ドゥシャンベ日記① 〜I ❤️タジキスタン🇹🇯〜
美しい笑顔の人々
タジキスタン、ドゥシャンベ空港に着いてまず出迎えてくれたのが、ホテルのシャトルサービスの運転手だった。
彼は私を見つけると軽くあいさつをし、大きなスーツケースの運搬とホテルまでの送迎をしてくれた。
空港を出ると、世界ジュニア柔道大会を知らせる大きな電光掲示板があった。そんな話題を出しても彼はほとんど喋らなかったが、それでもとても安心できる雰囲気を与えてくれた。
ホテルのオーナーは静かでスマートな、よく気の利く男性であった。落ち着いた物言いで、こちらの希望を叶える為に方法を惜しまず提供しようとした。
小ぢんまりとした宿であったが、朝食の時にはいつも様子を伺ってコーヒーを運んでくれたことは、私の一番気に入ったことであった。
私の為にLINEアプリを入れて、いつでも困った時は連絡が取れるようにしてくれたのも、慣れない土地で本当に助けられた。
さて、会場までの行き来でなん度も利用したタクシーのことを書こうと思う。
タクシードライバーもいろいろ
タクシーに乗りながら、首都ドゥシャンベの美しく、また素朴な景色が窓から眺められる。
ドライバーに美しい街だと伝えたかったが、どうやら英語はあまり得意でないらしい。ここの公用語であるタジク語かロシア語を、私は理解することができない。
それでも、〃ビューティフシティ〃!がわかると、ロシア語では“サクリゼボ〃というのだと教えてくれた。旅の為に準備したロシア語以外で、現地ではじめて覚えたロシア語であった。
タジキスタンの人は人懐こく、話すことを好むので、私たちは翻訳アプリを通して意思疎通もした。
あるドライバーは自分はドクターなのだと写真を見せた。小児科の整形外科として働くがタジキスタンでは医者の給料が低く、ランチを食べたあとはタクシードライバーとして働くのだと言う。
ちなみに月給は月30ドルというから、日本円だと4500円になる。本当かどうかは別として、その数字を携帯に打って見せた彼の顔は切実であった。
タクシー代は39ソモニ(タジキスタンの通貨単位)であったが、100ソモニ渡して60ソモニしかお釣りを返さなかった。この話の流れで理解してくれということなのだろう。その辺りはちゃっかりしていた。
最後に、この国の人の笑顔について書きたい。
幸せな笑顔
タジキスタンの人々は、大人から子供まで、男性も女性も、目が合うととても人懐こい笑顔を見せてくれる。
旅行中、柔道日本チーム以外の日本人にはついに会わなかった。ここでは日本人は珍しく、通りすがりにニイハオ!とよく声をかけられた。どうやら中国人に見られていたようだ。
毎日会場まで往復する私のために、ホテルが自転車を準備してくれた。タジキスタンでの移動は車か歩きが普通で、自転車に乗る人はほぼいない。たまに子供がマウンテンバイクを乗り回しているくらい。
そんな中、黒髪の日本人(彼らにとっては中国人)が自転車で走る姿はさぞ珍しかったと思う。面白いものを見た時のようなテンションで、ニイハオ!と何度も声をかけられた。
女性と子供たちが夜になっても普通に道を歩いていたが、後ろからの自転車の気配に気づいてさっと道を開けてくれる。無邪気で優しい笑顔を見て、ペダルを踏む足も軽くなった。
うるわしい気遣い
また、人々の素敵な仕草についも書いておきたい。はじめてあいさつを交わした時、何かを尋ねてお礼を言った時などに、彼らは手のひらを胸に当て軽く会釈をした。
この国の人に限るのか、イスラム圏の習慣なのかはわからない。詳しいことはわからなくても、敬意を表してくれている気持ちが伝わり、温かい気持ちになった。
この記録を出国待ちをするドゥシャンベ空港で書いていた。虹色のステンドグラスが美しいドゥシャンベ空港は、残念ながらまだフル稼働という状態ではない。チェックインをするのに苦労した。
結局、チェックインカウンターのあるフロアまで時間までは入れないだけだった。何やら困っている日本人を見つけて、一生懸命係員に話を通そうとしてくれた男性がいた。
その後出発ロビーで座っていたら、その男性がまたやって来て、「解決したか」と聞いて安心したようだった。「コーヒーは好きか」と聞くと彼は消え、カップを両手に持って帰って来た。
そしてお互いの目的地へと旅立った。
そんな出会いがあったため、タジキスタン、ドゥシャンベとの別れが一層寂しいものとなった。
さようなら、タジキスタン。また来たい。できればそんなに発展しなくても良いから、今のままの素朴さを残していてほしい。美しい人の街、タジキスタンであった。(つづく)