぎない!?』
 使い魔(ファミリア)クロの慌てた声が聞こえた。
『せっかくクストが連絡をくれたのよ! 帝龍なんてちゃっちゃと倒すわ……って、きゃあ!』
 直後に『轟!』というドラゴンの咆哮と、おそらく箒ごとマナが落下しているような風切り音が聞こえた。
『マナ、大丈夫? 掛け直そうか?』
『ううん、だいじょうぶ! ちょっと待って。あんなやつ、すぐにやっつけちゃんだから!』
 それからしばらく音声だけで聞いていたのだけど、マナは本気で帝龍と呼ばれるドラゴンと戦っているようだった。ぼくたちの公用語ではない魔女語のようなものまで聞こえるし、なにかしらすごい詠唱をしていることは伺える。
『マ、マナ! いくら早く片付けたいからって、そんな大規模な魔法はダメだよ! 竜骨の採取が目的だって言われたでしょ!?』
『うるさい、クロ。黙ってて』
『そんなのやったら塵一つ残らないどころか、この大陸だってやばいよ!!!』
 そんなやりとりをウルとふたりで聞きながら、彼女の用事が終わるのを待っていた。
「魔女も大変なんだねえ」
「ですねえ」
 みたいな会話をしながら、コーヒー片手に待っていた。
 マナとは小さな頃にこの工房で話をしたことがあったけれど、大きくなってから再会したのは《魔法と歯車の完全調和(マギアヘーベン)》を巡る事件だった。クロックワイズ・メカニクスを敵視するヴァン会長の依頼のもと、会計監査の名を借りてマナはぼくの前に立ちふさがった。色んな思惑が重なり合った結果、それはとても大きな事件に発展にした。けれど、まあ、いろいろあっていまではこうして連絡を取り合う仲になっていた。
『……マナ、落ち着いた?』
『もちろん。わたしにかかれば帝龍の相手なんて朝飯前よ』
 しばらくして耳をつんざくような爆発音がして、龍の断末魔のようなものが聞こえた。さっきのクロの慌てっぷりを見る限り、周辺環境への被害のほうが心配だったのだけど、どうやら訊かないほうがよさそうだ。
 それよりもノインの病気の件だ。かいつまんで説明する。
『かくかくしかじかなんだけどさ……』
『えっ、かくかくが?』
『しかじかなんです』
 しばらくの沈黙の後、マナの声が聞こえた。
『ちょっと待って。わたし、あの狐少年に殺されかけたんだけど!?』
 たしかに。ぼくが直接見たわけではないのだけど、先の事件ではノインとクゥ、そして狼傭兵ローランと武力衝突に至ったらしい。魔法による一切の干渉ができない狼獣人(カニスループス)を連れていったのはノインらしいなあと、話を聞いたときは妙に納得をしてしまった。それだけ不利な条件がありつつも、結果として撃退できたあたりマナのちからは恐ろしい。最後に放った魔法によって、森一つクレーターになったという話だ。
 とはいえ、ノインがマナの邪魔をしたことには変わりないし、用意周到にいのちを狙ってきたというのは事実だ。第一印象は最悪だ。しかし、いまこの状況をなんとかできるのは《調停の魔女》しかありえない。
『そこをなんとか。いつかのお返しだと思って』
『……もう。あなたたちへの借りなんだから、自分のために使えばいいのに』
 これみよがしなため息が聞こえてきた。
『まっ、そういうところがクストらしいんだけどね。わかった。こっちが片付いたら、出来る限りのことはやってみる。とにかく、マクローリン伯爵の書庫でわからないような奇病を調査できればいいのね? 狐獣人(ヴェルペ)種特有の疾病から洗ってみるから、具体的な症状がわかったらまた教えてちょうだい』
『ありがとう。こういうの頼めるの、マナしかいなくてさ。美味しいケーキを用意しておくから、ことが終わったらクロックワイズでゆっくりしていきなよ』
『そんなスイーツに釣られるような軽い魔女(おんな)じゃないんですからね!』

