181209_表紙

『この追憶の片隅に。』 ~ひととかみさまと~

◯『君は……?』『見てのとおりのかみさまなのじゃ!』
 奇想天街を舞台に繰り広げられる、現代あやかし短編連作です。
◯驟(シュウ):物書き崩れの青年。
◯ひとみ:河原で出逢ったぽんこつかみさま。なにを司るかみさまかは内緒

◯タケ:奇想天街の河原でひとみに出逢った青年

メロンブックスさんにて、書籍・電子書籍ともに取り扱いをしています。
◯もくじはこちら!


追憶挿絵

「ということはぼくがかみさまになれば、夫婦(めおと)になれますね」
「……たわけ」
 ぷいっと、ひとみはそっぽを向いた。

『この追憶の片隅に。』 ~ひととかみさまと~

 白羽橋。
 奇想天街(きそうてんがい)の片隅に位置するその古い橋には、かみさまがいる。小さくて、可愛くて、のじゃのじゃうるさくて、けっこう頑固なそのかみさまがそこにいる。
 ひとみ。
 奇想天街で過ごした数年は長いようで短かったけれど、ぼくにとって忘れられない日々だった。

 ※

「……迷子?」
「見てのとおりの、《かみさま》じゃ」
 誇らしげな顔でそんなことをいう少女は、どこからどう見てもかみさまには見えなかった。巫女装束のようなものを着ていることを除けば、母に叱られて家を飛び出したものの行き場がなくて座り込んでいる少女にしか見えなかった。妄想か、ぼくをからかっているのか。いずれにせよ、放ってはおけなかった。
「かみさま、ですか。まだこの国にいらっしゃったんですねえ」
「失礼な。お主らがわらわたちを見れんくなっただけで、かみさまはそこかしこにおるぞ」
 ぷぅと頬を膨らますかみさま。喋りはジジくさいが、ずいぶんと可愛らしい。小さな祠に腰掛けて、足袋に包まれた足をぶらぶらとさせている。
「そういうお主は何者なのじゃ? 迷子か」
「見てのとおりの、って、何者なんでしょうね、ぼくは」
「しらんわ」
「昼休みに握り飯を食べる場所を探しているだけの、しがない青年ですよ」
 ぼくはその小さな祠の側に座り込んで、風呂敷を広げた。そこには朝一番で用意した握り飯が並んでいる。物資不足で贅沢はできないため、具はなにもない塩むすびではあるけれど、こうして昼休みに気持ちのいい外で食べればご馳走だ。ぼくはこの時間がなによりも好きだった。
 隣から視線を感じた。ぎゅるるるという、うめき声のような腹の虫の音も聞こえる。
「食べますか」
「喰う! のじゃ!」
 なかば奪い取るように握り飯を掴んだかみさまは、がつがつと握り飯に食らいついた。まるで何ヶ月も食べ物にありつけなかったような食べっぷりで、はたから見ていて心配になるくらいだった。ほら。案の定、喉につまらせた。
「そんな急いで食べるからですよ」
 水筒からお茶を差し出す。ようやく息をついたかみさまだったが、すぐにむしゃりと握り飯に齧りついた。また喉につまらせたらどうしようという食べっぷりで、ひやひやする。自分の食事に集中できないまま、かみさまはぺろりと平らげてしまった。
「美味であったぞ」
「それはそれは」
 田舎にいたころ、近所の神社に収穫物をお供えしていたことがあった。たしかに翌日見に行くとお供えものがなくなっていて、それはどこかの不届き者が盗んでいたものだと思っていたのだけど、もしかしたらほんとうにかみさまが美味しく召し上がっていたのかもしれない。
 たしかにこの橋の下の小さな祠では、お供えものに困ることだろう。何のご利益のあるかみさまなのかはわからないが、花も果物も備えられていないし、手入れもあまりされていない。そんな中で久々に味わったお供え物がさっきの握り飯だったのかも知れなかった。そりゃあ、あれだけがっつくのもうなずけるというものだ。
 視線を感じる。
「……これはあげませんよ」
「よいではないか。減るもんじゃなし」
「減るもんですって。これ食べれなかったら、夜まで食べれないんですから」
 すったもんだを繰り返して、結局、最後の一個までかみさまに奪い取られてしまった。ご機嫌に足をぶらぶらさせているかみさまと、今後はお腹の虫がなりやまないぼくである。
「美味であったぞ、褒めてつかわす」
「そりゃどうも。って、しまった!」
 ため息をつきながら、手元の腕時計を見ると、もう帰るべき時間を過ぎていた。いつもは握り飯を平らげてから時間を持て余していたのだけど、今日はこのかみさまのペースに乗せられて、想定以上にゆっくりしてしまったのだ。
「そんなに急いで片付けてどこにいくのじゃ~?」
「昼休みが終わるんですよ! 学校に戻らないと!」
「そうか。もう少し話したかったんじゃが」
 かみさまは諦めたように肩を落とした。
「また来い。わらわの名は、ひとみ。こうしてわらわを認識できる者はもう少なくなったゆえ、暇つぶしにも付き合ってくれんか。お主にこれといったご利益はくれてやれんが、話くらいは聞いてやれる」
 どたばたしたままぼくはそのかみさまの居所をあとにし、堤防沿いを走っていった。なけなしの握り飯が食べられずお腹はなりっぱなしであったが、いつもよりも不思議と気持ちが軽くなっていた。ひとりでもそもそ食べているよりは、あのひとみと名乗ったかみさまのところで食べたほうが楽しい気がした。
 ところであのかみさまは、何を司っているのだろう。今日の振る舞いを見る限り、《傲慢》とか《悪食》という単語が思いついたが、本人にそんなことを言うと『ばかもん!』と怒られるかも知れない。

