「人間だからこそ描ける、人間の心に響く絵」は、確実に存在するんだよ!だから、智咲ちゃん、イラストレーターの「志」、絶対に叶えて!【社会貢献】【エッセイ】【絵師100人展】
「人間だからこそ描ける絵」は確実に存在する、そう、「手描き(一部にCGもあるが)の絵だからこそ表現できる、『人間らしさ』を表現できる絵」が!
だから、逆境のときがあるかもだけど、絶対にあきらめないでね!「絵が大好き」の気持ちに、「絵に携わりたい」の情熱に対して、「絵だからこそできること」の信念に対して、正直でいて欲しい!
(←朝日新聞の「声」欄での文章を題材とした文章でだと、この「2023年3月31日」のnote記事以来、「1年8か月ぶり、2回目」です。
ちなみにこの1回目での「強くなるより優しくなりたい」は、自分の中で、「声」欄で最も感動した、心を揺さぶった文章でもありますし、自分の信念の1つにもなっています。)
(今回のnoteの文章。トップ画像にも載せさせて頂いてます、イラストレーターを志している中学生、笹山智咲さんの文章に心を揺さぶられまして、「1人の人間として」智咲ちゃんに向けて、趣旨としては
「智咲ちゃん、絶対に志を叶えて欲しい!」
という趣旨で綴らせて頂きます。尤も現実論的には、このnoteが智咲ちゃんに伝わるか、恐らくほとんどないかなと思ったりですし、実はこの、智咲さんの文章は、「2023年8月11日」。ですので「1年以上のブランク」になります。
[ほんとうは、当初は「2023年(昨年)の9月下旬~10月」を目途に執筆の構想で、実は書き掛けてたけど、まとまった時間がとれずに最終的に断念であったのです。でも今回、「まとまった時間を確保できた」もですし、「どうしても伝えないと、自分が恐らく後悔するから」と感じて、今回このタイミングで執筆させて頂く次第です。]
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読者に向けてですと、いわばある種の「公開書簡」的な感じと解釈して頂いてよい感じですけど、智咲ちゃんは勿論、「絵、イラストの道を志す子ども[主として10代、中高生]に向けての応援メッセージ的な文章」と解釈して読んで頂けると、とても嬉しいです。
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尤も自分は実は、絵の造詣は正直「ほぼゼロに近い」です。
いわば「絵心がない」。実際、学校の美術は「居残りが定位置」でした。
そう、中高生時代の自分は、「美術・家庭科=見るのも嫌」と。
ですけど一方で、絵を見ること自体は、好きなことの1つである感じで。
あとで改めて言及させて頂きますが、今回のnoteの文章、
「『絵師100人展』の鑑賞」及び「好きになった、ある絵師さんのこと」が中心軸になっています。
[ちなみに自分の本来の専門・得意分野は、「スポーツ(バスケットボール・野球・陸上など)」「子ども・教育」のことです。ですので後者のことに関係ではあるのですが、現況でだと後者は得意というよりは「強い興味」のニュアンスがより強い感じです。]
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この文章が、「智咲ちゃん」及び「絵、イラストの道を志す子ども[主として10代、中高生]」への「応援の想い」として伝わりますように。
では、本題を綴らせて頂きます。)
(なお、今回のnoteの文章、『絵師100人展』の「ネタバレ」が含まれていることに、御留意頂ければです。
いくつか、絵の写真が登場しますが、これは「絵師100人展の図録」「Hitenさんの画集」から用いさせて頂いております。『絵師100人展』の本会場内は写真撮影が禁止ですので、それは勿論、留意している感じですので。)
(←noteでの、「『イラストレーター』と『画家』の違い」についての記事。実質的には全4回。このうちの「2つ目の記事」は「200円の有料記事」で、今回の記事執筆の参考資料として自分も購入させて頂きました。
有料記事を含めて、全4回、とても分かりやすく綴られてますので、拝読の意義がとてもあると感じます。)
智咲ちゃんへ。
あなたの『朝日新聞』の「声」の欄での文章、拝読させて頂きました。
ほんとうならば、できるだけ早いタイミングで、1人の人間としての「応援の気持ち」を伝えたかった。でも、まとまった時間がとれないとかで、タイミングをつかめなくて、ずっともどかしい気持ちでいました。
「智咲」という、名前の由来は何かある感じですか?
