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眠る赤ちゃんとの攻防戦

ふう。

娘が眠りについたのを見届けてそっと寝室を抜け出す。今日も1日の仕事が終わったという気分。夫が帰宅するまでの1、2時間は私の一人時間。

本を読んだり、十年日記を書いたり、noteを書いたり。テレビは消して、静かなリビングで好きなことをする。

ゴツン・・・ゴツン・・・ゴツン・・・

しばらくすると鈍い音が壁から響いてくる。まるでホラーだ。

寝付いたはずの娘の眠りはまだ浅かったのだろう。

娘のゴツンは、寝ぼけながら壁に頭をぶつけている音なのだ。こんなにぶつけて痛くないのかな、と思うけど壁に頭をぶつけたことで泣いた姿は見たことない。

娘は生後4ヶ月になってすぐに寝返りをマスターした。左足を高くあげてころんと右側に寝返る。あれから2ヶ月以上経つ今もまだ右側にしか転がらない。

我が家はベビーベッドを置くスペースがないので、寝室にセミダブルとシングルのマットレスをつなげて置いて、その真ん中にベビーマットレスを乗っけた玉座を作って川の字で眠っていた(勉強したジーナ式ねんねはこの時点で挫折した)。

私は玉座の右側且つ壁側に寝ていたのだけど、娘が寝返りをするようになったら困ったことが起きた。

そう、娘は右側に寝返るので玉座から私の寝ているところに転落遊ばすのである。

セミダブルとシングルのマットレスは、独身時代のベッドをそれぞれ持ち寄って無理やり使っている。なので実はモノが違う。なので実は高さが違う。2センチくらい段差がある。

2つのマットレスの間には段差があるので、玉座はつなげたマットレスの真ん中ではなく、セミダブルマットレスの上に乗せている。私は、玉座マットレスが乗ったセミダブルの余った部分に肩身狭く寝ていた。そこに娘がころんと落ちてくるようになった。壁と娘に挟まれて、私の肩身はますます狭くなった。

それでどうしたかというと、生後5ヶ月くらいから玉座を壁側に追いやることにした。川の字の、左に夫、真ん中に私、そして一番右の棒の位置に娘。

夫よ、娘を遠くにやってしまってごめん。そう思いながら、娘には引っ越してもらった。

娘の寝る場所は壁側になったので、娘が寝返っても床に落ちることはない。娘が左向き寝返りをマスターするまでの間は、私の寝るスペースも防衛することができる。

これにて一件落着。

そう思っていたのだけど、新たに問題が発生した。

娘を玉座のなるべく左の方に寝かせても、ころんと右側に寝返り、壁に寄る。めっちゃ壁に寄る。左に寝る私に背を向けて、壁にくっつく。どれだけ左に寄せても。

そしてあの行動を繰り広げるのだ。

ゴツン・・・ゴツン・・・ゴツン・・・

「痛いでしょう?」と心配になりながら仰向けに戻してあげる。しかし5秒後くらいには再びころんと右向きに転がりうつ伏せになっている。

仰向けに戻す。

うつ伏せに戻る。

頭ぶつける。

仰向けに戻す。

うつ伏せに戻る。

頭ぶつける。

娘との攻防、エンドレス。

うつ伏せで寝かせていることも、壁に頭を打ち付けていることも、心配になる。この記事を読んでくださっている方の中にはそう感じた方もいるかと思う。

育児本やネットの育児コラムには、うつ伏せ寝は窒息死やSIDS(乳幼児突然死症候群)の危険があることので仰向けに戻してあげましょうとくどいほど書いてある。

でも娘は必ずうつ伏せで寝る。戻しても戻してもうつ伏せになるのだ。

仰向けに戻すのはもはや諦めた。

そうか、理論と現実は違うのだなとつくづく思った。

そのうち私は、鼻の位置だけ確認して、体はうつ伏せのままでも呼吸が阻害されてなければいいかと思うようになった。

壁からゴツン・・・ゴツン・・・と聞こえてきた時だけ寝室に飛んでいって、その都度仰向けに戻す。私が立ち上がるよりも早くころんとうつ伏せに戻る確率の方が高いけど、一応壁から頭が離れたからいいかと寝室を出る。

深い眠りになるまで、5分おきとか10分おきに壁から引き離しに行く夜もある。

頭を壁に打ち付けるのはさすがに脳に影響があるのでは?と心配になる。

ところがこれは赤ちゃんあるあるのヘッドバンキングという行動らしいことを後から知った。

ゴツンゴツンと壁に頭をリズミカルにぶつけるのは、健康上の問題もない上に対処する必要はない。心配になりがち行為だけど、大人の物差しで心配する必要はないらしい。

そうだったのか。

子育てしていると、「××した方がいい」というのはわかっていても、無理なもんは無理なのだとつくづく思い知らされる。

相手も生きた一人の人間だから親の願いだろうが科学的知見だろうが、動機はなんであれとても思い通りにできるわけじゃない。

反対に、「××はよくないに違いない」と大人の頭で思うことでも、立ち止まって調べてみると赤ちゃんあるあるで見守るだけでいいということも多い。

小さい子どもを育てるというのは、既存の常識の枠が通用しない世界なのですね。

今読んでいる養老孟司の『まともバカ』の帯に書いてある「当たり前を疑い、思い込みを解き放つ!」というメッセージにも通底する。

赤ちゃんと一緒に生活していると、そんな気づきが多い毎日です。

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