 ※

「秘密じゃ」
「えー」
 翌日の昼休みも、ぼくはその橋の袂まで走っていった。小さな祠の上で足をぶらぶらさせていたかみさまは、ぼくを見るなりぱっと明るい表情をしてくれた。それが田舎で飼っていた犬の表情に似ていたということは胸のうちに秘めておくことにした。
 さて。ぼくはさっそく、ひとみに何を司っているかみさまなのか訊いてみたのだ。
「秘密と言ったら秘密じゃ」
「それじゃあ、信仰のしようがないじゃないですか」
「そういう決まりなのじゃ。よいか。そもそもかみさまは、ひとのなかに自ずと形成された《信仰》がかたちを得た生き物じゃ。ひとの信仰を糧に、恵みをひとに還元するのじゃ。かみさまがこれこれこういうご利益があるからと自己紹介をするのは、この国のかみさまのあり方ではないのじゃよ」
 なるほど。そもそもの我が国の宗教はそのようなかたちだったと聞いたことがあった。稲作が始まる前、ひとびとが生き残るためには、自然の恵みに期待するしかなかった。雨風も災害も飢饉も、なにひとつコントロールできなかったひとびとが、自然の中でそれでも生き抜くためには、かみさまとしてたてまつり、共存するしかなかった。雷や地震や日蝕など、理解の及ばないものは神格を与えて解釈するしかなかった。
 ひとびとは世界を《物語》として紐解いて、解釈をしていったのだ。
「そういうものですか」
「そういうものなのじゃ」
「じゃあ、この握り飯は差し上げられません」
「それとこれとは話が別なのじゃ♪」
 手に持っていたはずの包みが忽然となくなっており、気がついたら、ひとみがもしゃもしゃと食べているところだった。まさに神業。寮母に無理をいって、いつもの倍の握り飯を持ってきて正解だった。ぼくもとなりに座って齧りつく。その代償として晩飯が用意されていないとのことだったが、まぁ、この物資不足の時代、仕方があるまい。
 ひとみの隣で、ぼくも握り飯に齧り付く。うん。今日も具は入っておらず、塩と米を握り固めたものだった。それでも美味しそうにもにゅもにゅ食べているひとみを見ていると、なんだかものすごいご馳走のように思えて仕方がなかった。
「それで、お主はなんて名前なのじゃ?」
「ぼくは……、そうですね、秘密なのじゃ♪」
 このひとみというかみさまが頑なに秘密秘密というので、そのお返しのつもりだったのだが、ひとみはふむと一息ついて。
「《秘密なのじゃ》? 可笑しな名じゃな。のう、《秘密なのじゃ》、お主はなにを生業としておるのじゃ?」
 いたずらげな目をして、飄々とそんなことを言うのだった。
「ちょ。それは名前じゃないですよ!」
「《それは名前じゃないですよ》という職業があるのか。《秘密なのじゃ》、詳しく教えてくれなのじゃ!」
「もう!」
 そんな不毛なやりとりを何度も繰り返し、この河原の片隅でふたりで笑い転げていると、もう帰られなければならない時間だった。昼休みが終わってしまう。楽しいときというものはあっという間に過ぎてしまうものだ。
「じゃあ、改めて。ぼくの名前は、タケといいます」
「タケ。良き名じゃな。わらわは、ひとみというのじゃ」
「知ってます」