字や言葉の意味から想像すれば、「頭脳と内面を併せ持つ感じの賢さで、大きな花を咲かせられる人間に」の意味かなと想像ですけど。
文章から伝わるのは
です。
少し、自分のことを綴ることを織り交ぜさせて頂くことから、話を徐々に進めさせて頂ければです。
そう。
「絵師である前に、人間であれ」。
これは、絵師に限らず、どのような道に携わるであれ、自分が「人間としてとても大切なこと」と考えてることです。
そう、「人間って、人それぞれに個性・長所・特徴を持っている」。
自分はこれを「100人いれば、100通りの個性がある」と表現してますし、「十人十色」「三者三様」という言葉だってこの意味です。
ですので、自分の個性・長所・特徴を最大級に育もう(伸ばそう)、と伝えたいですし、それと共に、「人間として大切なこと」、特に「優しさ・思いやり」「学び続ける姿勢・努力」を育むことを心掛けること、これは特に、どのような個性・特徴であろうとも、とりわけとても大切な資質能力であると思いますし、後天的に育めることとも思いますのでと。
ここで、自分自身のことに言及させて頂きます。
いま、自分は「40歳」です。住んでるのは大阪ですが、中学3年生までは「西宮(兵庫県)」でした。いまは大阪、特に天王寺(あべのハルカス、あべのキューズモールとか)がメインフィールドです。
自分は、絵については、完全なる専門外です。
というか、絵は「大の苦手」です。超がいくつも付くほどに「手先が不器用」なこともあり、美術・図工は「居残りの常連」でした。というか、「最後は級友の誰かに手伝ってもらっての完成」が、正直ざらでした。
というか自分は、子ども時代、いわば「癖がとても強い子ども」だったんですよね。
家庭科も全くだめ。体育も苦手(特に「泳げない」「投げる系が全くだめ」「握力、特に左が全くだめ」)でした。
それと、理系教科も苦手で。特に「数学で、高校2年生のとき、『0点』を2回とる」という、とても情けない経験をしてます(それでいて実は、小学生時代の算数はむしろ好きだったりしますし、いまでも計算は「平均よりは恐らく早い」と感じてます)。
で、自分はもともと、「中学校の社会科の教員」を志望してました。
理由はいくつかありますが、特に「子どもが大好きだから」「自分が泣き虫でいじめられっ子であったから、子どもの心に親身に寄り添える人間になりたいから」。それと、中学生(~高校生)の時期は、人間の成長という意味で、「一気にポーンと成長できる時期であるから」も理由の1つでした。
ですけど自分の場合、正直「紆余曲折、回り道の歩み」でした。
いくつかの転機を経て、最終的に辿り着いた道は、いわば「全く異なる道だけど、根っこでは歩んできた道は活きているといえるかな」が正直な感じです。
先述した、「100人いれば、100通りの個性がある」という言葉。
これは「東日本大震災(東北。自分の場合は、特に宮城県)の復興支援活動」に、微力ながら向き合わせて頂いた過程で出会った言葉です。この「東日本大震災の復興支援活動」(2011年9月~2015年3月。延べで10回、東北を訪れました)は、自分自身の生き方・価値観をがらりと大きく変えて、いまの自分自身の基礎・土台になっています。
あるいは、「微力だけど、無力じゃない」という言葉。
これは、「(広島・長崎の高校生を中心に、全国の有志でなされている)高校生平和大使」「高校生1万人署名活動」による言葉です。いまでは広く浸透しつつある言葉ですが、この言葉の発信源は「広島・長崎の、平和活動に向き合う高校生」であること、とても素敵だなと感じてます。
…と、そのような感じですけど、最終的に辿り着いた道は、「書くこと」「伝えること」、いわば「ライターの端くれ」でした(現況だと、まだ軌道に乗れている感じではないですから、「インフルエンサーもどき」って感じですけどね。苦笑)。
で、「伝えること」で生きていく、理由はいくつかありますけど、特に
「自分の性格の大きな特徴として『まっすぐで情熱的』なところがある、この特徴をより活かせること」
「『内向的な性格』『マイペース(リズムによって影響を受けやすい)』の自分でも、無理なくできること」
これがあります。でもそれ以上に、自分を突き動かしているのは
そう、「人間らしさ」。うまく言葉に落とし込めない感じが正直もどかしいですけど、「人間だからこその、生々しさ」「理屈だけでは説明し切れない、その人間だからこその独特さ」、これに自分は心を惹かれるのかな、と感じるんですよね。
自分の場合は、それが「スポーツ」です。例えばバスケットボールでだと、観客席から、「選手は勿論、コーチ・マネージャー・トレーナー、さらには球団職員(球団や状況によっては、社長・GMをもの場合も)まで、まる見え」、ですので、「息づかいをとても感じられる」、これがとても好きな理由の1つです。
あるいは、「陸上」。陸上や競泳って、「自分自身との戦い」であるのが、このスポーツ独特の特徴です。そう、「昨日の自分よりも、今日の自分」と。でも、どれほど全力を出し切っているつもりでも、うまくいくとは限らないこと。
で、個人走(マラソン・トラック・フィールド)であれ、駅伝であれ、そこに「人間ドラマ」がとても伝わることなのです。歩んできた道がそれぞれに異なっていて、「挫折を経験した人間」「遅咲きの人間」とかも混ざっているのです。そういうところに、特に心を惹かれるんですよね。
