"やりたい量"より"できる量"が超えてしまうことの限界 今年1番を残す9.10月の日記
正しい立ち方がわからないまま、一生懸命立とうとしていた、そんな9月。一生懸命、でもブレーキがたまに必要なことももう知っていながら、チューニングにあくせくしていたような2ヶ月を記す。
◯8.29〜9.1 農業プログラムのメンバーで再結集
9月頭。大学時代に参加した農業プログラムのメンバーと、帯広で再結集した。自分の強みと弱みについて掘り下げるワークをした。
よく言ってしまえば粘り強く、悪く働くと、無意識に自己犠牲をしてしまう性質に気づかされた。これは他人が喜ぶことにつながり、結果的に自分も嬉しいこともある。
でも少し目を凝らして見ると、うれしくて、ちょっとつらいものにもなりうるのだと気づいた。
そうして振り返った時に、自己犠牲してしまっていたなぁという出来事に気づいて、相談したかった人に相談をした。「自分のために伝えた方がいい」と言われて、伝えるべき人に伝えた。受け取りあって、お互いの変えたいところを乗り越えようとする大切な機会になった。今年1番の出来事だったし、その後にもいろんな場面で大きく影響している。
◯9.3〜関東に帰ってきて①
別件で相談したいことがあり、コーディネーターの方に話を聞いてもらった。全てを選ぶのではなく、手放すべきことを手放すこと、手放し方を細かく教えてもらった。これがこの後の2ヶ月間、じわじわと水面下で効いていった。
◯関東に帰ってきて②
自分のためにブレーキをかけるより、物事を進めるためにアクセルを踏む方が楽だから、走ってしまう。そうしてアクセルを踏み続けて全部を取ろうとすると、ちょっとずつ何かをこぼしてしまう。急ブレーキが必要だ〜と何回か思った。
◯9.20〜9.23 大人の学び舎compathに参加
そんなタイミングで、北海道東川町にある大人の学び舎compathに参加した。しなきゃいけないことがない、ゆるされた空間。参加しなくてもいいし、距離を少し取ってもいい。いろんな年代の人が交わって、それぞれが尊重されながら、力を抜いて過ごしているのを感じて、自分のこころにスペースができた。もっと謙虚に、シンプルになりたいと気づいた。
◯9.24〜東川町から帰って
近くに大切にしたいものが多いから、"それでも今、大切にすべきか"で選んでみる。
けどそうすると今までは取ってたことも、選ばくなったりして、これでよかったのかなって落ち込んだこともあった。
◯10月
人と予定を立てているとき、「別にやりたくないけどできる」し、「やったほうが後の自分には返ってくる」出来事があった。一人で行う予定ではないのに、準備は一人でやらなければならない中、状況がごたごたとしてきた。
少し無理をしている。でもこれくらいできる。でも本当は大変。
そうして準備を終えた後、相手に報告すると、大変だった道中はすっぽり抜かされて、丸くおさまった結果だけ見られた気がして、いやだなあという気持ちになってしまった。
少し経ってから相手に正直に話して、いろんなことが見えた。「やりたい」を超えて頑張れてしまうから、「本当は辛い」「なんでこっちだけ苦労しているんだろう」と感情が顔を出してしまう。それはやめるべきことなのではないかと。
でもやらないということは、これまでは手を伸ばしてきたその先の結果を手放すということになる。そういう未来が見えると、結局「別にちょっと辛いけどできる」となってしまう。変えるタイミングなのかな、と取り扱い方がわからないまま漂っていた。
結局分かったのは、「やりたい」量より「できる」量が大幅に超えていること。それはこれまで、そうせざるを得ない環境に置かれて、なるようにしてなった、いいことだった。
やりたくなくても必要に迫られたり、求められたりしたら動けるし、動いた分誰かのためにもなって、自分の結果も返ってくる。自分にも他人にもおとくだった。
大変だけど挑戦してみたくて動くこともある。
大変だけど楽しい、辛いことは代償にすると何かを得られる。そうやって前向きな見方を教えてもらって、そう捉えて、これまでたくさん、いいことがあった(一方、許すのもいいんだよ、その時々で選べばいいんだよってことも、いろんな場所で教えてもらってきている)。
けれど、今は見るべき角度が少し違うのかもしれないと思う。
compathの期間中、代表の方に、やりたい量を大幅に超えて動いたある経験について話した。10分くらい話したあとに、"夫婦が5年で乗り越えるようなことを、1カ月でやったんだね"とキャッチしてくれて、すごく救われた。誰に話しても届かなくて、仕方ないかぁと冷静に思っていたけど、やっぱり誰かにわかってほしかったんだなぁ、と。
そう感じてしまうほどやり切れてしまうのは、そのときは円滑に見えるけど、たぶん持続可能じゃない。よくないことだなぁ、と初めて思った(これはコーディネーターの方とも話したことでもある)。
そんな風に最近は、できるけど"ちょっとつらい"に気づいてしまうことが続いた。9月から芋づる式にいろんなことが起きて「辛くてもそんなもんだ」って流してたことの、ちょっとしたしんどさが、よく見えるようになったのだと思う。それは多分、帯広の集まりで使われていた言葉を借りると、やりかたを変えなければ、いつかうまく回らなくなる、"限界"のような何かなのだと思う。
◯少し経って
コーディネーターの方が伝えてくれることはいつも時間を置いて漢方みたいに効いてくる。
手放すことについて話してから2ヶ月間、小さく試してたことがじわじわと地続きになって、考え方や選び方がシンプルになっていることに気づく。
「このままのやり方では限界がくるかも」というトピックに私も、友達もぶつかっていて、そんなことをよく話した9.10月。"みんな正しく悩んでていい"と背中を押してくれて、気づかせてくれる人がいること、温かく厳しく向き合ってもらえることがありがたかった。
がんばることの意味合いが変わって、気づいていなかった執着を手放す選択肢を知った期間だったと思う。ずっと登ってきた山から振り落とされて、違う装具と歩き方を教わって登り直し始めたような2ヶ月だった。