誰かと暮らすことを一度あきらめた私へ
大学生の頃、私は当時の恋人と暮らしていた。とは言っても、お互いに親が支払う家がある上で、彼がうちに泊まるという形式だったけれど。
この頃を最後に、私は恋人と暮らすということをしていない。純粋に恋人がいない期間が長かったこともあるし、遠距離だったこともある。
でも、今回私が向き合ってみたいのは、私の心にあるブロックだ。
大人になるにつれて、恋愛における関係性構築というもののむずかしさに気づきながら、私は誰とも暮らせないのだと自分に呪いをかけた。
その呪いを、そろそろ手放してもいいのかもしれない。そうしたければ、私は誰かと暮らしてもいいのだと、自分に許可をしたいのかもしれない。
そんな感情と、今日の私は向き合ってみようと思う。
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誰かと暮らすこと
私にとって、誰かと暮らすというのはすごくハードルが高い。
学生の頃は簡単に恋人と暮らせた。親が支払いをするから生活のことで悩むことがなかったし、完全な同棲ではなく互いに家があることも安心だった。
でも、社会人になってからの「一緒に暮らす」は、何か違う意味を持つような気がする。金銭的にも、社会からの視線的にも、日本の家父長制的にも。
自らのお金で自分を生きさせるだけでも大変。少なくとも私にとっては、私の世話をするだけで手一杯。
特に私は、自分の機嫌をとることにすごく労力がかかる。そんな私が、誰かと暮らすなんて論外だと。
だから私は、誰とも一緒に暮らさないほうがいい。その代わり、歳を取ったら、仲間と同じマンションなんかでご近所で住めたらいいな、なんて。
そんなことをずっと考えていた。私は誰かと暮らせないのだと、私は私を守るために、自分に呪いをかけ続けていた。
誰かと暮らすことをあきらめた私へ
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ライフコーチングというものを学び、私はひとと付き合うことがうまくなった気がします。人とのコミュニケーションというものを理解できたからです。…
7年半勤めた会社を30歳で辞め、好きな場所に住んで好きな仕事をする人生を作り直すと決めました。サポートいただいたお金は、退職後にお仕事にしているコーチングのスキル向上や、noteを書き続けるための生活に使用します🙇🏻これからも記事を通してみなさんと繋がれたら嬉しいです☺️