ですので、智咲ちゃん、「絵」のことについて、これから話を進めていこうと思ってますけど、
これは確かに、「AI」「CG」でも、できなくはないかなですし、少なくとも自分が出会った絵では、「CG絵」だけど「それがむしろ、より強い説得力をもたらしてる」絵があったことは事実です。
ですけど、恐らくですが、
と伝えたいんですよね。
ではここで、話をより核心へと進めていきましょう。
自分は、先述のように、絵のことは「専門外」ですので、もしかしたらピント外れなところが少なからずあるかもですけど、「こういう考え・意見・解釈もあるんだ」の感じで読み進めて頂けると、とても嬉しいです。
これから話を進めていくキーフレーズ。
恐らく、いわゆる「絵師」「イラストレーター」を扱う展覧会は、他にもあるかもの想像です。で、もう最初に述べますと、この「絵師100人展」、言葉通り「100の絵」が展示されてますけど、このうちの「90%超~95%程度」が「美少女系統の絵」です(恐らく「神絵祭」も似た感じでしょう)。
(例年、このうちの10~15程度の絵が、「音声ガイド」でより細かく説明されます。勿論自分も、「音声ガイド」を購入させて頂いての鑑賞です、この音声ガイドで、その絵の特徴・魅力をより深く感じられるので。)
智咲ちゃんは、「絵師100人展」「神絵祭」は、鑑賞した経験はありますか?いずれも毎年開催されてますし、関西圏でも開催されてます。
特に「絵師100人展」は、「音声ガイド」の活用の推奨もですけど、「図録」がとても素敵なんですよね。
で、「絵師100人展」に参加している画家さん。
参加している100人、展覧会では「絵師」と呼称されてます。
では画家自身はどう呼称してるかと申しますと、ほとんどが「イラストレーター」、たまに「絵描き」と称してます。「画家」と呼称してるのは、把握できてる限りはいなかったです。
これは、「イラストレーター」と「画家」の定義が、かつてと近年(恐らく、コロナ危機の以前と以後?)で変化してきてるのもあるのだそうです。
どういうことか。たとえ話的な感じになりますことを、何卒御許しされたしです。
「東野圭吾さん」「湊かなえさん」「角田光代さん」。
智咲ちゃんも、恐らく、この3人の作家さんは、名前を聴いたことがあるのでは?と想像です。
そう、3人共に、いくつもの作品が「映像化」、つまり「映画化」あるいは「ドラマ化」されている。というか、これは恐らくですけど、この3人は特に「作品が映像化されることを意識して書いているタイプの作家さん」である訳です。
東野さん、湊さんら3人は、いわば「いまの作家さん」です。
では、もう少し古い時代の作家さんを挙げさせて頂きます。
「西村京太郎さん」「山村美紗さん」「赤川次郎さん」。
智咲ちゃんも、恐らく、この3人の作家さんも、名前を聴いたことがあるのでは?と想像です。
そう、西村京太郎さんら3人は、それこそ「いまをときめく」東野圭吾さんらよりも、「映像化された作品がたくさん」あります。
西村京太郎さんら3人に共通するのが、「2時間ドラマの原作者として、とても重宝された」ことです。いまは「2時間ドラマ」でやることは、「映画にとって代わられた」感じでして、「2時間ドラマが一気に衰退・消滅していった」理由は、実はいくつものことが複合的に起きたが故ですけど。
(ただ、自分はいま「40歳」ですけど、「2010年代前半までは、『2時間ドラマは日本独特の文化』であるとして、とても重宝されていた」んですよね。実際、高視聴率の番組は「2時間ドラマの作品」がずらりでしたから。
なぜって?シンプルに「2時間ドラマには『固定ファン』がいるから」。かくいう自分も、自宅では2時間ドラマがバンバン掛かってましたし、70歳代になった母は、「2時間ドラマの再放送がBSであることがどれほど貴重であるか」と、毎月のように言ってますから。)
なぜ、「2時間ドラマが一気に衰退したのか」。
これらのことが複合的に起きてしまったから。いま風に述べれば、「『コスパ』『タイパ』に見合わないから」ともいえますね。
確かにこれらも理由の1つです。でも自分は、「2時間ドラマの原作者」として重宝された上述の3人(あるいは「和久峻三さん」「森村誠一さん」「内田康夫さん」とかを含めてです)が、「高齢化した」「逝去した」により、いわば「原作のストック(手持ちの作品)が尽きていった」も、正直大きかったと想像するのです。
東野さん、湊さんとかの作品だと、「『ひねり』がきつくて独特である」んですよね、ですので「わかる人にはわかるかもだけど、少なからず難解になってしまう」、それ故に「視聴者側がついていけなくなる」意味で、「2時間ドラマ向きではない」訳です。
余談ですけど、自分は実は「鉄道ファン」でもあります(「乗り鉄」「車両鉄」。自分の場合は、より厳密には「電車から見える景色・風景を楽しむ」タイプです)。
なぜ、自分が「鉄道ファン」になったのかは、「単純に、電車から見える景色が好きだから」もありますけど(母曰く、自分が物心がついたときには既にそうであったと伺う。この場合の「物心がつく」は、恐らく「幼稚園を終える頃くらい?」と)、正直、「西村京太郎さんの作品の影響」も少なからずあると感じてます。
で、西村京太郎さんの作品、「トラベルミステリー」とよく呼称されてますけど、そこで多用されるのが「時刻表トリック」です。これを崩していくのが、自分的には「テンションが爆上がり」の感じで。
