音圧戦争とは
初めまして、あいまいです。音圧戦争とは何なのか、何が問題なのかを私の知っている範囲でnoteにまとめました。
1.ラウドネス
「音圧」という言葉から生まれる誤解
音圧戦争という言葉は、Loudness Warの日本語訳として一般的に用いられています。しかし、厳密には音圧とはSound Pressureの訳語であり、Loudnessの訳語ではありません。「意味が伝わればいいじゃん!」って思うかもしれませんが、ここ最近の音圧戦争についての混乱は、音「圧」という言葉のニュアンスがLoudnessとは違う意味を含んでしまっていることが原因なのではないかと私は考えています(特にラウドネス・ノーマライゼーション関連)。「音圧を上げる」といった表現の時は、実際にマキシマイザーなどで音を潰す(圧縮する)ことが多いため問題ないのですが、「音圧を下げる」という表現をすると何かしらの加工をおこなっているのではないかと考えてしまいます(基本的にはボリュームを下げるだけです)。そのため、この記事ではLoudnessを「音圧」ではなく「ラウドネス」と表記します(音圧戦争も「ラウドネス・ウォー」と表記します)。
ラウドネスとは
ラウドネスとは「主観的な音量」です。人によって聴力は異なるので厳密には音量の捉え方に違いはありますが、「音量」=「主観的な音量」ではありません。
等ラウドネス曲線
出典:産総研(2003)「聴覚の等感曲線の国際規格ISO226が全面的に改正に」
上図は「主観的な音量」を示す等ラウドネス曲線と呼ばれるものです。少し見ずらいのですが、破線は気にせず赤い線と数字だけを見てください。真ん中に100、80、60といった数字があります。これは「1,000Hzを〇dBで鳴らした音量」を意味します。
例えば60phonは「1,000Hzを60dBで鳴らした音量」という意味になります。等ラウドネス曲線はこのphonを規準に音量を見ていきます。60phonの赤い線を見ていくと、例えば「60」という数字のすぐ右にに山があります。この山の頂点のx軸はおよそ1,500Hz、y軸はおよそ65dBです。これは「1,500Hzを65dBで鳴らすと、1,000Hzを60dBで鳴らした時と同じ音量に聞こえる(60phonのとき、1,500Hzは1,000Hzより5dB聞こえにくい)」という意味になります。このことから「周波数によって音量の感じ方が変わる」ということが分かります。次に80phonの赤い線を見ていくと、60phonよりも線が直線に近いです(250Hz以下が顕著)。このことから「音量を上げると、音量を上げる前より、より多くの周波数の音が聞こえやすくなる」ということが分かります。これが「音量が大きいと良い音に聞こえる」理由の1つです。他にも原始時代には大きな音は自然災害によるものしかなく、原始時代からの本能として、大きな音には覚醒作用があるとも言われています。音楽に迫力を持たせたり、音楽を聞いてテンションを上げるのにラウドネスはとても重要な役割を持っています。
1.ラウドネスまとめ
①ラウドネスは「主観的な音量」
②鳴らす音量と実際に聞こえる音量は、周波数や鳴らす音量によって違う
③音量を大きくすると、より多くの周波数の音が聞こえるようになる
→音量が大きいと良い音に聞こえる
2.ラウドネスを高める手法
コンプレッション
ラウドネスを高めるにはダイナミックレンジを変える必要があります。ダイナミックレンジとは最も大きな音量と最も小さな音量の比です。ダイナミックレンジを変える方法の1つにコンプレッションがあります。コンプレッションとはピーク(最大音量)を小さくすることでダイナミックレンジを狭くすることです。その後音量を上げることによってRMS(「データとしての音量」と思って大丈夫です)をより大きくすることができ、結果としてラウドネスが大きくなります。
コンプレッションの具体例
上図のような波形で青い線のところでコンプレッションをすると下図のようになります。
この黄色の波形の音量を上げると下の緑の波形になります。
最初の波形と比べると、コンプレッションによってダイナミックレンジが狭くなり、RMSが大きくなっていることがわかります。
オレンジ色:元の波形
黄色:コンプレッションした波形
緑色:黄色の波形の音量を大きくしたもの
筆者作成
コンプレッションは迫力のある音楽にするために必要不可欠な行為ですが、RMSを大きくするために過度なコンプレッションを行うと、音楽的な音ではなくなってしまう危険性があります。
ハイパーコンプレッション
