アントワイン7月9日ー慈しみと信頼

http://recreatingbalance1.blogspot.com/2018/07/grace-and-trust.html

およそ25920年前にこの惑星で起きたアトランティスの崩壊と、隔離および監獄状態の始まりは、関係する全ての存在にとってトラウマとなる体験でした。そしてそれ以降、強いインプラントによって記憶喪失が生み出され、この惑星では大半が困難な時期でもあったため、トラウマが永久的かつ繰り返し頻繁に再生されてきました。

トラウマの根源はソースとの明白な分離が原因です。このために見捨てられた経験や感情が生まれ、どうしてこうなったかのか疑問に思い、全てに疑いを抱くよう駆り立てられ、全てに対する信頼を失いました。ソースに対する信頼、宇宙に対する信頼、自分自身に対する信頼、光に対する信頼、お互いに対する信頼を失ったのです。信頼は現在のこの惑星において非常に重要な問題です。

見捨てられたというこの深い感情と光に対する不信感は、この惑星上のほぼ全員のエネルギーフィールドに様々な程度にこびりつき、これが入口となってトラウマとなる状況を再生し続けているのです。何かがエネルギーフィールドにあれば、何かを生み出すのは自由意志であるので、エネルギーフィールドにある何かは取り除かれるまで具現化します。

この惑星上の目覚めた多くの人たちは自分たちの人生で、このことを様々な方法で創造し鏡のように写し出し続けています。ソースから明白に切り離されたというこびりついた感情はその時々で色々な形で現れます。時には見捨てられていることでソースや光に怒りを感じ、時には見捨てられていることで悲しいと感じ、時には見捨てられていることに無感情となる、などです。意識できる時もありますが、大抵は無意識です。どのような形になるにせよ、この感情はソースから切り離されている経験を再生し続けるのです。

そしてこの感情をお互いに投影することになります。誰もがここでの人生は公平でないと思い、この惑星に生まれ落ちる全ての人が痛みと悲しみの中に生まれます。実際、生まれて最初にすることがまさに泣くことなのです。なぜなら、私たちはインプラントされているからであり、私たちが元いた高次元の場所と比べると、ここのエネルギーフィールドは特に歪められているからなのです。現在のこの惑星には本当に公正な方法で地球にやってきた存在は一つとしてありませんし、ソースとの繋がりを持ち公正な人生を送ってきた存在や、本当の自分自身である存在も一つとしてありません。これが不幸にもここで起こってきたことなのです。

大抵の人はこのことに関して子供じみた方法から抜け出せない傾向にあります。子供は何かが必要な感じがすると、家中を隅から隅まで探して欲しいものを手に入れます。他の人もそれぞれの経験をしているということには全く気づかず、子供は何かを経験しているのは自分だけかのような行動をしがちです。しかし本当は私たち全てが状況を弱め、私たち全てに限界があり、もがいていて、解決すべきものを抱えているのです。多くの人は苦しんでいるのは自分だけだとか、自分だけが最悪の状態だと考えがちです。そのため、他の人が自分のためにいてくれて、自分に起きた悪いことを修正してくれることだけを期待するのです。これはこの惑星で非常に重大なことで、多くの人の行動を動機づけています。誰もが自分にとって人生は不公平だと思い、誰もが他の人に何らかの方法、特に物質面や感情面でどうにかしてもらいたいと思っているのです。

問題は、ほとんどの人がこの状態にあるため、他の人の面倒を見るのを嫌がるということです。なぜなら、自分だけが、もしくは自分の問題が最悪だと感じていて、世話をしてもらうべきなのは自分であると思い、どうして人を助けなければいけないの?と疑問を持つからなのです。地球上のほぼ全員が意識的にしろ無意識にしろこう考えています。そしてこれが悪循環を生みます。人に関係する原動力の多くは他の人から何かをもらうことです。「欲しいものが手に入るのなら何かをしよう。」というように。望みのものがやってこなかったり、要求したものを他の人がくれないと、癇癪を起こしたり、めちゃくちゃにしたり、お互いに言い合ったり、ミッションや聖なる目的の邪魔をしたりします。これは傷ついた子供の意識で、私たちがソースであり、永遠の光であるWe AreもしくはI AM プレゼンスであり、自分は必要なものを生み出すことができ、経験したいと思うものであれば何にでもなるべきであるということがわかっている意識ではありません。