…と、話を脱線させたかもですけど、どういうことかと申しますと、
「東野圭吾さん」「湊かなえさん」「角田光代さん」、あるいは「西村京太郎さん」「山村美紗さん」「赤川次郎さん」、この6人に共通するのは「作品が映像化されることを前提としているタイプの作家さん」です。
いわば、東野さん、西村さんら6人の作家は「大衆文学タイプの作家」=「イラストレータータイプの作家」であると映るんですよね。
そう、これを言い換えると、「純文学タイプの作家」=「画家タイプの作家」であるといえると。「古典的なタッチをより得意とする画家」は、確かに「純文学タイプの画家」といえますので。
勿論、「大衆文学タイプ」「純文学タイプ」、それぞれによさがあると想像ですけど、物語の世界に、より「すっと入っていける」のは、「大衆文学タイプ」である傾向が強い、少なくとも自分の感覚はそうです。
確かに、より一般的な定義では、「画家」は「個人として好きなタイプの絵を、好きなタイミングで発表する」です。
その一方で「イラストレーター」は「クライアント(依頼者)との協働で、絵をつくりあげていく」です。
そう、「イラストレーター」といっても、「自分の好きな絵」を描くことは、普通にできる訳です。というか「絵師」「絵描き」って、そもそも論として、「絵師の分だけ、得意とする描き方がある」はずである訳で、「絵の描き方がそれぞれに異なっていて、むしろ当然である」ですのでね。
で、智咲ちゃん、朝日新聞の「声」欄に文章を寄せたとき(2023年8月11日)が「13歳」とのことですけど、「当時が中学1年生→いまが中学2年生」、「当時が中学2年生→いまが中学3年生」になる訳でと。
いまだと、「ツイッター(X)」「ピクシブ」は、閲読できるのかな?という感じで。
自分は、絵を描く才能が皆無なこともあるので、「ツイッター(X)」での話をさせて頂きますけど、ツイッターで有名な絵師さんは、正直恐らく結構いると想像です。
そもそも、絵のことを「自分ごと」と考えるきっかけになったのは、「2015年7月、『ラブライブ』との出会い」なんですよね。当時、自分は31歳。この「ラブライブとの出会い」も、自分の大きな転機の1つでしたけど、「ラブライブ」に出会ったことで、「『ほんとうの自分』=『オタク気質』」であることに気付いたのです。
いま思えば、子ども時代、『美少女戦士セーラームーン』が大好きだったんですよね(なお自分は男性)。その一方で、中学生・高校生~20歳代の自分は、いわば「オタク気質という、ほんとうの自分」に無意識的に心を背けながら生きてきた、といえるかもですけど。
尤も、自分が好きな「アニメ作品」は、正直偏りがあります。
なぜでしょうねえ、自分でも不思議です。ただ、「この絵柄は無理!」と、脳が反応してしまうんですよね。
でも、漫画絵が一律にだめという訳ではないのです、実際、自分が特に大好きな作品である『五等分の花嫁』は、絵柄が「漫画絵」ですから。
はい、「ラブライバー」(「ラブライブ!シリーズ」のファンのこと)であることは、「自分自身のアイデンティティー」である感じですので。
「2015年7月」、そう、「μ’s(初代のラブライブ)の劇場版からのファン」ですので、「ラブライバー」になって、気が付けば「9年以上」になります。
そう、20歳代のときには、まさか自分がこうして、(頻度的には「年に数回程度」ですが)大阪の「なんば・日本橋・恵美須町」の「オタロード」「アニメイト大阪日本橋店」を利用する(出入りする)人間になるとは、全く想像していなかった訳です。「人生って、とても不思議だな」、これは自分の正直な実感なんですよね。
で、そう、もともとは「画家」「イラストレーター」と表現してきた訳です。もちろん今でも、正式にはこの表現である訳です。
ですけど近年ではむしろ、「絵師」「絵描き」という表現がより多く使用されてきている感覚があります。
感覚的には、絵が好き・得意な人間は、誰もが「絵描き」であること。その上位形態が「絵師」であるが、自分の解釈です。
で、ツイッター上で有名な絵師さん、正直、恐らく100人以上?の感じでいらっしゃいますけど、ここでは、有名な絵師さんを1人、代表例的な感じで挙げます。
「めざし」さん。「ラブライブ」関係ではとても有名な絵師さんです。
特に『ラブライブ!サンシャイン!!(2代目のラブライブ)』での「よしまる」絵のイメージが強い人間、という感じです(「めざし≒よしまる」といっていいほどに「自他共に認める代名詞」ですね)。
この「めざし」さんの場合、『ラブライブ』という特定の作品によって、道を拓いた人間、の感じになります。ですけど、「有名な絵師」ではありますし、プロとして勝負できてるといえますけど、ツイッター上での有名な絵師は、その多くはいわば、恐らく「セミプロ」です。
そう、「セミプロ」といま述べましたけど、ツイッター上での有名な絵師(この場合、「手描きの絵」に絞らせて頂いてます)、「技術レベルはプロ級である」の人間、それこそ何人もいるのです。
「間違いなく上手いのに、セミプロ」と「プロ(さらにはトップ絵師)へと上り詰めた」、その違いって何だろう?ととても考えさせられてます。
智咲ちゃん、ここまでの話だけでも、既に長くなってしまってごめんね。
そして、「絵」の素晴らしさ、ここからがより核心になる感じで。
では、「絵師100人展の図録」「Hitenさんの第1画集」を使用資料と明記させて頂いた上で、話を進めさせて頂きます。