コンプレッションはダイナミックレンジをコントロールするために行われる芸術的な手法であり、時代を問わず全ての音楽にコンプレッションが行われています。家庭の再生環境でもライブを聞いた時のような迫力を生み出すにはコンプレッションは不可欠です。コンプレッションは音をまとめ、小音量で音楽を聞いたときには聞こえにくい細かい部分を際立たせる事ができます。しかし、楽曲の大部分を最大音量に近い音量にするために過度にコンプレッションが行われる事があります。これをハイパーコンプレッションと呼びます。
ハイパーコンプレッション具体例
水色:元の波形(自作曲)
緑色:ハイパーコンプレッションされた波形
筆者作成
メリット・デメリット
ハイパーコンプレッションのメリット・デメリットは以下のようになります。
メリット
①再生機器のボリュームが固定されている場合、他の曲よりも音が大きく聞こえ、良い音に感じる
②終始音量が一定であるため、Aメロ、Bメロなどの静かになりやすい箇所も聞きやすくなる
③終始音量が一定であるため、イヤホンで聞くと外からの音を完全に遮ることができる
デメリット
①音の立体感がなくなる
②意図せず音割れする場合がある
③ドラムの金物などのリズムが崩れることがある
ハイパーコンプレッションの目的は主にメリット①のためです。しかし、「再生機器のボリュームが固定されている場合」と条件があります。それもそのはず、リスナーは音楽の音量が大きすぎたら再生機器のボリュームを下げるし、音量が小さすぎたらボリュームを上げるからです。当たり前ですね。再生機器のボリュームが固定されている状況はあまりないので、ハイパーコンプレッションのメリットは主に②、③になると思います。これは喫茶店で勉強するときや、通勤通学中に電車等の雑音を遮るときにすごく便利です。
デメリットについてはラウドネス・ウォーの項目で詳しく書きます。
2.ラウドネスを高める手法まとめ
①ラウドネスを高める主な手法はコンプレッション
②音源制作にコンプレッションは必要不可欠
③過剰なコンプレッションをハイパーコンプレッションと呼ぶ
④音量を上げるためにハイパーコンプレッションを行うことが多いが、あまり効果はない
⑤ハイパーコンプレッションされた音源は耳栓として優秀
3.ラウドネス・ウォー
ラウドネス・ウォーとは、ハイパーコンプレッションによって音量による芸術的表現を失った楽曲が数多くリリースされる現象のことです。
青色:あ・な・たの手紙 / 松田聖子(Silhouette,1981)
緑色:FIRE GROUND / official 髭男 dism(Stand By You EP,2018 )
筆者作成
青色の波形は、波形を見るだけでもどこかサビがわかるくらい、曲展開を音量変化によって演出しています。それに対して緑色の波形は、終始大音量でこのような演出をする余裕はありません。
リスナーと再生環境による音の聞こえ方の違い
「波形を見せられても、聞いてみてそれでいいなら良いじゃないか」と思う方もいると思います。私も同感です。しかし、音の良し悪しというのはリスナー、再生環境によって大きく変わります。
コンプレッション量と音質の捉え方のリスナーや再生環境による違い
出典:Earl Vickers(2010), The Loudness War :Background, Speculation and Recommendations, AES 129th Convention, November 4-7
上図はコンプレッションの強さと音の評価を、リスナーや再生環境、聞き方によってどのように変わるのかを表したイメージ図です(実験で得られたデータではありません)。耳が肥えてる人(Golden Ear)は中程度のコンプレッションでも気付きますが、鑑賞するとき(Active Listening)はある程度のコンプレッションを許容し、軽く聞くとき(Casual Listening)は極端にコンプレッションされるまで気付きません。また車の中で音楽を聞く際(Car Listening)は、曲の静かな箇所が聞き取りにくいため、静かな箇所の音量を大きくするハイパーコンプレッションは適してるといえます。また、ハイパーコンプレッションされた音が好きな人もいます(Distortionphile)。このように、音楽を軽く聴く場合や、通勤通学中などに聞くとき場合にはハイパーコンプレッションはあまり問題にはなりません。ラウドネス・ウォーは音楽を鑑賞するときに困る問題なのです。
ラウドネス・ウォーの問題点
ラウドネス・ウォーの問題点はハイパーコンプレッションのデメリットによるものです。
ラウドネス・ウォーの問題点
①音量変化による芸術的表現が損なわれる
②意図せず音割れする場合がある
③ドラムの金物などのリズムが崩れることがある
①音量変化による芸術的表現が損なわれる
