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本当は怖い?「風の時代」〜方向を見定め、エンジン搭載しないと風にさえ乗れない時代がやって来る【後編】

【あきらめるから、満たされる~手放しと感謝の法則】

マスター>>さて、そなたたちは「風の時代は解放される」と言っているが、では解放された先でどこへと向かいたいのであろうか。

争いのない、クリーンな友愛の世界であろうか?

では、人々はいがみ合い、憎しみ合ってしまう生き物だということを認め、赦(ゆる)しなさい。※

(※赦す:(ここでは)あるがままを「そのままでいい」と認めること)

その現実を憂うな。

否定もするな。

あぁそうなんだぁ…と、まずあきらめるのだよ。

それは、理解するということなのだ。

私>…ん?

あきらめるが理解するというのはどういう意味ですか?

もうちょっと詳しく教えてください!(><;)

マスター>>それは「あきらめない」の方からみてゆけば分かりやすいであろう。

あきらめないとは理解したくないという気持ちであろう。

その物事を理解したくない、理解できない、理解しない…では、何も先へとは進まないことに気付けるであろうか。

先へと進むためには、今この瞬間を理解することが大切だ。

現在位置を知る…ということだな。

現在位置を知れば、そこからいかようにも進むことができる。

それは、進みたくない気持ちの理由さえも、知れるかもしれないな。

私>なるほど~…。

「理解したくない!とその物事から目を背けるな」という意味ですね。

理解です!あ、先へ進んでください!

マスター>>では、続けるぞ。

そうすれば、そなたたちが何か握りしめているものを手放せる。

あきらめるとは、執着を手放すということなのだよ。

手放されたところからしか、何物も入ってはこれないからな。

あきらめなさい。それが人類なのだ。

そして、それでも争いをなくしたい、クリーンな友愛の世界へと行きたいと本当に願うのか、そこからもう一度自分に尋ねるのだよ。

このような荒廃した世界であっても、その先の道をそのように「強く願う者」の前には必ず現れてくれるものだ。

「なぜ、争いはなくならないの?!」と嘆く者は、強く願えないのだよ。

エネルギーが足りないのだ。

それは嘆く事(目の前の現実を否定したい。認めない気持ち)にエネルギーが奪われ、その先にある感謝の念までたどり着かなくなるからだ。

【感謝とは奇跡の後に感じる感情】

感謝」とは、「ないと思っていたものが軽やかに満たされる」から感じられる「奇跡という名のエネルギー」を感じていると言える。

つまり、ないことを認め、ゆるさないと、「奇跡」という強いエネルギーが生まれないのだよ。

ちょっと難しいが分かるであろうか。

私>ん~、もうちょっと詳しく教えてください!

感謝と奇跡の関係について…とかですかね。

マスター>>「感謝」とは「この世の魔法」のようなエネルギーなのだよ。

夢は叶うし、病気も治る。

金は満たされ、パートナーはやってくる。

家族は健やかになるし、仕事も成功してゆく…。

この感謝のエネルギーを使いこなせれば、この世では「魔法使い」になることが可能なのだよ。

分かるかね。

「感謝の念」をどう知るのか?

「感謝の念」を使うまで至れるのか?

これがこの世の秘密を知り、この世であろうがあの世であろうが、同じように健やかに生きてゆくこととなる。

それを体得し、生まれ変わりの必要としない存在を「マスタークラスの意識」というであろう。

とした時、マスタークラスは知っている。

「あの世」というものを…。

だからこそ「この世」も見抜いている。

そこには嘘があることをな。

それはどういうことかといえば「ないという感覚は幻想である」ことを知っているのだよ。

しかしマスタークラスは、「人類とはこの世という仮想空間の中で「ない」を体感し「ない」を学んでいる」ことも知っている。

であれば、「ないというのは幻想で、こんなにあるではないか!」と気づけた者たちから満たされた世界に入るということを知り、体得したのだよ。

つまり「在るもの探し」の名人であり、ないと思っていたのに「あるーーーー!!」というまさに「奇跡」を感じる「感情」には、とても強いエネルギーが流れ、そのエネルギーと思考(ここでは方向性)で、現実が簡単に具現化されることをマスタークラスは知っているのだよ。

だから、感謝を感じている人間には、後に奇跡が起こり始め、頭ではなく心の底から願っていた本当の願望が軽やかに叶ってゆくのだよ。

分かるであろうか。

だから「ないないと嘆くのではなく、これがあるじゃないかと感謝し、その奇跡を感じておきなさい」といっているのだよ。

分かってきたかね。

私>うお~!分かってきました!!(><)/

すみません、続きをどうぞ!!

【ないと認めるから知れる痛みに寄り添えるか?】

マスター>>さて、風の時代とは、これから一層感謝が問われる時代であるといえる。

そして、感謝とは「ない」ことを認め赦(ゆる)し、だからあることがどれだけありがたいことなのかを知った者たちには、自由と尊厳の楽園の時代の門戸が開かれると言えるのだよ。

ないことにきちんと向き合えた時、風の時代はとても生きやすい時代だとその時初めて知れることになるであろう。

ないことを知るとはすなわち、「痛みを知っている」ということだ。

痛みを知る者の前には「慈しみ」が広がり、そこには慈悲と慈愛があふれる。

そうした世の中から、本当の友愛の世界に切り替わるとは思わないかね?

「風の時代」とはすなわち、より「痛みに寄り添い」だからこそ知れる「感謝の念」が問われる時代となる。

もっと自分の心の痛みに寄り添い、心と向き合い、友達となり、自分という人間の素晴らしさに感謝しておきなさい。

いいかね、分かったかね。


私>なるほど~。そっか~。

ないことにすごく嫌な気持ちがしていましたが、ないんだって、も~認めてゆるします!

そして「私はそれがないんだなぁ…」ってゆるした時に、でも逆に「これ、あるじゃん!」「あれ、あるじゃん!」って、手放せたから初めてそっちの方に目が止まる気がしました!!

そして、「ない」とちゃんと認めるからこそ、それでも本当に欲しいのか?!とか、欲しいものを得たい「気持ちのギア」が一段上がる気がしました。

今までは、ないと認めようとすると、「いいや、そんなことはない。こうすれば手に入る」「ああすれば手に入る」「別になくはない!」と思っていました。

でも、これは現状否定ですね。

そうなのに、そうじゃないと思うとエネルギーが消耗されるんですね。

だから、本当に今あるものにはちっとも目が向かず、だから感謝のエネルギーも充填できず、ないものを得ようとするばかりで、エンジン空ふかし状態で、心のガソリンが空っぽになっていたのかもしれません…。

これが、エネルギーが足りないっていう状態で、だからちっとも先へと進まないんですね。

なるほど~…。

こうして、「今あるもの」に目を向けて「奇跡」を感じて「感謝」することが、風の時代はまさに大事なんですね。

だって「感謝」が、エンジンですもん!!

エンジン、搭載したいです!!

そして行きたい方向へ、マッハでジェットで行きたいです!!(><)/


そして、「自分の心と友達か?」と言われて、グッときました。

心と友達だなんて、そんな発想ないな~と思いました。

でも、自分の心こそ友達になって、いろいろ聞いてあげたいです。

どうしたいのかも聞いてあげたい。

だって、それが友達ですから。(^^)

そして、心を開いて話してくれるといいな~と思います。

う~ん、マスター!

いつも、いつも勉強になります!!!

ありがとうございます!

これからも「スピリチュアル・カウンセラー」の地位向上と、良質なカウンセラー育成のためにまい進していきたい思います!是非、ご賛同していただけると嬉しいです♪