“過去”の取り扱い方




今までの人生で一度も間違いを犯すことなく、一度も他者を傷つけることなく、生きてきた人なんているんですかね??

世の中の人間全員が情報を発信する力を持つ現代において、“過去”の取り扱い方って、本当に難しく繊細な部分だな、と。

そして、このインターネットという海の中にすべての情報があると錯覚してしまうような現代。

一人ひとりの情報の取捨選択にかかっているという危うさ。

自分を守ることに必死で、自分の不安を消しさりたい一心で、一線を越えてはいないか?タップをする前に、一度想像してみる。この海の向こうに広がる世界の、その先のリアルを。




…私の過去なんて、この世に出したら人生オワタレベルのあんな事やこんな事、クソほどあるぜ。
そんなクソ野郎でも、そんな過去もひっくるめて今を生きてるよ。そんな自分が許されないのだとしたら、…絶望だ。


でも
カルマ背負って生きてくしかないんだよね。




オリンピック開会式をめぐり、こんな気持ちになるとは。
人生とは気づきの連続だ。






↑開会式前に書いた部分
↓開会式を観ながら追記分

ゲーム音楽が開会式で使われてるってほんとすごい。やっぱり天才だ…。
開会式を作り上げるために、必死に取り組んできたすべての人に最大級の賛辞を。素晴らしい時間を与えてくれてありがとう。

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