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透明人間

人から求められた姿になりたい。
自分を知って認めてほしい。
二律背反の思いがいつだってある。

難しい話ではない。
私はSNSのアカウントをたくさん持っているタイプで、それは用途によって自分を使い分けているからだ。
今時、そんな人も珍しくないんじゃないかとも思うが。

この漫画の話をする自分、このアーティストを応援する自分、こういう職業についていて仕事の話をする自分、体重や体型を公開してダイエットに励む自分、ゲームで交流する趣味を持つ自分…
いつだって求められる自分は微妙に違う。
一定以上、とても仲良くなれた人たちには他の自分の姿を見せることはあれど、アカウントを教えるような境界線は越えない。

どの自分も本当の自分であるけれど、統合することはできないと思う。
私が誰に対してどんな顔をして何を話せばいいかわからなくなってしまうからだ。
これは、大人数で話すことが苦手なことにも通じている。
人と話すならできるだけ少人数、できるなら二人きりがいい。
その人に対して応えられる自分になろうとできるから。

全て他人基準なのだ、と思う。
自分主体で話せないの?本当の自分を出しなよ!個性を出しなよ!と、言われることもある。私にとってはそれがとても難しい。
そういったことをできる人たちが酷く輝いて、魅力的にうつることも知っている。私が惹かれる人はいつだってそういう人だ。
けれど、やはりないものねだりだからだろう。私にはどうしても、それができない。

ところで私の月星座は天秤座なのだが。
スピリチュアルもかじっているオタクである私は西洋占星術も好きで、簡単に言うと太陽星座はよくいう自分の星座のことで、外面の姿。月星座は自分の内面、気持ちの面の星座となる。(詳しくは違うかもしれないけど責任持てないので調べてほしい)
天秤座はバランスの星座だ。
誰かと誰かの中間地点。何かと何かの真ん中。バランスをとっている状態が私にとって落ち着く状態であり、自然な姿と言える。
だからこそ、基準点が必要なのだ。間をとれるような「何かや誰か」が。
大人数すぎると基準点が多すぎて何の真ん中をとればいいかわからなくなる。

そんなわけで、あらゆる自分になってそれはそれで満足していたはずだが、こうしたあらゆる感情を主軸にしたものを話すところがなかったと思った。だからここを作ってみた。noteを書いたのは先の記事が初めてである。

ここでの自分は誰かの基準の真ん中ではなく、自分が決めた自分の基準の真ん中や、真ん中じゃない端っこでもなんでも、好きなところを行き来できるようになればいいと思う。

ちなみに、誰かに対して自分を使い分けることは社会性とも呼べることだと思うので、それ自体は全く悪いことではないと思っている。
どこにいても自分の個性を出せる人だって、上記の通り魅力的だと思う。どちらかが正しいや優れているという意味合いではないことだけ書き記しておく。

どこでもいいけれど
言いたいことを言える場所があればいい。

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