「資料絵画1」。「しらほ」さん、「トレンドは巡る」。
「手描きの絵だからできる素晴らしさ」を説明したい感じですけど、1枚目にCG絵を持ってきたのは、「CG絵だからできる表現だって、あるんだよ」と伝えたかったからです(実際、この「しらほ」さんの絵って、「CG絵だからこそできる表現」を追い求めている感じで、「CG絵だって、細かい描写ができる」と。
近年、「ふわふわ言葉」(簡単に述べれば「優しい言葉」です)の重要性がいわれてますけど、この「しらほ」さんの絵って、いわば「ふわふわイラスト」です。描かれてる少女が、プラスの意味で「ふわふわしてる、でもそのふわふわ感が躍動感になってる」と。
「オリジナリティーを確立できていて、すごいなあ」です。
この絵に出会ったとき、自分は、感動のあまり、嬉し涙が溢れ出てきて、しばらく立ち尽くしていました。
智咲ちゃんの言葉でいう、「人々の心に響き、元気づけられる作品」「人間が持つそれぞれの個性こそに、絵を描く価値がある」を、まさしく体現している「渾身の1枚」である!と。そう、「人間の心に訴える絵」って、存在するんだよ!そしてそれは(CG絵でも可能ではあるが)「手描きの絵だからこそ表現できる絵」といえるんだよ!と。
確かに、例えば中央の結婚式の女性の絵だけでならば、AI絵でも描けるかもしれません。ですけど、「1人の人間の歩んできた道を、1枚の絵という限られたスペースに、過不足なく投影できる絵」は、「手描きの絵だからこそ表現できる」、自分はそう伝えたいのです。
そう、このnecomiさんの「振り返れば、すべてが。」は、この絵師さんにとっての「渾身の1枚」であることもですし、「絵だからこそできる表現、手描きの絵だからこそ描ける価値は、明確に存在する」を雄弁に語りかけてる1枚と映るのです。
自分にとって、「『絵』って、こんな可能性があるんだ」と感じたのが、このフカヒレさんの「in a cage」です。
ただ「かわいい」だけではない。そこにいくつもの意味を含ませてることが伝わることもですし、「何かを訴え掛けるような絵」「メッセージ性が伝わる絵」に、自分には感じたんですよね。
そう、この絵をツイッター(X)の広告上で見たとき、自分の中で、不思議と心を揺さぶる感覚を覚えた訳です。
自分は、「文章」で生きています(まだ「端くれ」レベルですが)。でも、「絵」や「文章」って、時として「ナイフ」「銃」にもなり得ますけど、一方で「光」「希望」「感動」にもなり得る、自分はそう強く信じているのです。
で、この「in a cage」って、「陰」でも「光」でもある絵といえると感じていて。
これが、「自分自身の持っている個性」「歩んできた道」とも重なることが、「よりとても共感できる」感じでと。
自分って、どこか陰(影)がある。それが自分自身が、人間関係で苦しめられたり、人生の勝負どころで持てる全力を出し切れなかったりと、自分自身を苦しめてきたと。
でも一方で、こうも実感してるのです。
で、この「フカヒレ」さん、『絵師100人展』のキービジュアルに起用されるほどに、いわば「現役のトップ絵師の1人」です。
ここでは、2023年版の「in a cage」を取り上げてますけど、その前年(2022年版)の「祝福の花道」、これも「心を揺さぶる絵」で。
いずれにせよ、そう、この「in a cage」は、「この1枚だけで、自分にとっては『プライスレスの有意義さ』」の1枚と実感です。
「なんと立体的な絵だろう!」。この絵に出会ったときの、自分の正直な感覚です。
それは、「構図的な立体さ」「色づかい的な立体さ」もあります。でもそれだけではない。
「表現しようとしてることの立体さ」。これこそ、この「Select」の秀逸さを示してると映るのです。まさしく、「渾身の1枚」であると。
「名作」といえるからか、なんとこの絵、「2025年の年明け」に「フィギュア化」が決定してるとのことです。値段がえげつないですが「そりゃあ、この名作だもんね」と解釈すると、正直納得できます。
「人生の岐路」でもあるけど、
いわれてみれば、確かにそうだよなと。そしてその選択というのは、「プラスの転機」にもなり得れば、「一気に逆境へと転落」にもなり得る。
実際、自分自身、この両方を経験しています。自分の場合でだと「大学受験、選択の失敗」(受験校自体、及び日程の選定で。「人生で最大の後悔」を、最大の大一番でやらかした、「永遠に消えないトラウマ」です)による転落・逆境。
その一方で
「逆境」も何回も経験してきたけど、その一方で、「転機」も何回も経験してきて、「いまの自分」がいる。
いまならば理解できる、「逆境」も、自分に必要な経験といえるかもしれないと。「逆境」を経験したから、「人間として大切なこと」「人間としての引き出し」を拡げて深められて、そういった「努力」ができたから、「転機」を引き寄せることができたんだと。
智咲ちゃんも、恐らくこれから、いろいろな「学び」「経験」をしていくと想像です。その中には、恐らく「転機・チャンス」もあれば「逆境・ピンチ」もあるかなと想像です。
でも、これははっきりといえる。「『努力』し続けられる人間」「『信念』を貫ける人間」こそが、「転機・チャンス」を叶えられるんだよ!と。
智咲ちゃんならば、きっとそれができるよ!なぜって、「どうしても絶対に自分は、絵をずっと描き続けたいんだ!」という「志」が明確にあるから!