 ※

「わらわはここから動けんからのう」
 ひとみはいつでもここにいる。
 暑い日でも寒い日でも。雨の日も晴れの日も。ハレの日もケの日も。ひとみと出逢ってからもう数ヶ月のときが過ぎようとしていた。ぼくは昼休みのたびにこの河原に通い、ひとみと一緒に握り飯を食べながらくだらない話をし、時間ギリギリに走って学校に戻るという生活をしていた。だんだんと昼休みの時間だけでは物足りなくなって、業後の時間も通いたくなってきたが、一度憲兵にこっぴどく叱られてからはそうも行かなくなった。なんでも共産主義者はこうやってひと目のつかないところで集会をしているそうだ。そのとき殴られた傷はしばらく癒えることはなかったが、これで済んだという幸運を喜んだほうがよかった。
 それに、いつまでもあのかみさまにうつつを抜かしていては勉学が疎かになってしまうという懸念もあった。雪に埋もれる北国の田舎からこうして都会の学校に来たのは、偉くなるためだ。真面目に勉学に励み、国に貢献をすることによって、両親の生活を少しでも豊かにしてあげるためだった。
 とはいえ、ぼくも健康な青少年である。夜毎にひとみに逢いたくなったり、ひとみのことを思い出したり、ひとみが夢に出てきたりして大変だった。夢に出てきたときは特に大変で、理性のブレーキが利かなかったせいか、ずいぶんと罰当たりなことをしてしまった。慌てて起き上がったぼくはしばらくおちこんでいた。
「わらわはここから動けんからのう」
 でも、だからこそいつもここにいてくれる。悪化する世界情勢、余裕がなくなる地域社会、若い人材である自分に求められている重圧。それらに押しつぶされそうになる中で、ここに来ればかならずこの愛らしいかみさまに逢えるということは救いだった。いつものようにくだらない、毒にも薬にもならない話をするのも、楽しかった。この刻一刻と変化していく世界における《変わらないもの》のたいせつさがよくわかった。
「じゃから、外の話が聞きたいのう」
 しかし、ひとみにとってはそうではない。そりゃそうだ。日がな一日こんななにもないところで過ごさなければならないのだから。たまに犬がションベンをひっかけにやってくるが、それくらいのことしか起こらない。『じゃから、タケが話に来てくれるのはとてもとても嬉しいのじゃ』と言ってもらえたときは、天にも舞い上がるようなきもちだった。
 さて、外の話。いくらでも話す材料はあるのだけど、どれもこれも暗い話ばかりだ。せっかくのひとみとの時間をそんなことで浪費したくない。しばらく考えた結果、ぼくが導き出した結論は。
「田舎の話をしましょう。村が埋もれるほど大雪が降るんですが……」
「ほうほう」
 話していて、ひとつ思い出したことがあった。あの田舎では、『大雪が降ると大病が治る』との迷信があったのだ。先祖代々受け継がれているようで、他の家庭からも聞いたことがあったから、おそらく根拠のない話ではない。雪がどっさりと降る季節は、《ゆきひめさま》というかみさまが元気である証拠で、思いっきり雪を降らせてくれたお礼にと、ひとびとにかみさまのちからを分け与えてくれるのだという。
「かみさまとひとびとが共存しておる良い社会じゃな」
 当時は話半分に聞いていたが、あのお供え物をしていた社には、ひとみのようなかみさまがほんとうにいたのかもしれなかった。
「いつかひとみにも見せてあげたいですねえ」
 ついつい話の流れでそんなことを口走ってしまった。
「わらわも見たいのじゃが、ここから動けんからのう。それにこの奇想天街は雪が滅多に降らん。ン千年もここにおるが、積もったことすら片手で数えられる程度じゃ」
「ということは、ここの冬のかみさまは怠け者なんですかね」
「ふむ」
 ひとみは少し首をかしげて。
「どちらかというと、そのちがいは《個性》と呼ばれるべきものじゃな。南国に雪が降らなくても、そこの冬のかみさまが怠け者であるとは言えまい。その風土と、ひとびとの願いにみあった振る舞いをせにゃならん」
「そういうものですか」
「じゃから、もしこの奇想天街に大雪が降ることがあれば気をつけなければならぬのじゃ。冬のかみさまになにかあったが、ひとびとの側になにかあったか。いずれにせよ、なにかよからぬことが起こっておるのじゃ」
 そういったひとみは指についた握り飯の塩を舐めて。
「ま、そんなことは起こらんじゃろうけどな」

