ロード・オブ・ザ・リング
The Load of the Ring 王の帰還
ロード・オブ・ザ・リングの世界にはまって、やっと最後のextension versionを見ました。
2枚組みで長いですが,サルマンの最期やエオウィン姫とアラゴルンのシーンなど、追加されたシーンがとてもよかったです。
トールキン原作の指輪物語も全編読んだのですが、サルマンの最期などかなり違っています。原作にはそれほどはっきりとした人物描写がないので、映画の登場人物がそのままのイメージなってしまっています。
フロドもサムも原作ではもっと年をとっているし、アラゴルンに至っては80歳です。(年のとり方や寿命が普通の人とは違いますが)
イライジャ・ウッドやヴィゴ・モーテンセンの世界が好きになりました。
原作ではアルウェン姫とアラゴルンのエピソードはほとんど出てきませんが、映画では効果的に挿入されて,ラストの再会シーンはとても感動的です。(必ずここで泣いてしまいます)
そのあと、広場に集まった人々が小さなホビット達にひざまずくシーンが、旅のすべてを物語っていてじんとします。
エクステンションヴァージョンのDVDには監督やスタッフ,キャストのコメントがついてます。
彼らが長い撮影を通して育んだ友情と、作品への愛情が感じられ、ますます好きになってしまいました。
ゴラム役のアンディ・サーキスの苦労と才能に驚かされます。
ぜひ、時間のある日にゆっくりご覧下さい。
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原作ですきなのは、エオウィン姫とファラミアの療養所でのシーンです。
傷つきながらも男のように戦うことに自分を見出しているエオウィンに、ファラミアはゆっくり惹かれていきます。
「エオウィン、あなたはわたしを愛してはおられぬのですか?」
「わたくしは別の方に愛されたいと思いました。
けれど わたくしはどなたであろうと
憐れんでいただくのはいやでございます。」
彼の前では、幼い少女のように自分を見失ってしまうエオウィン。同じく傷つきながら静かに彼女を見守るファラミア。
「殿は誇り高い殿のお国の方々に
ご自分のことをこう言わせようというおつもりでございますか?
『ほら、北方の野蛮な盾持つ乙女を手なづけた殿御のお通りじゃ!
なんで殿はヌメノールの血を引いた婦人の中から選ばなかったのか?』と。」
「ええ、いわせますとも。」
すべてが終わった後,ファラミアは彼女とともに、ローハンの国へ向かいます。
エオウィンがアラゴルンに刃を向けた時、自分が小さな檻に入れられるのがこわいという彼女に。
アラゴルンはきっぱりと,
「あなたは姫だ,誰もそなたを檻に入れることはできない」という。
なぜかこのシーンがずっと胸にやきついています。(2005年レビューより)
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映画を見てから原作を読み、どっぷり指輪の世界にはまってしまいました。
ホビット族の素朴な人柄や、村の穏やかでささやかな生活こそが、指輪の魔力に脅かされないという設定を、最初読んだときなぜだろう、とおもっていました。
今回10年ぶりくらいに映画を見て、とても腑に落ちていることに気づきました。
人間はいつも誰かと比べたり、自分の過去やら未来をやたら心配したり、誰かのためといって逃げたり攻撃したりしている。
エルフや魔法使いでさえ、力あるものは、その力を誇示し支配したいという欲が潜んでいて、その欲に苦しみ時に自らが支配されてしまう。
心の闇というのは、ゴラムの指輪への執着やオークやサルマンのような恐れで縛られた脅迫や暴力に満ちた世界であり、それはどんな生き物にも存在するのかもしれません。
闇に打ち勝つのは、光ではなく、無欲であることとただ故郷を守りたいという素朴で熱い思い。
シンプルに今を楽しむ生活、今最善であることを選び、今やるべきことをやれる決断力忍耐力。
サムはどんな状況でもフロドの朝ごはんの用意をして、眠れるときに眠り、帰りの食料も計算している。
大切なのはそういうことだな、とサムの笑顔にきゅんとしてしまいました。
この長い物語の真の主役はサムだと思うんだけどなあ。
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原作者トールキンの映画が今年公開されていました。先日飛行機の中でたまたま見たのですが、友情と第一次世界大戦の戦争体験が、この物語の根底にあることを知りました。泥沼の戦場、みえぬ敵。何に向かって戦っているのかわからない不条理な世界。友の死、戻るべき故郷。
何が本当に大切なのか。
人と人ではないものと、この世界とこの世界以外の世界、そのすべてを描いた壮大な物語。どれだけの人と会い、どれだけの旅をしても、「私」にとって還る場所はただ一つ。そのことを教えてくれる物語です。