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南天ゲーム

京都と南天

「京都は南天の木を植えている家が多いんだよね」

年末、京都に住む夫と過ごしていた時、スーパーに向かう道すがら夫は突然言った。南天(ナンテン)とは、冬のこの時期に赤い実をつける植物だ。「南天のど飴〜♪」のCMでもお馴染みの、あの南天でもある。

「南天は縁起物なんだ。難を転じるっていうでしょ。厄除や福を呼び込むために南天の木を植える。鬼門に植えるんだよ」

夫は京都の出身ではないけれど、和食の料理人で純京風が専門だ。だから、京文化に造詣が深い。もちろん、京都のことだけではなく、広く日本の伝統文化に精通している。私はといえば、「南天」という名前はどこかで聞いたことはあったけれど、それがどんな植物なのかはっきり意識したことはなかった。

「特に京都では、昔から南天が植えられているね。ほとんどどの家にも南天がある。南天の赤い実は、料理にも飾りで使う時があるよ。ほら、そこの家にある。あ、あそこの家にもある。」

そう言われて周りを見渡すと、確かに真っ赤な実をつけた木が家々の軒先に植えられている。植木鉢に南天の木が植えられている家もあれば、道路に面した庭の隅に植えられている家もある。歩いても歩いても南天の木。南天がない家の方が少ないくらい。町がこんなにも南天に溢れているのに、どうして私はこの赤い実の木に気がついていなかったのだろう。一度気がつくと、気がつかないでいられる方が不思議なくらい。それくらい、京都の住宅街は南天だらけだった。

南天ゲーム

本当に南天の木だらけだね、と夫にいうと、夫は「南天ゲームをしようか」と提案してきた。南天ゲーム?「家に帰るまでに先に南天の木を10こ見つけた方が勝ち。」そんな遊びあるの?「ない。今つくった。」なにそれ、と突っ込む間も無く夫はゲームをはじめてしまう。「はい、あそこに1こ!あ、あそこに2つ目!あ、あそこにもある!愛ちゃん、もう3対0だよ。負けたら罰ゲームだからね。」

私は南天がどの植物なのかいまいちよくわかっていない。赤い実がついている木、くらいのゆるい認識していないからだ。だけど夫は、私がやると承諾するよりも先に、一人で南天探しを進めていってしまった。こうなった時の夫はもう止められない。さっきまで真面目に南天にまつわる知識を教えてくれた夫は、悲しいことにもういない。私がオロオロ、キョロキョロ、慌てて南天を探す間に、夫は意地悪な声で「はい!また見つけました!」とどんどん南天を見つけていく。 

しかも京都の南天は待ってくれない。それくらい、道が南天に溢れている。南天初心者の私にはあまりに不利だ。私は、「ハンデが欲しい。私は南天初心者だけど、あなたは南天ベテランでしょ。MBAプレイヤーがバスケ初心者相手に勝負を吹っかけてくるようなもので卑怯だ」と主張した。しかし夫は無慈悲である。まったく聞く耳を持たない。私が余計なことを言っている間にも、夫は南天を見つけ出す。10本の南天の木を見つけるのに、10分もかからなかった。私が土俵に上がるよりも早く、勝負はついてしまった。夫、圧勝。

だけど地獄はそこからだった。勝負はついたのに、南天ゲームは終わらなかったのである。夫は一人で南天ゲームを続けた。まさにゴーイングマイウェイ。

夫の南天マウント

私は赤い実を目印に南天を探すけど、夫は葉の形で見分けている。だから、実をつけていない南天もどんどん見つける。赤い実がついた定番の赤南天。クリーム色の実をつける白南天。丈が低く葉が燃えるように紅葉するお多福南天。様々な南天の種類の違いをものともせず、夫は南天ポイントを青天井に伸ばしていった。しかも、意地悪な感じで私にマウントを取ってくる。

そんな夫の様子に、私はもう心底嫌になった。小さい頃、ゲームに負けた時に感じた「もうやだ。つまんない」という気持ちがふつふつと湧いてきた。「もう私やめるもん!負けてるし!」プライドもなく、私は白旗を上げた。でも夫は、そんな私を無視する。意地悪な声で「はい、またあった!」と一人相撲を続けている。

途中スーパーで買い物をして、帰り道には夫の南天ポイントは40くらい溜まっていた。私はすっかりつまらなくなっているから、もうふてくされるしかない。私がふてくされるほど、夫はおもしろがって意地悪になる。絶対、小さい頃好きな女の子をいじめていたタイプだと思う。毒づいてそう指摘しても、「そんなわけないじゃん。あ、あそこにもあった」とお構いなしだ。あまりに素早く南天を見つけるので、関心を通り越してむしろ呆れる。たしかに夫は、植物を見抜くことにおいては、異様に目利きがいい。それに多少遠くてもすぐに見つける。まるで自然散策ガイドのおじいさんだ。

夫は一人で何十もの南天の木を見つけても、南天ゲームはまったく終わる気配がない。その間私は、辛うじて3、4本の木を見つけたくらいだ。しかも1本ちょんぼもある。家が近くにつれ、とうとう私は南天のなの字を聞くのも嫌になってしまった。「もうやだ!南天なんてことば聞きたくない!Nワード禁止!」

難を転じて福をなす

厄を散らし、福をもたらすはずの南天。花言葉は「私の愛は増すばかり」とか「福をなす」とか「良い家庭」らしい。でも、私と夫の間では、南天を巡って私の不機嫌が増すばかり。夫のネチネチとした南天攻撃に、私はプリプリ怒った。南天の赤い実に恨みの視線を向ける。

しかもたちが悪いことに、夫の南天攻撃には洗脳効果もあった。はじめて南天ゲームをしたその日以来、どこを歩くときでも南天を探す体になってしまったのだ。夫のおかげで、大阪の自宅周辺も南天に溢れていたことに気がついた。もしかしたら、私が知らなかっただけで東京や横浜にも南天はいっぱいあったのかな。

それからというもの、夫と一緒に歩いている時、南天の話題が出ることが多くなった。なんの気なしに「あそこに南天あるね」なんていうと、夫はその一言を私からの宣戦布告と捉え、南天ゲームをはじめてしまう。「僕は争いは好まないけど、愛ちゃんから挑んできたんだよ」と訳のわからないことをいいながら、南天マウントを取ってくる。そして私はそんな夫にまたプリプリ怒る。

私たち二人だけの小さな遊び、南天ゲーム。夫はしつこいし、勝てない私は怒る。もはや犬も喰わない痴話喧嘩。というか喧嘩ですらない痴話話。だけどこうしてnoteに綴ってみたら、南天ゲームの違う側面に思いがいくようになった。もしやこれって、幸せの1コマなのか。くだらない遊びを全力でしている私たちって、めちゃくちゃ仲睦まじいじゃん。

もしかしてもしかすると、これこそが、南天が私たちにもたらしてくれた福なのかな。だとしたら、南天に感謝しなくちゃいけない。

追記:南天ゲームのエピソードは、夫の強い希望により執筆しました☺︎

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