いつか、智咲ちゃんが「渾身の1枚」を叶えるとき、1人の人間として、是非とも観たいです!
そう、この「遠坂あさぎ」さんが、この「Select」という「渾身の1枚」を叶えたように。
ちなみに、この「遠坂あさぎ」さん、素顔は女性とのことですが、ファンからは「ママ」という愛称で親しまれてると伺います(理由は存じません)。
智咲ちゃんも、そう、「絵師志望の女性」という意味で、画集に手を取ってみるのも一案かなです、値段が結構するけど、「バスケットボールの生観戦の1試合分」と思えばと。
この絵に出会ったときの衝撃。「うわあ、なんと幻想的」!
「青」系統の色合いが、自分好みの色合いであることもあるかなですが、
(最も大好きは「白」。それと「紫」「青」も好きな1つです。)
いくつもの要素を過不足なく1枚の絵に収めていて、それを「輪」、この場合でだと「つなぐ」「つながり」の意味に落とし込めていること。
中心に描かれてる少女の「強く、温かく、凛とした感じ」を、彩りを添える背景や花束とかでより説得力をもたらしてて、「うわあ、優勝!」って感じでした。
ああ、なるほど。「ひとりひとりの想い、願いをつないでいくことで、私たちを照らす光になりますように」、うん、「すとんと落ちる」(とても納得できる)と。
これこそまさしく、「人間の心に訴える作品」「人間の心に響き、元気づけられる作品」といえる!そう強く抱くのです。
この「ふーみ」さんも、女性の絵師さんです。そう考えると、智咲ちゃんが志す道を歩んでいる「目標といえる先人の1人」です。
ちなみに、ここまで綴った時点で、取り上げてる5つの絵のいずれもが「青系統の色合い」ですけど、先述の(絵画資料4)での「遠坂あさぎ」さんは、むしろ「赤系統」をより得意としている感じです。
そう、遠坂あさぎさんの、2023年版での「四季廻り」は、「赤系統の色合い」を基調としてますけど、赤が持つ特徴の1つ、「情熱」をうまく落とし込んでいます。「輪」に沿うべく、「赤いリボン」(新体操とかで使うような)で表現していることも、より説得力を持たせてます。
…と、ここまで(というか、ここから先もそうですが)、
「えー、全員『美少女の絵』じゃないですか。」
と感じるかもです。はい、そうです。というか、「90%以上が『美少女系統の絵』」、はい、「偏りが過ぎてるでしょう?」と感じます。
ですけど、(自分は絵は全くの専門外ですので、「恐らくの域を出ない」の注釈付きになりますけど、)
「シンプルに、『ニーズ・需要が最もある』から。」
結局は、これに尽きるということでしょう。
これは、絵師・イラストレーターは、「ライトノベル」「映画のノベライズ(小説化)」及び「Vtuber」「ゲームのキャラクターデザイン」「アニメのキャラクター原案」が主たる仕事の感じですけど、
「アニメ・漫画自体が、主人公の年齢設定が若い(10代~20代が多い)」
こと。あるいは、近年にニーズを伸ばしてきている「Vtuber」は
そう、「Vtuber」のキャラクター設定自体が、いわゆる「萌え擬人化」の傾向が顕著である訳です。
「風景画はありですか?」、ない訳ではないです。
はい、美少女絵の背景として、「実はより描きたいこと」としての風景画テイストは、あります。ですけど、一般にイメージする風景画だと、「古典的な絵」に位置付けられる傾向がより強いかなと想像です。
…と、自分は正直、そう感じるのです。
と、1人の人間として、自分は伝えたいです。
では、いよいよ、「自分が最も大好きな絵師さん」へと、話を進めます。
(…って、既に長くなっていますけど、ごめんね。)
(←文字化けしてるっぽいですが、「Hitenさんの版画展」のHPのリンク添付です。)
はい、昨年(2023年)・今年(2024年)と、「絵師100人展」を鑑賞させて頂いて(これは、生鑑賞を叶えられずに、2023年の回のときに図録を購入させて頂いた「2022年の回」を含めてです)、自分が
「この3年分を通して、最も心を強く揺さぶられた絵師さんが、『Hitenさん』です。」
なぜって?と聞かれると、「心がそう反応したんだ。」と。
「世界観」「絵柄」「表情や表現の機敏」「色合いを含めての全体の雰囲気」を総合してですね。
はい、いま、意識的に重ね合わさせて頂きました、この『心が叫びたがってるんだ。』というアニメ映画を。
