編んで編んで
36年間生きてきた中で、自分が裁縫好きな人間だと思ったことはこれまで一度もない。それなのに、最近寝ても覚めても頭の中にあるのは、編み物や裁縫のことばかり。
頭の中にイメージするものをカタチにするのってなんて難しいのだろう。何もする前からその難しさに圧倒されつつ、自分で服や小物を作ることへのあこがれは膨れ続ける。
編み物をはじめたのは11月のある夜だった。何年か前にもやっぱり「編み物してみたいかも」と思った時に買ったかぎ針をひっぱりだしてきて、家にあった刺繡糸でくさり編をひたすらつくった。帰宅した夫は、私がなんの前触れもなく編み物(?)をしていたので何事かと思ったらしい。
思い返してみれば、刺繍糸が家にあったのはおととし(年明けすぐの「おととし」がいつもむずがゆいのって私だけかしら?)、マスクを手作りしたからだった。ちょうど、世間からマスクが消え去り、信じられないほど貴重な高級品になったあの一時期。とってもかわいい布生地を販売しているオンラインショップを見つけて、ちくちく手縫いでマスクをつくったのだった。そのマスクは自分でもかなり気に入って、不織布マスクが推奨されるようになるまで半年くらいつけてたっけ。
刺繍糸ではじめた鎖編みは、数日後にちゃんとした毛糸にとってかわって、ひたすら丸く丸く編んだ後、2つの小さなコースターになった。
さらに数日後、今度は長編みと中長編みをひたすら練習するようになった。その数週間後に黒くて軽くて柔らかい毛糸は、夫のためのシンプルマフラーへと変身した。
どうせ作るなら、お気に入りになって大事に使えるものを。そんな思いから、初心者のくせに、否、初心者だからこそ高い毛糸を買って、緊張感をもって一目一目丁寧に編んでいった。
こんなわけで最近心をとらえて離さないのは、糸とか布でモノをつくることばかり。
ふわふわの毛糸でつくるマフラーやニット。おうち用のあったか靴下。三角のレースみたいなショール。ころんとしたフォルムのショルダーバッグ。色より生地にこだわったふわりとしたスカート。つくりたいものは色々ある。
思いは脳裏に浮かんでは消え、まだこの手がそれをカタチにできないことにもどかしく思う毎日である。
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