"地球がまわる音を聴く"
今週に入ってから衝撃的なことしかなくて、言葉をつづっているどころの騒ぎじゃなくて、ひさしぶりになってしまった。
またマイペースにつづろう。
森美術館で行われている企画展「地球がまわる音を聴く パンデミック以降のウェルビーイング」にいってきた。
企画意図にこんな説明があって、たしかに、現代アーティストがこの特殊な状況をどう作品に反映させるのか、その中に「いきる」ということはどういうかたちで現れるのか知りたい、と思ったのが、訪れた背景だった。
実際のアートは、すべてがパンデミックに関連した作品、というわけではなかった。けれど、アーティストひとりひとりが、「いきる」ということ、日々を過ごすということを、どのように見つめ、受け入れ、そしてそれらを表現しているのかを、丁寧な説明と実際のアウトプットを通して頭と心で理解することは、あたらしい視点をつかむことにつながってゆくように感じた。
共通して感じたのは、日常というものの儚さと尊さ。
それでも朝は来るし、おなかは空くし、南瓜は腐るし、誰かが泣くし、誰かが死ぬし、そして誰もが年をかさねる。すべては、これらひとつひとつのささいな、しかし切実な積み重ねでしかない。
そんなアーティストひとりひとりの日常を、作られたアウトプットを基点にして、切り取られた視点や重ねられた思いも含めて想像するのは、とてもこころよい体験だった。
会のタイトル、"地球がまわる音を聴く"の元ネタであるインストラクション・アートを作成したのが、オノ・ヨーコ。
展示会の最後の展示のうちの一つとして飾られていた彼女のアートが、個人的にはとても興味深かった。
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ほめられてのびるタイプです