 ※

 ぷすぷすと焼け焦げている巨竜の屍体を眼下に捉えつつ、白き魔女とその使い魔(ファミリア)の黒猫は箒で降下しつつあった。
「ねえ、あの犬獣人(ファミリシア)の少年さ、魔女の扱い方うまくなってない?」
「ほんとにね」
 クストからの着信ということでずいぶん張り切ってしまった。
 帝龍の竜骨採取。その骨髄液は、さまざまな薬品のもととなり、わたしが術式でよく用いる《魔法伝導素(エーテル)》と呼ばれる触媒もそのひとつだ。今回は弩級帝龍の討伐という依頼ではあったものの、手早く済ませようと思って、さくっとやっつけてしまった。これだけ焼け焦げてしまっては竜骨もほとんどダメになっているだろうから、しばらくは在庫に気をつけて調合しないといけない。
「まんざらでもなさそうだね、マナ」
「ふふっ」
 彼の祖父であるソフ=ウェナクィテスはわたしの恩人だった。幼い頃わたしはクロックワイズに通い、たくさんのことを学んだ。そのときにクストとも知り合い、いつまでもわたしのあとをついてくる弟のように思っていた。
 が、しばらくアンティキティラを離れていたあいだに、クストは大きく成長をしたようだった。祖父を失い、あの羊っ子とふたりで工房を立て直した。時代情勢の影響もあり、まだ貧乏生活からは抜け出せていないようではあるけれど、少なくともクロックワイズの看板は潰していない。
 彼は職人ではない。いち庶務に過ぎず、大きなちからは持っていない。クロックワイズの名前だって、まだ影響力はあるものの、それを持ち出したからと言って何かが解決するほどのちからはない。
 けれど、彼のまわりにはひとが集まる。類まれな歯車技術を持つあの羊っ子もそうだし、本来なら敵対しているはずのマクローリン家のお坊ちゃんとも仲良くしている。あの狼傭兵とも繋がりがあるというし、貴族街フェレスリュンクス家のガブリエッラ女史とも懇意にしている。そして、わたし。この若さで《調停の魔女》の名を受け継いだ稀代の天才。そう、つまり、わたし。《境界に立つ者(魔女)》として大陸中を飛び回り、獣人間のトラブルの調停を日々行っているこのわたしでさえも、ケーキ一つで呼び出せる。
 複雑に絡み合う歯車の、その中心で力強く廻るひとつの歯車のように、クストは自覚なくいろいろなものを巻き込んで惹き付けていく。いずれそれは大きなちからになる。いつかその大きさを自覚したとき、彼は誰のためにそのちからを振るうのだろう。何を実現するために使うのだろう。
 彼は何になるのだろうか(ヴァス・ヴィルド・アオス・イーム)。
「それを見てみたいと、マナは思っているわけだね」
「ちょっと。地の文(こころ)を読まないでよ」