 ※

「田舎から見合いの話が来まして」
「ほうほう」
 ずいぶんな食いつきだった。どのくらい食いついてきたのかと言うと、腰掛けている祠から転がり落ちてしまったくらいだ。恋の話に盛り上がる女子のように目を輝かせて、ぼくを見上げてくる。
「断りました」
「なんでじゃ」
 がっくりと肩を落とすかみさまに、ぼくはため息をついた。夫婦になりたいものが他にいるからですと。いま、目の前で転がってるおなごですと、そう言えたらどれだけ楽だろう。握り飯でほいほい餌付けされるような、いまだに何を司っているのかわからないようなかみさまに、ぼくは。『なんでじゃ、なんでじゃ、懸想しとる相手でもおるのか?』とこちらのことなど少しも気にしていないようなこのかみさまに、ぼくは恋をしてしまっていた。
「そうですよ。想っている相手がいるんです」
「ほうほう。それにしても、なにをそんなムスッとしとるんじゃー?」

 ※

 ぼくは、この河原の片隅に通い続けた。昼休みのあいだしかひとみの側にいられなかったが、それでも一日の活力を彼女からもらっていた。一度戯れで持っていった駄菓子をひどく気に入り、それからは握り飯ではなく、そういったものを持っていくようになった。甘味を前にすると、女子学生のように目を輝かせた。
「今日はみたらし団子ですよ。手に入れるの苦労したんですから」
「うまうま。いまはこういううまいものがあってしあわせじゃのー」
「そうでもありませんがねえ」
 我が国を巡る状況は日に日に悪くなっていくばかりだった。他に類を見ない大恐慌により、植民地を持っている列強国は自らの貿易圏に閉じこもり、嵐が過ぎるのを待っていた。持てるものはさらに富み、持たざる者は失うばかりだ。そんな中で、この小さな島国には資源はなかったが、気概と技術があった。鎖国を解いてからというもの、それだけを頼りに邁進をしてきた。が、列強国からの圧力は一段と強く、世界情勢は緊張の一途を辿っていった。一触即発とはまさにこのような状態を言うのだろう。
 この国を古来から見守り続けてきたかみがみは、この状況をなんと思っておられるのか。
「なんじゃ。その、説明してもどうせこいつわかんないだろうなあ、みたいな目は」
「サトリかなにかですか、ひとみさまは」
「失礼なやつじゃな。よいか、定命の者、お主の何倍生きておると思っておるのじゃ。いいから、聞いてみるが良い」
 ひとみとはもっとお気楽な話ばかりしていたかったのだけど、まぁ、こういうことを言われては仕方がない。とはいえ、このかみさま、この河原から動けないようで、まずどこから説明すればいいのかわからなかった。
「まず、海の向こうのですね」
「……うみ?」
「米国が」
「おっ、米の国か! 美味しそうじゃな!」
 案の定だった。
「もういいです」
「早くもお主の悩みを解決してしまったか。さすがひとみさまじゃのぅ」
 かっかっかと笑うかみさまを見ていると、色々なことがどうでもよくなるのだった。
「みたらし、お主の分はよいのか」
「なんかもういいです。ひとみさまが食べてください」
「なんかかたじけないのう」
 初対面のときに握り飯を全部食べたひとのいう台詞ではない。
「うまうま。ひととは凄いのう。わらわを認識できる者は滅多に現れんが、時代を減るごとに格段にうまいものを持ってきおる。わらわがかみさまになる前は、こんな美味しいものほとんどなかったというのに」
