小説が書けない病気
(暑すぎてまとまらなかった日記)
小説が書けない。
いや、ライターなんだしべつに書けなくたっていいじゃんと思うかもしれないし、確かにそうなんだけど。
もともと小説家志望だったわたし、さらにさかのぼれば漫画家志望だったわたし。
BUMPの「才悩人応援歌」よろしく、得意なことがあったこと今じゃもう忘れたいのはそれを自分より得意な誰かがいたから、って感じで漫画の道は早々に諦め、っていうか文章のほうが得意じゃん、ってことで小説家を目指して文芸学部に入学した。
(ところでわたしはこの曲をnoteやTwitterでよく引用している。よほど影響を受けたというか、心にグサリとくるものがあったんだなぁ)
さぁここで創作技法をどんどん学んで、小説家になるぞ。
静謐な世界で展開される何気ない日常をベースとしつつも、ささやかな幸福やちょっとした変化にあふれた場面を切り取りドラマチックに描写してみせるぞ。
と意気込んだはいいけど、そこには自分くらいの人はゴロゴロいた。
というより、自分が目指してる文学なんてぜんぜん文学じゃねーことに気づかされた。そもそも文学ってなんだ。
物語のプロットを追いかけるだけじゃ書けないのと同じ。
いくら小説のナリをしていても、それは文学じゃない。
何か実験的なことをしてこそ文学、らしい。
らしい、と気づいたのは大学も4年の終わり、卒業論文の講評を受けたときだった(遅すぎる)。正確にはわたしはこのあと留年するので大学生活もあと1年あるのだけど、この時点で就職先は決まっていたし、小説家という道はサラっとなかったことになっていた。
わたしの恩師は雑誌のカルチャーページのライターもしていて、そうかライターという仕事もあるのだな、と思い始めたのが同時期だった。
その後運よくライターとして業界に潜り込むことができ、さらに数年後には運よく結婚が決まり、相手が東京にいたのでわたしも東京に来ることになり、東京にいるならと下北沢の編プロに拾ってもらい、今にいたる。
小説は、卒業論文を最後に書いていない
小説が書けなくなった。
そういえば、漫画を描かなくなったのは漫画家を諦めて大学に入ってからだ。
なんか、リンクしている気がする。
当時は自分が描かなくなったことを、勉強もバイトもあるし忙しいからなぁ、と分析していたけど、今回もそうなんだろうか。
確かに時間はないし、同じ文字を書くならより確実に収入につながる仕事としての文字を書きたいと思ってしまう。趣味で文章を書いているヒマはない。
それってめっちゃさもしいことなんだけど、それが現実なんだな。
と思いながら数年を過ごし、たまに「小説家志望です」という人に出会うとまぶしく感じたり、またなぜかうらやましく感じたりどことない居心地の悪さを感じたりしていた。
自分には、もうそれを言う資格がないと感じている
小説を読むのは好きだけど、好き嫌いがとても激しいので乱読というほど多くの作品を連続して読んだことがない。
音楽好きな友人がCDに対してそうするように、何か小説のタイトルを聞けば「あぁ、あれはこれこれこうだったね」という簡単なレビューを述べたりできたらかっこいいのに。あるいはまたべつの友人のように、受賞も何もしていないまっさらな小説を見つけてきて何千字にもおよぶ書評を書けたらいいのに。
と書いて思ったけど、アウトプットしたがりすぎじゃないか、わたし。
本当は書きたいんだろうなぁ。
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