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わたしは思い出を食べて生きている

口からうまれた、とはわたしのことか、それとも母か、その母である祖母か。
とにかくわたしは会話の多い家に生まれ育った(父も口数が多いし、余計なこともよく言っていた)。
自分のことを表現するのは得意なほうだし、他人の話を聞いているよりも自分の話を聞いてもらうことのほうがはるかに好き。ある程度かしこまった場では気を使うけど、母との会話では互いに自分の話を差し込むスキを狙いあう丁々発止のやりとり。会話泥棒。わたしはわたしをそんなコミュニケーション力のない人物だと自己評価している。

そんな密度の濃い(濃すぎる)地元を離れて東京に来てみれば、人々の会話は軽薄そのものだった。こないだこんなことがあって~、え~まじで~、かなしかった~、わかる~それでさ~、と次の話題へひらひらと移行していく。ひとつの話題を深く掘り下げることはご法度なのだなと、しばらくしてから知った。よくも悪くも、東京では他人の心に必要以上に踏み込まないのだと気づいた。
県民あるあるなどの話題でとかく存在感のない東京都民の唯一の県民性は「話題を次々変えること」らしい。とにかく刺激にあふれる東京という街でできるだけ多くの情報を得るには、これが手っ取り早いからなのだと思う。
(ちなみにニューヨーカーは非常に早口なことで有名だが、これもNY出身の人いわく、「ニューヨーカーの会話は“相手の時間を使わせてもらっている”という意識が強いので、早く進める必要があると考えるから」なのだそう)

そんな街に生きていると、まぁ絶対に「子どものときの話」とか「好きだった遊びの話」なんかにはならない。そんな話題は矮小すぎるし、何より刺激がないからだ。そんなことよりもお互いの近況や共感しやすい仕事の話、手っ取り早くドラマチックな恋愛の話をしたいのだ。

でも、わたしが他人と共有できる数少ない話題がこの「昔の話」だったりもする。
その人がどんな子どもだったか、何が好きで、どんなものを食べ、好きな科目は何で、友達はどんな子で…。
その人のバックグラウンドが見えてくるような気がして、人の過去の話を聞くのが好きなのだ。(もちろんするのも好きだ)

それを思い出させてくれたのが、吉玉サキさんの書いたこのnote。

小学生のころ、何色の傘をさしてた? なんて、もうこの「どうでもいい話」のTOP3入り間違いないと思う。
ちなみにわたしはたぶん赤い傘をさしていた。石突の部分がまるくなった、子ども用の小さな傘。
クラスには小学生御用達の、菜の花をそのままうつしかえたような黄色の傘をさしている子が何人かいて、うらやましく思ったのを今でも覚えている。

3年生のころに音楽会で伴奏という大役をおおせつかったものの、筋金入りの練習嫌いで本番1週間前になってもイントロすら弾けず大幅にカットしてもらったこともある。4年生のころに学芸会でやった『ほんとうの宝物は』という劇では、家じゅうのギラギラしたアクセサリーを持ち出して、お金が何よりも大切だという「ガメツキランド」の婦人を演じたし(この劇、調べてみるとわりと知られた台本らしい)、6年生で狂言の『附子』を演じてみたときには主人役として「やるまいぞー」と太郎冠者と次郎冠者を追い回したりもした。

これほどどうでもいい話をnoteに書くとは思わなかった。

けど、こんなに書いていて自分が笑顔でいるnoteもなかった気がする。
思い出はいつもそこにある。思い出したくないこともあるだろうし、少しずつ色あせるけど、驚くほど鮮明に思い出せることもある。時間が経つほど鮮やかになる思い出もある。

“小学生のころ、何色の傘をさしてた?”

このキーワードから始まる思い出話、いつか飲みながらやりたい。


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藤堂真衣(まいもん)
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