「えっ。『かみさまになる前は』って、ひとだったんですか?」
「おっと。口が滑ったのじゃ、忘れろ」
 たしかにひとみには人間臭い部分がありすぎるとは思っていたのだ。神々しさがないというか。言われなければかみさまではなく、そのへんの少女と変わらないというか。怒られるから言わないけど。
「かみさまになる、ということが可能なんですか」
「《信仰》を得れば、の話じゃがな」
 ひとみは話しづらそうに言葉を選んでいる。
「例えば、戦乱の世を鎮めただとか、英雄的な活躍をしただとか、そういうものは祀られるじゃろ。《信仰》を得るということは、ひとびとがその《物語》を共有するということじゃ。そういったケースではひとはかみさまになれるが、あくまで稀な例じゃ」
 しかし、これはぼくにとって福音だった。かみさまとひと。そのなにもかもがちがうぼくたちのあいだには、到底飛び越えられない海原があるのだと思っていた。ぼくがどれだけ想っても、夫婦になることはできない。が、いまのひとみの話がほんとうならば、ひとはかみさまになることができる。この果てしない海原に橋がかけられたような感覚だった。それは渡るのは非常に難しい橋なのかもしれないが、あるのとないのでは大違いだ。
「ということはぼくがかみさまになれば、夫婦(めおと)になれますね」
「……たわけ」
 ぷいっと、ひとみはそっぽを向いた。

 ※

 別れの日はおもいがけず来ることになった。
 この国の人材不足は甚だしく、ぼくのような学生でさえ動員されるようになってしまった。あの手この手で回避する方法を探してみたのだが、ひどい罵りと暴力が返ってくるだけだった。あまり生傷が増えるとひとみが心配するので、やがてぼくは諦めた。不足しているのは人材だけではないし、ぼくひとりが足掻けたところで遅かれ早かれこの状況は訪れるのだと感じていた。
「というわけです。そんな顔しないでください。ことが終わったら、必ずここに戻ってきますから」
「じゃがな……」
 ひとみはいくつか言葉を選ぶようにかぶりを振って。
「いや。何を言ってもお主は行くのじゃろう。ならば余計なことは言うまいて。それにな……」
「それに?」
 ひとみがいつものようないたずらげな目をして見上げてきた。
「タケ。お主が無事に帰ってきたとしても、わらわがここにおるとは限らんぞ。古き橋ゆえ、ひとびとに忘れ去られてしまうかもしれん。それにお主の言っておったクウシュウとやらで物理的に消滅するかもしれんぞ?」
 ぼくはくすりと笑って、反論する。
「ひとみはぼくより先に消えることはありませんよ」
「なぜじゃ?」
「ぼくが何百万人分も、あなたを《信仰》しているからです。だから、大丈夫なんです」
 朝日が昇るまでにはここを出発しなければならない。黙り込んでいるひとみに、ぼくは一礼をして、この河原の片隅を離れた。名残惜しいが、いつまでもこうしてはいられない。ひとみ声にならない声が背中に聞こえたが、彼女はあの祠から離れることは出来ない。
 なに、これが今生の別れになるわけではない。
 ぼくは自分に言い聞かす。ひとみのいる国を守って散ることができたなら、ぼくは《英霊(かみさま)》になることができるのだから。

