生まれてきた事を忘れないために
朝起きて、とっさに書かなければいけないという衝動に駆られて書いている。
私は今年、新しいチャレンジをした。そのことについては、私個人として、アーティストとして、人間として大きな事柄だったけれど公表することなく過ごしてきた。(おおげさだけど)
昨夜亡くなった22歳の女子プロレスラー木村花さんは、Netflix のリアリティTVショー”テラスハウス”のメンバーの中でも大好きな女の子だった。芸能人というか、会った事も話したこともないネット上、メディア上の方にこんなに親近感を持たせるのはテラスハウスという番組の魅力なんだろうか、友達が居なくなったかのように悲しい気持ちが、今も消えない。同時に22歳という若い彼女を思い浮かべるとき、もうすぐ1歳の自分の娘のことも思い浮かべる。要するに彼女のお母さんのこともおもう。
インターネット・SNSの使い方については、私と夫も最近、いつか触れることになる娘に対してどういう風に伝えるべきかと話していた。答えはまだ出ない。インターネット・SNSに限らず、誰しも傷つけられることは絶対にあるはずだ。
去年娘を出産したその前後の経験がきっかけになり、私は去年秋から、予備校に通い高校生に混じって勉強して、今年の1月に看護学校を受験した。助産師になりたいという夢ができたからだ。近しい存在の人にしか打ち明けてきていないけれど、夫の支えの中、猛勉強の末、無事受験を終え2月に合格通知をもらえた。今は緊急事態宣言中のためお休みだが、これから看護学生になる。助産師になるためには、看護師の国家資格を獲得してからでないと助産師学校に入学できない。要するに、看護学校3年→看護師国家試験→助産師学校1ー2年→助産師国家試験というステップの最短4年のプロセスだ。
公に伝えたり、記したり今までしなかったことには2つ理由がある。1つは自分が「妊娠、出産、育児ハイ」である可能性があり、今だけ助産師という仕事に憧れている可能性がある、と感じる部分があったこと。2つ目は、看護学校は3年間で看護師の資格を取得しなければいけないという、かなり大変な時期であるため、アルバイトも禁止している学校が多い。もちろん面接の時も、勉強第一の生活にしていきます。と話した。だから、私のアーティストとしての活動を学校の関係者が見た時、「アーティストが片手間で勉強している」と思われたりしたくなかった。ということもある。アーティストはやめない。
どんな反応があるか恐る恐るも、ここで明言したいとおもうが、私は助産師になるまで学業とそのために必要な経験を、これから数年間の生活の中で、娘の次に、最優先事項にする。そしてそのことが私の表現活動にとって確実な糧になるとも感じている。糧にするために頑張るのではなく、当たり前に表現というのはそういうことだからだ。何か本気で向き合うエネルギーが溢れてこそ、本当の表現が生まれる。そう感じている。
木村花さんが亡くなったことをきっかけに、私はこの文章を書くことになった。もちろん彼女には「生きること」を選んで欲しかった。同時に20万人もインスタのフォロワーのいる若い彼女が、押しつぶされそうになって辛い思いをしてきたことを考えると本当に胸が痛い。しかし、これから、若い世代の人たちがそういう思いをしていくことは避けられないともおもう。それでも、「生きること」を選んでほしいとおもう。
そして私自身も「生きること」を選び続けたい。「生まれてきた」ことを忘れないでいたい。助産師が立ち会う現場が「生まれ、生き抜く」現場だけではないことは重々承知である。でも、私が見た娘の生まれたばかりの数日間、新生児と呼ばれる生後1ヶ月に満たない生命体は、まさにその言葉通り「生命を担いだ体」だった。何も知らない=全て知っている=生きるということだけを。自分自身も、自分一人の力で生きて、育ったんじゃないというのは理解しているが、それでも尚、一番大事なのは誰の力でもなく「自分の生命力」に尽きるとおもう。それを信じ続けなければ。そういう思いを、ずっと強く持っていたいし、大事な人に強く伝えることのできる存在でいたい。だから、生まれてきたことを忘れないために、私は助産師になりたい。
「これから学生になる」というだけの私の現段階で、この事について記事にして公開することや、花さんが亡くなったというタイミングで同時に書くということに対して今朝から今までこの記事を、公開するか否かかなり悩んだ。
生きるということや、死ぬということについて語るには未熟すぎる私だが、今感じていることに正直でありたいという生き方の記録として、この、時に恐ろしいインターネットの海に、残させてもらいたい。
花ちゃん、あなたが亡くなったことは、多くの人に気づきを与えていると思います。ただ、その数えきれない気づきよりも、あなたの命は価値があったはず。
安らかに眠ってください。