自分が、31歳にして「ほんとうの自分」に出会った際に(『ラブライブ』に出会い、「アニメ好き」である自分自身に気付いたとき)、同じ2015年の夏に公開されて、話題になった作品です。
で、この『心が叫びたがってるんだ。』(通称「ここさけ」)で、主人公を務めたのが、「水瀬いのり」さんです(「水瀬」と書いて、「みなせ」と読みます。当時、なんとまだ19歳でした)。
この「ここさけ」での表現が称賛で(そもそも映画作品に起用されたこと自体も、とてもすごいのですが)、一気にスター声優に。程なくして歌手デビューも叶えて、いわゆる「声優アーティスト」として成功を叶えます。
で、これ、「2019年~2022年(その後もOVAが2つ制作されてるが)」に、『五等分の花嫁』という大型作品で、「五つ子ちゃん」の1人(中野五月役)を務めました。
はい、この『五等分の花嫁』も、『ラブライブ』と同等以上に大好きな作品です(この作品に出会えたこと自体、「生きていてよかった」と実感です!)。
この『五等分の花嫁』と同時期に話題を集めたアニメ映画が『鬼滅の刃』『呪術廻戦』です。いわば、コロナ危機から映画界・アニメ界を救ったといわれている「2020年代前半の、アニメ映画の『ビッグ3』」といえます。
智咲ちゃんも、『鬼滅の刃』『呪術廻戦』『五等分の花嫁』は、このうちの1つ以上は、名前を聴いたことはあるのでは?と想像です。
(尤も自分は、『鬼滅の刃』『呪術廻戦』は、「ごめんね、絵柄が合わないんだ…。【おいしそうだけど、アレルギーでどうしても食べられない食品のような感じ】と解釈して頂ければと。)
…って、話を完全に脱線させて、ごめんね。話を戻します。
Hitenさんの、「絵師100人展」の作品。
自分が、Hitenさんを「大好き」と感じてる、特に大きな理由が上述のことです。
「等身大」であり「リアリティー」があるから。「こういう人間がいると、とても素敵だよね」って感じの人物描写なのです。
特に「目」「瞳」の描写で「あっ、この絵、Hitenさんだ」と伝わる感じですけど、「演出過剰感がない」、つまり「過不足がない」も恐らく大きいと感じてます。
ちなみに、このHitenさん、出身は台湾です。で、絵師・イラストレーターとして、日本で成功を収めたと。
では、(資料絵画7)(資料絵画8)へと、話を進めます。
いま、2つの絵を一気に紹介させて頂きましたけど、そう、『絵師100人展』で、自分が最も感動して、「いつか、個展が叶ったら、鑑賞に伺いたいな。尤も、『日程・資金が合えば』ではあるけど。」と感じるようになってたのが、Hitenさんです。
そしたら、YouTubeの広告で、偶然にも
「Hiten版画展、開催」
と出たのです。これを知った瞬間、「えーっ!マジで!?うおーっ!」。
しかも、10月中旬、「アールジュネス日本橋」で開催とあるのです。
要は「大阪」であると。遠征せずに鑑賞できると。
場所は、「アニメイト大阪日本橋店」の近く。アニメイトの手前を左折して、堺筋沿いに店舗・会場があります。いわば「オタロード」でも「でんでんタウン」でもある場所です。
この機会を、絶対に逃したくない。版画展の日程まで「1週間を切ってた」のですけど、「全身全霊で日程を捻出」することに、迷いはありませんでした。
自分はフリーランスですので、時間の融通がある程度はできる。
ですので、木曜日の開始時(13時)に、生鑑賞をさせて頂きました。
平日の昼間ならば、人間の数がわりとすいてますから(混雑率が抑えられてるので、「精神的なゆとりを持って、鑑賞できる」)、日程が捻出できるならばの注釈付きですが、自分にはこの方が合う訳です。
実際、意図通り、「Hiten版画展」、じっくりと鑑賞できましたし。
特に自分が、とても感動したのが、今回の版画展のキービジュアルでもあります、「Hazy Light」です。この絵については、いまの段階では、多くは触れませんけど、「とても心を揺さぶられた、強い共感を抱いた」と。
「Hazy Light」が収録された画集が叶えば、って?そりゃあ、「議論の余地はない」といっていいほどに、全身全霊で購入させて頂きたいです!
なぜって、まさしく「Hitenさんの『渾身の1枚』」って感じですので!