 ※

 そして、短いようであまりに長い年月が流れ。

 ※

「どうしたのじゃ。わらわはしっかりと戦争の災禍からこの橋を守りきったぞ。あとはお主が帰ってくればそれでよいのじゃ」
 騒がしい夏が過ぎ去り、秋が散って、冬が積もった。この橋から観測できる範囲のことしかわらわにはわからないのだが、この数年とは明らかに違う風が吹いていた。この国を揺るがす一大事はどうやら終わったようで、けれど、正月が来ても、桜が咲いても、わらわはここで待ち続けた。
「この、浮気ものめ。どこをほっつき歩いておるのじゃ!」

 ※

「ふがっ」
「あ。起きた」
 白羽橋。
 奇想天街(きそうてんがい)の片隅に位置するその古い橋には、かみさまがいる。小さくて、可愛くて、のじゃのじゃうるさくて、けっこう頑固なそのかみさまがそこにいる。
 ひとみ。
 いつものようにぼくは《アラミタマート》でお菓子をたんまりと買い込んで、白羽橋に向かった。昨日発売したお菓子はひとみも食べたがっていた。橋の下の祠から動けないかみさまではあったが、いまではタブレット端末により八百万(やおよろず)ちゃんねるや、FaithbookやLINNEを駆使して、ぼくよりも早く駄菓子の情報を手に入れていた。
 新しいお菓子を楽しみにしているだろうと思って駆け足でこの河原の片隅にまでやってきたのだったが、当のかみさまは居眠りをしていた。口はもにょもにょと動き、手脚はたまにこわばる。なにか夢でも見ているのだろうか。見ていて飽きることはなかった。表情は万華鏡のようにころころと変わったが、どうやら悪夢を見ているようすではなかった。
「いつから見ておったのじゃ、わらわの寝顔を!」
「ほんの数分ですよ。たったの一万八百分です」
「に、二時間も!」
「三時間です」
 わちゃわちゃと暴れるひとみに苦笑する。
「何の夢を見てたんですか」
「いじわるな驟には教えてやらん。それより、ちゃんと買ってきたのじゃ?」
 ぼくはアラミタマートのレジ袋をおろして、ひとみにひょいひょいと渡していく。バイトで働いている楸(ひさぎ)さんから頼まれている《天域(あまゾーン)》の荷物も忘れずに。自分のものとひとみのもの、ようやく仕分けし終わったころには、すでにひとみはもしゃりもしゃりと袋を開けて食べていた。
「驟よ、頼んでおいたものがないぞ」
「宗教上の理由で、《きのこ》の同じ味を買ってきましたので」
「驟はいじわるなのじゃ」
 この世界の人間は大きくふたつに分けることが出来る。きのこが好きか、そうではないか。残念ながらひとみはぼくとは違う対岸にいる存在だった。だからぼくはこうしてお使いを頼まれるたびに、きのこを買ってきている。その度にひとみはわーわー文句を言うのだけれど、今日のひとみはなんだか違った。きのこをひとつ手に持って、小さくため息をついたのだ。
「……なかなか、《たけのこ》には逢えんのう」
 そういうひとみの目は、ここではないどこか遠くを見つめていたような気がする。なぜか頭を振ったひとみはぼくが買ってきたものの中からあるものを見つけた。
「お。驟よ、これはなんじゃ」
「新商品らしいので買ってきました。チップスの《握り飯の具》味ですって。いろんな握り飯の具のランダムに味付けされているようで。鮭とか昆布とか。ひとみはどういうのが好きですか」
 ひとみは何故か目を丸くして、おそるおそる一枚つまんで口に運んだ。
「なんじゃ、これは」
 ひとみは大粒のなみだを浮かべていた。
 もしかして辛子明太子とか、ハズレ枠であるわさびとか当ててしまったのかもしれない。慌てて家から持ってきた水筒にお茶を注いでいると、ふふふっとひとみの笑う声が聞こえた。
「塩の味しかしないのじゃ」

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