 ※

 狐獣人(ヴェルペ)の御曹司、ノイン=シュヴァンツ=マクローリンはなんでも持っている。資産も腐るほどあり、それを運用する商才にも恵まれていた。忠実な執事やメイドたちに囲まれ(約一名うるさいやつがいるが)、何不自由ない暮らしを送っていた。
 ボクはなんでも持っている。そのはずだった。けれど、それを指折り数えてみても、脳裏に浮かぶのはいつもあの羊獣人(オビスアリエス)の技師だった。
「ずっと犬っころが羨ましかったんだな、ボクは」
 自嘲気味にそう呟いて、遺言を書く手を止めた。
 なにも持っていないふりをして、誰よりも当たり前にウルのそばにいられるあいつが。
 ため息をつく。まあ、そんなこと、あいつに言ってやらないけどさ。
 机に目を落とす。
 ずっと書き出しをどうしようか迷っていたのだけど、時間がもったいないと思い、いたって陳腐な書き出しにした。『この手紙を読んでいる頃、ボクはもうこの世にはいないだろう』。奇抜で凝ったものよりも、こういったもののほうが真剣に読んでもらえるだろう。
 マクローリン家のビジネスの話はもうほとんど書き終わってしまった。いまボクの責任で進めているビジネスのプロジェクトの話も書き終わり、ここまで書けば、あとは貿易都市《ストラベーン》で工場を構えているパパがうまくやってくれる。
 さて。
 ここからが難しい。ボクのウルに対する想いを書き始めれば、こんな手紙では全然間に合わない。毎晩書き綴っているウルへの日記は、すでに本棚の一角を占めている量になっている。ま、それを読んでくれればいいか。あとで着払いで、クロックワイズに送りつけることにしよう。
 一目惚れだった。
 ウルに惹かれた理由は一から百まで挙げることができるが、簡潔にいえばそういうこと。些細な事故で壊してしまったパパの階差機関(ディファレンシャル・エンジン)を直すために、執事はクロックワイズ・メカニクスに依頼をした。犬獣人(ファミリシア)の少年と、羊獣人(オビスアリエス)の少女。正直、自分と年齢が変わらないこんな少女に何ができるのかと思った。
「おい、羊っ子。お前はすごいのか」
「うるさい」
「特別にボクと話をしてもいいぞ」
「仕事のじゃま!」
 衝撃的だった。
 このマクローリン家に生まれ、メイドに囲まれた生活をしているなかで、こんなにぞんざいに扱われたことはなかった。『ふ、ふぅん。そんなに言うなら、その腕前見せてもらおうじゃないか』と作業工程を見ていたが、立派な家庭教師がついているボクが見てもちんぷんかんぷんだった。まだこどもであるはずの少女は、さも当たり前のように、数千数万の歯車からなる複雑な機械を分解して、故障箇所を調べている。
 目が離せなかった。まるで楽器でも奏でるかのような少女の美しい手さばきに、ボクは見惚れていた。これだけの技術を習得するのに、どれだけの努力を要したのだろう。この不思議な少女に興味が湧いて、定期的に階差機関(ディファレンシャル・エンジン)をわざと壊しては、クロックワイズ・メカニクスを、彼女を呼びつけた。
「……結局、手に入らないものばかりだったなあ」
 なんでも持っていて、なんでも手に入り、なんでも思い通りになる。この奇病におかされる前のボクは当たり前にそう思っていたし、周りの人間もそうであるように接してくれていた。だから、少しもそれを疑うことはなかった。
「もう少し早く気づいていればなあ」
 ため息をつく。
 まぁ、落ち込むのはこれくらいにして、あとは何をこの遺書に書こうか。
 そうだ。
 ボクがおかされているこの奇妙な病について、最後に書いておこう。症状については謎が多く、マクローリン家にあるさまざまな書物を漁ってみてもその正体が判然としなかった。どれほど恐ろしい病なのだろう。いまでもペンを持つこの手が震えている。しかし、後世この病に見舞われる者がいるとすれば、貴重な記録となるはずだ。どれほど目を背けたい病状であっても、記録に残しておかなければならない。
 朝起きたら、白いおしっこをしていたんだ。それは妙にネバネバしていて、生臭い。
 この年齢で夜尿(おねしょ)というだけでもマクローリン家にあるまじき失態だ。ボクは愕然としてしまった。血尿ならまだしも、この形容しがたいものがここから出るなんてよほど重い病に違いない。
 ボクはきっともう長くはない。ボクの屍を超えて、この未知の病の治療法を確立して欲しい。残された時間で、この病のための財団を大々的に立ち上げようと思っている。もう《鳥の目ジャーナル》をはじめ各マスコミには連絡済みだ。
 まだまだやりたいことがたくさんあったのに……、正直、悔しいよ。
 最後に。
 パパ、先に旅立つ不幸をお許しください。
 ウル、愛している。君のしあわせを願うばかりだ。
 犬っころ、ウルを悲しませたらただではおかない。男同士の約束だ、忘れるな。
 それと、クゥ。君が一番心配だ。どうかボクのことなど忘れて、他の仕えるべき人を探してくれ。ボクのことを思い出すのは、彼岸で再会したときでいい。面白い話をたくさん聞かせてくれ。君はめんどくさいやつだったけれど、嫌いじゃなかったよ。