で、Hitenさんの版画展を観終えて、「画集も2022年に発表されてて、新訂版が2023年に発表されてます」とのこと。ですけど、画集を購入する資金までは用意できていなかったので、後日にと。
で、11月になり、Hitenさんの第1画集を購入。いざ購入させて頂くと、「絵柄や世界観が、自分にとても合う」って感じで、それを含めて、はい、「優勝!」でした。
「3600円」でしたけど、これに見合う価値は存分にあると。
で、ここで、2枚の絵を一気に取り上げさせて頂いてますけど、そう、「あっ、『Hitenさんらしさ』だ!」と感じる1つが、Hitenさんの人物描写って、「髪にウェーブが掛かってる」傾向が強いんですよね。
はい、ごめんね、ここで「とても恥ずかしいこと」を話します。
自分、「髪フェチ」なんですよ。長い髪(これはロブを含めて「結べる髪の長さ」であればよい)が似合う女性に、無意識的に「きゅん」と心が反応する(勿論、あくまでも「似合う」ことが大前提ですが)、これが正直あります。
それはともかくとして、髪にウェーブが掛かってることで、「より曲線的」になる。この「より曲線的」な感じが、何らかの「付加価値」を与えてるのかもと想像です。
で、(資料絵画7)の「4月の雨」。「Hitenさんを象徴するキャラクター」と想像の「同一キャラである少女」の絵の1つです。
「耳出しが特徴の、金髪のロブヘアの少女」です。
実は多くは、左耳に「編み込み&リボン」ですけど、この絵は制服姿だからか、左耳に「編み込み&ヘアゴム」。
「かわいらしさ」のみならず、「内に秘める芯の強さ」(一見すると穏やかだけど、その内面に「軸」を持っているイメージ)が伝わるところが、特に素敵と感じるんですよね。
半開きの口元も、「Hitenさんらしさ」を感じます。「等身大」「ありのまま」の感じがより伝わる感じでと。「誇張感、演出過剰感がないことに、魅力を感じる」のかもしれません。
では、(資料絵画9)(資料絵画10)へと、話を進めます。
(資料絵画9)(資料絵画10)。いわば、Hitenさんの「絵師・イラストレーターとしての『最高到達点』『輝き・努力の結晶』」といえるでしょう。
特に、「コミックマーケット」。このキービジュアルの起用は、歌手でいう「紅白歌合戦に出場」「日本レコード大賞を受賞」をイメージして頂ければの感じです、そう、「とてつもなくすごいこと」であると。
で、「絵師・イラストレーター」といっても、資料絵画の(1~6,9,10)は、いわゆる「商業活動」になります。
一方で、資料絵画の(7,8)は「同人活動」になります。いわば(7,8)は「完全に、好きで書いている絵」ということになります(何も決まった枠組みがない、絵師さんが「描きたいように描いてる絵」の感じです)。
一方で、(1~6,9,10)は、程度の差こそあれ、「何らかの決まった枠組み」があって、いわば「決まった枠組みに沿う感じで、それでいて、その絵師さんらしさを落とし込むように描く絵」といえます。
そう考えると、いわゆる「トップレベルの絵師・イラストレーター」さんは、「商業絵師でもあり、同人絵師でもある」という、いわば独特の感じ・立ち位置といえますね。
…と、このような感じですけど、「絵師100人展」「神絵祭」、あるいは、「トップレベルの何人かの絵師さんの個展・版画展」、智咲ちゃんも、訪れる機会を持てると、より意義があると伝えたいです。そうすれば、「自分が目指す景色・領域って、こういう世界なんだ」とか、きっと感じることがあるから!と。
勿論、トップレベルになることが全てではないと思う、大切なことは、「絵を描くことが好き」という気持ちは勿論ですし、「絵を通して、自分にはどうしても表現したいことがあるんだ!」「『叶えたい景色』『やり遂げたいこと』が自分にはあるんだ!」の気持ち・想いであると思うよ!と。
だから、メールとかで、
と、思い切って聞くことができれば、聞くことがより望ましいと思うと。尤も「お仕事のご依頼」ではない訳ですので、最初の方の文章で「私は現在、中学◎年生の◎◎と申します」と明確に伝えてからがより望ましいかなです(読んでもらえないと本末転倒になるリスクですので)。
(手紙という方法ができればよりよかったかなだけど、見つからなかった…。
(尤も、それにしても、トップレベルの絵師さんが、「美少女絵」の比率がとても高い[はっきり正直に言えば、かなり偏ってる]。偏り感は否めないですが、「美少女絵」が「大衆文学的な絵」という意味での「需要・ニーズ」として、他のタイプの絵に比して圧倒しているということでしょう。)
ありがとうございました。読みづらかったかもで、ごめんなさい。
でも、「伝えたいこと」が伝わっていると、とても嬉しいです。
なぜって、智咲ちゃんには、「人々の心に響き、元気づける作品を作る」という「志」「使命」を叶えて欲しいから!
応援しています、いつの日か(10数年後とかかな?その場合でだと、いま自分は40歳だから、50歳代半ばとかか)、あなたの絵を、展覧会とかで鑑賞できることが叶うと、とても嬉しいから(でも恐らくペンネーム表記だから、正体が「智咲ちゃん」であるとわからないかもしれないけど、それでも全然いい)。
智咲ちゃん、絶対にあきらめないでね!絵の道に携わりたい理由が、あなたにはあることがとても伝わるから!あきらめそうになったとき、「初心」「原点」を、「貫きたいこと」「こだわりたいこと」を思い起こして!そうすれば、道がきっと拓ける(ひらける)から!だからこそ、「絵が大好き」の気持ちに、「絵に携わりたい」の情熱に対して、「絵だからこそできること」の信念に対して、正直でいて欲しい!
ささやかながらですけど、ずっと応援しています!この文章が、智咲ちゃんに届くと、とても嬉しいです!
2024年11月16日
愛球人(あいきゅうじん)
【社会貢献#11A】【エッセイ#47A】