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自分だけが自分を許せない

あなたは生きていているだけで素晴らしいよ!
生きてるだけで天才。えらい。今日も生きててすごい、それだけで100億点!!

私はよく友達や身近な人にそう伝える。
その言葉に嘘偽りはないし心からそう思う。

人は気づいたら消えていく。
死だって突然訪れるものだし、ネットの繋がりの友人を主としている今の私の友人状況としては尚更、突然連絡が途絶えたり、自分がやらかした何かに気づけずフェードアウトされたり縁を切られたりすることも、ままある。

だからこそ今いる友人には心から、今ここにいてくれてありがとう!今日も生きて、それを呟いてくれたり近況を教えてくれたりしてくれてありがとう。仕事や学業までしてる?えらすぎ!!!神!!!!

褒めすぎてうさんくさいと思われてしまうだろうか。とも数ミリほど思うが、やっぱり本当にそう思っているのでそう伝えるしかない。
そう伝えると、大抵の場合「あなたも生きててえらい!」「お互いえらいね!」とポジティブな言葉のやり取りが行われることも良い。
生きていればどう足掻いたってなにをしたって自然とネガティブの渦に呑まれて逃れられないときは訪れる。意識して作れるポジティブは作りたい。


と、ここまで綺麗ごとのように、しかし本気でそう思っているのに、自分に対してだけはその言葉を吐けない。

「何かを成さなければ」「役に立たなければ」「優れていなければ」生きている価値がないと思う。
今まで生きてきた人生の刷り込みだろうが、それにしたってなかなかしぶとく、簡単にとれるものではない。

朝起きて、今日もただ何もしていないのにご飯だけはいっちょまえに食べて、ただ排泄して眠るだけの、無価値な存在。
こんなの、生きてるだけでいいなんて全然到底全く思えない。

今日も何もできなかった。ゴミすら出せなかった。汚れてきた部屋の掃除だってもちろん手つかずで、やらなきゃいけない仕事も用事もいくらでもあるのに、たった一言返すだけでいい連絡ひとつすら返せず、全然なんにも手につかない。
私は何かしなくちゃ生きていたらダメなのに。どうしてここまで無価値なままで、それを無遠慮に厚かましく生きていられるのだろう?
いややっぱりだめだ、死ぬべきだ。生きていちゃいけない。度々そう思っては希死念慮にとらわれて動いたり動けなくなったりもする。鬱とはずいぶん長い付き合いになった。

友人に何もせずとも生きている価値がある、と告げる言葉と矛盾して、自分には何かしないと価値がないと突きつける。
そう自分に言い聞かせ続けているのに何もできない、何もしないのはもはや自分で自分の価値をなくしたいかのようにすら思える。
ああやっぱり私はダメなんだ、生きていちゃダメなんだ。そう納得させて、死ぬ理由を作っているようにも思う。
いつだって、逃げ道を作りたくて、言い訳を探してる。ダメな自分に安心する。


わかっている。本当は自分が一番自分を許してあげたい。
一度、鬱がよくなったのでは?と思えるような、目の前がぱあっと明るく道が開けたように思えた時期があった。(今思えばただの躁転だったかもしれない)
そのときに、「自分のことは自分にしかわからない」「自分のことをこの世で一番理解しているのは自分だけ」という至極当然な理由に思い至り(鬱病患者や悩みすぎる人ほど自分のことを突き詰めてよく考えていると思う)、だからこそつまり「真に自分の理解者である自分という人間が、自分を認めることこそが、最も欲している肯定なのではないか」と考えた。
もちろん、他者からの肯定も必要とは思うのだけれど、一旦置いておく。

自分のことをよく知らない人に「よくがんばってる」と言われても、「いやでもあなたは私のこと何も知らないでしょ」なんてひねくれたことを思ってしまう。それは、さぼっている自分を自分だけが知っているからだ。100%の力で頑張れていない自分自身をよくわかっているから。

ただ、人からの頑張っているという言葉も、その人から見たその人の感情であり、他人の感情を否定していい理由にはならないしそれはそれとしてありがたく受け止めたいものなのだが、これも一旦置いておく。

つまりは、自分だけは自分のことを一番よく知っている。
だからこそ自分から自分を認めてあげることが一番自分にとってやりたいことで、求めていることなんだな、と思ったのだ。

だからといってそれは世にいう自己肯定感というもので、それを簡単に得られていたらこうして病んでいないわけで…。

自分で自分を許してあげたい。自分が一番そう思ってる。
100%の力で頑張れていない、さぼったところがあった、それでも、1%でも何かしただけで、いやなんにもしてなくても、自分が存在していることを肯定してあげたい。
…といえど、やっぱり難しいから今日も友人を肯定する。
いつか自分を褒められる日が来ると良い。


ちなみに、「自分のことは自分が一番わかってる」という前提で進めたものの、これはかなり主観のみの話であって、他人だからこそわかる自分の姿もある。人間は何かを通してしか自分の姿を確認することは一生決してできないように。
だから自分だけが自分の理解者であるという妙な自惚れにも気を付けたいところ…。自戒。




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