 ※

「ねえ、クスト。ノインになにがあったんだろうね、しんぱい」
 魔女であるマナに調査をお願いしたものの、その結果が出るまでじっと待っているのも落ち着かなかったので、ぼくとウルは《ミンメイ図書館》で調べ物をしていた。もっとも蒐集家(コレクター)であるマクローリン伯爵の蔵書以上に詳しい情報はありそうもなく、逆にマクローリン伯爵からの寄贈の図書と何度も出逢う始末だった。
「やっぱりノインに直接病状を聞くしかないですね」
「でも、話してくれるかなあ。こういうのってデリケートな問題だろうし」
「……ですよねえ」
 ため息をつきながら、図書館の帰りに買い出しをしようと、大通りの方へ向かっていった。とりあえずマナの到着を待ちつつ、状況によっては、メイドさんに話を聞こうと思っていた。ノインのメイドさんは数え切れないほどいるが、おはようからおやすみまでつきまとっているであろう一人のメイドとはある事件を通じて知り合いだった。
「クスト、クスト」
「ん? マナが飛んできましたか?」
「じゃなくて。噂をすればだよ」
 中央通りを通って買い出しに行く途中、ルンルン気分でさまざまなものを買い漁るメイドの姿が目に入った。腰のところから外に出したもふもふの狐しっぽが楽しそうに揺れている。鼻歌を鼻ずさみながら、マクローリン家のメイド、クゥ=ノァイン=マクローリンは次から次へと野菜などを籠に入れていた。
「あら! クストさんとウルさんじゃありませんか。ご機嫌よろしゅうでございますか~?」
 相変わらずどこかずれたお嬢様言葉で挨拶をされた。いつも怪しげな笑みを浮かべている彼女だったが、今日は少女のように無邪気に微笑んでいる。ぼくたちは首を傾げる。彼女がメイドとして仕えている主、ノイン=シュヴァンツ=マクローリンはあんなにも悲壮を湛えていたというのに……。彼女は奴隷的な身分であったところを、ノインに救われたと聞いている。中途半端なお嬢様言葉はそのときの名残らしい。ノインが不治の病に侵されたと聞いて、そんな喜ぶわけはないと思うのだけど。
「あの。どうしてそんなに嬉しそうなんですか?」
「わかりますの!?」
 と、頬に手を当てて恥ずかしがるクゥだった。
「なんと! 私のご主人様、ノインさまがついに大人の階段をお登りあそばされたのですよ~!」
「は?」
「巧妙に隠してあったのですが、主の健康管理のため、パジャマやシーツを毎日くんかくんかしている私の鼻は誤魔化せませんわ。あの特徴的な香りは紛れもなく、ノインさまのからだが男性として成熟したことの証!」
 天下の往来でこんなことを叫ぶクゥに、道行く人々がおどろいて振り返っている。それだけノインに起こったしるしが嬉しいのだろう。
「なんとなく事情が飲み込めてきたぞ……」
 クゥの言っていること。ノインの深刻な顔。そして世間知らずなお坊ちゃま。これだけ揃えば、いい加減いま起こっていることの全容が見えてくる。ほんとに心配して損した。狐につままれたような気持ちだ。ぼくは脱力のあまり地面にへたりこみそうになってしまった。
「私の故郷(くに)の風習では、からだがおとなになったお祝いとして、小豆が入ったご飯を炊くのですわ。いまはその材料を買っておりますの。それにそれに、とってもめでたいことでございますから、腕によりをかけて豪華な晩御飯にしようと思いまして」
 腕にかけられた籠からは溢れんばかりに高級な食材ばかりが詰められている。とてもノインが食べ切れる量ではないだろうから、少し分けて欲しいくらいだ。とはいえ、クゥがこれほど喜ぶのもわからないわけではないが、多少ノインに説明してあげないと困ったことになるだろう。
「あの、老婆心ではありますが、ノインにからだの仕組みをきちんと教えてあげたほうがいいと思いますよ」
「きゃー、ノインさまに手取り足取りからだの仕組みを教えろだなんてそんな! 決して結ばれてはならない身分差だというのにですわ~! でもでも、こころもからだもノインさまに奉仕するのはメイドとしての本懐ですので、あんなことやこんなことや、あそこにこんなものを入れたり出したり、そんなところにアレなことをしてしまったり……、もう、何を言わせるんですか、クストさん!」
 まんざらでもない表情で、クゥさんは顔を赤くしてからだをくねらせた。なにを想像しているのかはしらないが、とりあえずこれでノインの一世一代の苦悩は解消されることだろう。ほんとに大したことない話でよかった。今晩、ノインのからだが無事かどうかはまた別の話だけど。
「おっと、もうこんな時間ですわ。仕込みもありますので、それでは、ごきげんよう!」
 しっぽをふりふりしながら、中央通りを進んでいくクゥの背中を見つめて、ぼくはため息をついた。
「まったく。人騒がせな狐たちだよね、ウル」
 と振り返ったら、ウルはきょとんとした顔でぼくを見つめていた。
「ごめん。なんかすごいクストが納得したような顔をしてるから突っ込めなかったんだけど、わたし、ぜんぜんわかってないよ」
 世間知らずがここにもいたことを忘れていた。ぼくは冷や汗をかきながら、さて、なんと説明したものか……と考え込んでしまった。まさか今晩、手取り足取りというわけにもいかないだろうし……。いかない、よねえ。
「ねえ、クスト。教えてよ、なんなの?」
「え~っと、それはですねえ、ウル。おしべとめしべがあってですね……」

 ※

 後日談なんだけど。
 ノインの病気の正体に拍子抜けしてしまったぼくは、そのことをマナに連絡をするのを忘れていた。数日後、買い出しに出かけようと思ったら、超特急で箒が飛んできてびっくりした。箒の先には黒猫使い魔(ファミリア)がくくりつけられていた。
「はぁはぁ、クスト。お待たせ」
「マナったらいくらなんでも飛ばしすぎ。戻しちゃうかと思っ……オロロロロr」
「《驚異の部屋(ヴンダーカンマー)》に寄ってたら遅くなっちゃった。覚えてる? 過去も未来もすべてが詰まった次元の坩堝(るつぼ)。そこで手に入れたこの《林檎の石版(タブレット)》さえあれば、どんな病状でもたちどころに診断できるわ!」
 と、息巻く《調停の魔女》マナリア=ディデュモイ=ラティナリオになんと説明をしたものか。思案した結果、端的に事実だけを説明したのだけど、マナは顔を真っ赤にして見たこともない表情をした。どうやら彼女は世間知らずではなかったようだ。
「ねー、マナー、ボク世間知らずでわかんないんだけど、どういうことなの~?」
 使い魔(ファミリア)クロがにやにやしながら、マナを見つめていた。
「ばっ、ばか。わかってるでしょう」

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