マックフライポテトと鯛焼きとヨシオ
突然だが私は食べる事が大好きだ。
衣食住の中ではダントツ食に重きを置き、ゆえにエンゲル係数がとんでもないことになっている食いしん坊だ。
仕事など所用で外出した際も、このあとどこで食事しようか、美味しいお店はあるかしらとネットのグルメサイトを閲覧し本来の目的以上に注力してしまうし、周りの人達からも「美味しい店をよく知っている人」と思われているようで、職場や友人達との会食があればほぼ100%の確率で幹事を任される。食の好みや経済的価値観がバラバラなメンバーの顔ぶれから最大公約数的にそこそこ満足していただけるようなお店を選ぶのはおそらく面倒な作業なのだろうけれど、私は嬉々としてやってのける。
なぜ私はこんな性分なんだろうと分析すると「なるべくしてこうなった」というフシがある。それは、父方の祖父ヨシオの存在だ。
1971年、銀座三越の隣にマクドナルドの日本第一号店がオープンし、ちょっとした社会現象になった(らしい)。当時、幼稚園に上がる前だった私をヨシオがその銀座のマクドナルドに連れていってくれた。つまり、私の初マクドはヨシオがディレクションしてくれたのだ。
「銀座じゃこれが流行りなんだよ」と、ヨシオに
肩車されて銀座の歩行者天国を闊歩しながらマックフライポテトを食べた。
今はマクドナルドを利用することは殆ど無くなってしまったが、街角やショッピングモールで店前を通りかかりあのポテトの匂いを嗅ぐと、ヨシオの肩の上から眺めた銀座の人波を今でも思い出す。
ヨシオは食に関し好奇心旺盛で道楽好きな人だった。私の記憶にはなく後年、母から聞いたのだが初めてホテルのディナービュッフェに連れて行ってくれたのも彼だったらしい。とにかく私のいろんな食べ物の"初めて"はヨシオが私に教えてくれたらしい。残念ながらマクドナルドしか憶えていないけど。
まぁ、そんな道楽人だから幼い孫の私には知る由もない大人の事情があったようで、その後ヨシオとは疎遠になってしまい時は流れ、私が
高校受験目前の冬、ヨシオは60代半ばで世を去ってしまった。
会えなくなった10年弱の間に、ヨシオがどのような暮らしをしていたのか、その時の私は勿論のこと、実の息子である父ですら詳しくは知らずにいたのだが、ヨシオの葬儀にはおびただしい数の弔問客が駆けつけ(何せ、お坊さんの読経が終わってもお焼香の列が長く伸びていたので読経2巡したほど!)、数多の料亭などからお花や弔電が届いた。わざわざそのようなお心遣いをいただくに値するお客だったのだろうか。
中でも圧巻だったのが、今も都内に店を構えられ当時から行列店で有名だった某鯛焼き屋さん。なんと告別式の朝、御霊前にお供え下さいと、木箱にびっしり詰まった焼きたての鯛焼きを届けて下さったのだ。
おじいちゃん、いったい何者なん?と思わずにはいられない光景だった。
祖父との思い出がマックフライポテトと鯛焼きというのも妙だけれど、私は多分にこの人のDNAを受け継いでいるなぁと思う。