作曲、編曲、演奏をする際「ここは弱く弾いて、ここでは強く弾く」など、楽曲全体の強弱を意識することが多いです。それによって音の立体感や躍動感が生まれ、素晴らしい楽曲となります。しかし、ハイパーコンプレッションによって音を均してしまうと、このような音量変化による表現が完全に消えてしまいます。
②意図せず音割れする場合がある
ラウドネス・ウォーは「いかに長時間最大音量(0dBFS)に近い音量を出し続けるか」という競技のようなものです。そのため、音量は終始0dBFSに近いのですが、これが意図しない音割れの原因になる可能性があります。
意図しない音割れが生じてしまった例に小松未可子のSky messageが挙げられます。
1:19~のサビで音割れが起き、ザザッっというノイズが聞こえます。こちらの曲はtwitter等で話題になったのですが、マスタリングに立ち会ったナカムラヒロシは音割れをしていない旨の発言をしています。
しかし、CDから音源データを取り込み、波形を確認したこちらのブログによると、音割れが起きています。
また、仮にCDでは音割れしていなくても、MP3などに圧縮したときに音割れが起きる危険性もあります。音声をMP3などに圧縮する場合、圧縮される過程の都合で必ずレベルの上がったサンプルが生じます。MP3などの圧縮されたデータで音楽を楽しむことが多い現代、0dBFSに音量を近づけようとするラウドネス・ウォーは意図せず音割れする可能性が高いです。
③ドラムの金物などのリズムが崩れることがある
ハイパーコンプレッションを行うとドラムの金物の「シャーン」という音が「ンャーン」という音になり、どのタイミングで叩いているのか分からなくなったり、変なタイミングで叩いているように聞こえてしまったりします。
ドラムの金物のリズムが崩れてしまった例に米津玄師のピースサインが挙げられます。
0:14~のイントロや、1:04~のサビでのドラムの金物のリズムが崩れてしまい、すごく変なタイミングで叩いているように聞こえてしまいます。なお、アルバムBOOTLEGに収録されている同楽曲はこの問題点が改善されています。
このようにラウドネス・ウォーは、音の立体感が失われるばかりか、音割れを引き起こしたり、リズムが狂ってしまったりと、音楽を聴くための製品として耐えられない品質の音源を生み出してしまう危険がある問題と言えます。
3.ラウドネス・ウォーまとめ
①ラウドネス・ウォーとは、ハイパーコンプレッションされた楽曲が数多くリリースされている問題のこと
②ラウドネス・ウォーによって音の立体感がなくなったり、音割れしやすくなったり、リズムが狂ったりする可能性がある
4.終わりに
音圧戦争について私の知っている知識をまとめました。他にもラウドネス・ノーマライゼーションやハイレゾなども書きたいのですが、かなりの分量になってしまったのでまたの機会にしたいと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。
※追記(2021/05/22)
ラウドネスノーマライゼーションについての記事を書きました。
参考文献
〇Earl Vickers(2010), The Loudness War :Background, Speculation and Recommendations, AES 129th Convention, November 4-7
〇Nicholas Granville-Fall (2016), The Mastering Loudness War : Can The Effects of Hyper-Compression and Increasing Loudness in Commercially Released and Broadcast Music be Reduced?, LAMBERT Academic Publishing
〇David Shimamoto (2019),「とーくばっく —デジタル・スタジオの話―」 第 3 版,Studio Gyokimae
〇みなみ まなぶ(2014)「小松未可子「e'tuis」の音割れをちゃんと検証する」(2021/05/18アクセス)
〇コーセー(2014)「小松未可子の『e′tuis』は、本当に音割れが酷いのか」 (2021/05/17アクセス)
〇livedoor NEWS(2014) 「人気声優・小松未可子のニューアルバム「e′tuis」の音質をめぐりマスタリングに立ち会ったクリエイターが声明を出す騒動に発展」 (2021/05/17アクセス)
〇出典:産総研(2003)「聴覚の等感曲線の国際規格ISO226が全面的に改正に」(2021/05/17アクセス)
〇筑井真奈(2020) 「音圧戦争から遠く離れてーラウドネスノーマライゼーションの誤解と意義」(2021/05/17アクセス)