人生や他人、もしくは光が何かを与えてくれるのを望んでいるのであれば、私たちがソースであり、私たちの現実で何かが可能となる唯一の方法はI AM プレゼンスを通してであるということにそろそろ気づく時です。それはつまり、望むものと足並みを揃えなくてはならないということです。

「汝はわたしのほかに神があってはならない」(訳注:旧約聖書、出エジプト記「モーセの十戒」)という文章は「I AMのほかに神があってはならない。」という意味で、つまりI AMプレゼンスのほかに神はいないということです。私たちのI AMプレゼンスはソースと光とともに一なるものであり、それを通してしか現実を正確に経験することはできないのです。最初に外側の神や、宇宙や、光の勢力や、他人や、イベントやいかなるものにも頼ることはできません。状況の大小にかかわらず、あらゆるそれぞれの状況において、最初に頼るべきは自分のI AMプレゼンスであり、それを通して現実と繋がることができるのです。他に方法はありません。I AM プレゼンスが唯一の道なのです。そしてI AM プレゼンスには本当にいかなるものでも解決する力があり、I AM プレゼンスは失敗することのない光であり、I AMプレゼンスに向かい続けていさえすれば、常に全てを完璧に調整してくれるのです。

慈しみの意味はこうです。慈しみとは全ての状況を本当に深く許すこと、そして行動による許しです。たとえ宇宙でほかに誰もする人がいなくても、必要とされるものであれば何にでもなり、何でも具現化するのです。どうして助けるべきなのでしょうか?できるからです。私たちはソースであるからで、もっと良い現実が必要だからです。本当は、常に光の存在が必要なものをもたらしているのですが、手にすることができるのは、それに共鳴しだときだけであり、同調したときだけであり、それになったときだけなのです。時には周囲の誰も行なっていないように思えるかもしれませんが、愛になり、慈しみになり、とにかく必要とされるもの何にでもなれるということが、真のマスターなのです。慈しみも聖なる目的で突き動かさせれるべきで、いつもやられっぱなしの人になったり、欲しいものを創り出すということではなく、夢を創造し、全ての生きとし生けるものの解放という聖なる目的に資するために必要なことをするということなのです。ほかに選択肢があるとすれば、自分からはやろうとしないで何かが外側からやってくるのを期待して、まず壁に頭から突撃するしかありませんが、良い道のりではありません。たくさんの人がやって失敗してきました。そろそろ思い起こして慈しみになる時です。そしてそうすることで、再びソースを体現し、この惑星にソースを呼び戻し、アトランティスが崩壊して以降のソースと分離されたというトラウマを癒すことになるのです。全ての創造物に光のリアリティを呼び戻すのです。


私は長年、最初に欲しい超能力は瞬間移動だと思い、公言してきました。どこにでも行け、この惑星や他の惑星のどこであっても会いたい人誰にでも会え、欲しいものを何でも手に入れることができるのです。今気づいたのですが、最初に欲しい超能力はあらゆるそれぞれの状況において慈しみであることです。瞬間移動できても内側の問題はどこへ行ってもつきまといます。それよりも慈しみになれれば、今この場所で、私がどこにいようが、自分のI AMプレゼンスから欲しい現実を生み出せるのです。なぜなら I AM プレゼンスやソースはあらゆるところにあるからです。慈しみであることは最大の宝です。そして今すぐになることができます。すでにその力があります。私たちは全員その力を持っています。(それでも瞬間移動は捨て難く、次に欲しい超能力ですが。)

私は慈しみです。
私は慈しみです。
私は慈しみです。

全てに愛と勇気がもたらされますように💗


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