ファイアパンチと想像と妄想
まずファイアパンチを読んだ時に思ったことについて考えるのであまりファイアパンチは関係ないです
久しぶりにファイアパンチを読み返した。
その中で「妄想」と「想像」について話をしているシーンがあった。
私も考えてみたけれど
「想像」は知識や経験を基に先に起こるかもしれない事象について考えること
「妄想」はこうあったら良いなという自分よがりのような先を考えること
くらいしか思いつかなかった。
少し調べてみた
「妄想」は仏教に端を成す言葉という記事を見つけたのでその視点から捉えてみる。
日本テーラワーダ仏教協会の記事では「想像」と「妄想」ではなく「思考」と「妄想」という比較で語られていた
簡略化すると思考は感じたものを自らの中で概念をつくる作業だとしている
妄想は感情の衝動のみで概念をかき回すものだとしている
妄想には終わりは無く、感情を振り回して能力を破壊してしまう 精神病の大元になるとしていた
「想像」は哲学的な視点から捉えると経験した事実を組み替えることで新たな状態を頭に生み出すことであるとしている
これも思考を同じように感覚器官から分かる情報を基に行われるものである
事実の総体である現実世界に対して想像で生み出す状況が可能世界である
想像とは大体パクりであり、その並べ方が新しい為に評価されるものだとしている
しかしこの並べ方が論理的でなく現実的でない場合はファンタジーと呼ばれるものになってしまう
少し調べてみた結果
「思考」と「想像」は両者とも情報を基にしている
「妄想」は感情のみで振り回してできあがるものである
と考えることにした
仏教の視点からでは妄想は悪いように捉えられていたが、精神病の大元にでもなるしその人にとって薬にでもなると私は思う
教室の席に座りながら好きな小説や本を読み、友達に話しかけられていても適当に返事をしつつもその子に『本当に話聞いている?』と言われると「うん、あの俳優さんが出ていて外れはないと思うよ」ってちゃんと答える 自分自身に対して少しの後ろめたさを持っている黒髪のカッターシャツのあの子を妄想すると私は少し幸せな気持ちになる
この妄想は何かの作品を見ることで得た情報を現実的ではない並べ方をすることで生み出した不可能世界であり、そうなるとこれも想像の一種であると捉えることが出来るようになる
そしてこれも使い古されたパクリである
最初の話に戻るが
「想像」と「妄想」の違いは可能か不可能なのかという点が分け目であると考えた
この文章も調べたことによって得た情報を組み合わせた「パクリ」でありこれからもパクりながら生きていくことを踏まえながらこれからも想像、妄想するしかない
それにしても三年ぶりくらいにファイアパンチ読み返したけどあのときに持った感情と全然違ってめちゃくちゃ面白い
世にある作品のほとんどは読んだり見たりする時期で色々違うからもう無限に楽しめちゃうね
このままチェンソーマン見直してルックバック買いに行くか
あと教室にいる黒髪の女の子は好きなものの話になると少しだけ嬉しそうに 少しだけ早口になるよね
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?